4日目 -5- 遠慮はしないよ
ルーフィスと共に入った店内は、まだ比較的空いていた。たぶん、これからが込み合う時間なんだろう。初めて来たお店だけれど、小綺麗で、活気があるけどうるさくもなく、なかなか居心地の良い雰囲気だ。
窓際の二人掛けの席につき、いくつかの料理と、それぞれに飲み物を注文する。
互いに一息ついたところで、ルーフィスが言った。
「リンカちゃん。似合うね、それ」
「え」
「その服。すごく綺麗だ」
「──」
時間差でそういうことを言うのは、本当に止めて欲しい。
いや、確かに私だって、マリエンと別れた直後は『もし褒めてもらえたら、何て返そう?』なんて、図々しくも心構えはしていたのだ。けれど図書館では会えず、偶然会えたと思ったら『トリの匂い』で混乱させられるうちに、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。
構えていたのに、構えを解いたところで殴られた気分だ。ルーフィスは天気の話でもするような澄まし顔をしているが、不意打ちをくらったこっちの身にもなってほしい。
「あ、え、ええと、あの、今日買ったばっかりなんだ。マリエンが見立ててくれて」
「ああ、だからだね。君にぴったりだし、よく似合ってる。本当に綺麗だ」
「あ、りがとう。ルーフィス」
一瞬、変な間が空いたのは、許して欲しい。普通に返事をするだけで、すでにやっとの状態だ。
服だ。彼が褒めたのは、私じゃなくてこの服だ。自分に言い聞かせながら、心の中でゴロゴロとのた打ち回る。
どうしてルーフィスは、サラッとこういうことが言えるんだろう。
いや、理由は知っている。彼にとって、私が対象外の人間だからだ。だからこそ、彼は私のことだけは気軽に褒める。
いつものことなので解っている。そして、いつものことなのに未だに慣れない。
私が内心ぐだぐだになっているところへ、さっき注文した飲み物がやってきた。私がビールで、ルーフィスは発砲果実水だ。
とにかく、飲んで落ち着こう。
「ねえ、リンカちゃん。それ、一口もらってもいい?」
……かえって落ち着かなくなった。
ほんの一瞬ためらった後、私は手にしたジョッキをルーフィスの方へ差し出した。
「はい、ルーフィス」
「ありがとう」
ルーフィスが屈託なく礼を言い、私から受け取ったビールを口にする。
まだ成人前のルーフィスは、本当はお酒が飲めない。そのはずだけれど。
(私達のこういうやり取りって、これが初めてじゃないんだよね)
私は不思議な思いで、目の前のルーフィスをじっと見た。
実は私が二十歳になってお酒を飲みだした頃から、ルーフィスは『一口だけ』と言っては、こっそり私のお酒を飲んでいた。まあ、そのことについては、別に咎めるつもりはない。明らかな子供は別として、この国では、17、8歳辺りになれば、成人前でも多少のお目こぼしはされるからだ。
とはいえ、それはあくまで見て見ぬ振りに過ぎないので、堂々と飲むには、私のようにちゃんと二十歳まで待つ方がいい。その方が何の後ろめたさもなく美味しく飲めるし、それは、ルーフィスも同じかと思っていたのだけれど──。
「美味しい?」
「うん」
尋ねると、ルーフィスは悪びれるふうもなく、さらりと笑う。気を許した相手に向ける彼の笑みは、とても綺麗で柔らかい。私を警戒不要な相手だと思っているのが、丸わかりだ。だからだろうか。
「リンカちゃん、良かったら、僕のも飲んでみる?」
用心深い彼が、私には、憎らしいほど気軽にこんなことを言ってくるのは。
「これ、ブラッドベリーの果実水だって」
「……うん。ありがとう」
何とか笑みを返しつつ、私はグラスを受け取った。
深みのある赤がとても綺麗だ。細かな気泡が立ち昇る液体を、複雑な感情と共に、一口飲み下す。
「どう?」
「うん。美味しいね」
そう、美味しい。
