5日目 -4- ハート型の罠
「リンカちゃん」
ややして、やって来たルーフィスは、少々困惑気味な表情を浮かべていた。
まあ、それもそうだろう。図書館に来たことは数あれど、わざわざルーフィスを呼び出してもらったことなんて、今までになかったからだ。
「君が呼んでるって聞いて、驚いたよ。何かあったの?」
心配そうに、ルーフィスが訊いてくる。けれど、心配なのはこっちの方だ。不調がないのか探るため、彼の頭のてっぺんから、靴の先まで、素早く目を走らせる。
……ものすごく変態っぽい。
いやルーフィスがじゃなく、私がだ。出会い頭に全身を眺め回すなんて、自分がされたら確実に気持ち悪いに違いない。
ハッと我に返った私は、素早く方向修正することにした。あからさまにならないよう、そのまま、視線を彼の顔へと固定する。
けれど、そうしてルーフィスの表情だけを観察しても、そこから読み取れるものは特になかった。
それに今さら何だが、もし彼に隠すつもりがあるのなら、痛みがあっても顔には出さないようにするんじゃないだろうか。だとしたら、いくらルーフィスを眺めたところで意味はない。
私は、真正面から彼に尋ねることにした。
「あの……ルーフィス。体、大丈夫?」
探るように訊くと、ルーフィスは目を丸くした。
「え、どうしたの? 急に」
「ええと、ほら、私が昨夜ぶつかったとき、ルーフィス『だいたい大丈夫』って濁してたから。実はどこか痛めてたのかなって、今日になって気になってきちゃって」
「……ああ」
私の説明を聞いたルーフィスは、謎が解けたというように軽く笑った。
「そんな、気にしなくて良かったのに。あれは痛かったせいじゃなくて、驚いてあんな答えになっただけだから」
「そ、そうなの?」
「うん。だって驚くよ。リンカちゃん、煎り豆みたいに弾け跳んで来たからね。さすがにあれは、不意をつかれた」
豆。
改めて昨日の状況を聞かされて、私は顔が火照り出した。いや、ルーフィスが平気そうなのは良かったけれど、代わりに、私が平気じゃなくなった。昔から変なことをやらかして来た私だけれど、これでも羞恥心はちゃんとあるのだ。
そして私は、ここにきて、新たな危機が迫っていることにも気がついた。
(どうしよう。お腹が鳴りそうな気配がする……!)
そういえば今日は急いでいたので、仕事の後、何も口にしていない。いつもはローサさんと一緒に残り物をつまんだりするので、お腹の方は、すっかりそれに慣れてしまっているらしい。
「そ……そう。どこも痛めてないなら、良かった、うん」
何とか笑顔を作って答えながら、私はすっかり気もそぞろになっていた。本当に、今にもお腹が鳴り出しそうだ。ここはルーフィスに湿布を渡して、さっさと退散することにしよう。さすがにこれ以上、彼の前で恥を重ねたくはない。
「あっ、ええと、これね、湿布薬を持って来たんだ。ニオイのしないヤツだから、職場でも気にしないで貼れるよ。一応、渡しておくね。良かったら」
きゅるー。
「……」
「……」
私もルーフィスも、不自然に口を噤む。
使ってねと言い終わる前に、無情にも、私のお腹は鳴ってしまった。小さな音ではあったけれど、気づかれていないはずはない。なにせ、ここは図書館だ。場所が場所だけに、辺りは静まり返っている。
「しっ、仕事の後、食べないで来たんだよね」
私は訊かれもしないのに、一人で勝手に弁解をした。
羞恥で縮こまる私を見て、ルーフィスがクスッと笑う。それから彼は、おもむろにポケットを探ると、小さな包みを取り出した。
「リンカちゃん。これ、良かったら、いらない? 差し入れで貰ったクッキーなんだ」
「え」
私は目を瞬かせ、差し出された物を見た。クッキーだというそれは、綺麗な刺繍の入ったハンカチに包まれ、口を可愛い赤いリボンで結んである。
……これを見て、単なる差し入れだと思うのは、かなり鈍い人だけだろう。明らかに好意を匂わせる、気を使った包装だ。
いつもは断るはずの物を受け取ったルーフィスに、私は少なからず動揺した。しかも受け取ったにも拘わらず、それを私にくれるという。一体どういうことなのか。
「……」
「どうしたの? リンカちゃん」
「あ、あの、でもこれ、ルーフィス、受け取ったんだよね? 受け取った以上は、ちゃんと食べた方が」
