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11/22

11:きょうそう



 人間の足の早さなんてたかが知れている。手を使う万能さこそあれ、二足歩行と四足歩行では地力が違うのだ。


「クソッ、しつこいッ!」


 背後にはすでに魔物が迫っている。

 何度払おうとも懲りなく追いかけてくる。

 何度撒こうとしても目敏く追いついてくる。


 途中拾った石をぶつけたところでほんの少し怯むだけ。ナイフを振るってもそれは同じだ。


 侵入者の正体は小型の魔物だった。

 見たことはない。暗さと、そして考えている余裕などない状況もあって知識の中からその名を探りあてることもできない。


 異様に体高が低く、まるで地を這うかのような追跡者。

 吹雪の中歩き回っていたからか、体にはえらく雪が積もっている。


 連中の姿形から何か思い出せそうで、しかし焦燥感が即座に塗り潰してしまう。



 魔物は目算で七匹。

 後続がいなければいいのだが。そう思わずにはいられない。小型の魔物はよく群れる。

 七匹でも手に負えないというのに、これ以上増えたら万に一つの希望も潰えてしまう。


 いや、それよりも。

 先の猿顔の襲撃がどうしても思い出され、言いようのない感情が湧き上がってくるのを止められない。

 箍の一つや二つ、外れてしまいそうだ。



 甲高い吠え声が一つ。

 洞窟内ではよく響く。

 それを耳にするや否や、ユリシスは背後を振り返ることもなく横に体をずらす。間髪入れずに、ユリシスのすぐ脇を影が通り過ぎていく。

 すれ違いざまの横顔はひどく恨めしそうに見えた。


 一瞬、左肩に熱いものが走る。

 同時に、藁が宙に舞う様子を幻視する。

 目を向けるまでもない。数条の赤い線が新しく肌に走っただけだ。

 もう、いくつあるかもわからないそれを気にする必要なんてない。


「っと」


 今度は体をずらすだけでなく進路そのものを変える。急な方向転換に走るペースも落ちるが、背後に聞こえる小さな悲鳴を聞くに問題はなさそうだ。


 彼らには急に目の前に大岩が飛び出てきたように見えただろう。ユリシス自身だってそうなのだ。

 当然急な地殻変動なんてことではない。岩は元からそこにあった。ただ、見えないのだ。

 いくら目が慣れたとはいえここは光のささない洞窟の中。手にした蝋燭の火も走っている最中に消えてしまった。今は革袋の中。代わりに握っているのは小さなナイフ。


 暗闇の中を、魔物の脅威と先の大岩のような天然のトラップ、そして迷路と見紛うほどの複雑怪奇な地形に気を付けながら走らなければならない。

 命がけの逃走劇は随分と障害が多い。

 何の冗談だと悪態の一つでも吐きたくなる。

 余裕があれば、間違いなくしていただろう。


 道順なんて覚えていないし、記憶なんて曖昧だ。それでも今の今まで行き止まりに当たらなかったあたりまだ運は見放していないようだった。


 それに、


――こっち。


 ユリシスの足に迷いはない。たった一つの、吹けば消えそうな、しかしそれにすがるしかない手がかりを頼りに走っているのだ。


 一寸の先も見えぬ世界。

 自身の荒い吐息と足音、そして心拍の音。

 魔物の悍ましい吐息と足音、そして吠え声。

 走る体は風を切り、全身の裂傷は熱を持つ。


 そんな最悪なコンディションの中で、洞窟のどこかから漂う風の音を、風のにおいを捉え、頼りにしていた。


 それは本来なら止まってでもいない限り感じ取れないわずかな空気の揺れでしかない。


 視界は奪われたといっていいほどの極限状態だ。そんな中で死を乗り越えるために最大限にまで引き上げられた全神経、全身体能力。

 それらが無理を押し通し、たった一つの生き残る道を掴み続けている。


 どこかに別の出口がある。

 風の根元に出口がある。