爽やかな甘みと程よい酸味で、とても美味しい。美味しいけれど。
この状況が、どうにもこうにも堪らなかった。
だって、この店に入ってからの彼の言動ときたら、恋人同士と誤解されかねないほど親し気だ。女の子相手に、ルーフィスは絶対、こんな迂闊な真似はしないというのに。
(そう、女の子相手にはしない。だとしたら──私は一体なんなのか)
本当に不毛な問いだった。考えたって正解は分からないし、かといって彼に訊けるはずもない。
思考を切り替えようと、私は目の前の料理に目を向けた。そこには、ついさっき私に混乱をもたらした鳥料理が、憎らしくも美味しそうな匂いを漂わせながら、手つかずのまま置かれている。
「あ、食べる? 取り分けるよ」
私の視線に気づいたルーフィスが、サッとお皿を引き寄せた。皿に載っているのは、山花鳥の姿焼きだ。丸ごとなので旨味が閉じ込められるのは良いけれど、切り分けなければ二人では食べられない。
元々ルーフィスが食べたがっていた物なので、遠慮しようかとも思ったが、ナイフを持った彼の手は、ためらうことなく鳥肉を切り分けていく。こんがり焼けた皮が、ぱりぱりと美味しそうな音をたてる。
「はい、リンカちゃん。美味しそうだよ」
「……いいの? ありがとう」
受け取ったお皿に目を落とすと、ルーフィスは、綺麗な焼け目のついた辺りを、ちゃんと選んで取り分けてくれていた。こんな彼の言動は、やはり、まるで──。
(──気の利く彼氏みたい)
ついバカなことを考えてしまい、私は自分自身に呆れてしまった。実態からかけ離れ過ぎて、あまりに虚しい。
思いを振り払うように、頭を軽く左右に振る。動きに合わせ、肩にかけていた髪がサラサラとすべり落ちる。
努力の成果サラサラなのは良かったが、こういう食事の時には少し邪魔だ。鳥肉を口に運びながら、片手で軽く後ろへと払う。それでも、また落ちてくる。
仕事の時のように、髪紐で結んで来れば良かった。そんなことを考えていた時、ふと、視線を感じて顔を上げた。
「何? ルーフィス」
「うん。ずいぶん伸びたな、と思って」
「え、髪のこと?」
「そう。出会ったころは、すごく短かったよね、リンカちゃん」
指摘され、ドキッとした。ルーフィスは、何か、気づいているんだろうか。
できれば、気づかれていないと思いたい。ただの、何気ない話題のひとつなんだと思いたい。だって私の髪は、あのことがあった後、必死になって伸ばしたのだ。それをルーフィスに気づかれるのは、とても困る。
「リンカちゃん?」
不自然に黙ってしまった私に、ルーフィスが声を掛ける。
……いや、大丈夫だ。髪を伸ばした理由なんて、誰にも分かるはずがない。そう、私が自白でもしない限りは。
ここは何とか、それっぽい理由で取り繕うことにしよう。
「そうだね、昔に比べたら、かなり伸びたよね。ジェイにも『せめて髪くらい伸ばせ』って言われたし」
「……」
ここで黙るのは、止めてほしい。
やはり何か、気づかれているんだろうか。
けれどジェイに言われたというのも、嘘ではないのだ。子供のころ、呆れたように何度も言われたのは事実だし、特に不自然な理由ではないはずだ。
「……あっ、良かったら、もう少し飲む? ルーフィス」
私は話を断ち切るように、ルーフィスに自分のジョッキを差し出した。少し唐突だったかもしれないけれど、この話を続けていたくない。時には勢いも大切だ。
「……。いや、いいよ。今は」
ふと、ルーフィスが目を伏せる。なんとなくその言い回しが気になって、私は尋ねた。
「今は?」
「うん。もう少しで誕生日だしね」
誕生日。
なぜかドキリと、心臓が音をたてた。『お酒も飲めるし、結婚もできるよ』そう言っていたルーフィスの言葉が、頭の中に蘇る。
そこでルーフィスは視線を上げた。ルーフィスを見つめていた私と、真正面から目が合った。
「そうしたらもう、遠慮はしないよ」
次話◆悪い虫には気をつけて




