5日目 -1- 体当たり注意報
巨大な蛾とルーフィスに、すっかり翻弄されてしまった、その翌日。
(いくら何でも、あれはないよね……)
一夜明けて冷静になった私は、反省という名の海に、どっぷり沈み込んでいた。
いや確かに、あんな大きな蛾が顔面に迫ってくれば、誰だって驚きはするだろう。だけど驚くにしたって、キャッと可愛く叫ぶとか、怖がってルーフィスに抱きつくとか、もっとマシな行動はいくらでもとれたはずだ。
なのに私ときたら、世にも間抜けな悲鳴をあげた上、ルーフィスの前で2回も見事な跳躍を見せてしまった。
相手がフィリオやジェイだったら『やあ、リンカ。バッタのモノマネ?』とか『おまえの動きの方が虫っぽかったぞ』くらいは言われていたに違いない。
しかも、足を踏んづけるという、ルーフィスにとっては実に有り難くないオマケ付きだ。
こうなるともう、虫相手にさえ文句を言いたくなってくる。出るにしたって、何もわざわざルーフィスの前で出てくることはないだろう。私一人の時なら、あんな恥をかくことも、彼を痛い目に遭わせることも──
「そろそろ、閉めるか」
ジェイの声で、私はハッと我に返った。
昼の忙しい時間帯をとっくに過ぎていたせいか、ついつい自分の思考に浸ってしまっていたようだ。ふと気づけば、さっきまで店内にいたはずの、最後のお客さんの姿も消えている。
「あ……私、閉めて来るね!」
呆けていた罪悪感から、私はサッと名乗り出た。扉の表に『準備中』の看板を下げれば、後は夜まで閉店だ。
足早に戸口へ向かい、扉へと手を掛ける。その瞬間。
(!?)
力を入れてもいないのに、いきなり大きく扉が開いた。
驚いて、ビクッとしつつ目を向ければ、そこには、私と同じく驚き顔のフィリオが立っている。
どうやら、私が外へ出ようとしたのとほぼ同時に、フィリオが店へ入って来ようとしたようだ。
なかなか心臓に悪い偶然だと思いながら、フィリオより一足早く我に返った私は、ススッと扉を閉める振りをした。驚かされた仕返しに、これくらいの悪戯は許されるだろう。
「──残念ですが、お客様。お昼はもう終了です」
「ええー!? リンカ、そんなイジワル言う!?」
よほどお腹が空いていたのか、フィリオが焦った声を出す。その慌てっぷりが可笑しくて、私は笑いながら、閉めかけた扉を開けた。
「冗談だよ。どうぞ」
「あー、ヨカッタ。これで締め出されたら泣いちゃうよ」
見るからにホッとした様子のフィリオを招き入れ、厨房に向かって声を掛ける。
「ジェイー、フィリオに何か出してあげて」
客とはいっても身内なので、ジェイもダメとは言わないだろう。
けれど、仕切りのカーテンから顔を覗かせたジェイは、フィリオを見ると意外な言葉を口にした。
「──昼はもう終了だ」
「そんな、まさかのジェイまで!?」
フィリオにとっても、思わぬ拒絶だったらしい。彼は拗ねた顔付きになると、私とジェイに訴えた。
「ちょっと二人とも、オレに対する扱いヒドくない? 夜は従業員だけど、昼はステキな客なのにー」
「『ステキな客』は、閉める瞬間に入って来ねえぞ」
「いや、だってサ」
「ジェイ、素敵かどうかは謎だけど、フィリオも一応お客さんだよ」
「……かばってるようで結構ヒドいね、リンカ。なかなか空きっ腹に効くよ」
そうフィリオが嘆いたところで、ジェイはプッと吹き出した。その様子からして、どうやらジェイも元から拒む気なんかなく、単にフィリオをからかっていただけらしい。
「まあ、素敵かどうかは置いといて、確かに客は客だな。すぐ用意するから、ちょっと待ってろ」
「さすがジェイ! ……いやナンカちょっと引っ掛かるけど、食事できるなら、まーイイや。全力で待つよー」
フィリオはそう言うと、ふら~っと店の奥の席についた。
それまで黙って私達のやりとりを見ていたローサさんが、水を出しつつ首を傾げる。
「どうしたんだい、フィリオ。なんだか動きが妙じゃないかい?」
「あ、わかるー? ちょっと腰が痛くてサ」
「なんだい、若いのに爺さんみたいだね」
フィリオの返事を聞いたローサさんが、アハハと笑う。
「爺さんって、ヒドイなー。だって甥っ子に飛び掛かられてサ、横からいきなり体当たりして来るもんだから、マイッタよ」
(!?)
体当たり、という単語を聞いた瞬間、私はピシリと固まった。
フィリオのいるテーブル以外を拭いて回っていたのだが、思わず手を止め、顔を上げて二人を見る。私に背を向けたローサさんは、フィリオの話を聞きながら、わかるわかるというように頷いていた。
「ああ、男の子はやんちゃだからねぇ。あたしもぶつかって来られたことはあるよ。でも、単にふざけてただけだろ?」
「そうだとしても、全力でぶつかって来られたら結構な衝撃だよ。全然構えてなかったから、このザマだし」
私はサッと青ざめた。なんだろう。この、心当たりのありすぎる会話は……!
嫌でも、昨夜のことが頭に浮かんで来てしまう。
だって、これは、私達とよく似た状況じゃないだろうか。横からいきなり体当たりしたのも、ルーフィスが全然構えていなかったのも同じだ。しかも私が足を踏んだ分、ルーフィスの方がさらに酷い目に遭っている。
こうなるともう『だいたい大丈夫』と言っていた彼の返事が、気になって仕方ない。
(も、もしかしてルーフィスも、本当は痛かったんじゃ……だから『大丈夫』って言い切れなくて、あんな言い方に……)
「ね、ねえ、フィリオ」
不安に駆られた私は、居ても立っても居られず、フィリオに疑問を投げ掛けた。
「もし、女の子に思い切りぶつかって来られたら、どうする?」
「ん? 情熱的なヒトだなーって思うよ」
違う。そういう意味じゃない。
「ごめん、質問の仕方がおかしかった。女の子に体当たりをされて、体が痛かったとしたら文句を言う?」
「え、ナニ? その謎の質問。女の子はフツー、体当たりなんてしてこないよ?」
「……」
まったくもってその通りなので、何も言葉が返せない。
私が無言になると、フィリオは軽く首を傾げた。彼は私がルーフィスに体当たりしたことなんて知らないのだから、当然の反応だろう。
それでもフィリオは、不思議そうにしつつも、私の質問に答えてくれた。
「まあ、でも、そうだナー。わざとじゃないなら、ヘーキな振りをするかな。だって相手に気を使わせそうだしさ。それにその方が、余裕のある男って感じでカッコ良くない?」
フィリオの回答を聞いて、私はますます心配になってきた。ルーフィスが余裕のある男を気取るとは思えなかったが、相手に気を使わせないために黙る、というのは、ものすごく有り得そうだ。
(どうしよう。ちょっとだけ、様子を見に行ってみようかな)
図書館へ行ったところで会える保障はなかったが、このままでは落ち着かない。
(そうだ。念のため薬を用意して……それから図書館へ行ってみよう)
直接会えたなら、その場で彼に、平気かどうか確認をすればいい。会えなかったなら、薬だけでも言付けるのだ。
私はそう決めると、手にしていた布巾を握り直し、素早い動きで残りのテーブルを拭き始めた。
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