1・アドバイザー就任
『結婚は人生の墓場』
それを座右の銘にして独り身を謳歌していた友人が、突然、結婚を決めた。
彼は当代きっての遊び人と言われていたが、コロリと恋に落ちて素晴らしい伴侶を得、幸せそうだ。
そして空いてしまった『当代きっての遊び人』の座。友人たちは、その名誉を引き継ぐのは私だと囃し立てる。少し前なら、喜んで首肯していただろう。だが残念ながら、そうもいかない。
私、アントン・パヴェーゼは公爵家の跡取りで、現在、両親から一年以内に結婚しなければ放逐すると脅されているところなのだ。
まあ確かに。家督(しかも公爵家)を継ぐ身でありながら、27歳にして婚約者もいないのは外聞が悪い。遊び人仲間は沢山いるけれど、ほとんどが家を背負わなくてよい気軽な身の上の男たちだ。
だけど仕方ないではないか。政略結婚をした両親の仲は最悪で、それを見て育ったのだ。
『結婚は人生の墓場』
まさしくその通り。
しかしいい加減、私も腹を決めて相手を探さないとまずい事態になってしまった。今のままでは政略結婚をさせられてしまう。仲の悪いはずの両親が団結をして、あちこちのご令嬢の身上書を集めているのだ。
ちなみに今まで自由に過ごせていたのには裏がある。両親はそれぞれ外に愛人を囲っているのだが、それが誰でどこに住まわせているかを、どういう訳なのかお互い秘密にしている。
だから、それを脅迫のネタにして政略結婚を回避していたのだ。
だがそれも、もはや有効ではないらしい。
政略結婚は勿論嫌だ。
だけど結婚したい相手もいない。
まったくもって憂鬱だ。
◇◇
ひとりで訪れた王宮の夜会。広間に向かう途中で、なにやらいさかいの声が聞こえてきた。複数の女性だ。
元・当代きっての遊び人の掲げる『遊び人の条件』では、争っている女性たちがいたら仲裁に入らなければならない。
声は広間へ通じる廊下から左に折れた先の、柱の陰から聞こえるようだ。
先導してくれていた侍従に下がっていいと伝えて、そちらに赴く。
と、
「わかっています」
凛とした若い女性の声。聞いたことがあるような気がする。
「繰り返しますが、似合わないドレスで夜会に出たところで、良い結婚相手を見つけられるとは思えません。そう意見を言うのもいけませんか」
似合わないドレス。その言葉に好奇心が沸いた。
「意見なんて聞いてないわよ!あなたの唯一の武器はその胸!」こちらはやや年嵩のようだ。「ドレス姿でその胸を使ってたらしこむしかないでしょう!」
随分と下品な話題だ。ここがプライベートエリアならともかく、王宮の廊下だというのに。
「とにかく金を持っている年寄りを篭絡するんだ。分かったな」
その恫喝のような声音は男のものだ。女性同士の争いではない。足を止める。
「先に行くからな」と男。
なんとなく、柱の陰に隠れる。
「姉さん、頑張って」
今度は若い娘の声。言葉は良いが口調は明らかに揶揄を含んでいる。
すぐに目前を中年の男女と小娘が、こちらには気づかずに通り過ぎる。その彼らの顔を見て、嘆息した。
タラブォーナ伯爵とその後妻、彼女の連れ子だ。となれば責められていたのは。
柱の陰から出て足を進める。そこにはかつての同級生チェチリアがいた。俯いていたようだが、すぐにこちらの気配に気づいて顔を上げた。
私だとわかると彼女の表情は険しくなった。
「やあ。君のドレス姿なんて珍しい」
というか、もしかしたら初めて見るのではないだろうか。彼女は女性ながらに衛兵をしている。そのせいなのかどうなのか、私的に夜会に出るときも、衛兵の制服を着ているのだ。
「……何か用?」
「よく似合っている」
「世辞はいらない。この筋肉質の身体にドレスは不釣り合いだ」
確かに彼女の身体は女性的とは言い難い。がっしりした肩から伸びる腕は私よりも筋肉がついている。手には絹の手袋をはめているけれど、ぱっと見ただけでも大きい。ご令嬢らしい繊手ではない。
「確かに筋肉質かもしれないが、だからと言って似合ってない訳ではない」
「気休めはやめてほしい。遊び人の戯言を信じるほどの小娘ではない」
「本当なのに」
彼女はキツイ目で私を見上げた。
「庇護欲をそそられるようなたおやかさはない。だけれどまるで女王かのような力強い威厳がある」
チェチリアの顔から険が消えた。苦笑の混じったリラックスの表情。