「あー……うん」
ルーフィスは、明らかに曇った表情で頷いた。
……どうやら、喜んで受け取った物ではないらしい。
「まあ、受け取ったといえば、受け取ったことになるのかな」
「どういうこと?」
「同僚経由で来た物なんだ。僕に直接来たのは断ってるし、同僚にも受け取らないように頼んでるんだけどね。『皆さんでどうぞ』って差し入れの形で来られると、もう、どうしようもなくて。皆宛ての物を、僕が断るのもおかしな話だし」
(え……じゃあ、これは)
昨日、赤毛の職員さんが託されていたお菓子なんだろうか。あの時、彼のお母さんが『たくさんあるから皆さんにも』というようなことを、確か言っていたような気がする。
てっきり今日貰った物かと思ったけれど、物も同じくクッキーだ。でも、だとすると。
(あの子、ルーフィスに食べてほしそうだったよね……)
私は、昨日の女の子の姿を思い浮かべた。あの子の気持ちを考えると、私がルーフィスの分を取り上げるのは、どう考えても良くない気がする。
「ええと……私がルーフィスの分を貰うのは、ちょっと」
「え? ああ、なんだ。それは気にしなくても平気だよ。リンカちゃんに渡しても、まだあるんだ」
「……」
それならお裾分けとして、少し貰うのは許されるだろうか。『皆さんで』というからには、色んな人の手に渡るのは織り込み済みだろうし、ルーフィスの分が確保された上でなら、問題はないかもしれない。
「じゃあ、遠慮なく貰おうかな。ありがとう」
事情が分かって気楽になった私は、お礼を言って、お菓子の包みを受け取った。
──それが大きな間違いだとは、この時の私は、まるで考えもしなかったのだ。
* * * * *
ぐぎゅるー。
図書館を出たところで、私のお腹が、かなり盛大な音をたてた。
(さっき鳴ったのがこの音じゃなくて、本当に良かった……!)
心からそう思いながら、ホッと胸を撫で下ろす。こんな音をルーフィスに聞かれていたら、きっと走って逃げ出したくなっただろう。
それにしても、空腹の状態で、匂いだけを嗅がされているのは、なかなかキツイものがある。貰ったクッキーは鞄に入れていたけれど、別に密閉されているわけじゃないので、ふわふわと甘い匂いが漂ってくるのだ。
(……)
匂いの誘惑に抗いきれず、私は周囲を見回すと、図書館の正面から脇へと周った。小さな庭が開放されているのとは逆側の、木以外は何もない方だ。木立に隠れるように壁際により、鞄からごそごそと包みを取り出す。
行儀は悪いけれど、ちょっとだけ、お菓子をつまむことにしよう。あまりにお腹が空いていたし、ここなら誰かに見咎められることもないだろう。
リボンを解き、包みを開ける。中からはハート型のクッキーが現れた。
綺麗な焼き色のクッキーをつまみ、口元へ持っていく。甘く香ばしい香りが、私の鼻をくすぐった。小さめのクッキーだったので、一口でパクッと食べる。
(!)
すごく美味しい。
正直、手作りのお菓子は、少し間違えるととんでもないことになったりするが、これは問題なく美味しかった。昨日のお母さんは、お菓子作りが得意な人なんだろう。いや、そうじゃなければ、お礼として差し入れなんてしないだろうけれど。
私は2つめ、3つめとクッキーをつまんだ。砕いた木の実が入っていて、それが何とも香ばしい。食べ出すと止まらない。
(それにしても、ハートか……)
わかりやすいといえばわかりやすい、好意の形だ。相手が小さな女の子じゃなければ、口にするのをためらっていただろう。いや、子供が相手でも、やはり微かな罪悪感は感じてしまう。
だってあの子はルーフィスに食べてほしくて、一生懸命にお手伝いをしたはずだ。ルーフィスの分は、ちゃんと別にあるとしても、関係ない私が食べているなんて、ちょっと申し訳が──
「ちょっと、なんであんたがそれ……!」
不意に、咎めるような声が背後から聞こえて、私はぎょっとして振り向いた。木陰に半分隠れるようにして、まさかの人物が立っている。
それは以前、ルーフィスに贈り物を渡そうとしていた、あの女の子──ディアナだった。
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