2日目 -6- ルーフィスの欲しい物
「それじゃあ、ルーフィス。リンカのことお願いね」
「はい。僕でお役に立てるなら」
(──どうして!?)
家の玄関先で繰り広げられるやりとりに、私は呆然となっていた。
なぜ、どうして、ルーフィスが伯母さんの頼みを引き受けたりしているのか。
(だってルーフィス、断りたそうにしてたよね!?)
ルーフィスを凝視しても、当然ながら心の叫びは届かない。けれどこの話を持ち掛けたとき、ルーフィスは確かに困った顔をしていたはずだ。
話をしてから家に着くまでのわずかな間に、気が変わったとでもいうんだろうか。いや、まさか。
「あ、あのルーフィス。そんな、無理に──」
「リンカちゃん」
言い切る前に、ルーフィスは伯母さんに向けていた視線を私へ転じた。ドキリとして口を噤む。
「さっきね、君の話を聞いて思ったんだ」
「う、うん」
「君の様子を見に来るくらい、隣の家の僕なら、手間でも何でもないよ」
「う、うん?」
すぐには飲み込めず、私は少し首を傾げた。さっきルーフィスがためらっていた理由に、距離なんて関係あったんだろうか。
不思議に思いながら見つめると、彼は浮かべていた笑みを、ほんの少しだけ苦笑へと近づけた。
「だからね、わざわざジェイを煩わせることはないんじゃないかな」
(……あ)
彼の言葉で、私はようやくルーフィスの意図を理解した。
家に泊まり込むとなれば、ジェイには色々と負担が増える。
材料の仕入れ、料理の仕込み、売り上げ金の管理をどうするか。そういった諸々のことを普段と変えなければならないだけでも、かなり面倒に違いない。ジェイにしてみれば、単に家と店との往復が必要なだけではないのだ。
つまりルーフィスは、ジェイを気の毒に思って肩代わりすることにした──ということらしい。
(そうだったのか……でも、どうしよう)
ルーフィスが断りやすくなると思ってジェイの名前を出したのに、まさか裏目に出るとは思わなかった。今さら嘘だとは言い出しづらいし、かといって、嫌がっていたルーフィスの好意に甘えるのも申し訳ない。
困り切っていたその時。
「まぁ、良かったわ~。ルーフィスが引き受けてくれて」
私の耳に飛び込んで来たのは能天気な伯母さんの声だった。
(お、伯母さん!?)
焦る私の様子には気づかず、伯母さんはにこにこと満面の笑みを浮かべている。
「これで、安心して旅行に行けるわねぇ。ほら、リンカからもお礼を言って」
「え、ぇえ? でも、ええと」
「ありがとう~、ルーフィス。お礼に、向こうでたくさんお土産を買ってくるわね」
「……」
私にお礼を言えと言っておいて、まさか、私がモゴモゴしている隙に、伯母さん自らお礼を繰り出すとは思わなかった。相変わらずの自由さだ。
思わず無言になった私の前で、ルーフィスが、控えめな笑みを伯母さんへと向ける。
「ありがとうございます、アリシアさん。お土産、楽しみにしてますね」
(え……お土産?)
彼の口からこぼれた単語に、私はピクッと反応した。
社交辞令のやりとりにも思えるが、明日から伯母さんが行くハノンは、ルーフィスの好きな金花茶の名産地だ。普段は遠慮がちなルーフィスがこんなふうに言うなんて、本当にお土産を期待しているのかもしれない。この流れで『引き受けなくていいよ』なんて、私が言ってもいいものか。
「ええと、ルーフィス……」
判断がつかず、私はためらいがちにルーフィスの顔を見た。
「うん。何?」
「あの、嫌なら断っても」
「いいよ。断った方が、何だか困ることになりそうだし」
「困る?」
私は驚いて聞き返した。
「困るって……別に、ルーフィスが困ることなんて」
たぶん、彼が困ることなんて何もない。困るとしたら主にジェイで、次いで私だ。そう思ってルーフィスを見ると、彼は目を伏せ、否定の言葉を口にした。
「いや、困るよ。だって、欲しい物があるからね」
(──欲しい物!)
