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20/22

20:峠



「クソッ!」


 ミシミシと背後で嫌な音が響き渡る。それに続くのは弾け飛ぶような轟音だ。

 立ち並ぶ木々が紙のように薙ぎ倒され、雪も地も捲りながらにどしりどしりと足音が迫る。


 僅か後方で手を繋ぎ、引っ張られるように走る彼女へと横目を向ければ、まるで固まってしまったかのように変化のない、必死の形相が映り込む。

 それを見るだけで胸が締め付けられるような感情が湧き上がってくる。いつの日にか空いた胸の穴から、どうしようもなく心を冷やす寒い風が吹いてくる。


――今度こそ、今度こそ救うんだ。


 繋いだ手は、まだ温かい。


 この温もりだけは絶やしてなるものか。

 白い首筋に穴など開けさせてたまるものか。

 内に秘められるべきものを暴かせてたまるものか。

 命の源を吐き出させてたまるものか。

 揺れる瞳を昏い海に沈めさせてたまるものか。


「……シュルヴィっ、」


 走るのに精いっぱいで、息も絶え絶えでは問いかけに答える余裕はない。恐怖が色濃く浮かんだ目だけが動き、ユリシスの瞳を捉えた。


「あいつ、諦める気がないみたいだ。撒けもしない。こっちの体力がっ、尽きるほうが、早いと思う」


 『だから』


 そう続けるはずの言葉は腹に響き、腑の底までを凍らせるような悍ましい咆哮に掻き消される。


 繋いだ手が強く握られる。

 走っていてはわからないはずの震えすらも伝わるようだ。

 咆哮に竦み、キュッと瞑られた目をもう一度呼びかけることで開かせる。

 今にも泣きだしそうな顔だ。

 それでも目尻にたまったそれは零れ落ちない。


 なら、大丈夫。

 この子は強いから、きっと大丈夫。


「だから――」


 どこも似たような景色が広がる深い森の中、木々の天井に穴が開き、ちょっとした広場のように開けた空間。そこに集まる白い化粧をした岩や倒木の群れ。少しは身を隠せそうな岩陰に彼女を連れ込んで――そしてユリシスは自身の荷物を下ろした。


