二話 幼き頃の約束
* * * *
「いつか、おれに仕えてくれよ」
それは、もう十年以上昔に、私に向けられた幼馴染みの言葉だった。
お互いにまだ小さくて、確か二人の年齢を合わせても二十にすら満たなかった頃。
エヴァンと名乗る少年は、ほんのりと薄赤く色づいた表情を浮かべて、そう言ってくれた。
でも、その言葉を紡ぐ事が恥ずかしかったのか。視線も若干泳いでいた。
「……仕えて?」
「そう。ヒイナは将来、おれの臣下になるんだ」
臣下って、王子さまじゃあるまいし。
そんな感想を抱きながらも、私は「ふぅーん」と聞き流す。
でも、もしかするとエヴァンは実は何処かの王子さまなのかも。
そんな考えが私の頭の中で、一瞬だけ過ぎってしまったのもまた事実だった。
三ヶ月ほど前に偶然出会った見慣れない服装の少年。それでもって、言葉遣いが色々と変。それが、私がエヴァンに対して抱いた印象だった。
「でも、そういうのって偉い人がなるものじゃないの?」
臣下と言われても、あんまりよく分からなかった。だから、騎士とかそういうものって自己解釈をして、私は問い返す。
そういうのは、貴族って呼ばれる人達がなるものじゃないのかって。
「ちっげーよ。そういうのは、才能があるやつがなるんだ」
「才能?」
「ああ。おれや、ヒイナみたいなやつの事だ」
エヴァンは尊大に言う。
でも、三ヶ月もエヴァンと過ごしたせいでか。
そんな物言いにもすっかり慣れてしまっていた。だから、これまた、「ふぅーん」と聞き流す。
「……おいおい。先生に認められた奴なんて、おれを除くとヒイナしかいないんだぜ?」
もっと自信持てよって、エヴァンに呆れられる。
この三ヶ月。
私はエヴァンと毎日のように会って、話して、遊んでいたんだけれど、偶にエヴァンが人を連れてくる事があった。
彼は「先生」って呼んでて、エヴァンと仲良くしてくれてるお礼だっていって、先生は私に「魔道」と呼ばれるものを教えてくれた。
「……それとも、嫌だったか?」
肯定的な返事をしない私を見かねてか。
一変してエヴァンは不安に彩られた表情を向けてくる。
捨てられた犬が向けてくるような、そんな視線。だから私は慌てて否定する。
「ううん。エヴァンと居るのは私も楽しいし、仕えるってのは……その、よく分からないけど、でもエヴァンと一緒なら、私はいいよ」
「本当かっ!?」
お日様に照らされた海のような、紺碧の瞳が大きく見開かれる。
そして、エヴァンの頬が綻んだ。
「じ、じゃあ、これを持っててくれよ」
嬉しくて仕方がなかったのか。
噛みながらも、ゴソゴソとエヴァンはポケットから何かを取り出して、ソレを私の右手に強引に握らせた。
小さくてひんやりとした何か。
一体何なのだろうかと視線を落とすと、そこには装飾のないシンプルな銀色の指輪があった。
「いつか。いつか必ず迎えに行くから。だから、それを失くさずに持っててくれ」
いつになく真剣な口調でエヴァンが言う。
気恥ずかしかったのか。
————出来れば指に嵌めてくれると嬉しいんだけど……。
などと付け足された言葉の声量は、とても小さくて。
でも、辛うじて聞き取る事が出来ていた。
だから、
「じゃあ、嵌める」
渡された指輪を私は右手の人差し指に嵌めてみる。少しだけ異物感があったけれど、装飾品をつけた事で少しだけ大人になれたような気がして、言葉にはしなかったけど嬉しくもあった。
「ねえ、エヴァン」
この三ヶ月。
色々あったなって思い返しながら、私はエヴァンの名前を呼ぶ。
「次は、いつ会えるかな」
こうしてエヴァンが私に物を渡してきた理由は、多分これが原因だった。
私とエヴァンが会えるのは、今日が最後と前々から知っていた。
隣国に行かなくちゃいけない用事があるんだって、エヴァン本人に聞かされていたから。
「……ん」
すると、あまり聞かれたくない質問だったのか。悲しそうに小さく唸り、軽く頭を掻き始める。
「……ちょっとだけ、時間が掛かるかも」
きっと、そのちょっととは、数ヶ月とかそんな話ではないんだろうなって思った。
多分、一年とか、二年とか。
もしかすると、もっとかもしれない。
「でも、迎えに行くから。絶対に、迎えに行くから」
繰り返される。
確固たる意思を示すように、その後も何度か。
「だから、もう一度会えた時は。その時は、おれの臣下になってくれ————ヒイナ」
「うん。わかった」
そんなに念押しをしなくても、約束を破る気はないのに。
そうは思ったけど、何故かエヴァンは言葉に頷いて欲しそうにしてたから、それに応える。
ちょうど、その時だった。
「————良かったですね。エヴァン様」
離れた場所から、優しげな声が鼓膜を揺らす。
言葉に反応をして肩越しに振り向くと、そこにはエヴァンと一緒になってすっかり「先生」と呼ぶようになってしまった人がいた。
「あったりまえだろ。おれからの誘いを断る奴なんてこの世にいるもんかよ」
「その割には随分と不安そうでしたが」
「う、うるさいなっ!!」
図星を突かれた事を隠したかったのか。
エヴァンが「先生」の言葉に慌てて否定するけれど、それが強がりだったって事は私の目から見ても明らかだった。
「ヒイナさん」
そして、「先生」の視線がエヴァンから私に移動する。
「こんなエヴァン様ですが、どうかよろしくお願いいたします」
次いで、柔和な笑みと共に言葉が投げ掛けられた。
こんなってなんだよ、こんなって!
「先生」の物言いに不満を垂れるエヴァンの反応に、私と「先生」が一緒になって笑った。
多分、その日は私の人生の中で一番笑っていた日だったと思う。
————そして、彼らとの出会いこそが、間違いなく、私が王宮魔道師を目指したきっかけであった。
王宮魔道師になれば、エヴァンに会えるような気がして。だから、なったというのに結局いつまでたっても会えず終い。
もう二度と会うことは無いんじゃないかって思って以来、胸の奥底に仕舞い込んでいた筈の記憶が、どうしてか、このタイミングで思い起こされていた。