3日目 -2- トラブル・キャンディ
私の思いつきは、ごくありふれたものだった。
ルーフィスが薔薇の香りに反応したのを見て、自分も身に纏ったらどうか、と単純に考えたのだ。
けれど、香水はつけられない。仕事中に香りを振りまくわけにはいかなかったし、そもそも私自身、きつい匂いがあまり得意じゃないからだ。彼に気づいてもらう前に、自分の具合が悪くなってはあまりにもマヌケ過ぎる。
そこで思いついたのが、香油だった。
香油は髪を梳かすときに使うもので、種類も豊富だし、香水に比べれば匂いも薄い。今までは無香料の精油を愛用していたが、この機に変えるのもいいだろう。
(よし! そうと決めたら、これからさっそく──)
「ああ。ちょっと、リンカ」
仕事も終わり、勇んでジェイの店を出ようとしたところで、私はローサさんに呼び止められた。
「ねえ、あんたもこの飴食べないかい?」
(飴?)
聞き返す間もなく、ローサさんがいきなり飴を差し出してくる。
「いや、体に良いって言うから貰ったんだけど、どうにもこうにも薬臭いんだよね」
「薬臭い……」
彼女の口から零れたのは、とても美味しそうだとは思えない単語だった。
「つまり、不味いってことですか?」
単刀直入に尋ねてみると、ローサさんは気を悪くするふうもなく、かえって可笑しそうに笑い出した。
「あはは、そうそう。だから、さっきジェイにも一つ押し付けたんだけどさ。リンカも一つどうだい?」
それは私にも一つ押し付けたい、ということだろうか。
まあ、人に押し付けたくなるほど不味いというなら、かえって興味も湧いてくる。
「わかりました。一つ貰います」
私はローサさんから、飴を一つ受け取った。
(どれだけ不味いんだろう?)
人前で吐き出すわけにもいかないので、ここで食べるのは止めにして、貰った飴をポケットの中にしまい込む。
私は今度こそ『香油を買うぞ!』と意気込みながら、ジェイの店を後にした。
* * * * *
「まあ、いらっしゃい。リンカさん」
雑貨屋の扉を開けると、店主のエレノアさんが親しげに声を掛けてくれた。
「こんにちは、エレノアさん」
ここには良く買い物に来るので、彼女とはもうすっかり顔馴染みだ。
「あの、今日は香油を見せていただきたいんですけど」
「あら、香油? いつもの無香料の精油じゃなくていいのかしら」
「はい。気分を変えたくて」
好きな人の気を引きたくて、とはさすがに言えず、私は適当にごまかした。
「そうね、種類はたくさんあるの。リンカさんは、どんな香りがお好みかしら」
「そうですね……」
私は少し考えた。
ルーフィスが良い香りだと言っていたのは、家の薔薇だ。だから本当は、薔薇の香りがいいんだろう。そうは思う。思うけれど。
(私がいきなり薔薇の香りをつけ出したら、あからさま過ぎるよね)
私は、そこがどうしても引っ掛かった。あまり意味深な行動を取ると、ルーフィスに警戒されてしまいそうだ。
やはり薔薇以外の物にした方がいいかもしれない。
そう考えた私は、自分の希望をエレノアさんに告げた。
「ええと、できれば女の子らしくて、可愛い感じで、食事時に邪魔にならないようなものを」
言ってて少し恥ずかしかったが、望まない方向の物を薦められても困るので、きちんと伝える。
「それなら、この辺りがお薦めね。どうぞ、蓋を取って匂いを確かめてみて」
エレノアさんのお薦めの中から、私は一つの香油を選び出した。
花の香りが主体だけれど、そこにわずかに果実の香りが混じった、甘くて瑞々しい物だ。私の望み通り可愛らしい感じだったし、匂い自体も仄かで優しい。これなら店につけて行っても大丈夫だろう。
使うのが楽しみだ、と浮かれて店から出ようとしたとき、私は思いがけずエレノアさんに止められた。
「あっ。待って、リンカさん」
「え?」
一瞬、浮かれるあまりにお金を払い忘れたかと思ったが、いや、ちゃんと払っている。エレノアさんが口にしたのは、まったく別のことだった。
「ねえ、リンカさん。変なことを聞くけど……ひょっとして、何か、飴を持っているんじゃない?」
「えっ」
どうしてエレノアさんが、ローサさんに貰った飴のことを知ってるんだろう。まさかここで買ったのか、と変なことを考えてしまったが、この店ではお菓子なんて扱っていない。
「ええ、持ってますけど……」
「ああ、やっぱり」
私の答えを聞くと、エレノアさんは少しだけ眉根を寄せた。
「リンカさん。余計なお節介だとは思うけれど……その飴ね、そのまま持ち歩かない方がいいと思うわ」
「どうしてですか?」
「なんというか、独特の臭いがあるでしょう。服に、臭いがついてしまうのよ」
「えっ、そうなんですか?」
私は驚いて聞き返した。でも確かに、見せたわけでもない飴の存在に気づくということは、臭いがするということだろう。
(ローサさん、なんて飴をくれたんですか……)
本人に苦情を言いたいところだったが、ローサさんが相手では、何だか言っても無駄な気がする。『いやー、悪かったねぇ!』とあっさり笑い飛ばされて終わりそうだ。
「空いている小瓶をあげる。今からでも、これに入れておくといいわ」
エレノアさんは親切にも、私に入れ物を提供してくれた。
「すみません。ありがとうございます」
お礼を言って受け取り、問題の飴を封印する。
──バカな私は、それですっかり安心してしまったのだ。
次話◆乙女にあるまじき、その匂いは




