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裏の顔

 どんな人間にも、裏と表がある。あの善人そのもののゾフィー姐さんですら、大陸の警察から見れば連続殺人犯なんだよ。俺の知る限り、裏表の無い人間はいない……いや、一人だけいたよ。アホの標本・ムルソーという例外の中の例外がな。

 無論、この俺にも裏の顔がある。ただ俺の場合、非常に厄介なんだよな……それこそ、一言では語り尽くせないくらいに面倒な状況なのさ。いっそ、ムルソーみたいなアホになれば、全ては簡単なんだがね。

 正直、あいつが羨ましいよ。言っとくが、こいつは皮肉でもなんでもない。俺の本心だよ……。


 ・・・


 ウッドタウンにある、宿屋の一室。その前を通りかかった者は例外なく、何かのきしむような音と荒い呼吸音を聞くことだろう。それを聞いた者は、男女が仲睦まじく戯れている最中なのか……と勘違いするかもしれない。

 しかし部屋の中で行われているのは、そんな気楽なものではなかった。


 部屋に設置されているベッドの足に、太いゴムチューブが巻き付けられている。そのゴムチューブは、ミケーラの腕に結びつけられていた。ミケーラは肘くらいまでしかない腕で、ゴムチューブを引くトレーニングをしているのだ。

 床にあぐらをかいた体勢で歯を食いしばり、常人より短い腕で太いゴムチューブを引くミケーラ。既に大量の汗をかいており、彼女の周囲には小さな水溜まりすら出来ている。

 その傍らでは、タオルとストロー付きの水筒を持ったゾフィーが心配そうな様子で立っていた。さらにムルソーもいる。のほほんとした表情で、ミケーラのトレーニングを見ていた。


 やがて、ミケーラの動きが止まる。ゴムチューブを引くことが出来なくなったのだ。

 すかさずゾフィーが近づき、丁寧に汗を拭く。

「ミケーラ、そろそろ休もう」

「大丈夫、まだ出来るから――」

「バカ言うんじゃないよ。トレーニングのやり過ぎは、体には毒だ。同じこと何度も言わせんじゃないよ」

 言葉の奥には、有無を言わさぬ何かがあった。厳しさと、優しさとが……ミケーラは頷き、ゾフィーに身を任せる。

 その時、ムルソーがボソッと言葉を発した。

「何でこんなことをするんだ?」

「えっ?」

 ムルソーの口から出たものは呟きでなく、質問だったのだ……いきなりの問いに、ゾフィーは戸惑っていた。ミケーラも唖然としている。

 だが、ムルソーは構わず言葉を続けた。

「あんたは、憎い奴を殺したいんだろ? だったら、俺がそいつらを殺す。あんたが苦しい思いをする必要はない」

 真っ直ぐミケーラを見つめ、ムルソーは言った。その顔には、何の感情も浮かんでいない。純粋に疑問を感じたから聞いている、そんな雰囲気だ。

 横で見ていたゾフィーは苦笑し、ミケーラに水筒を差し出した。ミケーラはストローを咥え、貪るように水を飲む。

 そんなミケーラを眺めながら、ゾフィーは口を開いた。

「ムルソー、人間は損得だけで生きてるわけじゃないんだよ。時には、周りから無茶に見えるようなこともする……それが人間さ」

「何でだ? 何でわざわざ苦しいことをする? ミケーラが可哀想だ――」

「可哀想?」

 言ったのはミケーラだ。怒りを露に、ムルソーを睨みつけている。

「お前に、あたしの何が分かるんだよ……気安く可哀想だなんて言うな!」

 目をギラつかせながら、ミケーラは怒鳴りつけた。しかし、ムルソーは首を傾げるだけだ。なぜ怒られたのか、今ひとつ理解できていないらしい。

 その時、ゾフィーが彼女の肩を軽く叩いた。ムルソーには悪気はない。むしろ、彼なりの善意から発せられた言葉なのだ。しかし、その善意が相手のデリケートな部分に触れ……結果的に傷つけてしまうこともある。

