4日目 -3- 可愛い崇拝者
目当ての本棚の前まで行き、綺麗に並んだ背表紙に目を走らせる。
私は割と何でも読むが、最近はまっているのは歴史物の小説だった。昨日は読書どころじゃなかったので、今日こそ前回の続きを読もう。
目当ての本を見つけ、手を伸ばしたとき。
「お兄ちゃん」
(!)
やや離れた場所で聞こえた声にドキッとして、私は反射的に目を向けた。
いや別に、私が呼ばれたわけじゃない。なのにそんな反応をしてしまったのは、それが幼い子供の声だったからだ。
(よ、良かった。違った……)
一瞬、昨日の男の子かと思って固まりかけた私だったが、そこにいたのは、見事な赤毛の女の子だった。一目で別人だとわかり、ホッと胸を撫で下ろす。
飴を持っていない今日は誰に会おうと平気なはずだが、昨日の一件のせいで、どうにも過敏になっているらしい。
「フラン!」
安堵して、今度こそ本を手に取ろうとしたところで、慌てたように男の人が駆け寄って来た。『お兄ちゃん』と呼ばれた職員さんだ。
「どうしたフラン!? おまえ、まさか一人で……!」
見ると、やって来たお兄さんも、これまた見事な赤毛だった。華やかで明るい赤なので、二人揃うとかなり目立つ。そっくりな髪の兄妹だなー、と感心して眺めていると、
「もうっ。一人で先に行くと、また迷子になるわよフラン」
やや遅れて、綺麗な赤毛の女性もやって来た。
「ああ、なんだ驚いた。母さんも一緒か」
「当たり前でしょう。フラン一人でなんて、まだ無理よ」
聞こえてくる会話からして、どうやら職員さんの家族が訪ねて来たらしい。いや会話なんて聞かなくても、ここまで良く似た赤毛が揃えば、他人だと思う人間はいないだろう。
「どうした、フラン。昨日、兄ちゃんが連れて来てやったばっかりだろう?」
職員さんは女の子の前にしゃがみ込むと、とても優しい笑顔で語りかけた。
「ああ、そうか! 急に兄ちゃんに会いたくなったのか?」
「違うもん。あのね、お兄ちゃん。これ、ママと一緒に作ったから」
「おっ、クッキーか? いい匂いだな」
「うん。いっぱい作ったから、あのね、お兄ちゃんに」
「そうか! フランが兄ちゃんの為に……!」
……さっき思った『優しい笑顔』というのは訂正しよう。これは優しいというより、デレデレだ。
けれど、兄と妹、二人の間には温度差があったらしい。
「違うもん、バカ。お兄ちゃんのためじゃないもん」
くりくりした目の女の子は、とても可愛らしい顔立ちをしていたが、その口から出たのは容赦ない言葉だった。職員さんが、驚いたように聞き返す。
「ええっ!? 兄ちゃんの為じゃないのか?」
「うん。あのね、いっぱい作ったから、お兄ちゃんにお願いに来たの。ルーフィスさんに渡してって」
「えっ!?」
(!?)
職員さんが驚くのと同時に、私まで驚いた。急にルーフィスの名前が出てきたからだ。
「ふふ。この子ねぇ、昨日からルーフィスさん、ルーフィスさんってうるさいのよ。昨日、その方に親切にしていただいたんですって?」
「ああ……そういえば、オレが目を離した隙に迷子になって、ルーフィスに連れられて来たな……」
「それがすごく嬉しかったみたいよ。優しくって格好良くって、王子様みたいって」
「ええー!? フラン、兄ちゃんだって恰好良いだろう!?」
「違うもん、バカ。お兄ちゃんは好きだけど、ぜんぜん王子様じゃないもん」
お兄さんに対するときの女の子は、本当に容赦がない。けれど一転して、ルーフィスの名前を出すときには、もじもじと可愛らしく恥じらいを見せた。
「お兄ちゃんと違って、ルーフィスさんは、フランの大好きな絵本の王子様にそっくりなんだから」
「え、絵本って、兄ちゃんがフランの誕生日に買ってやったヤツか? ……そんな! 別の本にすればよかった!」
しゃがみ込んだまま、職員さんが頭を抱える。それを見た母親が、くすくすと笑い出した。
「もう、あなたも本当に兄馬鹿ねぇ。でもこれ、本当にフランも一生懸命に手伝ってくれたの。だから、ちゃんとルーフィスさんに渡してあげてね? たくさんあるから、職場の皆さんにも」
「お兄ちゃんも、ちょっとだけなら食べていいよ」
「ちょっとだけって、兄ちゃんはおまけか!? あぁあ、嬉しいんだか、嬉しくないんだか……」
「お兄ちゃん。絶対絶対、ルーフィスさんに渡してね」
「わ、わかったよ。フランが世話になったのも確かだしな……」
(……)
その場に立ち尽くしていた私は、3人の姿が見えなくなってから、ようやくハッと我に返った。ルーフィスの話題が出たせいで、つい、本そっちのけで立ち聞きを続けてしまった。
いや、それにしても。
(優しくって格好良くって、王子様みたい、か……)
あんな小さな子からもそんなふうに言われるなんて『図書館の王子様』の異名は伊達じゃない。
なんだか、ルーフィスのモテ具合を改めて思い知らされた気分で、私は小さな溜め息をついた。
次話◆その匂いに誘われて




