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10/22

10:深い暗闇の中で



「深いな……」


 吹雪から解放され、体力が戻り始めたころ。

 洞窟の入り口から少し歩いたところで腰を下ろしていたユリシスはそっと暗闇の向こうへと視線を向けた。


 少しは暗さに目が慣れてきたというのに、広がるのはぽっかりと大口を開けた闇の塊だ。

 光が奥まで届かないほどに、この洞窟は広い。

 闇の中からは外の吹雪にまぎれて薄っすらと風が漂ってくる。どこか別の出口があるのかもしれない。


 諸々を考慮したうえで、これからどうするべきか。そう一人思案する。


 吹雪は一向に収まる気配がなく、外に出るのは論外としてもこんな入り口と大差ない場所で座り込んでいるのもよろしくない。

 大きく育った霜柱の走る地面に、槍と見まごうばかりの氷柱の垂れ下がる天井。

 そこかしこから冷気が襲い来る中でそれでもやはり、唯一の明かりが届く洞窟の入り口からの風が一番体を冷やす。

 外よりはまし。その程度なのだ。



「かといって、進むのもな」


 この洞窟は深い。

 おそらくとてつもないほどに。


 確かに奥に進めばそのうち風も届かなくなるだろう。

 しかし入り口の大きさ、狭まることを知らない道幅と天井。そして自然のままとは思えないほどにきれいにくり抜かれたかのような整った通り道を考えれば、何か大型の魔物の住処なのではないかという疑念が鎌首をもたげて仕方がないのだ。


 思い出すのは地中を掘り進み姿を現した土喰らいの姿。縄張りから外れているためないとは思うが、万が一ということもある。別個体がいたとしてもおかしくはない。

 そうでなくとも、同じくらいの巨体を誇る別種の魔物が寝床にしていてもおかしくはない。


 もう一度、外と、そして暗闇の向こうを見比べる。

 ビュウビュウと聞いているだけで凍えそうな音を鳴らすのと対照的に、シンと静まり返った洞窟内。


「……凍死よりましか」


 今は冬なのだ、いるかもわからないここの主も冬眠しているかもしれない。

 滅多に魔物を見かけなかった道中と、静まり返った洞窟内を重ね合わせ、ユリシスは重い腰を上げた。



 ***



 小さな明かりが洞窟の壁面を照らす。

 体が収まり、寒さのしのげそうな穴ぼこを探しているのだがなかなか見つからない。

 見つかるのは背丈の数倍は高さのありそうな横道ばかり。


 どうも相当入り組んだ洞窟らしく、下手に横道に逸れると出るのに苦労してしまうかもしれない。そのためまずは主軸らしい一本道を歩いていた。


 壁を睨み付けるユリシスの表情は奥に進むたびに険しくなっていく。

 壁面には明らかに何かに削られたような跡が残っていた。まるで、岩石よりも硬い何かを擦り付けられたかのように。時折条線のような跡もあれば、面状に削られたような痕跡もある。


 一方で天井の氷柱や地面の霜柱は長い間成長を邪魔されなかったのだろう、冬場は雪に閉ざされるメイル村でも見たことがないほどに大きく育っていた。

 少なくともこれらが育っている間は痕跡の主はここを歩いていない。そう見てもいいはずだ。そのことが僅かばかりの安心を与えてくれていた。



 壁にかざしていた明かりを胸元まで戻せば、途端に嫌な臭いが鼻をつく。

 ユリシスが手に持っているのは蝋燭だ。

 カンテラなんて上等なものではない。

 陶器の小瓶に入っており、薄黄色の蝋が詰められただけのもの。

 当然村から、というより家から持ってきたものだった。獣脂を固めて作った蝋で、臭いはきつい。臭い消しを混ぜて作られているのだが、それでも近くまで寄ればごまかしきれない。


