5日目 -6- 女の戦い!?
その日の夜、顔を出したときから、ジェイのお店はすでに大勢の客で賑わっていた。平日の夜としては珍しいが、稀にこういう日はあるものだ。
飲むつもりで来たけれど、この状況の中、さすがに一人だけ飲んだくれる度胸はなかった。お客さんが減るまでの間、私も手伝った方がいいだろう。
私は厨房のジェイに声を掛けると、自分用のエプロンを身につけた。
注文を受け、出来た料理を運び、ひたすら店内をくるくると動き回る。ルーフィスやマリエンも来てくれていたけれど、立ち話をする余裕もないくらいの忙しさだ。
そうしてしばらく無心で働き、そろそろ目が回りそう、と思ったころに、やっとお客さんの流れが止まった。
ようやく一息つけたのはいいけれど、滲んだ汗で、体中がベタベタだ。とにかく一度、この熱を冷ましたい。
(す、少しだけ、外の空気にあたってこよう)
涼しさを求めて、私は裏口から、ふらふらと外へ出た。
* * * * *
(あ、いい風)
夜空を仰ぐようにして、私は夜の空気を思い切り吸い込んだ。
ひんやりとした風が、体中の余計な熱を奪って行く。スッと汗が引き、疲れた体が少しだけ軽くなる。
人気がないのをいいことに、私はその場で思い切り伸びをした。筋肉が伸びる感覚が気持ちいい。体を左右に捻り、両肩をぐるぐる回す。ついでに、ぴょんぴょん跳んでみる。……と、急に。
(あれ!?)
私は、目の前の人影に気がついた。
店の裏口側は灯りも少ないので、近くに来るまで、ぜんぜん気がつかなかったのだ。
てっきり誰もいないと思って、とんだ奇行を見られてしまった。言い訳をしたくても、通りすがりの人が相手では、それだって叶わない。
人影は2つで、どちらも女性だ。『え、この店の子?』『頭、大丈夫かしら』なんて、ひそひそされたりしないだろうか。
あまりにも恥ずかしくて、さっさと店に引っ込もうとした私は──そこで大きく目を瞠った。
(!)
あまりの偶然に、眩暈がした。『嘘でしょう!?』と叫びたい心境だった。店の外に出なければよかった、なんて思ったものの、今さら引っ込んだってもう遅い。だって彼女と私は、今、思い切り目が合っている。
そう。私の目前にいるのは間違いなく、私が怒らせてしまったあの──
「どうかしたの? ディアナ」
急に足を止め、動かなくなったディアナに、隣にいた友達らしき女の子が声を掛ける。
目を向ければ、その子も前に見たことのある顔だった。童顔のディアナに対して落ち着いた大人っぽい雰囲気で、確かクレールと呼ばれていたはずだ。たまにジェイの店に来るとき、ディアナは大抵この子と一緒に来ていた気がする。
「……何でもないわよっ」
ディアナはとても“何でもない”とは思えない態度で、勢いよく私から顔を背けた。その不機嫌そうな表情を見れば、私に対して良い感情を持っていないことが見て取れる。
けれどそれは、仕方のないことだろう。あんなことがあったばかりで、友好的にされる方が逆に怖いというものだ。
そんなことを考えていた時、不自然に大きな声で、彼女が言った。
「あんなクソ真面目で面白みのない人、私の相手じゃないのよねっ」
(!?)
クレールにじゃない。私に聞かせるために言ってるんだと、私はすぐに気がついた。
そして──言葉の内容が、ルーフィスを指しているらしいということも。
「何言ってるの? ディアナ」
一緒にいたクレールが、不審そうに問い掛ける。確かにいきなりこんなことを言われても、普通は訳がわからないだろう。
それでもディアナは、そのまま一人で喋るのを止めなかった。
「なによっ。いらないなら捨てればいいでしょ!? あんな変な女に渡すなんてっ」
(へ、変な女……)
これは確実に、私のことを言ってるんだろう。不本意だけれど、反論の余地はない。なにせ、あんな立ち食いしている姿を見られた上に、今は今でこの奇行だ。
自分への評価は大人しく受け入れて、私は、今度こそ店に戻ろうとした。──その時だった。
「だいたい、モテるからって、やることが陰険なのよっ。どうせ今までだって、あたしのこと陰で嘲笑ってたんでしょ!」
(!?)
彼女の言葉に、私は自分の顔色が変わるのがわかった。
私への暴言なら、いくらでも無視できる。だけど、これはちょっと話が別だ。だってルーフィスが誤解されているのは、どう考えても、私がクッキーを食べて、それをディアナに目撃されてしまったせいだろう。
ルーフィスは、人の陰口なんて言わない人だ。あのクッキーを私にくれた時だって、困った顔はしていたけれど、相手を貶す言葉なんてまったく口にしていなかった。
ましてや、誰かを陰で嘲笑うなんて有り得ない。贈り主についてだって、誰からの物なのか、推測できるようなことは何一つ言ってなかった。ディアナと遭遇さえしなければ、私だって気づくことはなかっただろう。
「ちょっと待って!」
私はディアナに向き直り、真っすぐに彼女を見据えた。自分はともかく、ルーフィスがおかしな誤解をされているのは耐えられない。
「あなたのそれは、誤解だよ。ルーフィスはそんな人じゃない! 子供の頃からモテてたけど、女の子を嘲笑ってたことなんて一度もないよ!」
声を張りながら、それでも私は、努めて冷静に説明を試みたつもりだった。だけどそれは、どうやら裏目に出たらしい。
「なによそれ!?」
勝気らしいディアナは、顔を赤くして私を睨んだ。
「自分はあたしと違って、彼のことをちゃんとわかってるって自慢なの!?」
……誰もそんなことは言っていない。
けれど頭に血が昇りやすいらしいディアナは、私が反論する前に、さらに思いもよらないことを言い出した。
「だいたい、なによっ! あんただって、あたしのこと、まったく相手にされない可哀相な女だと思って見下してるんでしょ!?」
「え」
一瞬、私の思考が止まった。
いったいディアナは、何を言っているんだろう。だって彼女の言い方だと、まるで、私の方が優位な立場にでもいるみたいだ。
けれど、実態はぜんぜん違う。ルーフィスがディアナを相手にしていないというのなら、それは正に、彼女が異性として認識されている証拠だった。まったく距離を取られない私の方が、恋愛的な面から見れば、よっぽど相手にされていないのだ。
(あれ、でも、待って。ディアナの誤解を解くには、それを説明をしないといけないの?)
気づいた瞬間、ちょっと本気でどうしようかと、私は迷った。
二人きりならまだしも、クレールという第三者もいるところで、そんな説明するのは、あまりに惨めじゃないだろうか。
それでもやっぱり、変な誤解は早めに解いておいた方がいい気がする。
短い葛藤の末、私はディアナにだけ聞こえる小さな声で、説明を試みた。
「見下してるなんて、そんなのは誤解だよ。だって相手にされてないのは、あなたより私の方で……」
「はあぁ!?」
いったい、何がまずかったのか。事実を説明しようとした私の言葉は、なぜか彼女の怒りを最大限に煽ったらしい。
「何よそれ、嫌味なのっ!?」
怒りで顔を真っ赤に染めたディアナが、すごい形相で私へと詰め寄ってくる。まるで、クッキーを立ち食いした時の再来だ。
「ちょっと彼と親しいからって、あんまりいい気にならないでよっ!」
「ディアナ!」
クレールがぎょっとしたように止めたとき、すでにディアナは私に向かってその手を振り上げていた。
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