5日目 -7- 思わぬ怪我
(えっ!?)
予想外のことに、私はすっかり反応が遅れてしまった。まさか彼女がいきなり手を出してくるなんて、思ってもみなかったのだ。
ディアナの平手打ちが、私の頬に炸裂する! ──と、思いきや。
「──」
「──」
気づけば私は、軽々と身を躱し、流れるような動作でディアナの手首を掴み上げていた。
ディアナが驚いたように目を見開く。いや、ディアナよりも誰よりも、一番驚いたのは、この私だ。
いったい何なのだ、この動きは……!
取っ組み合いのケンカなんて、子供のころ以来していないはずなのに、体が無意識にディアナの攻撃を捌いていた。
有り得ない。怖い、自分が怖すぎる。
「な、なによ、放しなさいよっ!」
私が呆然としていると、そんな私に向かって、驚きから我に返ったらしいディアナが声を張り上げた。掴まれた手を振り回し、その場でジタバタもがき出す。
私はハッとして、手にグッと力を込めた。ここでうっかり離したら、またディアナが殴り掛かってくるんじゃないかと思ったのだ。
危なくて離すこともできないなんて、まるで野生動物でも捕獲したかのようだった。大人しくしてくれれば直ぐにでも解放するのに、彼女は暴れるばかりで一向に鎮まる気配もない。
暴れるディアナと、それをひたすらいなす私──こうなるともう、互いに根競べの様相を呈してきた。そんな気はしていたけれど、ディアナもかなり負けん気が強いらしい。暴れても逃れられない悔しさからか、その顔は赤く染まり、目には涙まで浮かべている。
(え……あれ、待って。この状況って、何だかまるで、私が)
「リンカちゃん」
(!?)
不意に背後から名を呼ばれ、私はギクッと肩を揺らした。
誰か、嘘だと言ってほしい。それは今、私が一番聞きたくなかった彼の声だったのだ。
(ル、ルーフィス!?)
動揺で、ディアナを掴んでいた手が緩む。ディアナは、この機を逃さなかった。
「ちょっと、放してって言ってるでしょっ!?」
(あっ!?)
多分ディアナは、力任せに私の手を振りほどこうとしたんだろう。けれど、それがよくなかった。背後のルーフィスに気を取られた私は、一気に力を抜いたのだ。
「きゃっ!?」
急に力のぶつけ先を失ったディアナが、勢い余ってその場に転ぶ。
(!)
彼女の転び方を見て、痛い!と、とっさに私は思った。誰より間近にいたせいで、ディアナが足を捻ったところを、しっかりと見てしまった。これはどう見ても、ちょっと挫いた程度では済まないだろう。
「ちょっとディアナ、大丈夫!?」
それまで一歩引いていたクレールが、焦ったようにディアナの傍までやって来る。
「ごめんなさい、もっと早くに止めれば良かったわ。何だか、口を挟めなくて……大丈夫? 立てる?」
「痛っ……!」
クレールに促されて立ち上がろうとしたディアナが、すぐさま地面にへたり込む。
見ると、彼女の細い足首は、赤味を帯びて腫れ出していた。その顔の歪め方から見ても、やっぱりおかしな転び方をしたらしい。
さすがに心配になってきたとき、
「立てないの?」
私の後ろから、ルーフィスの声がした。
彼もやはり、この状況では、黙って見ていられなかったんだろう。そのままディアナの前へ進み出て、彼女の傍にしゃがみ込む。
「なっ、なによ、触んないでよっ!」
怒ったように、ディアナは喚いた。けれどその大きな瞳は、今にも零れそうな涙でうるうるの状態だ。勝気な彼女が泣きそうになっている時点で、かなり痛いに違いない。
そんなことを思っていると、ディアナの怪我の様子を確認していたルーフィスが、困ったように顔を上げた。
「これ……挫いただけなら良かったけど、捻挫してるみたいだね。ちゃんと医者に」
「はあ、医者!?」
なぜか医者という言葉を聞いたとたん、ディアナがくわっと目を見開いた。
「やめてよ、行けるわけないでしょ!?」
「心配しなくても、ここからなら、そんなに遠くはないよ。歩けそうにないなら、僕が」
「誰が距離の心配をしてるのよっ!」
ディアナはルーフィスを遮ると、忌々し気に吐き捨てた。
「あのねえ、世の中あんた達みたいに、生活に余裕のある人間ばっかりじゃないのよ!? 医者に診せたってどうせ『固定して安静にするように』って言われるだけでしょ! 貧乏人は、そんなことにお金なんて使ってられないの! 折れたんならともかく、これくらい勝手に治るわよっ」
「ディアナ……」
ぷいっと横を向いたディアナに、クレールが心配そうに声を掛ける。それでもクレールは、医者に行けとは言わなかった。おそらく金銭的な余裕がないという、ディアナの事情をよく知っているんだろう。
一方のルーフィスも、困った顔で、何か考え込み出した。ディアナにこんなことを言われてしまっては、無理やり医者に連れて行くのもためらわれるに違いない。ルーフィスなら診療代を立て替えるくらいは簡単だろうが、友人ですらない彼が、そんなことを申し出ていいのかは微妙なところだ。
その時ふと、私の頭に閃くものがあった。
私を引っ叩こうとしたディアナには、正直、思うところはある。とはいえ、この膠着状態をどうにかするには、あれが役に立つんじゃないだろうか。
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