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9:足踏み



 川を渡ったといってもすることは変わらない。

 これまでと同じくひたすら歩き続けることしか、生きるためにできることはなかった。



 辺りは変わらず針葉樹が囲む林の中。

 下草は滅多に姿を見せない。

 もともとなのか、白い絨毯の下に埋もれてしまったのか。


 あれから雪は降りやむ気配を見せていない。

 止むどころか、山頂に向かえば向かうほど強くなり、まるで行き先を阻むかのように真っ白な壁が必ずと言っていいほどに立ちはだかる。

 前後不覚にすらなりえるほど漂白されてしまった世界の中では、地を踏みしめる感覚と川の音だけが道しるべだった。


 山頂方向へとほぼまっすぐに川が伸びていることもあって、つかず離れずに移動し、水が必要な時だけ川へと向かう。


 しかしそれもいつまでできるかわからない。

 どんよりとした不安が、このところのユリシスの心を占めていた。

 意識しなければ耳に届かなくなるほど、川の音がどんどん弱くなっていってるのだ。

 今に至っては、聞き逃さないよう進路を変更し、時には川に降りてまで何とか凌いでいるのが現状だった。


 雪に音が食われている。それもあった。しかしもっと単純に、川の水量が減っているのだ。川の上流ももはや上り切り、残るは水源地へと辿り着くばかりかというほどに荒々しさは鳴りを潜め、勢いばかりの小さな流れへと変わってしまった。


 天候不順による視界不良に、どんどん悪くなるばかりの道中。そのうえ道案内すら失ってしまえば進むものも遅々として進まない。

 そのため雪や寒さを凌げそうな場所を見つけるとその日はもう休む、そんな日々が続いていた。


 感覚的に、もうすぐ山頂のはずなのだが。



 ***



 急造の雪洞の中、やけに煙臭い肉にかじりつく。何の味付けもされておらず、とてもおいしいとは言えない。それでも作られたばかりだからか、肉がよかったのか、はたまた調理の仕方が悪かったのか、持たされた干し肉より随分柔らかい。

 量も食べ応えも十分以上だ。

 野外で何の設備もなしでは十分な処理ができなかったため、保存可能な期間に難があると思い先に消費しているのだが、まだまだ余裕がある。


 最近の歩みの遅さを考えると、村から持ってきた食料だけだったらそろそろ飢えに襲われていたことだろう。

 あの日山兎を捕まえられたのは本当に幸運だったようだ。


 幸か不幸か、動物だけでなく魔物も〝例外〟を除いてまったくいない。


 あれから罠を仕掛けてもせいぜい小さな兎や冬鳥が引っかかる程度で、それも二、三回程度のことだ。肉付きも朝と夜で食べきってしまうくらいにはささやかなもの。


 土喰らいの縄張りを抜け、川を渡って暫くの間は魔物との遭遇も多かった。それらを何とかやり過ごしながら山を登っていくと次第にその回数も減っていき、とうとう一切と言っていいほどに見なくなった。


 最後に見かけたのは狼や鹿の死骸に群がる白い毛むくじゃらの何か。背中しか見なかったため曖昧ではあるが、まず知識にない魔物だろう。

 大きさは遠目に見て膝くらいのものなのだが、群れで行動していることもあってこの雪の中では恐ろしい捕食者足り得る。

 しかし隠れているのかその外見ゆえ見逃しているのか、そいつらも数回の遭遇以外は目にしない。


 同じ連中にやられたのか、動物の死骸ばかりは転がっているのでどこかに潜んでいることはたしかなのだろうが。



 当の死骸のほうは案外ありがたいものだった。

 何せ何の苦労もなく毛皮を得られるのだ。

 気温のせいか死骸の腐敗もそれほど進んでおらず、腹部を中心に食い荒らされることから背側はおおよそ無事。肉こそ食べられそうになかったが皮のほうは以前と同様の処理をすれば問題ない。


 先に進めないほどに雪の濃い日などは余計なことを考えずに没頭できる作業が得られるという意味でも助かっていた。


 そうして得られたのは手触りの良い鹿の毛皮、狼と、おそらく何かの魔物だろう固く、ごわごわとした毛皮。サイズも大きな魔物の毛皮は外套としても利用できるだろう。そうでなくとも寝る際の毛布代わりに重宝している。

