ゴミ処理場
人間の欲望ってのは、とどまる所を知らないらしいね。
俺もどちらかと言えば変態かもしれないが、このウッドタウンに集まる連中に比べりゃマシだろうな。ここじゃあ、人権なんて概念は幻でしかない。この街で何が行われているか知ったら、大抵の人間は気分が悪くなるぜ。気の弱い奴なら、話だけでゲロ吐いちまうかもしれねえな。
ただ一つ言わせてもらえれば、こんな街でしか生きられない人間もいる。また狂気じみた欲望があるからこそ、ウッドタウンは存在を許されているんだよ。
ある意味じゃあ、ウッドタウンは大陸の狂気の捌け口なんだろうな。ゴミはゴミ処理場に放り込み、外道はウッドタウンに放り込む……これが一番、手っ取り早いんだろうよ。
・・・
「ちょっと、こんな所で何させる気だい?」
囁くゾフィーに、ライノは笑みを浮かべた。
「なあに、大したことじゃないよ。ちょっとしたプロモーションビデオみたいなもんさ」
「プロモーションビデオ? なんだいそりゃあ?」
「まあ、そのうちに分かるから」
彼ら四人は、ウッドタウンの第七区に来ていた。ここは中立地帯であり、無法地帯でありながらも唯一、大陸からの人の往来が許可されている場所だ。他の場所とは違い、治安はいい。
もっとも、あちこちに銃を持った兵士が立っており、周囲に目を光らせているのだが……。
行き交う人々は他の地区と違い、まともな雰囲気を漂わせている。彼らのほとんどが、大陸からの旅行者なのだ。
そんな中を、ゾフィーたちは注意深く進んでいく。ゾフィーは口元をマスクで覆い、背中にはミケーラの入ったリュックを背負っている。ムルソーは普段と変わらず、のほほんとした表情で歩いていた。
一行を先導しているのはライノだが、彼はどんどん奥の方へと歩いていく。旅行者たちが訪れる繁華街とは、真逆の方向である。
やがてライノは、細い路地へと入って行った。ゾフィーたちもまた、彼の後へと続く。
大通りから外れると、そこでは無法地帯のウッドタウンが姿を見せる。それでも、観光ルートの近辺は他の地区に比べれば遥かにマシなのだ。何せ下手に騒ぎを起こせば、兵士たちに問答無用で射殺される可能性がある。
「さて、ここでいいだろう。姐さん、ミケーラを出してくれ」
「えっ、ここで?」
戸惑うゾフィー。彼女らは今、ボロボロの民家の前に立っている。空爆と銃撃により壁は崩れ、民家というより廃墟と言った方が正確だろう。周囲には、人の気配は全く感じられない。
「ここでミケーラにトレーニングをしてもらい、その映像を流すんだよ。もちろん、それらしい音楽も付けてな」
ライノはにやりと笑う。いかにも楽しそうな表情だ。この男、実は映像を撮るのが好きなのだろうか。ならば、もう少し違う映像に興味を示せばいいのだが……。
そんなゾフィーの思いなど、ライノは知る由もなかった。彼はムルソーにカメラを持たせ、リュックから出てきたミケーラに指示を出す。
「ミケーラ、早速で悪いが、あんたはここでトレーニングしてくれ。出来るだけ派手な動きで、見栄えのいいヤツを頼む」
「えっ? 見栄えのいいヤツってどんなのさ?」
すっとんきょうな声で尋ねるミケーラに、ライノは首をひねる。
「うーん、そうだなあ。アクロバティックな――」
そこで彼は言葉を止めた。突然、黒と肌色の何かがこちらに走って来たのだ。その何かは、恐ろしい早さで廃墟の中に入って行く――
「な、なんだい今の?」
怪訝な顔つきで、ゾフィーは廃墟に近づいて行く。そして、恐る恐る覗きこんでみた。ミケーラやムルソーも、彼女の後に続く。
だが、ゾフィーの表情が一変した。
「な、なんだい……これは……」
呆然とした様子で、ゾフィーは呟く。だが、それも当然だろう。彼女の目の前にいる者は……とても奇妙な人間、いや生き物だからだ。
それは一見すると、十代前半の少女に見える。一糸まとわぬ姿で、廃墟の隅にしゃがみ震えていた。顔には殴られたような痕があり、口の端からは血が出ている。少女は痛みに顔を歪め、怯えた様子でゾフィーを見ているのだ。
しかし……それよりも目を惹くのは、その頭から生えている猫のような三角形の耳だった。言うまでもなく、こんなものが生えている人間など存在するはずがない。