 臭いのこもりそうな洞窟内で使うのは躊躇われたが、こうも暗くては明かりなしでは歩くこともできない。

 ささやかに通り過ぎる風と、長い木の棒を振り回しても余りあるほどの空間が霧散させてくれると信じて、多少のリスクには目を瞑っていた。



――どこまで続いているんだろう。


 体を休められそうな場所のほか、もしものための出口も探しているのだが、洞窟は歩けど歩けど道が続くばかりでまるで終わりが見えない。

 道は時折起伏を挟み、今立っている位置が入り口より高いのか低いのかすら、今はもう定かではない。


 ここが天然の洞窟ではないとは既に理解していた。いや、もともとは自然にできた洞窟だったのかもしれないが、間違いなく何者かによって掘り進められていた。


 途中までは一本道だったが、今は蟻の巣もかくやというほどに複雑に分岐している。一度道を誤ればもう二度と日の目を見れないのではないかと思えるほどだ。

 どれも同じような空洞で見た目の違いはほとんどない。ユリシスは道しるべもなしにこれ以上深く潜るのは危険と判断し、来た道を引き返すことを選んだ。


 確かな記憶を頼りに何度目かの分岐点を抜ける。寒々しい風の音が耳に届くようになり、ようやくほっと胸を撫で下ろした。存外緊張していたらしく、また凍えそうなほど寒い地点まで逆戻りしてしまったというのに安心感ばかりが心を占めていた。


 ならば次はと横穴を覗いてみる。

 近くの横穴に入ってみると、広場のような空間になっているようだった。奥に続く通路はなく、行き止まり。


 一歩足を踏み入れるとパキリと乾いた音が足元で鳴った。

 蝋燭の光で照らしてみると、どうも外とは違い何かが地面に堆積しているようだ。

 それは特に足に力を入れずとも容易に砕けてしまう。


 石ではない。土くれとも違う。


 手に取ってみると、白く、そして粉っぽい。

 粉っぽいのは周りの砕けた残骸と共にあったからなのだろう。

 大きさも形もまちまちで、所々に白い小山のように積もるそれらを見ているとどうもあまりいい気分にはならない。


 手に持った欠片をしげしげと眺める。原形を保っているように見えるそれも、もともとはもっと別の形をしていたのでは? これらも既に砕けた後なのでは?

 そう考えてしまう。


 知る意味はない。役に立つものではない。

 そう何かが囁くが、ユリシスは積もる山の一つの前に屈み、それを静かに崩し始める。

 カラカラと乾いた音を立てながら欠片が地面に落ちていく中、一つの大きな塊を探り当てた。


 縦に細長く、平べったい。表面はなめらかで、時折凹凸を持つ。

 落ち窪んだ穴があり、穴の向こうの小山を空虚に映している。

 途中で割れているようで全形はわからない。

 だが、


――これは、骨だ。


 それが何かの生き物の頭蓋骨だということは、どうしようもなくわかってしまった。


 なら、これらすべては。そう思い至るや否や氷杭でも打たれてしまったかのようにぞっと寒気が走り、体全体が重くなる。

 離れよう、そう脳が命令を下しても足はゆっくりとしか動いてくれず、横穴から抜け出すまでひどく時間が掛かってしまったように感じた。



 ***



 どの横穴も似たようなもので、多くは広場のようになっていた。他もどこかへとつながる分かれ道というだけだ。


 時折崩落でもしたのか、天井や壁の一部に亀裂が走っている場所も見られた。そこから光と、そして風が入り込んできているようだった。

 どこか別の出口につながっている、そう考えていたが少し当てが外れてしまったかもしれない。

 一方で、今の時間を大まかにでも計れたのは喜ばしいことだ。天候を考慮したとしても、差し込む光の量からおそらく夕方を回ったくらいだろう。


 他にわかったことといえば、あれらの広場には何らかの残骸が残っていることが多く、それは骨に限らないということ。

 何かが活動していただろう痕跡がいくつも見られ、ここが巣穴として利用されていることは確定的になった。


 寒さで腐りにくいのか、まだ肉のついた凍りかけの死骸が山のようになっていたり、かさかさに乾燥した糸の束が天幕のように垂れ下がっていたり、動物の巣のように藁が集められていたり。


 そして――大きな魔物が眠っていたり。



 慎重さは欠かしていなかった。

 それでも、察知できるものには限界がある。

 音一つ立てずに眠っているものだから彼のねぐらに入るまでまるで気付かなかった。それこそ死んだように眠っていては気付というほうが難しい。


 〝其れ〟を見たときは、思わず心臓が飛び出そうになった。氷杭を刺されたなんて比にならず、文字通り驚愕と恐怖とに全身を凍結されてしまった。しかし恐怖も驚愕も時には役立つものらしい。声の一つも漏れず、魔物を起こすなんていう自殺行為に走らずに済んだのだけは幸いだったろう。



