3・本質を見極める
チェチリア婿探しの協力を始めて約一ヶ月。彼女は最初の夜会以外に、貴族主宰の夜会に二回、昼食会と音楽会とにそれぞれ一回、女性の格好で出席した。
私は怪しまれないように、毎回、少し会話を交わす程度にとどめている。その僅かな時間で、彼女の隠れた可愛げが男性陣の目に留まるよう、うまく誘導する。
今では仲間たちが、チェチリア・タラブォーナのオン(凛々しい衛兵モード)とオフ(垣間見せる可愛げ)の差が魅力的だと盛り上がっている。
我ながら素晴らしいプロデュースの才能だ。
彼女自身は男性たちが急に自分を女性扱いし始めたことに、ひどく戸惑っている。だがその戸惑いがまた、可愛らしい。
これなら婿が見つかるのも、時間の問題だ。
一方で、三馬鹿が望む金持ち老人も、良い感じでチェチリアに興味を示している。だが彼らはあくまで目眩まし。期待させないよう、彼女は節度を持って接している。
三馬鹿には、生ぬるい、たらしこめ!と責められているらしいが、本当の目的はバレていないようだ。
◇◇
そんなある日のこと。
街中を供と二人で徒歩でまわっていた。
友人である元・当代きっての遊び人が、大使に任命され、近く、隣国へ旅立つ。そのはなむけに、彼ら夫妻に何かプレゼントを贈るつもりなのだが、妙案が浮かばず、街中でも歩けば良いものが目につくかもしれない、と考えてのことだった。
高級品を取り扱う店や卸が軒を連ねる通りをふらりふらりとしていると、とある男と目があった。明らかにどこかの屋敷に仕える執事だ。姿勢は美しく、シワの刻まれた顔にはその職特有の威厳がある。その隣には、恐らく高級使用人と思われる年配の女性。
彼らは私に向かって慇懃に頭を下げた。
傍らの供に、どこの人間だったかなと尋ねると、タラブォーナ家の執事と家政婦長だとの答えが返って来た。
私はタラブォーナ家を訪れたことはない。が、向こうは私を知っている。
普段ならばそのような使用人には軽い頷きを返すだけなのだが、興味が沸いた。
近寄って、タラブォーナ家かと問う。
果たして、肯定の返答があり、更に執事は
「お嬢様が大変なお世話になっております」と続けた。
「聞いているのか?」
「はい」と忠義者の執事。
「良い方向にいっている」
「ありがとうございます」
執事だけでなく家政婦長も一緒になって、頭を下げた。
ふと気になって、
「彼女は自邸でも、あんなに凛々しいのか?昔はあそこまでではなかったように思う」
と尋ねた。
「ご家族といるときは」と執事。
それはつまり、ひとりの時はそうではないということだ。
「少しばかり聞いたのだが、ファンのイメージを壊さないよう、表だっては好きな菓子も我慢しているようだな」
と、そう言った瞬間、先刻見たパティスリーを思い出した。
「君たちはまだ買い物途中か?彼女への土産に菓子をこっそり持ち帰ることは出来るか?」
すると二人の使用人は柔らかい笑みを浮かべ、首肯した。そして家政婦長が、
「必ずお嬢様は喜びます。誕生日も近いですし」と言った。
「誕生日?それは別に何か贈ろう。彼女はどんなものが好きなのだ?」
常に凛々しく振る舞うチェチリア。プライベートが全く想像できない。
「内密に願います」と執事。「お嬢様は実は可愛らしいものがお好きでございます」
「可愛い?」
「はい」と家政婦長。「イメージを壊さないよう、自室の中でしか楽しみませんが、美しい刺繍や愛らしいリボンで飾られたものが大好きです」
また『イメージ』か。こぼれそうになるため息をこらえる。
「分かった、良い情報を感謝する」
チェチリアは普段どれだけ自分を装っているのだろう。ファンのためなのか、女性衛兵と侮られないためなのか。
彼女の生真面目な努力に、何故か腹立たしさを感じる。
……が。
そういえば私も、彼女は凛々しく強い女性だと思い込んでいた。いつぞや、『そんな弱気は君らしくない』とチェチリアに言ったような気がする。
もしかしなくても、私のような人間のせいで、彼女は余計にイメージを死守しているのかもしれない。
◇◇
週に一度のあずまやでのランチ。いつものようにチェチリアは濃紺の制服を着て、颯爽と現れた。どこから見ても、美少年衛兵だ。
彼女の本日の弁当は蒸し鶏と野菜のサラダにパン、ゆで玉子、フルーツ。
一度、彼女にこの昼食で体力が持つのか尋ねた。すると彼女は、食べ過ぎると動いた時に気持ち悪くなってしまうのだと告白した。代わりに間食を摂っているからと言っていたが、どうせたいしたものは食べていないのだろう。
