第二十七話 しゅうげん
寝落ち定期。
お待たせしました。皆様お待ちかね(?)の市ちゃんが出てきますよ!
8話ぶりとなる久々の登場です。
〜清洲城天守 広間〜
「柳藤十郎信晃。細根の前哨戦にて一番刀を取り、42の首級と凡そ6,000の敵兵を討ち取った戦功、また義元本隊との桶狭間の戦いにて10の首と凡そ500の敵兵を討ち取った戦功、これらの戦働きにより義元の本隊に陽動をかけ、俺の率いる別働隊が義元を討ち取ることに貢献したこと。
此度の働きに応え、500貫の加増を行う。また義元の太刀も与えよう。そして今後は松倉城に居を移し、美濃の斎藤義龍を牽制せよ。
また、それに伴い藤十郎の元へ市の輿入れを行う。異論のある者はないな?」
論功行賞の場で俺と市の祝言が発表された。
俺が26歳、市が13歳。織田家内でも今か今かと囁かれていたが、桶狭間の大戦功を機にようやく実現した、といった形だ。
今までも俺と市の関係は暗黙の了解ではあったものの、俺はこの時代では天涯孤独の身。後ろ盾もなく、自身の身の証となるのは腕っ節のみ。
だがそんな俺の身の上は50を超える首級と6,500もの敵兵を討ち取るという、冗談みたいな戦功の前には最早どうでもいいという空気すらあった。
「本来であれば祝言は松倉城で行うべきだが、あの城は美濃との境にある。儂はともかく母上や帰蝶を連れて行く訳にもいかん。よって異例ではあるが清洲にて祝言の儀を行い、その後藤十郎は市を連れて松倉城に入れ。良いな?」
「御意に。ありがたき幸せに存じます」
俺は深々と信長に頭を下げる。
周囲はざわついているが、俺は事前に信長から聞いていた為、驚くことはなかった。
俺が顔を上げると信長と目が合い、お互いに頷き合うのであった。
〜前夜 清洲城御館 信長の自室〜
「此度の戦働き、見事であった。お主の働きがなければ義元は討てなかったかも知れぬ」
夜、信長の自室に呼ばれた俺は開口一番礼を言われる。信長は俺の反応を待たずに言葉を続ける。
「正直ここまでの戦功を挙げるとは思いもよらなんだ。挙げた首級は50を超え、討ち取った兵は6,000を超える。最早鬼神という表現すら生温いかも知れぬ」
そこまで持ち上げられると照れるぜ。まぁでも一人で今川軍の4分の1を倒していると考えると、確かに言う通りか。
「そこで問題になるのが褒賞の話だ。正直挙げた戦功が大き過ぎて、何をどう与えればいいのか頭を抱えたわ。加増は行う。他にお主は何を望む?」
「何を望んでも?」
「まずは申してみよ」
「では、義元の用いていた太刀を頂きたいと思います」
「良いだろう。他には?」
「他、ですか。うーん、三郎様がどんな刀を持っているかがわからないので…」
「そうではない。もっと他のものだ。こう、あるだろう、お主が欲しいものが…」
なんだろう?信長が哀れむ様な目で俺を見ながら何かを促してくる。
暫くうんうんと唸る俺にしびれを切らした信長が怒鳴りつけてくる。
「ええい、鈍い奴め!お主もいい年だ。そろそろ嫁の一人でも娶らねば下の者に示しがつくまい」
そこまで言われて信長の言わせたいことが漸くわかった。
「え…?市を、嫁にもらえるんですか?」
信長は深いため息をつくと頷く。
「正直に言うとな、俺はお主と市のことはとうに許していた。だが市を娶るにはお主は家格がないどころか、どこの者とも知れない。家中の者共を納得させるには余程の何かがないといかん。だがお主は此度の戦いで尋常ならざる戦功を挙げた。これで文句を言う者はおるまい」
「えーと、市はこの事は?」
「既に話しておる。後はお主がそれを望むかどうか次第であったのだ」
マジか。
「だが当の本人からまったく出てこんとは…」
「いやいや、まさか許されるとは思っていなかったので…仰られる通り、俺には後ろ盾も家格も何もないので、もう少し出世してからかなぁと思っていましたので…」
そもそも何でも良いとは言ったけど、超シスコンのあんたに市をくれなんて言った瞬間斬りかかられるかもしれないじゃないか。
「まぁ妥当な判断ではあるが、俺が義元を破った事で状況は大きく動く。これからは政略の為に婚姻という選択肢も出てくるであろう。そうなってしまえば俺もその手を取らん訳にはいかん。だからこそ、この機会でないとお主と市が結ばれる事はなかったのだ」
なるほど。確かに史実だと浅井長政にも政略結婚として嫁いでいるし、その前にも話はあったかもしれないな。
「市はまだ13だ。まだまだ俺の庇護下にいるべきだが、将来の事を考えると泣く泣く今嫁がせるのだ。いいか、『今』嫁がせるのは泣く泣くなのだ!」
うおお、圧が!圧が強い!