心の中で、私はポンと手を打った。
どうやら、私の予想は見事に当たっていたらしい。
確かにハノン産の金花茶は、この辺りで手に入る物に比べ、香り高く深みのある味わいだ。もしかするとルーフィスは、頼み事のお礼として、遠慮なくそれを受け取りたいのかもしれない。
(だけど)
それでも私は、ルーフィスを止めなくていいのか迷ってしまった。
だってこの頼みを断ったとしても、おそらく伯母さんは、お土産くらい喜んで買って来てくれるだろう。
彼が黙っていたって望みの物は手に入る。それなのにルーフィスは、律義に面倒事を引き受けようとしているのだ。
「……本当に、断らなくていいの?」
「うん」
途惑う私の問いにも、ルーフィスはあっさり頷く。
そして私を安心させるように、彼は柔らかく微笑んだ。
* * * * *
その後、自分の部屋に戻った私は、机の上にぐったりと突っ伏した。
本当に、今日はなんて散々な1日だったんだろう。悪夢から始まって、第一印象に野犬の話──しかも1日の締めには、ルーフィスに面倒事を押し付けるというオマケ付きだ。精神的な疲労が凄まじい。
(それにしても……まさか出会いの時点で、ルーフィスに『一生忘れられないくらい』強烈な印象を叩き込んでいたとは)
今夜聞いたばかりの話を思い出して、私はますますぐったりした。
確かに出会いがその有様じゃ、今の私達の関係性にも納得がいく。なにせ彼からすれば、私は丸太で殴り掛かる勢いで虐めっ子を蹴散らした女なのだ。そう簡単に、恋の相手として認識できるはずがないだろう。
(……でも)
そんなふうに納得した一方で、私はこうも思ってしまった。
例え出会いが凄まじかったとしても、それだけなら、挽回できたのかもしれない。
成長した今の私がすっかり変わっていたなら『子供時代は酷かったね』で笑い話になったのかもしれない。
それなのに私ときたら、ローサさんに『中身は何も変わってない』と言われ、マリエンには『男が寄って来るはずない』とまで言われる始末だ。しかも色気のなさについては、肝心のルーフィスから嬉しくもない太鼓判を押されてしまった。……いや、彼は別に『色気がないね』なんて言わなかったが、今夜のあれでは、もはや言ったも同然だろう。
私は絶望的な気分になった。
希望を持てる要素が、まったく思い浮かばない。今のこの状況から、私達の関係性を変えるなんて本当にできるんだろうか。ルーフィスは私に好意的だけれど、私が求めているのは友情ではなく恋なのだ。
(努力しようとは思ったけど、私の残念さって、努力でどうにかできる範囲なの? これじゃ本当に、変な薬に頼るしか──)
そこまで考えて、私はハッと息を飲んだ。
何気なくポケットから取り出した薬が、変化していることに気づいたからだ。
(色が……!)
伏せていた机から、私はガバッと身を起こした。
持ち主の感情に反応して色を変える──魔法使いに言われた通り、薬はいつの間にか、ほんのりと綺麗なピンクに色づいていた。その色から目が離せず、小瓶を凝視したまま息を飲む。
決して、騙されているかも、なんて思っていた訳じゃない。それでも私は、今さらバカみたいに動揺した。
(ほ、本当に色が変わってる……この薬が、これからどんどん色づいて、薔薇色になって、そうしたら)
そうしたら、私は──?
(──)
それに思い至った瞬間。軽いはずの小瓶が、急にずしりと重さを増した。
わかっていたつもりだった。私が買ったのは惚れ薬だ。
なのに情けないことに、こうして薬の変化を目の当たりにして、私は初めて、自分が手に入れたモノが何なのかを実感した。この薬が完成したとき、私が犯すかもしれない罪──それは、決して軽いものではないだろう。
手が、微かに震えている。
私は目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。このまま薬を眺めていたら、考え込んで眠れなくなりそうだ。
とにかく、今日はもう休もう。
(……大丈夫。大丈夫だ。この薬は別に、必ず使わなきゃいけないものじゃないんだから)
動揺するばかりの自分にどうにか言い聞かせながら、私は、ランプの灯りをそっと落とした。
次話◆薔薇の誘い




