「もっと、もっと」
~~~高屋敷真理~~~
「なんであんたがここに……⁉ しかもなんで窓から入って来るのよ⁉」
涙でも出てはしないかと慌てて目元を拭いながら、トワコさんに声をかけた。
「不法侵入で警察呼ぶわよ⁉ いったい何考えてんのよ!」
「……はっ」
トワコさんは私の質問を鼻で笑った。
窓枠から飛び降り、カーペットの上を私に向かって歩いてきた。
一直線につかつかと。
「な……え? ちょ……っ」
その勢いに押されるようにして、私は脇へどけた。
トワコさんはそのまま直進すると、ドアの内鍵を外した。
「……ホント、笑っちゃうわよね」
低く低く、つぶやくいた。
「……絶対、窓の鍵はかかってないって。新の言った通りだわ」
くるりと振り向いた。
挑戦的な目で私を見た。
「なに人の部屋で勝手してるのよ! 新って先生のこと⁉ なんであんたなんかが呼び捨てに……!」
「いいのよ。新はわたしのものだから」
「はあっ⁉ バカじゃないの⁉」
「新はわたしのもので、わたしは新のもの。昔からの、そういう決まり事なのよ。そういう風に、新が創ったのだから」
──先生が……創った……?
「ちょっと……何言ってんのよ……。それじゃまるで……」
トワコさんの台詞に、私はぐらりとよろけた。
──創った。
その言葉には、いやというほど覚えがあった。
「……あら、鈍いあなたにも、ようやくわかったみたいね」
トワコさんは悪魔みたいに笑うと、私に迫ってきた。
「ちょ……やめてよ……きゃっ?」
勢いに押されて、私はベッドの上に倒れ込んだ。
トワコさんは構わず、私の上にのしかかってきた。
呼吸すらかかる位置まで顔を近づけてきた。
2人分の重みが加わって、ベッドのスプリングがギシギシ鳴った。
「そうよ。わたしは物語。新の創った物語」
「先生が……あんたを……?」
トワコさんは、たしかに不思議な雰囲気のある生徒だった。
月の女神みたいな造形美、学力、運動神経。先生への偏執狂的な愛情。
あまりにも出来過ぎた、物語の登場人物のような女の子だ。
だからみんな口々に言ってた。
あんな人、ホントにいるんだねって。
漫画かアニメの中にしかいないと思ってたよって。
「まさかホントに……? で、でも……だって……それじゃ先生は、自分の創った物語であるあんたを生徒にして、勉強を教えて……?」
「家で一緒に暮らしてるわ。甘美なふたり暮らし」
トワコさんは勝ち誇ったように微笑んだ。
「そんな……そんなの……」
「あら、不潔だとでも言うつもり? あなただって同じことしてたくせに」
「な……っ?」
「マリー・テントワール・ド・リジャン。人呼んで太陽姫。ゴスロリ幼女と一緒に暮らしてたくせに」
「……っ」
ぶるりと、唇が震えた。
知られている。
私の秘密が、最も知られたくない相手に知られている。
恥ずかしくて、悔しくて、全身が熱くなった。
「一緒に寝て起きて、食事は部屋でふたりで食べて。楽しかったんでしょ? 幸せだったんでしょ? だから、もういないのにも関わらず、窓には鍵をかけていない。いつでも戻って来れるように」
「……うるさい」
「逆に、マリーさんがいた時はずっと鍵かけてたんですって? マリーさんは不思議そうにしてたけど、わたしにはわかるわ。それって、逃げられないようによね? 降って湧いたような幸運を逃がさないようにしたのよね?」
「……うるさい」
「外出もなるべくさせないようにしてたのよね? 外は変質者がうろついてて危ないとか、直射日光がお肌に悪いとか、そのつど様々な言い訳をしてたみたいだけど、それも全部、同じことよね? 逃がしたくなかったのよあなたは。檻にペットを入れておくみたいにして」
「うるさい……!」