「なにをっ」

「使えそうなもの、持って行っていいから――」


 疑問の声を塗り潰し、崩れるように座り込んだ彼女の肩を優しく、しかし力強く掴んだ。

 そして、強引に目を合わせる。熱い吐息が混じり合うほどに顔を寄せて。白く浮かんだ霧が優しく頬を湿らせた。


「――だから、ここからは一人で行くんだ」


 未練を断ち切るように。そして有無を言わせぬほどに強く、そう告げた。


 絶句する彼女を背も覆えるような岩に押し付けて、掴んでいた肩も離した。


 青い水面が、これ以上ないほどに波立っていた。


 驚愕と、きっと悲しみか。

 そんな顔はしてほしくなかったが、怖がる顔なんかよりはよっぽどましだ。


 整わない、荒い吐息のまま彼女は何事かを言おうとする。しかしかえってむせてしまう。

 ならばと伸ばされた手は、そっと振り払った。


 力も抜け、震えた膝では立ち上がることもできないみたいだった。


――なら、こっちに近寄らせることもしてはいけない。


 立ち上がって。背を向けて。

 腰に差していた斧を静かに引き抜いて。


 ツルハシは……置いていこうか。力のない彼女とはいえ、振るえないほどでもない。ナイフよりはよっぽど心強い武器になってくれるはずだ。



 猛り狂う咆哮も、嵐のように暴れまわる音も、もうすぐそこまで来ていた。


 何を失ってでも彼女を生かす。


 ただその一心でもってユリシスは覚悟を決める。とっくに固めていたそれを、さらに固く、固く、固く、固く誓う。


 最後に一目と振り返ることもせず。岩場を後にした。



「――待って! 行かないでっ!」


 背中越しに、そう聞こえた気がした。



 ***



 薙ぎ倒された木々、撒き散らされた雪煙と――辺りに満ちる荒々しい威圧。


 獲物が逃げるのを止めたのを悟ったのか、癇癪のような轟音は次第に収まり、最後には地を揺らす足音だけが残った。


 のそりのそりとそれは近づく。

 木々を掻き分け、下草を踏み鳴らし、雪に大きな足跡を刻みながら。


 枝葉に蓋をされ、陽射しの僅かにしか届かない薄暗い影の中。それは朝靄に静かに巨体を映し込む。



 嵐の後に姿を現したのは、異形の巨人だった。



 見上げるほどには高く、手をかけ、そしてへし折った樹木よりは低い。

 二足で立っていても地に届くほどその腕は長く、体のアンバランスさを補うように姿勢はやや前傾に。必然的に突き出された顔は金の双眸がギラついていた。


 怪物だ。

 目の前にいるのは間違いなく怪物だ。


 〝憎き〟怪物だ。


 金の双眸と睨み合うように、琥珀色が鈍く煌めいた。

 構えた斧の、握った柄がギシリと軋む。白金を巻いた腕に赤いものが一筋だけ走った。


 憎い。

 憎い相手を睨み付ける。


 本来は関係のない相手だ。それでもお前たちだけはダメなのだと。


 相反してそれは醜く笑った。

 歯ぎしりをするように顎を揺らし、そのたびに粘度の高い涎が口を伝う。掠れたような高い声で鳴くたびに剥き出しで、しかし瘡のようにぶつぶつと盛り上がった重厚な喉が波打った。

 嘲笑うかのような下卑た笑みだ。



 全身は枯れ木に混じるかのような灰茶の毛。

 しかし所々が抜け落ち、代わりにのぞく瘡や鱗のように硬質化した皮膚はそこらに転がる岩のようだ。

 毛に覆われた異形の腕を先まで辿れば、鋭さを僅かに残す程度の爪がやたらめったらに折れ曲がっているのがわかる。同じように、獲物を見つけ、嗜虐性を隠さずニィと剥き出した牙も砕けて不揃いだ。


 面長で平べったい、炭のように鈍い黒の顔面は愉快気に歪められ、浅く突き出した鼻の頭にはしわが寄っている。



 それは一声鳴いた。


 何の合図か。

 狩りの合図か。

 それとも相手を嘲っただけか。

 へし折った木を見せつけるかのように振り回し、そしてそれも飽いたのか遥か後方に放り投げた。


 深く裂けた醜い口から歯列が覗く。ぬらぬらと涎がしたたり、途方もない熱量を含んだ吐息が深い霧を作る。


 悍ましい。

 恐ろしい。

 生命の危機よりも、狂気的な恐怖に背筋が泡立つ。



 もう一度、一声鳴いた。

 今度はわかる。

 今度こそ、合図だ。


 巨人が、猿の顔をした巨人が――ウェトル・シルワトローが。

 大地を捲り上げながら動き出した。



 ***



 長い腕をしならせて、引っ掻くのでもなく、殴るのでもなく、叩き付けられた。

 鉄でも仕込んでいるのではないかというほどに重い一撃は文字通り大地を叩き割り、深く積もった雪を散らし、土の地面に長い傷跡を刻み付けた。


 大振りの一撃。

 どれだけ動きが早かろうと躱すのは容易かった。


 しかし、撒き散らされた雪と土の飛沫、そして衝撃は避けられず、思わず腕でもって庇ってしまう。


「――もう一回かっ!」


 そして腕の隙間からのぞいた光景は、もう片方の手を高く掲げる巨人の姿。


 再びの轟音と衝撃。

 ユリシスは無理にでも体勢を立て直し、間一髪に回避する。振り下ろす腕に圧され、弾け飛んだ大気が鼻先をかすめた。


 だが、それで終わらない。


 思わず目を見開いた。

 視覚が捉えたのは引き戻された腕。そして、振り下ろされる腕。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も繰り返される鉄槌の嵐だ。


 殴打音に紛れる楽しそうな、狂気的な笑い声がひどく耳障りだった。


――クッソ!