その上、腰のあたりからは尻尾が生えているのが見える。まるで、ファンタジーの世界から抜け出して来たかのようだ……。
「あ、あんた、いったい何者なんだよ……」
驚愕の表情を浮かべながらも、ゾフィーはどうにか言葉を絞り出した。
だが、その少女の口から出た言葉は――
「な、なあ……」
まるで猫の鳴き声のような、不安そうな声だ。その時、ライノが口を挟んだ。
「姐さん、あんた知らないのかい。こいつはな、人工的に作られた愛玩用のペットだよ。ウッドタウンの名物のひとつさ」
すました表情で、ライノは語る。だが、その言葉を聞いたゾフィーの体はプルプル震えていた。
「ちょっと待ちなよ。愛玩用のペットって、どういうことだい? この子は、何なんだよ?」
「何なんだ、と聞かれても困るが……カッコよくいうなら改造人間だ。この街には、親が面倒を見られない子供が売られてくるんだよ。中には、生まれて間もない赤ん坊もいる。そいつらの体をいじくって、猫みたいな耳を付けたり尻尾を付けたりして売り出す。すると、物好きな金持ちがそれを買っていくわけさ。もっとも、大陸じゃあ存在そのものが法律違反だから、連れ帰ることは出来ないけどな」
そこで、ライノは言葉を止めた。不安そうに辺りを見回す。
だが、ゾフィーは彼の方を見ていなかった。彼女はしゃがみこむと、少女に向かい手招きする。
「さあ、おいで。もう大丈夫だから」
ゾフィーは優しい声を出した。しかし、少女は戸惑っているようだ。不安そうな目で、ゾフィーを見つめている。
「大丈夫だよ。あんたには、何もしないから。さあ、おいで」
言いながら、ゾフィーは微笑んだ。しかし、少女は首を傾げる。
「な、なあ」
少女の発した言葉は、意味不明なものだった。ゾフィーの顔が歪む。
「あ、あんた、何か言いなよ」
「姐さん、無理だよ。そいつは喋れないんだ」
言ったのはライノだった。いつになく真面目な顔つきで、ゾフィーをじっと見つめている。
「どういうことだい?」
「正確に言うとだ、声帯の機能を手術で変えられているんだよ。なあ、としか声が出せないのさ」
「何故だ……何のために、そんなことをした?」
ゾフィーの口調は完全に変わっている。押さえきれない怒りで声は震え、表情は歪んでいた。
その変化に、ライノは気づいている。だが、素知らぬ顔で言葉を返した。
「愛玩用のペットには、人間の言葉を喋れる機能は必要ないのさ。ファンタジー世界のキャラクターをそのままリアルな世界へと登場させるために、猫の耳をくっつけ尻尾を生やした。さらに余計なことをベラベラ喋らせないため、声帯を変える……こんなのは、ウッドタウンじゃ珍しくないのさ」
淡々とした口調で、ライノは語る。何の感情も交えず、事実のみを報告する……そんな雰囲気だ。
しかし、聞いているゾフィーの方は違っていた。表情は歪み、体は震えている。言うまでもなく、怒りによるものだ。
「みんなは、このことを知ってるのかい? サルサ、ダビング、メルキア……他の国々の連中は、この街の内情を知らないのかい?」
声を震わせながら、ゾフィーは尋ねる。言葉遣いそのものは普段と同じだが、冷静でいようと努めているのが端から見ていても分かるくらいだった。
横で見ているミケーラも、顔をしかめている。ウッドタウンで地獄を見てきたはずの彼女にとって、この程度のものは今まで嫌になるほど見て来た。人体改造された少女など、この街では珍しくもない。それにミケーラ自身もまた、悲惨な境遇にいるのだから……。
にもかかわらず、彼女も己の裡に蠢く様々な感情の存在を感じている。ゾフィーの感情の揺らぎが伝染していたのだ。ミケーラは、複雑な表情でゾフィーの顔を見上げた。
しかし、ライノだけは平然としている。この男の心には、何も響いていないらしかった。
「知ってるかって? 知ってるに決まってるだろ。少なくとも、財界や政界の連中は皆、ウッドタウンの状況を知っているよ」
「じゃあ、何でほっとくんだよ? こんなの、人間のすることじゃないだろうが!」
怒鳴りつけ、ライノを睨み付けるゾフィー。その時、ライノの表情が一変した。顔をしかめ、首を振る。
「姐さん、今は俺たちが言い争ってる場合じゃないぜ。さっさと引き上げよう」