信長が今にも血涙を流さんばかりの勢いで詰め寄ってくる。
シスコンは健在だった。これ向こうから切り出さなかったらやっぱ斬られてたんじゃないの?
「わ、わかりましたよ!でも同じ清洲にいるんだし、すぐに会えるでしょう?」
「いや、お主には美濃国との境にある松倉城に入ってもらう」
「えっ、いきなりですね」
「義元を破った事で尾張は今まで以上に他国から警戒されることになるであろう。我らがこれから版図を広げる為には、それなりに力を蓄える必要がある。三河の松平は今回今川が敗れたことで独立を図るであろうから、すぐに攻め込んでくる事はない。
だが美濃の斎藤は違う。周辺国で最も小さい尾張を呑み込んで国力を増やし、信濃の武田や越前の朝倉などに対抗していくことを目指すだろう。だから美濃からの侵攻を防ぐ必要がある」
確かに周辺各国の状況を見ると、尾張は北を美濃の斎藤、東を信濃の武田、西を伊勢の北畠、南を三河の松平に囲まれている。武田は上杉とやり合っているし、上洛する為に尾張を攻めたとしても結局美濃が邪魔になるから、それなら最初から美濃を攻めた方がいいだろう。北畠も態々尾張を取るメリットがない。三河は今川からの独立に手一杯。確かに斎藤が一番危険だな。
「西はここ清洲が、東は十郎左衛門の犬山城が抑えているが、肝心の北は守りが薄い。そこで北の松倉城にお主が入り、義龍を牽制せよ」
「そこは承知致しました。ですが、そんな最前線に市を置いてしまって良いのですか?」
「ふん、お主の側以上に安全な場所など、この国にはないであろう?それだけ俺はお主を買っているのだ」
なんだその殺し文句。思いもよらないその言葉に思わず目頭が熱くなる。今まで積み上げてきた物は決して無駄ではなかったんだ。
「必ずや、ご期待に沿ってみせます」
そう言って俺は深々と信長に頭を下げるのであった。
〜清洲城御館 市の自室〜
論功行賞の場が終わり市の部屋を訪れた、俺は褒賞について市に報告した。
既に信長から話が行っているとはいえ、こういう事は自分の口から伝えておくべきだしな。
「という訳で、晴れて正式に市を娶る事になったよ。祝言はもうちょっと先だけど、これからもよろしくな」
俺がそう言うと、市はポロポロと涙を流し始める。
今まで見たことがない類の涙に俺は慌てふためく事になった。
「お、おい、市!?」
あたふたとする俺の胸に市が飛び込んでくる。市も背が伸び、昔は俺の腰くらいまでしかなかった頭が今はちょうど胸の中に収まるまでになった。
その市の頭は震え、声を押し殺すようにして泣いていた。
「俺の力が足りなくてすまない。待たせて悪かったよ」
震える市の頭を撫でながら謝る俺に、市は頭を振る。
「そんなことはないわ!天涯孤独のあなたが私を娶ることが、普通であればありえないことだってわかってる。今こうしているまでに、あなたがどれだけ頑張って来たのか、私にその努力に報いるだけのものがあるのか、そう考えると、怖いの…!」
そう言うと再び市は肩を震わせる。
「大丈夫だ。言っただろう?俺は市に救われた。市がいなかったら俺はどこかで野垂れ死んでいたかもしれないし、そうはならなくてもいずれ人を殺める事に耐えられず、心を壊していたかもしれない。その恩は返そうにも、返し切れるものではない。だから、市が不安になる事なんてないんだよ?」
俺のその言葉に市は顔を上げて俺を仰ぎ見る。
最近ときおり一層と女性らしさを帯びて来た顔に、潤んだ目と上気してほんのりと赤く染まった頬が相まって、抗い難い魅力を感じる。
うっ、俺はロリコンジャナイ…ロリコンジャ…ええい!ここまで来てそんな倫理観など保っていられるか!
俺が吸い寄せられるように市へと顔を近づけると、市も目を閉じて俺を待つ。
そのまま二人の距離がゼロに
「ん゛ん゛っ!」
ならなかった。
弾かれるように顔を上げてその咳払いの主を見ると、市のお付きの侍女がこちらを睨み付けていた。
おのれ、今までも幾度となく割り込みをしてくれていたが、今回は見逃してくれても良かったんじゃないか!?
「お二人のお気持ちはわかりますが、まだ婚前です。あと一月くらい我慢なされませ」
「すずの意地悪。一月もこの気持ちを我慢しろと言うの?」
「むしろ一月で済んで良かったと思って下さい。暗黙の了解でお市様の準備が進んでいたので、その程度で済んでいるのです」
「それはそうだけど…」
市と侍女のやり取りを聞いていると、大分前から準備は進められていたらしい。
えっ、知らぬは俺だけ?