 巻き上げられた土が壁のように広がる。波のように襲い掛かる。目もろくに開けられず、揺れる大地に足が取られる。

 それでも止まるわけにはいかない。止まったらぺしゃんこだ。

 叩き付けられる腕が、追い詰めるように僅かに、少しずつ、追いかけてくるのだ。


 視界が使えない以上、風切り音を頼りにユリシスは必死に足を動かした。後ろに下がり、横に飛びのき、転んでしまえば前転も横転もしてでも距離を取る。



 何度巨人は地を叩いたのか。

 静穏が戻ってきた頃には深く掘り返された黒い土が一帯にばら撒かれ、黴臭い土の臭いが獣臭さに加わり息をするだけで気分が悪い。

 土煙が晴れ行くのを睨みながら、転げまわり、体にこびりついた雪と土を払いユリシスは立ち上がった。


 巨腕が横薙ぎに振るわれ、煙が風に散る。


 巨人が再び顔を出す。しかし現われた醜い顔は、ひどく不快そうだ。

 己が拳と掘り返された地面、そして潰れていない獲物を見比べ。



 ウオゥ、ウオゥと喉を震わせた。


 今までと違う、嘲りとはまた違った色を持つ吼え声。本能に訴えかける純粋な恐怖が呼び起こされ、体中が、筋肉が、細胞の一つ一つまでが固まってしまうように委縮する。

 巨人の咆哮は次第に高ぶって行き、目が血走っていき、再び癇癪でも起こしたかのように地を拳で叩き――――そしてついに激昂した。



 大地の飛沫を上げて、巨人が飛び出す。

 いつの間にか開いていた距離などたったの一歩で詰められた。

 舌打ちをする余裕なんてない。

 眼前には叩きつけではなく抱きこむように広げられた巨腕が迫っている。飛び越えられる高さではない。右にも左にも逃げ場がなければ、ユリシスは這いつくばってやり過ごすことを選んだ。