ぷちんと、私の中の何かが切れた。
「あんたなんかに何がわかるのよ! どうせ先生の性処理用に創られた物語なんでしょ⁉ エロ妄想の塊が、生意気ほざくんじゃないわよ! 私のマリーさんは違うのよ! 矜持があって、美意識があって! 華麗で美麗で! 品格ってものが備わってるのよ! 全部すべて! 根っこから! あんたなんかとは違うんだから!」
負けじとトワコさんも言い返してきた。
「どこが悪いのよ! 作者の妄想の具現化! それが物語なんだから! 存在意義なんだから! むしろ率先して性処理してあげるわよ! ドロドロにされて、ぐちゃぐちゃにされて! でもそれが本懐なのよ! それこそが物語の望みなのよ!」
「なに誇り高いみたいに言ってんのよ! しょせんは性奴隷でしょうが! 職に貴賤はないなんて言ったって誤魔化せないわよ⁉ それにしても先生には呆れたものね! 涼しい顔して! いかにも草食系って顔しといて! 中身はエロガキそのものじゃない! ああやだ! 汚らしい! ちょっとの間でも、あんな人に魅かれた私がバカだったわ!」
「……新をバカにすると殺すわよ?」
トワコさんはヒットマンみたいな目で睨みつけてくるが……。
「ふん! そんな目で睨んだって怖くないのよ! 物語は人間には手を出せないんでしょ⁉ 手を出したら即座に死蔵! マリーさんに聞いたんだから!」
「あらそーう⁉ 教えてもらえてよかったわねえ! そのマリーさんをゴミみたいに捨てた、無慈悲な作者さん⁉」
「ぐうううぅ……っ⁉」
「むうううぅ……っ!」
不毛な罵り合いに疲れ、私たちはしばし休戦することにした。
ベッドの端と端。
私たちは離れて座った。
「……ちょっと、訂正させなさいよ」
トワコさんがぽつりとつぶやいた。
「わたし……まだ……なのよ」
「え?」
「だからその……まだ……、そういうことはしてないのよ」
「そういうって……性処理的な?」
トワコさんは恥ずかしそうにうなずいた。
「いえそれどころか、キスもハグもしてくれないの。手だって握ろうとしてくれない。毎日毎晩スキンシップを仕掛けても、我慢して耐えるだけなの。そういうところがウブで可愛いなとは思うけど……。でもわたしは不満で……。なんで……あなたなんかが……って」
「……私がなによ」
「新が……あなたのこと気にするのよ。自分が傷つけたって。可哀想だって。様子を見に行かなきゃって。わたしはそんなのいらないって言ったのよ? 一週間もすれば出てくるからほっとけばって。どうせなにげない顔で登校してきて、いつもみたいに尊大に振る舞うわよって言ったの。でも新は……俺は先生だからって言うの。あなたを親御さんから預かってて。だから大切にしたいんだって。だから手伝ってくれないかって。わたしに頼むの。やつれた顔して、困った顔して懇願するの」
「……」
「……いいじゃない、生徒なんてほっとけば」
トワコさんは膝を抱えてぼやき出した。
もはやそれは、私への言葉ではなくなっていた。
「何十人もいる中のひとりが欠けたぐらい、どうでもいいじゃない。もっとわたしを見てよ。もっとわたしを構ってよ。もっとわたしを好きになってよ。ねえ、新……」
……他人の物語というのを、私は初めて見た。
そしてなんだか、意外だった。
こんなにも悩むものだったんだ。
設定どおりに生きることに。
作者との関係性に。
もっと。
もっと。
トワコさんは繰り返す。
自分のあるべき姿を口にする。
ずっと先生の傍にいて、愛し愛される未来予想図。
自分自身を物語る。
私には、それを止めることが出来なかった。
かつて失われた、私の相棒。
マリーさんも……あるいはこんな風に苦しんでいたのだろうか。
そんなことを思った。




