4日目 -4- その匂いに誘われて
夕暮れの街の中を、とぼとぼと家路に向かう。
結局あの後、私はあまり読書にも集中できず、適当に切り上げて図書館を出て来てしまった。
せっかくマリエンが気をきかせてくれたのに、肝心のルーフィスには会えずじまいだ。勇んでこんな服を着て行った自分が、ちょっとだけ哀れに思える。
(なんだか気が抜けた……マリエンに預けた服、今から取りに戻ろうかな)
今から行けば、お店の閉店前には着けるだろう。
そう思って方向転換しかけた私は、そこでハッと目を瞠った。前方の人混みの中に、彼の背中が見えたからだ。
(ルーフィス……!)
考える前に、私はその場から駆け出した。かなり距離はあったけれど、この私がルーフィスの姿を見間違えるはずもない。
まさか、こんなところで会えるとは思わなかった。計らずも、閉館まで粘らず出て来たのが良かったようだ。
「ルーフィス!」
息を切らし、彼の背中に追いすがる。
「……え、リンカちゃん!?」
ルーフィスは私の存在に気がつくと、驚いたように振り向いた。
「どうしたの? そんなに急いで、何かあった?」
「──」
ルーフィスの発言で、私は動きをピタッと止めた。
言われてみれば、彼の疑問はもっともだ。息を切らすほど走って追って来られれば、何かあったのかと思っても無理はないだろう。
けれど、私は当然、答えに窮した。なにせ私は、ただ会いたい一心で、犬のように走り寄って来ただけなのだ。『何かあった?』に対する答えが『何もない(会いたかっただけ!)』というのは、相当にマズい気がする。正直に答えたら、彼を好きだと気づかれそうだ。
走って来た上、焦りまで加わって、顔がかっかと火照り出す。
「ご、ごめん。あの、そこで見かけたから、つい……ほら、勢いで」
「勢いで?」
ルーフィスは目を丸くする。いや、そこを掘り下げないでほしい。
「え、ええと」
息を整える振りをしながら言い訳を探していると、ふと、ルーフィスは私の背後に視線を向けた。
「あ、すみません」
私の代わりに謝罪し、軽く私の腕を引く。そこでようやく、私も気づいた。どうやら変な位置で立ち止まっていたせいで、道行く人の邪魔になっていたらしい。
「ちょっと、よけようか」
ルーフィスはごく自然に、私の肩を抱くと街路脇へ移動した。
(──)
わかっている。これは単に、私を誘導するために手を添えただけだろう。
それでも、私は意識せずにはいられなかった。道の端に移動した後も、ルーフィスはそのまま通行人から庇うような位置に立ってくれている。まるで、女の子相手のエスコートをしているように。
嬉しさと動揺で目が泳ぐ。その時ふと、ルーフィスが何かに気づいたような顔をした。
「なんだか、良い匂いがする」
(!)
彼の一言で、私は口がきけなくなった。引きかけた顔の熱が再び上がる。
距離が近づいたせいで、香油に気づいてくれたんだろうか。
黙ってないで何か返事を、と私は焦った。それでも、これがルーフィスの気を引くためであることを、彼に知られるわけにはいかない。どう答えれば、さり気なく聞こえるだろう──そう考えていた時。
「これって、鳥の匂いかな」
「とっ、トリ!?」
ルーフィスが信じられないことを言い出した。驚きのまま目を見開く。
(トリ!? トリの匂いって何!?)
捕まえて嗅いだことがないので『トリの匂い』が分からない。それは一体なんの鳥で、どんな匂いだ。
(ま、まさか、走って汗をかいたから……!?)
香油と汗が混ざって、別の匂いに変化したってことだろうか。それは十分有り得そうだ。
私は今さら後悔をした。彼を見つけて思わず走り寄ってしまったが、こんなことなら会えない方がマシだった。少なくとも、得体の知れない鳥臭を漂わせて、好きな人に指摘されることはなかっただろう。
ちょっと泣きそうな気分になった時、きょろきょろと辺りを見回していたルーフィスが、不意にある方向で視線を止めた。
「ああ。たぶん、そこのお店だ」
「……え?」
顔を上げ、釣られるようにルーフィスと同じ方向へ目を向ける。
そこでようやく、私もその匂いに気がついた。お店からは、鳥肉が焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
(良い匂いって──これ!?)
愕然として、私はその場に棒立ちになった。
いや、確かに、香ばしくて食欲をそそる良い匂いだ。良い匂いだけれど!
「こんな美味しそうな匂いを嗅いでたら、お腹がすいてきたよ。リンカちゃん、もし良かったら一緒に……リンカちゃん?」
「えっ!? はい!?」
「どうしたの? この後、何か用事がある?」
私の都合を気にしたらしいルーフィスが、柔らかく尋ねてくる。
「よ、用事? ない。ないよ。大丈夫」
「そう? じゃあ、食べて行こうよ。たまには違うお店に寄るのもいいよね」
「……」
私が反対する理由は特にない。あったとしても、すでにそんな気力は残っていない。
すっかり脱力した私は、楽しそうに私を見つめるルーフィスに向かって、ただ頷くことしかできなかった。
次話◆遠慮はしないよ