そう言うライノは、ゾフィーを見ていなかった。明らかに違う方向を見ている……異変を感じたゾフィーも、そちらを向いた。
数人の男たちが、こちらに近づいて来ていた。体格も服装もバラバラだが、ウッドタウンの闇を構成する一員であるのは、一目で分かる。
「おいマオ、こっちに来るんだ」
そのうちの一人が、前に進み出て来た。この中でもリーダー格であるらしい。
だが、少女は怯えた様子で首を振る。
「な、なあ……」
その言葉の意味は分からない。だが、男たちを拒絶しているのは明白だった。
その時、ゾフィーが口を挟む。
「この子は、マオって名前なのかい?」
「だったら何だ。お前らには関係ねえだろ」
低い声で男は凄む。すると、ゾフィーの表情が歪んだ。
「あんたらに一つ提案がある。マオを見逃してくれないかな?」
「はあ? 何を……」
言いかけた男の目が、隅にいるミケーラを捉えた。
その途端、男の目つきが変わる。それを見たゾフィーは舌打ちした。ミケーラは、隠れるのを忘れていたらしい。彼女は賞金首なのに……。
こうなっては、もはや闘いは避けられない。
「お前、ミケーラだな?」
男の問いに、ミケーラは不敵な笑みを浮かべる。
「だったら、どうした」
両者のやり取りを見ていたゾフィーは、ようやく気づいた。ミケーラは、敢えて身を隠さなかったのだ。
男たちに、そしてウッドタウンそのものに対する怒りゆえに……。
「そうかい、こいつはありがてえ!」
そう言うと、男は振り向き仲間たちを見る。
「おい、ミケーラを捕まえるぞ! 賞金は山分けだぜ!」
直後、男たちが一斉に動く。だが、彼らは自分たちの相手が何者か、全く分かっていなかった。
「これ」
ぶっきらぼうな言葉と同時に、ライノにカメラを放り投げた者がいる。言うまでもなくムルソーだ。
さらにゾフィーも動き、ミケーラを守るかのように前に立つ。
一方、顔をしかめながらカメラをキャッチしたライノは、闘いに巻き込まれないよう廃墟へと身を隠す……もっともムルソーたちにカメラを向けながら、だが。この闘いを、撮影するつもりなのだ。
そんな混乱した状況の中、ムルソーはにやりと笑った。いかにも楽しそうに、群がる男たちへと襲いかかっていく――
戦い……いや、一方的な殺戮はすぐに終わった。男たちは、素手のムルソーに一分もかからず撲殺されたのだ。今では全員、死体と化して横たわっている。
ムルソーの方はというと、つまらなさそうに死体を見下ろしていた。呆気なく終わったのが不満らしい。
だが、それどころではない者がいた。ライノは顔をしかめながら、ゾフィーに近づいていく。
「姐さん、こいつをどうする気だい?」
マオを指差し、冷静な態度で尋ねるライノ。するとゾフィーは、マオの頭を撫でながら口を開いた。
「この子は連れていくよ。あたしが面倒を見る」
「ちょっと待てよ。あんた、何を考えてんだ? これ以上、厄介事を背負いこんでどうすんだよ?」
「厄介事……と言ったのかい? 今、厄介事だと言ったのかい!?」
言うと同時に、ゾフィーは立ち上がる。その顔は、怒りで歪んでいた……。
「こんな子を野放しにしておけないだろ! 可哀想だと思わないのかい!」
そう言いながら、ゾフィーはライノに迫っていく。すると、ライノは顔をしかめて下を向いた。こんな場所で、言い争いをしたくないらしい。
だが、ゾフィーは構わず言葉を続ける。
「人の体をおもちゃみたいに改造して、挙げ句の果てに奴隷扱い……こんなの、いくらなんでも酷すぎるよ。こんな真似が出来るのは人間じゃない。ウッドタウンは、鬼畜の住みかなのかい……」
今度は、静かな口調で訴えるゾフィー。その時、ライノが顔を上げた。
「姐さん、あんた何を言ってるんだ? このウッドタウンが、街として成立していられる理由が分からねえのか?」
「えっ……」
思わぬ反応に、ゾフィーは戸惑った。彼女は、ライノがいつもとは違う表情を浮かべていることに気づいたのだ。
「いいかい、この街は巨大なゴミ処理場なんだよ。大陸から出たゴミを、このウッドタウンで処理する……でなけりゃ、大陸の国々はどうなる? 処理しきれなくなったゴミが溢れちまうだろうが。結果、他のまともな部分まで腐らせていくんだよ。ゴミは、ゴミ処理場で始末しなきゃならないんだ」