 其れは端的に言えば生命の頂点だった。



 岩よりも巨木よりも大きな体躯に、逞しく発達した筋肉。丸太のように屈強な四本の脚には杭のように太い、鎌のように鋭いかぎ爪が備わっている。

 滑らかさと荒々しさを併せ持つ毒々しい緑色の鱗に全身が覆われ、要所要所に鋭いナイフのような棘が幾本も生え、いやに攻撃的な印象を受ける。

 豪奢な冠でも被っているかのように後頭部から角や棘状になった鱗を生やした頭は相対するものすべてを圧倒するのだろうが、今はしっかりと目が閉じられ、とぐろを巻くようにして静かに眠っている。




 まさに、御伽噺に出る竜のような姿。

 違うのは羽がないことと、財宝の代わりに凍り付いた肉を守っていることくらいだろうか。外の横穴で見たのとはまた別に、動物の死骸がうずたかく積まれている。



 手足どころか目も口も、そして思考すらも碌に回らない中、なかば反射的にこつこつと積み上げてきた知識だけが勝手にページが捲られていき、目の前の竜に該当する一体の魔物を探し出す。


 インカーヴィス――分類上陸生の竜種に属し、数多存在する竜種の中では普遍的な種類。


 物語から飛び出てきたかのような怪物は、実際に竜の名を冠する魔物だった。

 出会ってはいけない類の魔物とも言われているみたいだが、これは竜種には大概当てはまることのようだ。



 硬直が解けるや否や即座に回れ右をし、横穴から脱出する。

 逃げろ逃げろと本能が訴えかけ、諸手を挙げて賛同した体は休むことなく動き続けた。


 ほんの僅かな逃避行。それでも、例の横穴はもう闇の向こうに消えるくらいには遠ざかった。

 壁に背を預け座り込むと、寒いはずなのに詰まりが取れたかのようにどっと汗が噴き出てきた。


 あれが〝魔物〟だ。


 眠っているはずなのに、目の前に立っているだけでまるで生きた心地がしなかった。


 冷たい地面と荒い吐息が生を実感させる。

 まだ生きている。

 そのことが堪らなくうれしい一方で、まだ死んでいないということが恐怖が終わっていないことを暗に告げ、不安感が精神を宙ぶらりんにしてしまう。


 考えれば考えるほど焦燥ばかりが広がっていく。頭を、自分の体を抱え込んでみても現実逃避にすらならなかった。


 恐ろしい竜は眠っている。

 しばらく起きないだろうこともわかる。それほど深い眠りだった。距離だって取ったのだ、今すぐに気取られることはない。

 それでも全くもって安心などできやしない。


 こうなるかもしれないとは予想していた。

 しかし実際に目の当たりにしてみると固めたはずの覚悟はあっさりと霧散してしまったようだ。




「もっと奥なら安全か……?」


 無意識に考えが口から零れ出た。耳に届いたのは笑ってしまうほどに力のない声だった。

 不安を解消するためには、薄氷の上に立っているような現状をどうにかしなければいけない。そうは思っても、先ほどとは正反対になかなか体は動いてくれなかった。


 もういいだろう、休もうじゃないか。

 そう訴えかけてくるようだ。


 何の解決にもならない、すべてを放棄するという提案。生きることすら手放しそうな――ユリシスにとってタブーに等しい悪魔のささやきが甘い毒をばら撒いていく。


 明確な死を目の前にすると、すぐこれだ。


 またか、と思わずため息をこぼしてしまう。

 混乱していた頭も、恐怖に竦んでいた思考も、早鐘を打っていた心臓も、すべてが冷めていく。


 また、投げ出そうとした。諦めようとした。

 また『死にたい』と望んでしまった。


 それを自覚してしまうと、義務を果たせと言わんばかりに頭が、体が切り替わってしまう。

 生きるためには、とても都合のいい仕組みが出来上がったものだ。

 だが、ありがたいとは思えない。何せ、それはどこまでも自分を追い詰める『罪』の、『贖罪』のための仕組みなのだから。



 現在の位置は一本道の、その半ばあたり。

 入口にほど近く、吹き荒れる雪風が耳に届く。

 奥に進むのならまたあの竜のねぐらの前を通らないといけない。そのことにほんの少しだけ忌避感が芽生えた。


