4日目 -7- 色づく心
「なんだかそれ、蛾とは別の種類の虫を呼び寄せそうだね」
(!?)
私はぎょっとして、間近にいるルーフィスの顔を見た。
確かに私がつけているのは、花の香りが主体の香油だ。けれどさして強い香りじゃないのに、虫を呼び寄せたりするんだろうか。
『別の種類の虫』っていったい何だ。蛾も気持ち悪いけれど、他の虫だって十分怖い。
「べ、別の種類の虫って、何!?」
「うん。もっと悪い虫」
「悪い虫!?」
私はサッと青ざめた。
悪いというからには、きっと害のある虫なんだろう。噛むのか。刺すのか。
怯えてルーフィスを見上げると、そんな私を宥めるように、彼は言った。
「別にそこまで怖がらなくても、大丈夫だよ。僕がいれば、それなりに虫除けになると思うし」
「ルーフィスが虫除け!?」
どういうこと!?と思った私の頭に、ふと、虫除けの軟膏のことが思い浮かんだ。肌に直接塗ったり、ハンカチにつけて持ち歩いたりする品だ。
そういえば、虫が活発になる時期はもう少し先なので、今年はまだ買い足していなかった。けれどこんなふうに言う以上、ルーフィスはすでに使っているのかもしれない。
「わ、わかった、ごめん。私も今度、買って来るね」
「……え、うん? 何を?」
「虫除けの軟膏。まだいいかなと思って、用意してなかったんだ。油断してたよ」
「……」
珍しく、ルーフィスは妙な顔で黙ってしまった。その反応に、あれ?と思う。
「あの、ルーフィス? 虫って、ええと……」
「残念だけど、軟膏は効かないかな。僕だって、軟膏で追い払われたりしないしね」
(!?)
ルーフィスの発言に、私は言葉を失った。
『僕って何!?』とか『虫って、そういう意味の虫!?』とか、混乱で頭の中がぐるぐるする。
けれど信じられないことに、ルーフィス本人は、大した事を言ったつもりがないらしい。いつもと変わらない態度で、彼は、あっさり別れの挨拶を口にした。
「それじゃ帰るね、リンカちゃん。戸締りに気をつけて」
(ちょ、ちょっと待って、ルーフィス……!)
* * * * *
ルーフィスが帰って行った後、私はふらふらしながら部屋まで戻った。身体は動くが、思考は停止したままだ。
さっきのは、いったい何だったんだろう。もしかして私が怯えていたから、考えを逸らさせようと、冗談を言ってくれたんだろうか。
だとしたらルーフィスの思惑通り、怯えは見事に吹っ飛んだ。新たな混乱に襲われたせいで、木っ端みじんだ。
(ああ……何だか今日は、ルーフィスの言動に振り回されっぱなしだった気がする……)
彼と会ってからのことを思い返し、私は、はーっと大きく息を吐いた。
きっとルーフィスにとっては、どれも何気ない発言なんだろう。褒めるのも、意味深な言葉も、悪戯めいた冗談も。だって彼は本当に、何のためらいなく口にする。まるで、挨拶でもするように。
いっそ告白してしまおうかと、今まで思わなかったわけじゃない。
けれど、私はわかっていた。私がルーフィスの隣にいられるのは、私に恋の気配がしないからだ。
『その気もないのに、期待させるのは嫌だから』
そう言って、昔からその言葉を見事なまでに実践しているルーフィスに、どうして好きだなんて言えるだろう。
(私には、誰よりルーフィスの近くにいられる、今の関係を壊す勇気がない……)
胸の中に溜まった熱を吐くように、もう一度、大きく息を吐く。それから私は、ポケットの中に手を入れた。
そこにあるのは、惚れ薬の小瓶だった。ずっと持ち歩いていたせいで、私の体温が移り、ほんのりと温かい。
この薬が本当に、薔薇色になるのか、ならないのか。
なったとして、使うのか、使わないのか。
はっきりとした覚悟も決まらないまま、一日、一日、時だけが過ぎて行く。
私はポケットから、薬の小瓶を取り出してみた。
そのままそっと、灯へかざす。そして。
(!)
私は、その変化に気がついた。
(ああ、色が──)
想いを重ねるごとに、色を重ねるという不思議な薬。
──惚れ薬は確実に、前よりその色味を増していた。
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