 ただの可能性。

 先の探索では壁や天井の亀裂しか見つけられていない。

 だが、洞窟はまだまだ広いのだと、出口がないとは決まったわけではないと。

 分の悪さすらも測れない賭け。

 それに賭けたのだ。



 一本道もとうに終わり、枝のように伸びる分かれ道。ユリシスはもはや直感に等しい早さでその一つに飛び込み続ける。


――洞窟を抜けて何になる。


 防壁も張れない心に闇よりも濃い影が問いかける。


――奴らも追ってきて、何も変わらない。


 それもそうだ。雪の積もった大地なんて走りにくいし、逆に不利になってしまうだろう。


――なら、


 だが、壁にぶつからないだけ上等だ。

 吹雪の中なら連中も追ってこないかもしれない。何せ、洞窟に戻れば苦労せずとも肉はありつけるのだから。


――諦めようよ。


「まだ死ねないんだっ……!」


 最後まであがき続けて、そして生を勝ち取らなければいけないんだ。

 追ってくるなら、逃げられなくなったらその時は迎え撃てばいいだけだ。

 死が訪れるその時まで死を選ぶことなんてできやしないのだ。


 音の乱れを耳が捉える。

 考えるより先に体が動く。わずかに身をそらし、今まさに通り抜けていくその細長い体にナイフを添わせる。


 今度は魔物に赤い条線が走った。

 致命の傷にはなりえない。苛立たし気な唸り声が返ってくるだけ。



 だが。

 魔物だって、生き物だ。

 なら血を流せば死ぬ。

なら、殺せない道理はない。


 追い詰められたなら、その時はその時だ。

 迎え撃つだけだ。

 腹をくくるだけだ。

 全部、殺してやるだけだ。



 ***



「……チッ」


 舌打ちもしたくなるだろう。

 吹き付ける冷たい風が体を撫でる。

 必死に手繰り寄せていたかすかな風とはまるで違う、芯まで凍り付かせそうな、死を孕む風。

 それは紛れもなく外からのもの。

 雪すらも伴った、ユリシスが逃げ、そして求めたものだ。



 しかしそれは――無情にも上空から吹き降ろされていた。


 ユリシスは憎々しげに天を見上げる。

 大きく亀裂の走った、天井を見上げている。


 一筋しかない、闇色の夜空。

 寒々しい天井からは月光が差し込み、淡い光がユリシスを照らしていた。

 地には薄っすらと雪が積もり、凍り付いた大地が光を散らす。

 吹雪すらも、いつの間にか止んでいたらしい。それももはや、何の好転ももたらしてくれないのだが。



 これまで何とか手繰り寄せていた運もとうとう尽きたようだ。

 風を頼りに走った先は、一つの横穴だった。

 続く道はなく、円形に広がった空間には何もない。逃げ場も、そして希望すらもなかった。



 唸り声を伴って、ゆっくりと、横穴の入り口から魔物たちが姿を現す。

 もう追う必要もないのだと、悠々と歩く姿はどこか勝ち誇ったようにすら見えた。


 連中、やけに攻めてこないと思ったらこうなることを予期でもしていたのか。

 魔物でも暗闇では十全に動けないのかと思っていたが、それだけではなかったらしい。

 それも当然か、連中はおそらくこの洞窟の常連なのだろうから。


 それでも途中ではぐれでもしたか、数は二匹減っていた。だが、減ってなお五匹。相手にして生き残れる数ではない。


 いやに心臓が跳ねて煩わしい。

 手も小刻みに震えている。

 怖気づいたか、それとも悔しさか。

 ギリ、と砕けそうなほどに強く歯を噛みしめる。

 きっと、どっちもだ。


 ユリシスは震えをごまかすように、空いた手を腰に提げた剣鉈へと伸ばして――やめた。

 腕の傷は塞がりつつあるものの、万全ではない。通常の鉈より分厚い分、重量のある剣鉈は持つだけで一苦労だろう。振るうなんてもってのほかだ。せいぜいナイフを扱うのが限界。それに、片手はいつでも使えるように空けておきたかった。


