2日目 -5- 心臓に悪い彼
「リンカちゃん」
呼び掛けられた涼やかな声に、私はドキッとして胸を押さえた。
振り向かなくても、誰だか分かる。この私が、ルーフィスの声を聞き間違うはずもない。
それにしても、背後から近づかれるのは心臓に悪い──なんて思っていると、まるで内緒話のように、小さな声でマリエンが言った。
「……ほらね」
(ほらね?)
いったい何が『ほらね』なのか。聞き返そうとしたとき、ルーフィスが私の隣にスッと立った。
「あ、ごめん、二人とも。何か話し中だった?」
「平気よ。ちょうど今、話し終えたところだから」
(え)
マリエンの返事に驚いて、彼女を見る。
話し終えたも何も、私は肝心のところを聞いていない。
教えてよ、と言おうとして、私はハッと気がついた。
(い、いやダメだ。だってマリエンが正直に答えるとしたら『リンカに男が寄って来ない理由を訊かれて、答えるところだったのよ』っていう、私がとんでもなく痛々しいことになってしまう!)
話が終わったという嘘は、マリエンの気づかいだ。私はそれに、有り難く乗ることにした。
「そ、そう。ちょうど話終わったんだ。ルーフィスは、もういいの?」
「うん。このあと一緒に来いって誘われたけど、別の日にして貰った。まだ飲めないし、僕には君がいるから」
「──」
ルーフィスの言い回しは、どうしてこう心臓に悪いんだろう。
わかっている。これは単に『僕には連れがいるから、今日は一緒に行けないよ』という意味だ。もう長い付き合いの私だからわかるけれど、他の子に言ったなら絶対、誤解されていたに違いない。
「リンカちゃん、どうかした?」
「えっ!? ううん、何でもないよ」
私はとっさに、自分の気持ちを隠して微笑んだ。
人当たりが良くて、誰にでも優しいルーフィス。
けれど慎重な彼は、自分のことを好きな女の子に対しては、上手に距離をとっていた。こんな誤解されそうなことなんて、絶対口に出したりしないのだ。
(つまり、私がこんなことを言われるのも、その枠から外れているって証拠なんだよね)
異性と思われていないからこそ親しく振る舞ってもらえるなんて――それも何だか皮肉な話だ。
* * * * *
その日の帰り、私はいつも通りルーフィスと一緒に、家までの道程を歩いていた。
街の中心部から外れると、月も星も輝きを増してすごく綺麗だ。何となく夜空を眺めながら歩くうち、ふと、私の隣でルーフィスが切り出した。
「ねえ、さっきの印象の話だけど」
「え!?」
私は、ぎょっとして固まった。すでに済んだ話と思って、すっかり油断してたのだ。
なるほど。どうやら私に必要なのは『惚れ薬』より『過去の記憶を消す薬』だったらしい。……そんな薬が実在するかは知らないが、あるなら今すぐルーフィスの口に詰め込みたい。いや、いっそ自分で飲むべきか。
「……リンカちゃん?」
馬鹿なことを考えていた私は、名前を呼ばれてハッとした。
「えっ!? うん、ごめん。何?」
「さっき話してたとき、何となく思ったんだ。リンカちゃんて、物に例えると何かなって」
「……」
私は黙った。
いや、ルーフィスの話に興味がなかったわけじゃない。正直に言えばその逆だ。
とても気になる。気になるけれど、無邪気に『教えて』なんて言えるほど、私の心臓は強くなかった。
(だって第一印象はとんでもないし、いったい何を言われることか……でも、ここで聞きたくないなんて断るのは、さすがに感じが悪いかな)
下手に聞いたら心が折れるんじゃないだろうか、とは思ったが、話を逸らせる良い方法も思いつかない。
私は仕方なく、ルーフィスに向かって聞き返した。
「物に例えると、か。ルーフィスから見たら、私って何?」
さり気なさを装ってはみたが、内心ではドキドキだ。けれど私の葛藤を知らないルーフィスは、さらりとその答えを口にした。
「なんかね、良く冷えた水みたい」
「水?」
「うん。澄んで、さっぱりしてて。リンカちゃんを見てると、そんなふうに感じるよ」
(……澄んでさっぱりしてる、か)
私の頭の中に、ルーフィスと一緒に川で水遊びをした、子供のころの想い出が蘇った。
夏の強い日差しの中、素足に触れた冷たい水の心地良さ――彼がそんな印象を抱いてくれているのなら、素直に嬉しいかもしれない。少なくとも、過去の私を考えれば上出来だ。
……上出来、だけれど。
我ながら贅沢だとは思ったが、私はちょっとだけ、彼の答えに引っ掛かってしまった。
いや、さっき感じた通り、決して嬉しくないわけじゃない。でも、何といっても『よく冷えた水』だ。いかにも性別不明っぽいというか、女性を例える一般的な対象物──花とか月とか──そういったものとは、明らかにナニかが違う。
(……)
何とも微妙な気持ちになったところで、ああ、でも、と私は無理やり思考を切り替えた。
それならそれで、昨夜の伯母さんの話をするには都合が良いのかもしれない。私は慌ててしまったけれど、ルーフィスがこうなら、あの話をしてもきっと平気に違いない。
「あのね、ルーフィス」
前もって話す必要すらない気もしたが、一応、家に着く前に彼の耳に入れておこう。
私は話を切り出した。
* * * * *
「え。アリシアさんが留守の間、僕が?」
昨夜のことを話して聞かせると、ルーフィスは驚いた顔をした。
「いや、でも、リンカちゃん。それは……」
(……あれ?)