ちなみに大方の男性衛兵は、肉や炭水化物をガツガツ食べているらしい。さすがのチェチリアも食生活までは、男性の真似ができなかったようだ。
「君はどうしてイメージに固執するのだ?」
そう尋ねると彼女は長い睫毛に縁取られた大きな目を一度瞬いて、口元からパンを離した。
「ファンのためなのか、侮られないためなのか」
彼女は少しだけ逡巡する様子を見せてから、
「どちらもだ」と答えた。「前にも話したが、数少ない理解者は大事にしたい。そうでない者が付け入る隙を作りたくない」彼女は視線を下げた。「……それに今となっては、素の私でいる必要性はないからな」
「意味が分からん」
ハハッとチェチリアは男前に笑った。
「素の君に男たちは心を掴まれているのだぞ」
彼女の頬がさっと色づく。
「本当に物好きだ。いや、珍しいもの好きなのかな」
「また、そういうことを言う。ところでだいぶ、男性陣と打ち解けてきたのではないか?これは、という婿候補は決まったか?」
「ああ……」彼女はパンを置くと姿勢を正した。「そのことだが」
どうやら眼鏡に叶う人材がいるようだ。
私も手にしていたチキンを置いた。
「正直に打ち明けようと思う。その上で、婿に入りたいと言ってくれる人と結婚する」
チェチリアは真面目な表情だ。
「……待て。それはつまり、誰でも構わないということか」
「そうではない。私は優秀な人材との条件をつけている。あなたの仲間はみなその条件をクリアしているだろう?」
「優秀であれば、誰でもいいということではないか。せっかく男性陣は概ね好感触なんだ。もっと結婚生活をも考慮して、ターゲットを決めたほうがいい」
苦いものが込み上げてくるのを、無理やり飲み込む。
「『結婚は人生の墓場』と元・当代きっての遊び人がよく口にしていた」
「君の友人レーヴェンだな」
「そう。だけれど私の意見は違う。『結婚は人生の墓場。もしくは地獄』だ」
地獄、とチェチリアは呟いた。
「うちの両親はとにかく仲が悪い。性格が合わないのだろうな。父に隠し子がいると話したと思うが、実は母にも二人いる」
チェチリアの目が見開く。
私が子供の頃。母は体を悪くして、二度ほど実家の領地で半年の静養をしている。それが実は出産だったと、学校を卒業する頃に知った。
「ろくに口をきかない両親。勿論、子供にも無関心。全ての結婚がそうではないのは分かっているが、政略や事情を抱えた結婚には、地獄になる危険が潜んでいる。君は家のための条件だけでなく、自分の気持ちも考慮して婿を選ぶべきだ」
チェチリアは目を伏せた。
その長い睫毛をなんとはなしに見ていて、はっとした。
チェチリアはそんじょそこらの男より男前で、凛々しく毅然としている強い女性。
私はずっとそう思っていた。だけれど菓子や可愛いものが好きで、そんな本当の姿を隠している。
女性扱いされることに慣れてなくて、賛辞を送られれば、一般的な令嬢よりもずっと可愛らしく赤面する。
一体私は彼女の何を知っているというのだ。彼女が強い精神を持っていると断言できるほど、深く知ってなどいない。
「チェチリア。その。もしや本当は父親のことを割りきれていないのではないか?」
彼女は以前、三年前に父を見限ったと言っていた。私は、君らしいと褒めた覚えがある。
だけれどそれは本心だったのか。自分のイメージを壊さないため、仕えてくれる使用人を心配させないため、そのようなふりをしているのではないか。
彼女は困ったような表情になった。
「アントンはたちが悪い。誰も気付かないことに気付く」そうして彼女は大きく息を吐いた。「私が『父を見限った』ことに疑いの目を向けたのは、あなたで三人目だ。同期の女性衛兵と、妃殿下、アントン」
「……すまない」
「いや、大丈夫。あなたが口が固いことは、もう十分知っているから」
彼女はグラスを手にして、葡萄酒を飲んだ。
「……私は父が好きだったよ。衛兵隊長として尊敬もしていた」そう語る彼女の表情は曇っている。「それが祖父が亡くなった途端に、新しい妻と瓜二つの子供たちを連れてきて。私への態度も豹変した。ショックだった。父は母も私も、全く好きではなかった訳だ」
「チェチリア」
「つい少し前まで父が、義母の手前辛く当たっていたのだ、悪かった、と言ってくれるのではないかと、期待していた」
少し前まで。
その言葉に胸が痛む。彼女は三年近く、父親を信じていたのだ。
「父の降格理由。体調不良を理由に仕事を休み、賭博場の用心棒をしているためだ」
急展開の話だ。しかも賭博場の用心棒?