 大鋏のように勢いよく閉じられた二本の腕が頭上を掠めていく。しかし辛くも避けた腕の代わりに今度は毛むくじゃらの膝が迫っていた。

 攻撃でも何でもない。ただ踏み込んだ体を止めるための行為。

 地を這っていては動くのもままならず、何とか横に転がるもユリシスの体は巨人の足の指先に引っかかってしまう。


「ングッ――」


 たったそれだけで抉られた腹部に熱が走り、せりあがってくる嘔吐感に顔が歪む。


 蹴り飛ばされた先は巨人の斜め前。

 転がってきた獲物を目の前に嗜虐性を過分に含んだ笑みが零された。


 休ませてくれるわけなどあるはずもなく。

 痛みに呻く暇もなく、ユリシスは振り下ろされる鉄槌をやはりゴロゴロと転がって回避した。


 無様だ。無様を晒している。

 その上確実に追い詰められつつあった。回避も危うく、一度のミスがそのまま生命の危機にまで繋がっている。


 別に、勝てなくたっていい。

 かっこよさなんて求めておらず、プライドなんてものは端からない。

 どれだけ土に塗れても、血に汚れても、目的さえ達せられれば構わない。


 しかしそんな自己を犠牲にした心理でもって臨み、そして回避に専念しようが、後手に回っていては時間すらも稼げない。

 そのことに気付いてしまった。


 まだ、数えるほどにも時間は過ぎていない。

 彼女が街に辿り着くどころか、森を抜けるどころか、立ち上がれる程にも時間は経っていない。



 ユリシスはもはや雪も痛みも払わずに立ち上がる。


 追撃の鉄槌もそのまま拳の届かない位置まで駆け抜ければ意味がない。

 後ろに下がるのではない。

 拳よりも、前へ、前へと駆け抜ける。


「……だったら! 嫌がらせ、してやるよ。覚悟しとけっ」


 しぶとく生き長らえて、死ぬまで嫌がらせをしてやる。人に関わろうなんて思えないほどに。


 何度転がされようが手放さなかった斧を握り直した。



 鉄槌が下される。しかし槌は何も捉えず、狙った獲物は既に懐に潜り込んでいた。

 今度は巨人の目が驚きに見開かれる番だ。

 こざかしい虫けらが生意気にも自分目掛けて突っ込んでくる。そのことに一瞬理解が追い付かなかったのか、腕を振り下ろした体勢のまま硬直した。


 そんなあからさまな隙を見逃すわけがない。

 ユリシスはそのまま伸びきった腕、その関節目掛けて、腰溜めに構えていた斧を豪快に振り上げる。


 悲鳴ではない。怒気が撒き散らされた。


 肘を横から殴りつければ刃は筋肉にも毛にも守られない硬い骨を打った。

 浅く皮だけが裂ける。

 縦に裂けた傷口からは碌に血も噴出さず、殴ったこっちの手に痺れが走る始末だ。


「チィッ!」


 それに構わず斧を引き戻し、ユリシスは下がるのではなくより前へと突き進んだ。

 今度はもっと有効な一撃を与えるために。


 長い腕は厄介だ。

 遠くまで届くし、太さも兼ね備えた巨腕は容易く飛び越えられる高さでもない。先のように逃げ場を塞がれてしまえば回避もままならない。

 しかし懐はどうだ。

 アンバランスな腕は懐に潜り込んでしまえば引き戻すことすら時間が掛かる。


「ウラッ!」


 ユリシスは巨人の眼前に飛び出した。

 拳を振り下ろした後の前傾姿勢のままでは膝も飛んでこず、無防備だ。

 この状態で、相手に取れる手段といえば。


「それだけだよなぁっ!」


 ウェトル・シルワトローの懐はともすればデメンコラよりも安全かもしれない。何せ自由に動かせる肢が四本しかないのだから。


 生臭い怒気を伴って、巨人の悍ましい牙が迫る。そのまま食いちぎってやらんとばかりに広げられた顎、ユリシスはそれを斧を叩きつけて抑え込む――否、力負けして飛ばされた。

 それでもかまわない。

 毛皮に覆われていない鼻の頭に刃がめり込み、浅いとはいえ傷を付けられた。



 幅の広い刃に少なくない血肉が付着する。

 相手が人ならば、それこそこれだけで死につながりそうなほど。しかし相手は自身の三倍近くも背丈のある相手だ。人間で例えるならば指先を刃物で切ってしまった程度だろうか。あと何度叩けば倒れるのかまるで見当もつかない。


 得られた成果に一喜も一憂もせずに器用に着地し、斧にこびりついた血を払う。


 切り付けられた巨人はといえば、痛手にも及ばないそれに怒気を増し行くばかりだ。

 眼前に降りた獲物を憎々しげに睨み付け、握り潰してやろうと手を引き戻し、獲物の元へと向かわせるも、遅い。


 ユリシスは後ろ振り返ることなくまたすぐに動き出す。背後から迫る手を感じながら、捕まらないようにさらに前へ、前へと突き進む。


 再度噛り付こうとする頭を今度は素通りし、そのまま股の間を潜り抜けて巨人の背後へと回った。

 無理な体勢では蹴りも飛んでこない。


 振り返れば獲物を逃がし、憤慨に地団駄を踏む巨人のごつごつとした背が広がっていた。

 ユリシスは地の揺れに若干ふらつきながらも耐え、今まで一度も目にしなかったその背をじっと見つめた。



 ごつごつしているのは、骨だ。

 灰茶の毛に覆われながらも異様に逞しい背骨が肌を突き破らんばかりに浮き出ていた。

 痩躯というわけではない。

 背の筋肉は巨腕を振るうためだろう、異様に発達し分厚く盛り上がっている。


 巨体を支えるため単に骨がでかいのか、筋肉に押し出されでもしたのか、それとも筋肉が重力に負けているのか。


 猿顔――シルワトローは基本的に四つ足で歩く。一方で寿命という枷から解き放たれるほどに年経た個体であるウェトル・シルワトローはその限りではない。これまでもずっと二足でもって動いていた。