言いにくそうに言葉を切ったルーフィスは、明らかに途惑っている。
(え? あれ?)
予想と違う反応を返され、私は内心、混乱した。
どうやら彼の反応から察するに『ルーフィスは平気かも』なんていうのは、私の完全な思い違いだったらしい。やっぱり最初に感じた通り、伯母さんの提案はおかしいのだ。
そう気づいた瞬間、私は慌てて口を開いた。
「あっ……そ、そうだよね!?」
自分の過ちを誤魔化すべく、私は勢い込んでルーフィスに同調した。
「そうだよね、ごめん! やっぱり迷惑だよね!?」
「いや、迷惑というか……」
ルーフィスは言葉を濁したけれど、温厚な彼が『迷惑じゃない』と言わない時点で、それがそのまま答えな気がする。
私は焦った。ここでちゃんと言わなければ、私はこの迷惑な提案の賛同者──いや、下手をすれば提案した張本人だと思われるかもしれない。そんなのは嫌すぎる。
「ご、ごめんね、ルーフィス!」
慌てた私は、前のめり気味に、ルーフィスに向かって言い訳をはじめた。
「私を一人で残して行くのは心配だって、伯母さんが……!」
──まず、言い出したのは伯母さんだよ、ということを真っ先に口にする。
「ルーフィスの迷惑になるって止めたんだけど、止めきれなくてっ」
──自分は伯母さんを止めたんだ、と主張することも忘れない。
「私は、ルーフィスに無理やり押し付けたいわけじゃないんだよ」
──自分は望んでいない、という点も、もちろんきっきり強調しておく。
そして最後に、私は駄目押しとばかりに付け加えた。
「だ、大丈夫! いざとなれば、ジェイに来てもらうから!」
「え」
叫んだとたん、それまで黙って話を聞いていたルーフィスが、思い掛けないことを言われたように瞬いた。
「……ジェイに、来てもらう?」
それは半分独り言のような、とても静かな問いだった。
なのに、どうしてだろう。私はまるで咎められたかのように、ひどく落ち着かない気分になった。夜のせいで、昼よりずっと深い色合いの瞳に捉えられているせいだろうか。
「えっ。あのっ、た、多分ジェイに押し付──お願いすることになりそうかな!? もともと伯母さん、最初は『ジェイに泊まってもらえばいい』って言ってたから」
真実に嘘を織り交ぜ、私はどうにかそう答えた。本当はジェイに頼むつもりなんてなかったが、そう言っておけばルーフィスも断りやすいと思ったのだ。
「そ、そういうわけだから、無理に引き受けなくても大丈夫だよ。ルーフィス」
「……そう。……」
呟くと、ルーフィスは何かを思案するように目を伏せた。その沈黙にどぎまぎしたが、彼の表情は穏やかだ。私の説明を聞いて、妙な頼みは避けられると安心したのかもしれない。
それでも気になってちらちら彼の様子を窺っていると、不意に、視線を上げたルーフィスと目が合った。
「リンカちゃん」
「は、はい!?」
肩が跳ねる。我ながら、彼の視線ひとつで動揺しすぎだ。それを誤魔化すように、私は慌てて笑顔を作った。
「なんとなく、君の事情は分かったよ」
「そっ、そう? あの、ごめんね」
「別に、謝らなくていいよ」
そう言って、ルーフィスはいつもの笑顔を浮かべてくれた。見慣れたその表情に、ようやくホッと息をつく。
良かった。
どうなることかと思ったが、賢い彼は、言わずともいろいろ察してくれたようだ。これなら伯母さんが変なことを言い出しても、ルーフィスはちゃんと断り切れるだろう。
次話◆ルーフィスの欲しい物




