5日目 -5- トラブル・クッキー
彼女の目は私の持つ包みを凝視し、顔を赤らめてプルプルと震えている。
(え)
私はクッキーの包みを握りしめたまま、完全に凝固した。
(ま、まさか……)
不測の事態に、固まったまま息を飲む。
このクッキーの送り主は、もしかして──いや、もしかしなくても。
ディアナの表情を見れば、嫌でもわかる。このクッキーの贈り主は、あの子じゃない。これはあの小さな女の子からの、微笑ましい贈り物なんかじゃなかった!
私は白目を剥きたくなった。
どうして私は、こんな恐ろしい事態に陥っているのか。
ルーフィスに『何てことをしてくれたんだ!』と叫びたかったが、この場合、彼を責めるわけにもいかないだろう。この事態を想定するなんて、きっと神様以外は不可能だったに違いない。
だって外で立ち食いを始めた私がまず有り得ないし、こんなおかしなところに潜んでいたディアナも、同じくらいに有り得ない。ここは通り道からは完全に外れた、人の寄り付かない場所だ。私だって隠れたいから来たわけで、普通は、誰かと遭うなんて想像もしないだろう。
こんな場所に潜んでいたディアナは、普通に考えれば完全なる不審者だった。いや、ディアナからすれば、おまえが言うな、という感じだろうけれど。
(って、今は、そんな分析をしている場合じゃなかった……!)
私は壁際から一歩も動けず、声を発することもできなかった。余計な思考は次から次へと浮かんでくるが、肝心の対処法は、何一つ浮かんでこない。
どうやら私も、かなり混乱しているらしい。
それも無理のない話で、なんといっても、すぐ傍ですごい形相のディアナに睨みつけられているのだ。まあ、彼女がルーフィスの為に作ったと思しきクッキーをボリボリ食べていたのだから、睨まれることについては仕方がない。
だとしても、私は何も知らなかったんだ!と声を大にして叫びたかった。いくら私だって、送り主がディアナだと知っていたなら、図々しく受け取ったりはしなかっただろう。
(し、知らなかったって言ったら許され……いや、ダメだ。この怒り方じゃ、絶対無理だ。ど、どうすれば)
かなりの混乱状態だったせいかもしれない。
少しでもディアナの怒りを和らげようと焦った私は、つい、思いついたことをそのまま口にした。
「ごっ、ごめんっ! 返すねこれっ!」
「──」
私の発言を聞いたとたん。
険しかったディアナの顔が、それまで以上に恐ろしいものになった。正に、怒りで口もきけないといった形相だ。
(え……私、何か間違った!?)
解いたリボンを結び直そうとしていた私の手が、そのまま止まる。身動きできない私に向かって、怒りで顔を真っ赤にディアナが、ずんずん歩み寄ってくる。そして、
「──ふざけないでよっ!!」
爆発するように一言叫ぶと、私の手から、乱暴にお菓子の包みを引ったくった。その余りの怒りように驚きすぎて、弁解も謝罪も、何一つ口から出てこない。
ディアナは来た時と同じ勢いで私に背を向けると、怒りの溢れる足取りで歩き出した。そのまま遠ざかる彼女の背中を、呆然としたまま、ただ眺める。
そして私は、彼女の姿がすっかり見えなくなったところで、遅まきながら気がついた。
まったくそんなつもりはなかったけれど、私はどうやら、ディアナに喧嘩を売ってしまったらしい、と。
* * * * *
図書館から戻る道すがら、私は、どうも面倒なことになったな、と考えていた。
(ルーフィスからお菓子さえ貰わなければ、こんなことにはならなかったんだけど……)
うっかりクッキーを受け取ったのが、運の尽きだ。とはいえルーフィスの状況を考えると、彼を怒る気にもなれなかった。
だって、これがディアナからの物だというなら、ルーフィスは、昨日今日と連続で、大量のクッキー攻撃に見舞われたことになる。
こんな頻度でお菓子を貰っていれば、そりゃあ横流しだってしたくなるだろう。しかも彼自身は、贈り物を貰わないよう、ちゃんと断った上でこれなのだ。強引な手で渡された物を、捨てようが人にやろうが、ルーフィスに非があるとも思えない。
それにしても、ディアナのめげなさは、かなりのものだと言わざるを得なかった。
赤毛の職員さんの言っていた『それでも抜け道を使ってくる猛者』とは、おそらくディアナのことを差していたんだろう。
ルーフィスに直接何か渡そうとしても、断られる。
職場で言付けようとしても、それもまた断られる。
そこでディアナは、この方法を考えたに違いない。『皆さんでどうぞ』と言って渡せば、渡された方は簡単に断ることができないからだ。ルーフィスが言っていたように、普通、皆宛ての物を一人で勝手に断ることはできないだろう。
そしてハートのクッキーは、見事ルーフィスの手に渡った。正に彼女の思惑通りに。
(でも……思惑通りだったのは、きっとそこまでだよね)
その先は、彼女の思惑からは大きく外れたに違いない。主に、私の行動のせいで。
たぶんディアナは、ここでルーフィスが出てくるのを、こっそり待っていたんだろう。
何も物陰に潜まなくても、とは思うけれど、こそこそしてしまう心情は、何となく理解できた。数日前のやり取りを思い出しても、ルーフィスは決してきつい物言いはしていなかったけれど、拒絶の意志を明確に口にしていたからだ。
それでも、彼女は差し入れを渡すことに成功した。強引な手ではあったけれど、何とかそれを取っ掛かりに、ディアナはルーフィスに近づこうとしていたに違いない。──そこに、私の登場だ。
(そりゃ、ディアナだって驚くよね。ルーフィスの為に作ったクッキーなのに、いきなり登場した私がボリボリ立ち食いしだすんだから)
そして私は今になって、あの時ディアナが、異常に怒り出した原因がわかった気がした。
私はクッキーを『(ルーフィスに)返すね』と言ったつもりでいたけれど、もしかして、ディアナは『(ディアナに)返すね』という意味に受け取ったんじゃないだろうか。
それなら、彼女の怒りようも納得できる。
ディアナからすれば、好きな人に渡したはずのお菓子を変な女が食べていた上、見つかったと気づいて『返すね、これ』と突っ返そうとして来たのだ。ルーフィスから返されるならともかく、これは腹が立つだろう。
(どうしよう。今度会ったとき、謝った方がいいのかな)
けれど私が謝まるというのも、それはそれで彼女の怒りを煽りそうだ。
(……まあ、今ここで、ごちゃごちゃ考えてても仕方ないか)
あれこれ考えを巡らせていた私だったが、最終的には、考えることを放棄した。食べてしまったクッキーを今さら戻すことはできないし、それに、直接の知り合いではない彼女と、そうそう会うことはないだろうと思ったからだ。
(うん。また偶然ディアナに会うことがあれば、その時に考えよう)
そんな呑気な結論を出した私は、その偶然がすぐに訪れるなんて、まるで思いもしなかったのだった。
次話◆女の戦い!?




