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「旅の終わりと暮らしの始まり」

 ~~~新堂新しんどうあらた~~~




 時刻はすでに0時を回っていた。

 寒空の下を、ふたり歩いて帰途についた。


 彼女の語る、彼女のこれまで。

 物語について。

 作者について。


 それは驚くべき内容だった。


 物語が形成すための愛情の蓄積が閾値しきいちを超えたのは、俺が高校3年の頃だったという。

 それは奇しくも実家の火事の直前だった。

 すべての絵日記が燃える前に彼女は具現化し、難を逃れた。


 一方俺はしばらくの間ホテルでの仮住まいを続け、やがて東京の叔父のもとで世話になることになった。

 トワコさんとはすれ違ったまま、互いに長い旅を始めた。


 あれから6年。

 俺が故郷の土を踏んだことがトリガーとなり、絵日記の最後のページの記述──トワコさんが旅を終え、町に帰って来る──は果たされた。


「……そうだ、トワコさんは修学旅行帰りなんだっけ」


 話しているうちに、徐々に記憶が蘇ってきた。


「そうなのよ。修学旅行先は京都」


「……下手したら俺たち、会えないこともありえた?」

 

 俺がこの町に戻って来なければ、まさに梗概通り、彼女は永遠に旅に出たままだった。

 永遠の修学旅行。永遠の京都。


「……そう思うとぞっとするわね」


 彼女はぶるりと身震いした。


「なんせ向こうは退屈だったから」


「そりゃ6年も観光してればね……」


 どんな観光名所だってなあ……。


「……観光ならまだマシよ」


 トワコさんは首を横に振った。


「え……京都行って、観光以外になにするの? 修行とか?」


「新……?」


 トワコさんはじーっと俺の顔を見つめたあと「本気で忘れてるのね……」と重たげにかぶりを振った。


「新はこう書いたのよ? わたしが同じ班の人と衝突していじけて、それ以降は裏路地のゲームセンターに入り浸っていたって」


「え……じゃあ、今の今まで観光もせずに、ずっとゲーセンで……?」


「来る日も来る日もけたたましい電子音を聞かされて、古めかしい筐体きょうたいに向かわされて……あれはつらかったわ……」


「……マジすいません」


「しまいには蛸薬師たこやくしの魔女なんて呼ばれてね……」


 ……ちょっとかっこいいかも、なんてことは言えない。


「ホント、ごめんなさいでした」 


 殊勝に謝ると、トワコさんは肩から力を抜いた。


「まあいいわ、許してあげる。新だって、まさかこうなることを予測してたわけじゃないだろうし」


 気を取り直したように、ぱっと表情を明るくした。


「それにちょっと、嬉しくもあるのよ。だってそれって、独占欲でしょ? 友達なんていなくていい。わたしには新だけいればいい。そんな、自分だけの女の子になって欲しかったってことでしょ? イコール愛よね」


「それは……それは……」


 ……でもそうか、たぶんそうなんだ。

 俺のことが好き、俺以外見えない。そんな女の子が欲しかったんだ。当時の俺は。

 積み重ねた設定は、だから自然とこんな、ヤンデレ風味な女の子を形作ってしまった。


「でも意外ねー」


 トワコさんが下から俺の顔をのぞき込むようにしてきた。


「時代は巡るものだわ。新が自分のことを、だなんて」


「……俺、昔は自分のことをなんて言ってたっけ?」


ぼくよ、僕。そりゃあもう可愛かったんだからー」


 トワコさんは遠い目をしながら、パントマイムみたいに左右の手を動かした。


「ほんとにこう……技をかけやすい感じの手ごろな大きさでねえ……」


「やめて! 怖いからその手つきをやめて!」


 昔の俺、腕とか足とかすごいことになってるよ⁉


 ふふふと笑いながら、トワコさんは俺の腕に肘を絡めた。

 なんとなく怖さを感じて振りほどこうとしたが、絡めたほうの手で手首を掴まれた。

 梃子てこの原理を生かし、体で押さえるようにしてロックされた。

 あらがわなければ痛みはないけど、抗えばめちゃくちゃ痛い。逮捕術みたいな腕組み。

 

「まあ今でもかけやすいけど、ね?」


「さいですか……」


 これ……傍目はためからは夜中にいちゃつくカップルみたいに見えるんだろうか……。


 関節を極めたまま、トワコさんは俺の腕に頭を擦りつけてきた。


「新のことも知りたいわ。ねえ、聞かせて? あなたがどんな日々をおくっていたのか」