「藤十郎殿も藤十郎殿です。あなたの方が大人なのですから、もう少し節度を持ってですね…」
そうして矛先がこちらに向き、俺と市は仲良く説教を受ける事になるのであった。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
一月後。
いよいよ市の輿入れの日がやって来た。
通常であれば新郎側の一族の者が新婦を迎えに行くのだが、生憎俺には親族がいない。
なので代理として信賢と秀継くんが市を迎えにいく事になった。
そして柳家として受け入れの準備を整えるのは利定くん、一巴さん、まつちゃんが中心に行ってくれていた。
一巴さんは浮野の戦いで大怪我を負っていたのだが、ようやく快復し、この度正式に俺の部下として配属された。信長の火縄銃の師匠も務めていたが、遊撃隊の鉄砲運用が面白いとの事であっさりとこちらに来てしまった。人生の大先輩という事で、今日も張り切って手伝ってくれている。
まつちゃんは昨年長女の幸を産んだばかりだが、子供を親に預けて準備に奔走してくれていた。なおバカ旦那の利家くんは諸事情により出奔しており清洲にはいない。
俺はと言うと屋敷の大広間でうろうろと落ち着かず歩き回っていたが、利定くんの「邪魔です」の一言で自室へと追いやられていた。今日の主役なのに扱いが酷い!というか最近利定くんの俺に対する扱いのぞんざいさが酷い。忠誠100のままなのに、どうなってんの、これ?
そうこうしているうちに夜になり、新婦一行が到着した。
白無垢に身を包み、化粧を施した市はいつも見せるまだ若干の幼さが残る闊達な顔ではなく、一人の美しい女性であった。
言葉を失い、呆然と立つ俺に利定くんがそっと注意を促し、ようやく再起動した俺は大広間に用意された席につく。
正面向かって右側には柳家の者として利定くん、信賢、一巴さん、秀継くんを初めとした一部の家人たちが座り、左側には織田家として信長、帰蝶さん、土田御前の他に織田家連枝衆のお歴々が並んでいた。顔ぶれの差が顕著だがこればかりはしょうがない。
その後三三九度を行い、宴が始まると信長が俺に声をかけてきた。珍しく本当に酒を飲んでいるのか顔が赤い。
俺に酌をしながら、信長は上機嫌で話し始めた。
「今日は誠に善き日だ。こうしてこの様な日が迎えられたのも、藤十郎、お主がいたからだ。市も俺もお前に命を救われたからここにいる。これからは主従の関係を超え、家族として、俺を支えてくれ。今後は周りに親族しかおらぬ時にはくだけた対応で構わん。奇しくも俺とお主は年も同じ。弟というよりは友人として接すると良い」
「三郎様…」
「兄様…」
「ほれ、俺にも酌をせい。義兄弟の杯じゃ。俺に酒を飲ませる機会はそうないぞ?」
俺が信長の杯に酒を注ぐと、信長は杯を俺に向けてくる。俺もそれに倣い、信長に杯を向ける。
「織田家の繁栄の為に、織田三郎信長と柳藤十郎信晃はここに、義兄弟の杯を交わそう」
「「乾杯」」
そうして互いに杯を空けると信長は席に戻り、再び宴に身を投じていくのであった。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
「ふぅ、まさか三郎様があんなに呑まれるとはな。屋敷の周りは恒興さん達と遊撃隊の面々が警護しているとはいえ、まさか酔い潰れるまで飲むとは思わなかったよ」
「ふふ、あんな兄様を見るのはわたしも初めてよ?余程嬉しかったのね」
宴も終わり夜も更けた頃、俺と市は同じ部屋にいた。
信長は酔い潰れ、帰蝶と連枝衆に面倒を見てもらいながら客用に準備された寝室に連れて行かれた。
俺の方もかなり飲まされていたが、幸い酒に強い体質なのでほろ酔い程度で済んでいる。
宴も終わり、いよいよ"お床入りの儀"という訳だ。
「市、本当にいいのか…?俺はお前の身体がもう少し大人になるまで待てるぞ」
「ふふ、私を気遣ってくれてありがとう。でも本当に藤十郎は女心というものが分かっていないわね。私が、この日をどれだけ待ち焦がれていたと思う?」
俺の言葉に市は蠱惑的な笑みを浮かべながら身体を寄せてくる。
「いよいよ、本当の意味で私はあなたの妻になるの。夢にまで見たことよ?私はあなたに助けられたあの日から、あなたと一緒になりたいと思っていたわ」
あの時ってまだ市は7歳だろ?いくらなんでも早過ぎるだろう!
「女の子は、幾つであろうと女なのよ?いつまでも子どもの男と違ってね」
「む、俺は子どもじゃないぞ?」
「そういうところよ?」
ふふ、と笑う市を見ると確かにどちらが大人なのかわからない落ち着きを感じる。
寄せられた身体からは香とは違う甘い匂いがして、頭がくらくらする。
「お願い、藤十郎。私の六年来の夢を、あなたに叶えて欲しいの」
そう言って潤んだ目で見つめてくる市を拒む理由は最早なかった。
俺は市を抱き寄せ、顔を近づけていく。
俺と市の距離が今度こそゼロになったのだった。
ここまでなら規約的にはセーフですよね?
ようやく結ばれた藤十郎と市。
めでたいことです。
次話は閑話になります。