 しかし、前傾姿勢であることには変わりない。


 隆々とした筋肉はそれだけで重量がある。

 まして岩ほども堅そうな皮膚、そしてその下の筋肉にいったいどれほど肉が詰まっているか、想像もつかない。

 自身の体すら支えられないほど異常発達してしまったのだろうか。



 僅かな間思考の海に沈むも、じっくりと推察する暇もない。視界が捉えた変化にユリシスは渦巻く思考を断ち切った。


 視界に飛び込んだのは――やはり拳だ。


 左足を軸にして背筋がうねり、腰がねじれ、長い、長い裏拳が飛んでくる。

 狙いも何もあったものではない。体を生かした強引な一撃だ。


 大質量の回転に大気が押し出されて突風が巻き起こる。風が舞い塵が舞い、巨腕が駆ける。


 これは、避けれない。リーチが長すぎる。

 走ろうが横に飛ぼうが逃れられず、先の失敗を学んだか大地を削りながら迫る拳は下をすり抜けるほどの隙間もない。


「――クッ!」


 逃げ場を失いユリシスは歯噛みしながら立ち尽くす。

 のではなく、じっとあるタイミングを待ち構えていた。


 剛腕に体が弾き飛ばされる寸前、ユリシスは空いた手でその巨腕を引っ掴んだ。掛かる物凄い圧力、それを腕を曲げることで勢いを殺す。それでも人間程度のひ弱な体ではまったく足りず、関節が悲鳴を上げていた。


 そのまま耐えようとず、勢いに身を任せて飛ばされる。弾き飛ばされるのではなく、放り投げられる形でユリシスは宙を舞った。


 防ぐより、諦めるより、痛みを伴う回避を選んだのだ。


 上空に放たれ、込められた力がそのまま飛距離へと変換される。追撃が即座に届かないほどの距離を、走るより早くに得る。それで例え怪我をしても死ぬよりはましだ。動き続けられるなら何の問題もない。


 幸い途中幹にぶつかるようなこともなく、何十何百の枝に受け止められながらユリシスは地に落ちた。


「っ痛ぅ……」


 幾分枝に勢いが殺されたとはいえ、地に打ち付けられた体には尋常ではない痛みが走る。

 ごろごろと地面を転がり、頭上からは木の葉も枝も雨のように降り注ぐ。


 毎度のごとく体中が痛い。目がチカチカとする。

 それでも体が潰れかねない一撃を直に食らうのと比べてどれだけマシか。

 雪の上に長い線を残してようやく勢いが殺された。震える手足でもって立ち上がれば、木々に遮られ巨人の姿は見当たらない。


 飛ばされた方向は――


 ふらつく頭を動かして視線を上げれば、枝が折れ、幾層と重なる木々の天幕、その最下部付近に穴が空いているのが見て取れた。

 ユリシスが通った道だ。


 巨人の背後に回って、斜めに飛ばされた。

 最も遠くはないが、元来た道から離れていく方向のはずだった。


――こっちなら、いい。


 胸を撫で下ろし、僅かに頬が緩む。

 これで元の位置にでも飛ばされてしまえば何の意味もなかった。


 安堵も束の間。

 ピクリと体が揺れる。

 耳が異音を捉えた。

 体に響く、重い音だ。

 それを理解し、再び安堵した。

 ずしりずしりと地鳴りが木霊する。激昂を上げながらそれはユリシスのもとへと近づいてくる。


 巨人の足音だ。

 死を告げる足音だ。

 逃すつもりはまるでないらしい。


「そうだ、追いかけてこいっ……!」


 だが、それは望むところだ。

 それこそが望むことだ。

 ユリシスの目的は一貫して変わらない。

 こいつを、ウェトル・シルワトローを、守るべき者へと近寄らせない。ただそれだけだった。


 恐怖を捨てろ。

 痛みを忘れろ。

 命を落とすことを決して厭うな。


 今が、今こそが全てを擲つ時だ。


 木々を薙ぎ倒し、絶望が顔をのぞかせる。

 相反するように浮かんだ歪な希望が、絶望を塗り潰す。



――今こそが、もう一度与えられた償いの時だ。



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