「それは全く褒められている気がしない」
「大賛辞のつもりだが」
「下手な賛辞だ」
そうして彼女は大きなため息をついた。
「すまん、聞こえてしまったのだが。結婚相手を探しているのか?」
「まあね」
タラブォーナ家は三年前に後妻を迎えてから散財が激しくなり、近頃は金銭に困っているという噂だ。
チェチリアは、こっちに来てと言って、廊下の更に奥に進んだ。人目につきにくい一角で彼女は足を止めて声を潜めた。
「父たちは私を金持ちの老人に嫁がせて、相手の遺産をせしめる算段だ」
「だが伯爵家は君がつぐのだろう」
「父たちに祖父の遺言に従う気など、毛頭ない」
タラブォーナ家は古くからすぐれた軍人を多く排出してきた名家だ。彼女の祖父である先代伯爵も、王家を警護する衛兵隊の総隊長を務めた。
そんな彼の元には、跡継ぎとなる男児が生まれなかった。そこで愛娘と有能な部下を結婚させた。その部下が先刻チェチリアを責めていた現タラブォーナ伯爵だ。
この夫妻もまた、男児に恵まれなかった。そうして痺れを切らした先代伯爵は、末の孫娘を軍人にすることにした。
この国、いや近隣諸国を見ても、女性の軍人は数少ない。我が国の衛兵において、女性が占める割合は五分程度。一割にも満たないのだ。志す女性は少ないし、衛兵の採用は男性にとっても狭き門だ。
そんな状況の中チェチリアは、学校を卒業した年に試験を一発で合格して、見事衛兵となった。九年近く前のことだ。だけれどそれから間もなくして、母親は病で亡くなった。
そして三年前に先代が同じく病で帰らぬ人となった。
そのひと月後。彼女の父親は後妻を迎えた。男爵家出身とのことだが、聞いたことのない家名だし、彼女を知っている貴族もいないようだ。ということは貴族子女向けの学校に通っていないということだ。更に、上品とは程遠く、下賤な色気を振り撒いている。
そんな彼女は14歳の娘と7歳の息子を連れていた。これがどちらも現・伯爵に瓜二つだった。
それからこの母娘の派手な生活が始まり、伯爵は仕事の手を抜くようになった。
それまでチェチリアを、女だてらに衛兵などやりやがってと陰口を叩いていた人間が、彼女に同情するようになるぐらいに、タラブォーナ家は駄目になった。
それにしても、先代伯爵はチェチリアが婿を取り必ずその者が爵位を継ぐように遺言し、国王の裁可も下りていたはずだ。
私がそう言うと彼女は頷いた。
「だけれど私が私の意志で嫁に出ることは認められている。祖父なりに孫を気遣ったようだけど、それが裏目に出た」
「なるほど。経緯は分かった。だが君が大人しく従うなんて。何か弱みでも握られているのか?」
「まさか!」彼女は不敵に笑った。「父のことは三年前に見限った。あちらがそう来るなら、とことん戦う」
「君らしい!」
「従っているふりをして、良い結婚相手を探しているところだ」
「良い結婚相手?」
彼女は歴戦の戦士かのように、ニヤリとした。
「そう。頭がキレて共闘してくれる優秀な婿だ!」
思わず瞬いた。
「そんな男に心当たりがあるのか?」
途端に彼女は目を泳がせた。
「鋭意索敵中」
「索敵って」吹き出す。「敵じゃないだろう」
「……鋭意探索中」
「全然駄目じゃないか」
「……そうなんだ。大抵の良い男は既婚者だ」彼女は嘆息した。「優秀な人材ほどさっさと結婚してしまうらしい。学校出たてのひよっこか、妻に先立たれた壮年を探すしかない。しかも今のタラブォーナ家は借金もある。なかなか良い人材がみつからないし、いても断られる」
断られるとの言葉がひっかかった。つまり婿探しは計画段階ではなく、実行中ということだ。
「念のために聞くが、良さそうな『人材』になんて声を掛けているんだ?」
「『伝統ある伯爵位が欲しくないか?借金は私が背負う。あなたの優秀な頭脳をタラブォーナ再建に使い、後世に名を残す当主となろう!』だ。だが色好い返事をもらえたことがない」
そう言って項垂れるチェチリアは、心底困っているようだ。彼女は座学でも優秀な生徒だったけれど、この件に関しては最重要事項が分かっていないらしい。
「それはただの求人。結婚相手を探すなら、もう少し色気をつけろ」
「色気と言われても……」チェチリアは頬を赤くした。「……乳、揉み放題だぞ、とか?」
思わず吹き出す。
「乳!?」