 刃も短く薄っぺらい。そんなナイフ程度でどこまでやれるのか、正直なところ怪しい。

 せめて気圧されてはいけないと、ユリシスはにじり寄る魔物たちを睨み付ける。月光の差し込む広場では連中の姿もようやくはっきりと見ることができた。



 蛇のように低い頭に後ろ向きに突き出した三角耳。深く裂けた口は獲物を前に息を荒げている。全身はくすんだ灰色の毛で覆われ、滑らかな体毛は月光を照らす。


 足が短いゆえに背が低く、その脅威度を見誤りそうになる、そんな魔物だ。


 一方で尾は太く、そして長い。全長の半分以上あるのではないか。


 全身もそうだが、特にリスのように膨らんだ尾には雪がびっしりと張り付いている。

 驚いたことに、これまで激しく動いていたというのにまるで払い落とされていない。


「……そうか、お前らか」


 どこか既視感があると思えば、こいつらは道中で何度か見かけた魔物だった。動物の死骸に群がる、白い毛むくじゃらの魔物だと思っていたもの。

 雪を絡み付けた尾で体でも隠していたのだろう。こうして相対してようやくその正体に気付いた。



 ファルレムス。

 土砂や草花――そして雪など環境物を体に張り付けて身を隠す、狡猾な狩人たち。



 隙をうかがうような。そして逃げる隙を潰すかのように慎重な足取りで、五匹のファルレムスはじわじわと距離を縮めてくる。

 横に並んだ魔物を前に、ユリシスはまるで壁を目の前にした気分になった。

 右も左も、後ろも、そして前も。四方を壁に囲まれてしまってはどうやって逃げればいいのか。


「ぶち破るしかないだろ……」


 一歩、また一歩と壁際に追い詰められながらも、ユリシスはナイフを構え、立ち塞がる壁を――ファルレムスを睨む。


 死んでなるものか。

 その思いだけが頭を占める。その思いだけが体を動かす。余計なものはない。

 戦術なんて考えるだけ無駄。消えてくれない恐怖なんて隅の隅に追いやってしまえ。

 殺すことだけを考えろ。生きることだけを考えろ。


 ファルレムスの唸り声もいつしか止み、静寂の中、交差する互いの視線だけがお前を殺すと息まいている。


 限界以上に握られた拳。ナイフの柄がぎちりと軋み、握る右腕に熱いものが走る。


 風が止む。

 月光が煌めく。


――瞬間。静寂が破られる。


 命の奪い合いを前に、互いが吠えた。



 ***



「うらぁぁあああっ!!」


 両端から飛びかかる二匹。それを無視して潜り抜け、真正面にユリシスは突っ込む。


 馬鹿が自分から向かってきたと正面のファルレムスはほくそ笑むが、その顔面に向けて何かが飛んでくる。


 三つに分かれた飛来物。

 狙われたファルレムスは咄嗟にそれをよけると、放たれたそれは後方の壁に〝突き刺さる〟。


「避けんなぁあっ!」


 そして体勢を整えるその前に、呪詛に似た雄たけびを上げながら迫るユリシスに突き飛ばされた。

 いくら小型の魔物とはいえ、尾を含めればユリシスよりも大きな体。それを突き飛ばせたのは不安定な体勢だったからに他ならない。


 悲鳴を上げながら転がっていく仲間を尻目に、動きを見せていなかった一匹がユリシスに向けて迫り、前足を振り上げる。