「ああ、えっと……」


 トワコさんの知らない、東京へ行ってからの話をした。

 灰色の浪人時代。凪みたいな大学時代。

 決して面白い話ではないはずだが、彼女は興味深く聞いてくれた。

 夜闇のような瞳に、必死で話す俺の顔が映ってた。

 

 トワコさんが話す。

 俺が話す。

 トワコさんが話す。

 俺が話す。

 その繰り返しは、かつての絵日記上のやり取りに似ていた。

 



「へえ~っ」


 部屋に招き入れると、トワコさんはキョロキョロ物珍しそうに見て回った。

 引っ越したばかりの俺の部屋は、未梱包の段ボールが山積みになっている。開封されているのは、コタツと冷蔵庫といくばくかの食料品と酒類と寝床。当面の生活に必要な衣類と衣類掛けだけ。


「なんだか寒々しい部屋ね~」


 セリフとは裏腹、トワコさんは終始ニコニコご機嫌に微笑んでいる。


「でもそこがいいわね。これからふたりの生活を作っていくって感じで」


「えっ」


「え?」


「ふたりの生活って……それってつまり……」


「一緒に暮らすのよ」


 当たり前でしょ、とばかりにトワコさん。


「そうか……そういうことになるのか……」


 俺は改めて慄然とした。


 物語である彼女には、他に居場所がない。

 係累けいるいは見事に俺ひとり。生まれついての天涯孤独。

 暮らすなら、たしかにこの部屋以外あり得ない。


 でも俺は躊躇した。

 嫌なわけではない。

 純粋に倫理的な問題だ。

 成人男性が、年頃の女の子とひとつ屋根の下で暮らす。

 その意味について考えた。


 ぽんと背中を叩かれた。


「悩んでもダメよ? 物語は常に作者の傍にいなきゃダメなの。愛されてなきゃダメなの。じゃないと死んじゃうんだから」


「死ぬって……そんな大げさな……」


 俺が反駁はんばくすると、トワコさんは「むむ」と唇を尖らせた。


「ホントよ? わたしたちは作者の愛によって成り立ってるんだもの。愛が燃料、力の源。愛がなくなったら身動きひとつ出来なくなって、考える機能すら失って、やがて存在を保てなくなるの。装丁がバラバラになって、塵みたいに分解して、風に乗って散っちゃうんだから」


「マジですか……」


 そんなえぐい話なのか。


 ふっ……トワコさんの顔が暗くかげった。


「本当に危ないところだったわ……。最近、関節の動きが鈍くてね……」


 リウマチに悩む老人みたいに、膝を擦ったりしている。


「目も見えないし、鼻もバカになるし……。あの時はさすがに、ああ、わたし死んじゃうんだって思ったわ……。時期も時期だし、このまま、桜の花みたいに散っちゃうんだなって……」


 顔をうつむけ、呪うように陰々(いんいん)とつぶやく。


「ちょ……ちょっと、トワコさん……?」


 突然の悲しい話におののいていると、トワコさんは寒さに震えるようなしぐさをした。


「せっかく会えたと思ったのに、愛を疑われる……」


「信じてるよ! ちょっと戸惑っただけ!」


「一緒に住んですらくれない……。あげく寒空に放り出される……。外はきっと、寒いわよねえ……? 魂すら凍りつくほどに……」


 トワコさんは両手に顔を埋め、よよと泣き崩れた。


「そんなことしないよ! 一緒に住んでいいよ!」


 トワコさんの震えが、ぴたりと止まった。


「じゃあずっと……傍にいていいの? 迷惑じゃない?」


「迷惑なもんか! むしろ末永くいてくれよ!」


「末永く……。ずっと……死ぬまで?」


「当たり前さ! だってきみは俺が──はっ?」


「……聞いたわよ? 新……」


 指の隙間から、トワコさんの目が俺を見てた。


「……っ⁉」


 悲しみも絶望も、そこにはなかった。


 そうだ──トワコさんは涙を拭かない。

 顔を覆うことだって、出来やしないはずなのだ。


「だ……騙したな⁉ トワコさん!」


「あら騙したとは心外ね。どちらかといったら、忘れてたほうが悪いんじゃないかしら?」


「忘れてたわけじゃないよ! ただ俺は……!」


 トワコさんが可愛すぎて。

 トワコさんが可哀想すぎて。

 とはさすがに言えず……。 


「うぐっ……」と言葉を飲み込んだ。


「ふふ、これが新居かー。楽しみねーっ」


 喜色満面、あれやこれやと子供みたいにはしゃぐトワコさんを、ただ見つめることしかできなかった。


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