「だって!」頬だけでなく顔全てが真っ赤だ。「義母がそう言って誘惑しろと!」
「確かに立派な胸だが、その言い方には色気もへったくれもないし、チェチリアには似合わん」
「……そうか」
再びため息をついた彼女は、まるで道に迷った子供のような表情をしていた。
こんな理不尽な状況になりながらも元凶の女を『義母』と呼ぶチェチリアの真っ直ぐさが、腹立たしい。そんな風だからあの寄生虫たちがつけあがるのだ。
「まあ、そこは追々改善する」とチェチリア。「こんな話を打ち明けたのは、あなたに頼みがあるからだ。遊び人仲間に、良い人材はいないだろうか」
瞬いて彼女の顔をまじまじと見つめる。
「……私たちの仲間を見下していた君なのに」
真面目な彼女は、遊び人と呼ばれる私たちとは距離を置いている。
「見下してはいない。仕事に関しては優秀な人たちばかりじゃないか。人間性に反発を覚えるだけだ」
「むちゃくちゃ嫌われているようにしか聞こえん」
チェチリアのまだ赤らんだ顔に、僅かにはにかみが浮かんだ。
「……すまない。どうにも口下手が直らない。けれどアントンの仲間は独身の次男三男が多いから。いや、自分勝手な頼みだな。悪かった」
だが私の気持ちは決まっていた。学生の頃、チェチリアとは何度か同じクラスで、それなりに親しかった。
「よし、協力しよう」
「協力?」
「私も結婚しないとまずい状況だ。他人事とは思えない」
「へえ。遊び人もついに年貢の納め時か。だがあなたなら幾らでも相手がみつかるだろう?」
「どうでもいい相手ならね」
「嫌な奴だ」彼女はふうと息をついた。「けれど助かる。父たちにバレないように行動しなければならないし、本当のところ、手詰まりなんだ」
私が右手を差し出すと、彼女はがっしりと握り返した。すごい握力だ。さすが衛兵。
「まずは最初のアドバイス」
「なんだ?」
「夫候補を『人材』呼ばわりはいかがなものかと思う。部下を探しているのではないのだからな」
「ならばなんて言えば良いのだ?」
「普通に『男性』だろ?」
「そ、そうか。確かに」
「『人材』も君らしくて面白いけどな」
「面白さより実利を取る」
「全く、君らしいよ」
そう言って、彼女をエスコートすべく、その腰に手を回した。
「何をするっ!!」
その瞬間、彼女は叫んで横に飛んだ。1メートルくらい。さすが衛兵、素晴らしい瞬発力に跳躍力……。
「いや、エスコートをしようと。広間へ行くだろう?」
そう答えながら、彼女はエスコートされる経験がないのかもしれないと思い至った。また真っ赤な顔をしている。
「エスコート……」
「そう。まずは一曲踊ろう。注目を浴びるぞ。君が美しく、素敵な妻になりうる『女性』だとアピールする」
夜会ですら衛兵の制服で参加する彼女だ。まずは男性諸君に、女性であることを認識してもらうことから始めたほうがいいだろう。
赤い顔のまま硬直しているチェチリア。
……いや。もしかして。
「女性サイドは踊れないのか?」
衛兵の制服は男性仕様のものしかない。それが凛とした彼女に良く似合い、その姿はまるで美少年衛兵だ。それが一部のご令嬢・ご婦人に大人気で、夜会ではいつもその女性陣たちと踊っている。
「……踊れると思うが、最後に踊ったのは学生時代、ダンス教師とだ」
「それなら大丈夫だな。君は運動神経が抜群だと聞いているし、私は教師並みに上手い」
「ただ、その、」
チェチリアが珍しく言い淀む。
「何か問題が?」
「……この格好だけでも恥ずかしいのに、更に注目を浴びるのは居たたまれない」
「共闘する婿が必要なのだろう?そんな弱気、君らしくもない」
「……」
そうだな、と彼女は小さな声で呟いた。
「分かった。ダンスを頼む。だが腰に手はやめてくれ。衛兵の私のファンもいる。あまりにイメージを壊すのは気が引ける」
「もしや女性のほうが好きなのか?」
「違う。女性の衛兵に理解がある人間は少ない。その好意は大事にしたい」
真面目だなあ、という言葉を飲み込む。彼女には当然のことなのだろう。
こんな実直な彼女が、あんな碌でもない家族に苦労させられているなんて、理不尽すぎる。
それに最近は自分の結婚問題でかなり憂鬱だった。彼女への協力は、気分転換にも、自分の問題を見直すにも良いはずだ。
アントン・・・『遊び人の卒業』にちょこっと出てきた公爵令息です。