 横腹を切り裂くようにようにカギ爪が迫る。

 しかし身を切り裂くまでには至らない。蓑が裂かれ藁が宙に舞う中、ユリシスは転がるようにして避けた。


「っ!!」


 しかし避けた先には最後の一匹が待ち構えていた。

 逃がすわけにはいかないと尾を逆立て、吠え猛りながらアギトを開く。


 ズラリと並ぶ鋭い牙。

 正面から食らってやるとばかりに広げられた大顎を前に、


「こんのぉぉぉおおっ!」


 ユリシスは引き絞った右腕を突き出した。


 鋭い刃が唇交連に深く食い込む。

 突き出された頭を受け流し、逆に刃を押し込んでいく。


「うらああぁぁぁああっ!」


 ファルレムスの目が驚愕に――痛みに見開かれる。

 自身も正面に突っ込んだのだ、急には止まれない。

 自由だった前足ががむしゃらに暴れだし、カギ爪がユリシスの右肩を削る。決して浅くはない傷が刻まれ、鮮血が飛び散った。


しかしユリシスは構いはしない。

 痛みは怒りだ。目の前の敵にぶつけてしまえ。高ぶった頭は怪我など度外視し敵を殺すことだけに注力する。


 前へ前へと突き進む刃はまだまだ止まらない。ぶちぶちと皮を、血管を、筋繊維を引きちぎり、骨に阻まれながらもとうとう喉元までに到達した。


 致命的な何かが千切れた、そんな手ごたえ。

 深く裂けた傷口から、ユリシスの肩とは比にならないほどの血が迸った。



 相対していたファルレムスが絶叫を上げて転がっていく。ユリシスはそのすぐ脇をすり抜け、肩で息をしながらも次に備えて振り返る。


 憎々しげな四つの双眸と目が合った。


 飛びかかってきた二匹、突き飛ばした一匹、やり過ごした一匹は既に体勢を立て直し、その目をギラギラと燃やしている。

 そればかりかいつのまにか横穴の入り口の前に回り込み、再びユリシスの退路を断っていた。


「……抜け目、ないなっ」


 荒くなった息を鎮めながらも、焼き増しのような光景に辟易する。ファルレムスは一匹欠けたとはいえ再び横に広がり、またしてもユリシスを壁際に追い詰めようとしていた。


 それに乗らざるを得ないのは癪だが、こちらも体勢を立て直さなければならないのもまた事実。

 後ずさりしながら、腕を振るってナイフの血を払う。右肩の、右腕の痛みなど知ったことではない。


 ナイフにこびりついていた血肉が取り払われ、鈍色の刃が露わになる。刃は先の攻防で少し刃こぼれしたようだった。顎の骨を削るようにナイフを走らせたのが悪かったのだろう。だが、有効な手段ではあったようだ。


 遠くに転がるファルレムスに一瞥をくれる。

 いまだ横たわり、立ち上がろうと足をばたつかせているが力が入らないのだろう、すぐに崩れ落ちる。その度にぱっくりと割れた喉からはごぽりごぽりと脈打つように血が噴き出ている。


 あれはもうじき、死ぬだろう。


 一方で残る四匹はまだピンピンとしてる。

 同じ戦法が通じるだろうか。

 刃こぼれしたナイフで頑丈な毛皮を切り裂けるだろうか。肉を立てるだろうか。

 仲間がやられた以上、油断もしないだろう。

 体力は持つか? 奴らの攻撃をかわし続けられるか?