淡々とした口調で、ライノは語る。いつもの軽薄さはどこにもない。真剣な顔つきで、彼はゾフィーと向き合っていた。
「姐さん、ウッドタウンにはマオみたいな子が大勢いる。この街を好んで訪れるような奴は……ノーマルなセックスなんか、とっくの昔に飽き果ててるような人種なんだよ。だから、この街に来るんだ。結果、大陸の安全が保たれてる部分があるんだよ。あんただって十四の小娘じゃないんだ。それくらい分かるだろ?」
言葉そのものは静かだが、感情的な様子でライノは語った。そんな彼に気圧されたのか、ゾフィーは無言で聞いている。ミケーラもまた、黙ったままライノを見つめていた……。
「それに……マオなんか、まだいい方だ。ここで生まれた子供の中には、内臓を取られる奴もいる。血液や角膜、さらには皮膚もな。子供の体のパーツは、高く売れるんだ。それに薬や新しい手術、さらには細菌兵器の実験に使われる子供だっている。だがな、そういう子供たちがいるから……あらゆる分野は進歩していけるんだ。ひいては、ウッドタウンのお陰なんだよ」
そこで、ライノは言葉を止めた。息を整え、ゾフィーを見つめる。まるで、彼女の反撃を誘うかのように……。
だが、ゾフィーは何も言わなかった。神妙な顔つきで、真っ直ぐにライノを見つめている。その態度が、かえってライノを苛つかせたらしい。彼は顔を歪め、再び語り出した。
「どんな家にも、便所が必要だ。大陸にもウッドタウンが必要なんだよ。姐さん、はっきり言っておく。可哀想なんて理由で、こんな奴らを片っ端から助けていたらな……自分の方が破綻する。あんたのやってることはな、単なる自己満足だよ」
「言いたいことは、それだけかい?」
静かな口調で、ゾフィーは尋ねる。彼女の目には、はっきりとした意思が感じられた。何かを決断したような……。
「あんたの言ってることは間違ってない。いや、むしろ正しいんだろうさ。でもね、あたしは嫌なんだよ……」
今度は、ライノが黙りこむ番だった。ゾフィーの体は震えている。その震えをもたらしているのは、怒りだけではない……裡に蠢く何かに突き動かされるまま、彼女は語り続けた。
「あたしは嫌なんだよ! 誰が何と言おうが、嫌なものは嫌なんだ! 目の前で誰かが不幸な目に遭っているなら、助けたいと思う……それは、人間として当たり前のことじゃないのかい!?」
そこで、ゾフィーは言葉を止めた。その目からは、涙が溢れている。横にいるミケーラとマオにも、彼女の感情が伝染したのだろうか……二人の目も潤んでいた。ムルソーですら、奇妙な表情を浮かべてゾフィーを見つめている。
「ライノ、あんたの考えは正しいよ。あたしはしょせん、身の回りの者たちの幸せを願う、ちっぽけな人間さ。あたしのしていることも、ただの自己満足なのかもしれない。でもね、あたしは嫌なんだよ。この子と出会い、その不幸を知ってしまった以上……このまま放っておきたくない」
ゾフィーは顔を上げ、濡れた悲しげな瞳でライノを見つめる。
「人間には困っている人を見て、助けたいと思う気持ちがある。可哀想だと思う気持ちも、手をさしのべたいと思う気持ちもね。ライノ……あんたにだって、あるはずだよ」
「そんな気持ち、とうの昔に捨てたよ」
低い声で、ライノは答える。その顔には、様々な感情が浮かんでいた。
そして、彼は素っ気ない態度でプイと横を向く。普段の軽薄な態度とは違い、自身の中で蠢く何かを押さえつけている……そう見える。
ゾフィーは、そんなライノに哀れみのこもった視線を向けた。
「人の心にあるものは、醜いものだけじゃないはずだよ。あたしは、人間の優しさを信じてる……人間の思いやりも信じてる。あんたに理解してもらおうとは思わないけど、この子は連れていくから」
そう言うと、ゾフィーはマオに近づき手を差し出した。
「おいで、マオ。あたしと一緒に来るんだ」
彼女の言葉に、マオは嬉しそうに頷く。
その時、またしてもライノが口を開いた。
「勝手にすればいいさ。だがな、そんなことばかりしてたら……この街じゃ長生きできねえよ」
「ふん、上等だよ。あたしだって、自分がまともに天寿を全う出来るなんて思っちゃいないさ」