 眠っているとはいえ、逆立ちしても勝てないような相手のねぐらで暖をとるわけにもいくまい。だが外はまだ吹雪だ。この天気の中歩くのもまた自殺行為に他ならない。


 どちらも受け入れがたい。それでも生き残る可能性があるのは、より長く生きていられるのは、洞窟に留まることだった。せめて吹雪が止むまでの間だけは。


――生き続けるためにはリスクだって受け入れなければならない。


 砕け散った覚悟を寄せ集めて、何とか形にする。


 それでも指でつついてしまえば簡単に崩れてしまうほどに脆い塊だ。補強のために、自分は生きなければならないのだという自己暗示を強く巻き付けていく。これでようやく見れるくらいにはなっただろう。



 あとは一刻も早く逃げるべきだ、と騒ぎ立てる意見を捻じ伏せるだけ。それは命を危険に晒すぞと説き伏せなければならない。


 この洞窟の現在の主はあいつなのだろう。

 少しずつ冷静さを取り戻していく頭がそう結論を下すと、諸々がストンと胸に落ちる。

 壁面の傷も納得だし、最近洞窟内を歩いた様子がなかったのは冬眠中だったからだろう。

 他の動物も魔物も見られないのはわざわざ強大な捕食者の巣に入り込んだりしないためだ。


 いくつかあった死骸の山は起き抜けに食べるための保存食のようなものだろうか。それにしては寝床以外ではつまみ食いがひどいようだったが。


 一方でこの洞窟を掘ったのはインカーヴィスだったとは考えにくい。何よりインカーヴィスが洞窟を掘ると聞いたことはないし、あの竜一体であればこれほど広大な巣は必要ないだろう。多数ある横穴は随分長いこと放置されているようで、最近使用された形跡があったのはそれこそ食糧庫くらいのものだった。


 だから、〝現在の〟主なのだ。

 この洞窟を作ったのは別の生き物で、またその主も代替わりしてきた。縄張り争いなのか、単純に時季や生態系の移り変わりなのかはわからない。

 しかし、様々な生き物が利用したのだろう痕跡がいくつか見られたことから確かなはずだ。


 なんにせよ、今この洞窟にいるのは眠ったままの主と一見命知らずなようで小賢しい侵入者だけ。

 あれが目覚めることさえなければ、この洞窟は安全なはずだ。


 ほら、何の問題もないじゃないか。

 最初から予想していた通りだ。

 自分が勝手に委縮してしまっただけだろう。


 そう結論付けても、不安感は払拭されない。

 何か引っかかりが残り、精神はざわついたままだ。

 大事な見落としがある。


 いや、もう気付いているのではないか?




 その正体はすぐに判明した。


 自然と小さな舌打ちが出てしまう。

 何かがこちらに向かってくる。

 荒い吐息に、不躾な足音。


 先の巨体から齎されるそれとは到底思えない。


 ならば――自分とは別の侵入者。それに他ならない。


 同時につまみ食いの犯人も想像がついてしまった。

 いかにも強大な魔物の縄張りとはいえ眠っているのだからと侵入し、あまつさえ食料に手を付ける。生きるためにリスクを背負ったのは自分だけではなかったらしい。


 新たな侵入者たちはまず間違いなく食糧庫に向けてやってくるだろう。


 困ったことに、食糧庫はもっと奥。今この場で息を潜めていたところでやり過ごせるわけはない。

 急いで立ち上がり、そそくさと洞窟の奥へと向かう。

 食糧庫よりも奥にさえ行けば、奴らもそっちへと向かうだろう。

 奴らが腐りかけの肉で満足するならそれでいい。自分はそれには興味がないのだから。


 勝手に食らってどこかに行け。そう心の中で唱えてみても、やはりそううまくいってはくれない。


 連中の気配はにわかに騒がしくなる。

 吐息は高ぶりを増し、のろのろとしていた足音は明らかに勢いづき、奥へ奥へと進みだす。


 気付かれている。


 今度は隠すことなく、苛立ちを全開に込めて盛大に舌打ちをする。



 深い暗闇の中で、命がけの鬼ごっこが始まった。




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