「どうやら義母が賭博好きで、かなり負債があるらしい。端数程度は父が用心棒をやることで、帳消しにしてもらっているようだ。無論、顔は隠しているみたいだが、まあ、三年もやっていれば、正体に気づかれて当然だ」
「何故、そんな馬鹿なことを」
チェチリアは笑った。
「父は義母が好きなんだ。心底ね。立場を悪くする可能性があっても、義母を助けたいらしい」
彼女はまた葡萄酒を飲んだ。
「父はなんで母と結婚したんだ、そんなに爵位が欲しかったのか、衛兵隊の中で出世をしたかったのか。私も母の人生を考えると、結婚は人生の墓場なのだと思った。だけどもしかしたら、理由の半分は祖父かもしれない。衛兵総隊長の意向に逆らえなかった可能性は、十分にある」
「だから婿選びを妃殿下に頼みたくないのか」
チェチリアは頷いた。
「私も戦略的な結婚をするが、相手には納得の上、婿入りしてもらいたい。勇気ある決断をしてくれた婿殿には、最大限の敬意を持って接する。両親のような墓場には、絶対しない」
「……君の考えは立派だよ。だけれど歯痒い。もっと……」
もっと、なんだ?
自分で言い掛けた言葉の先が分からなくなって、口をつぐんだ。
もっと幸せになれる結婚をしろ?
出来るならば、とっくにしているだろう。
もっと気軽に考えろ?
それが出来ないから、タラブォーナ家を守るために頑張っているのだ。
チェチリアがグラスに手を伸ばした。
そっと手を重ねる。その途端に彼女はびくりとしてグラスを倒した。
「すまん、また驚かせてしまった」
詫びながらナプキンをとる。葡萄酒がこぼれてしまった。
「遊び人は息するように触れてくるのだな!そういうのはやめろ!」
彼女の顔は真っ赤だ。
「いや、励まそうと思ったのだが」
「言葉だけでいい!」
「だが君の手が」
葡萄酒がかかっている。それを拭こうと彼女の手を取ると、凄まじい勢いで振り払われた。
「いい!自分で出来る!」
「そのくらい、甘えろよ」
チェチリアは何故か手を隠した。
「……令嬢の手じゃないんだ。甘えられなくて、すまない」
確かに一瞬だけ触れたそれは、私の知っている令嬢の手にはほど遠いようだった。
「それだけの努力をしてきたからだろう?立派じゃないか」
「……遊び人は言葉が上手い」
彼女は微笑んだが、やけに弱々しく見えた。
「だが、ありがとう」
「腑に落ちないが。すまなかった」
「一言余計だ」と笑うチェチリアの顔は明るかった。気を取り直してくれたらしい。
彼女は弁当が入っていたバスケットから濡れタオルを取り出して、手を拭っている。
私は無造作に置いた上着の下から、隠してあった箱を取り出した。立ち上がり彼女のそばへまわり、
「チェチリア、これ」と差し出す。「誕生日おめでとう」
彼女は驚きの表情だ。
「なぜ知っている!」
「執事に聞いた」
「ああ、菓子をもらった時!あれだけでも十分に嬉しいのに!」
プレゼントを手にしたチェチリアは、本当に嬉しそうだ。
「開けてくれ」
彼女は頷いて、丁寧にリボンをとき、箱を開けた。
中を見た彼女の顔がみるみる上気して目が煌めく。
「かわいい!」
普段と違う一段高い声。
プレゼントは自室で使えるように、ガウンとスリッパにした。どちらもパステルカラーの花や小鳥の刺繍がふんだんに施され、可愛らしいリボンやもついている。
良かった、彼女の好みだったようだ。
チェチリアも立ち上がってガウンを広げ隅々まで見て、かと思うとそれをギュッと抱きしめ私を見上げた。
「ありがとう!すごく嬉しい!」
それはいつもの凛々しいチェチリアではなかった。
こぼれそうな満面の笑顔に弾んだ声。
普段との落差が激しい。
男前な衛兵のチェチリア。
そんな彼女が垣間見せる可愛げ。
この意外さが、絶対に男心をくすぐると思ったし、実際に評判は上々だ。
だが。ミイラ捕りがミイラになった。
今の笑顔に、私は心臓を撃ち抜かれてしまったようだ。