 寒さのせいか、それとも感覚がすっかり鈍ってしまったのか、獣臭さはまるで気にならない。


 迷ったのはやはり骨だ。

 肉が食べられない以上骨くらいは、と思いはしたがどうにも具合が悪い。兎の骨も、結局何に使うでもなく捨ててしまった。

 唯一、魔物の鋭い牙と爪だけは確保してある。最悪ナイフや鉈を失った際、代用品にすることになるかもしれない。




 しっかし生憎今日はするべき作業もない。

 雪が入ってこないように狭めた雪洞の入り口、そこに垂らした布切れをめくって外の様子を眺めるくらいだ。


 昨夜からずっとこの調子だった。

 どれくらい時間がたったのか、日の様子も伺えない以上それすらもわからない。


 腰を下ろした傍には昨日の日没前に集めたばかりの木の枝が焚き火の火に当てるようにして置かれている。

 雪を掘り起こさなければ見つからなくなってしまったそれらはほとんどが湿気っているのだ。こうして乾かして、次に火を熾す時までに残しておかなければならない。


 実のところ薪の量は食料以上に困窮していた。それこそ雪の中でもわざわざ探しに行かなければならないほどに。


 こうして無為に時間を過ごすのも。そう考えて腰を上げようとした矢先。


「あ」


 座り込んだ足元がもぞもぞと動く。

 外と違い踏み固められた雪の地面がぼこりぼこりと盛り上がっていく。

 次に起こることを察したユリシスはじっとそれを眺める。


 腕を構えながら。


 数拍おいて、ひょい、とそれは頭を出した。


 透き通った白色の小さなトカゲだ。

 今まさに飛び出したばかりで、頭に雪をのっけたままの小さな頭。手のひらより小さいそれをむんずと掴む。

 突然頭を押さえられてじたばたと暴れるが、口を封じられてはどうしようもない。幼い爪では蓑を割くことすらできない。


 手早くナイフでとどめを刺すと、ユリシスはまたじっと地面を見つめ始めた。




 熱にでも誘引されているのか、ぽこりぽこりと盛り上がるのを何度か繰り返した後。

 焚き火には四本の串が炙られていた。

 解体ももはや手慣れたもの。きれいに捌かれた蜥蜴肉が開きにされている。


 ただの蜥蜴では、おそらくない。

 雪の多い地方でよく見られるという魔物――ニーウェルム、その幼体だろう。

 この悪環境の中頻繁に姿を見せる、唯一の例外がこいつだった。


 冬季に村の外に出ることなどなかったからか、村では遭遇した記録は残っていない。

 口づてに知った話では本来は人間の大人以上の大きさを誇るらしいが、この姿からはまるで想像もつかない。


 寒冷地に適応し、冬場にも冬眠しない魔物。

 それらの存在はこの雪山越えにおいて脅威になるだろうと思っていたが、まさか食料源になるとは思ってもいなかった。


 魔物とはいえ生物であることに変わりはない。いっそ達観したといっていい観念を持つに至ったユリシスにとって、もはや餌もない釣り針に飛び込んでくる魚のような存在だ。

 味は悪い。

 身も少ない。

 それでも肉であることに変わりない。

 幾分腹の足しになることに変わりない。


「やまないなあ」


 じんわりと焼き色が広がっていく肉に一瞥をくれた後、また雪洞の外へと視線を向けた。



 ***



「……しくじったな」


 寒々しい音を伴って、強い横風が体を殴りつける。防寒着の上からでも凍えそうな程に寒く、指先から徐々に痛いくらいの冷たさが広がってきていた。



 晴れ間を狙って雪洞を発ってからすぐというもの。僅かな陽光は空の気まぐれだったようで、引き返す間もなく天候は様変わりした。

 始めは粉雪。次いで山の頂上から風が出始め、終いには吹雪というありさまだ。


 体を襲う白い凶器群はこれまでの比ではないほどに凶悪だった。

 雪洞まで引き返そうと振り向こうものなら容赦なく体を冷たいカーペットに沈ませようとしてくる。

 半ば屈むようにして、風に向かって歩くことでしかバランスが取れず、やむを得ない形でユリシスは歩を進めていた。



「こんなことで……死んでたまるかっ……!」


 視界もゼロに近く、真っ赤になっているだろう耳だって吹雪の音しか捉えない。

 歯の根が揺れる振動が止まりそうな頭を気付け、辛うじて意識を保っているようなものだった。


 僅かにでも風の弱い瞬間、方向を見計らって亀ほどにゆっくりに、しかし着々と歩みを進めるも、体感としてはぐねぐねと蛇行しているようで本当に進んでいるのかがわからない。


 頭の裏側までホワイトアウトしそうな中を手探りで進み、ようやく手に触れるものがあった。それを頼りに体を起こすと、若々しい木の幹が体を支えてくれていることがわかる。

 山頂に近づくにつれ少なくなっていた木々だったが、まるきりなくなったわけではない。


 樹林とはいいがたい、ひと塊だけの木々の密集地帯にたどり着いたことで僅かながらに余裕ができた。

 しかし、逞しいはずの木々もしなるほどに吹雪はすさまじく、助けにはなっても風除けにはなってくれない。



 この中を進むのは自殺行為だ。そう頭は判断し、どこか風をしのげる場はないかと視線を這わせてみるが、結果は芳しくない。何せどこもかしこも真っ白なのだ。

 しかし、機能しない視界とは別に、体は一方向のみ風の弱い方向を感じとった。


「あっちか……」


 半ば反射的に足は動き、木々をたどって歩き始めた。

 地を踏むたびに足が膝下あたりまで沈み込む。膝から下がすっぽ抜けそうになりそうだった。


「もうすこし……」


 口を開くたびに冷たい空気が口内を襲う。

 しかし、言葉でも発していないと自分の体が動いているのどうか、いまいち実感も持てない。



 途中転んだり、瞬間的な強風に耐え忍んだりしながら、ユリシスはようやく吹雪という脅威から身を隠すことができた。


 二割ほど取り戻せた視界が映したのは凍りかけの壁面だった。

 風が弱い原因は、山肌の一部が崖になっていたからのようだ。そして、壁面にはぽっかりと暗い大穴が開いている。


「洞窟……」


 洞窟に入るのはためらわれた。

 何せ、何かの住処になっている可能性が高いからだ。しかし、こうしていても急速に体温は奪われていく。

 仕方なしに、ユリシスは仄暗い洞窟へと足を踏み入れた。



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