 いくつもの懸念が浮かんでは消えていく。


 いや、切れなくても引き千切れればいい。

 体力がなくなったって気力がある。


 〝刃〟が折れるまで、何度だって続けてやる。


 手始めに空いた手で腰に提げた小袋をまさぐる。指に触れるのはわずかに冷たく、硬質な手ごたえ。それを三つ取り出す。

 手のひらに収まるの鋭い牙だった。以前魔物の死骸から拾った牙だ。

 内一つは木の葉ほどの大きさで、肉厚。鋭さも随一。下手をすればナイフよりも強力な武器になりかねない。


 ユリシスの動きを見て、ファルレムスの一匹が過剰なほど警戒を露わにする。グルグルと唸り声をあげながら手を睨み付けていた。


「同じ手は食らわないって?」


 それは先ほどユリシスに突き飛ばされた一匹だ。飛んできた〝何か〟を躱した後のことだったのだ、ならば二度目を警戒しても当然か。


「はっ、賢いじゃないか……」


 獣のくせに、余計な知恵をつけやがって。

 厄介だとばかりに、苛立たし気な呟きがつい漏れ出る。

 チロリと舌が唇をなめた。


 睨み合う両者はじっと機を待つ。

 自分に抗しうると理解したのか、ファルレムスは先ほどより更に慎重さを増している。

 ユリシスも次の出方を幾つも想定し、どこからどう来てもいいように連中の一挙手一投足までをもつぶさに観察する。


 たらりと、赤色を含んだ汗が頬を伝った。



 しかし、睨み合いはどちらが動くまでもなく破られた。


「……?」


 悪寒が走る。

 肌がぞっと泡立ち、ピンと背筋が張り詰める。ついファルレムスのことなど忘れ、視線を周囲へ彷徨わせてしまうも結果は芳しくない。


 何かを察知したのはユリシスだけではなく、相対していたファルレムスたちも同様に落ち着きがない。

内一匹は暴れだし、狂ったように吠え出す始末だ。


それも、〝壁に向かって〟。


 異常事態が起こっていることだけは明白だった。

 本能も何かに向けて警鐘を鳴らすばかりで、取るべきアクションは示してくれない。ユリシスは一旦ファルレムスを思考の端に寄せ、警戒を最大限に引き上げて何が起こってもいいように身構える。


 間を置かずに、細かい揺れが足を伝った。

 それを察知するや否や、にわかに大地が震えだし、天井や壁からパラパラと礫が転がる。


「なんだ……?」


 漏れ出た呟きは困惑の色を隠せない。

 揺れは次第に大きくなり、地鳴りも斯くやと体を揺らす。


 疑問はすぐに解消された。


「っ!」


 轟音を立てて、壁が文字通り弾け飛ぶ。

 ガァンと鼓膜を突き破らんばかりに大気が叫んだ。


 第二幕は酷く乱暴な幕開けとなった。


 大小入り乱れて岩がまき散らされ、ユリシスは反射的に身をかばった。それでも衝撃に体は縮こまり、それどころか壁際まで転がされてしまった。

 蹲る体を飛礫が打つ。

 幸い破られた壁は反対側だ、怪我を負うほどの大きさの岩は飛んでこなかった。


 ざりっと指が地面を握り、砕けた霜柱が塵に帰った。

 そっと顔を上げる。

 それに抗うように、見るなと脳が喚き立てる。


――その先には死があるぞ。

――お前を殺すモノがいるぞ。


 懇願にも似た警告だ。

 それでも、見なければ始まらない。

 確かめなければ生き延びられない。


 眼前にはもうもうと土煙が立ち込める。

 ギャアギャアと獣たちが煩い。

 揺れは収まり、荒れ狂っていた石ころたちも鳴りを潜めた。

 しかし身を焦がす緊迫感、息の詰まるような圧迫感は増し行くばかりだ。


 胸を突き破らんばかりに心臓が騒ぎ出し、警鐘を鳴らしていた本能はもはや真っ白く振り切れている。



 土煙は次第に薄くなり、慌てふためくファルレムスたちの影が浮かび上がる。


 そして、現れたのはそれよりも尚濃い影。

 大きく、圧倒的で、紛うことなき死を引き連れた、凶悪な影。


「嘘だろ……」


 巨大な影は、ぺっと口にしていたものを吐き捨てた。べちゃりと水音を伴い地を汚す。

 それは無残にも噛み千切られたファルレムスの下半身だった。

 相対していた五匹のものではない。

 六匹目。

 増援が減ったというのに、こんなに喜ばしくないとは。


 流動するように筋肉が蠢き、屈強な体が起こされる。

 壁を突き破っただろう、大樹の幹のような剛腕が地を鷲掴む。


 其れは豪奢な王冠を揺らした。

 喉が波打つように揺れた。


 瞬間、再び大気が弾けた。


 ファルレムスの威嚇など掻き消され、泡立った肌も真っ新に塗り替えられた。


――インカーヴィス。


 力の化身が、目を覚ました。



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