「ごめんよ。ムルソーは世間知らずだから……ただ、悪気はないんだよ。あたしに免じて、許してやっとくれ」

 ゾフィーがそう言った直後、ムルソーも無表情のまま頭を下げる。

「ごめんよ、ミケーラ」

 本当に分かっているのかは不明だが、素直に謝る姿を見せられては、ミケーラもそれ以上は何も言えない。彼女はチッと舌打ちしたが、その時に軽い違和感を覚えた。先ほどとは、何か違う気がする。

 怪訝な表情で、ミケーラは周りを見回した。そして違和感の正体に気づく。

「おばさん、ライノは?」

「えっ? さっきまで、そこに居たんだけどね」

 そう言うと、ゾフィーは辺りを見回した。だが、姿は見当たらない。どこに消えたのだろうか。

「あいつ、いつの間に姿を消したんだろうね。一言いえばいいのに……ま、どうせ次の悪さの準備でもしに行ったんだろうさ」

 吐き捨てるような口調で言った後、ゾフィーはタオルを手にした。

「そんなことより、あんたの汗を拭かなきゃ……ムルソー、あんたは向こうの部屋に行ってな」


 ・・・


 ウッドタウンの片隅には、怪しげな洋館が建てられている。暴力と混沌の街に似つかわしくない、けばけばしくもファンタジックな外装である。まるで、童話に登場するお菓子の家のようだ。

 もっとも、この家の住人はファンタジーとは縁もゆかりもない人物である。ウッドタウンにおける権力者、ニコライとアデリーナの兄妹が住んでいることを、付近の住民たちはみな知っている。

 この屋敷に招かれ、生きて帰れる者はごく僅かだ。ほとんどの場合、死体袋に入れられて屋敷を出ることとなる。

 今日もまた、一人の男が屋敷へと入っていく。もっとも、その男の表情はリラックスしており、薄ら笑いすら浮かべている。まるで、友人宅を訪問するかのような雰囲気だ。




 屋敷の二階にある一室。そこは、昼間だというのに窓が閉めきられていた。いっさい日光が入らない構造になっており、家具も最低限のものしかない。屋敷のけばけばしい外装とは真逆である。

 その部屋のベッドに、ニコライとアデリーナは寝間着らしきものを身にまとい、退屈そうに寝そべっていた。一応、部屋のテレビは点いているが、二人とも観ていない。

 テレビ画面では、軽薄そうなコメディアンが一方的に喋りかけている。どうやら通信販売の番組が放送されているらしい。しかしベッドの上に寝ている美兄妹は、コメディアンの垂れ流す情報を完全にシャットアウトしている。

 誰も観ていない空間に向かい、一方的に語りかけるコメディアンと……それを完全に無視し、物憂げな表情でベッドに寝転ぶ兄妹。その様は、なかなかシュールなものであった。




 扉をノックする音が聞こえてきた。ニコライは、ちらりと顔を向ける。

「俺だ。入ってもいいかね?」

 低いが、よく通る声が聞こえた。その途端、隣にいるアデリーナが顔をしかめる。あまり歓迎できない客の来訪なのだ。ニコライもまた、さして嬉しくもなさそうな表情で口を開く。

「鍵なら開いてるよ」


 扉が開き、入って来たのは軍用ジャケットを着た男だ。中肉中背で、金色の髪はぼさぼさだ。軽薄そうな表情でヘラヘラ笑いながら、ベッドの上のニコライに会釈する。

 だが、ニコライは起き上がろうともしない。男は苦笑した。

「ニコライ、あんたから呼び出されるとはね。いったい何の用だ?」

「聞きたいんだがね、奴らとつるんで動画を撮るのも任務なのかい?」

「いいや、あれはただの趣味……兼、小遣い稼ぎさ」

「小遣い稼ぎ?」

 ニコライの目が、すっと細くなる、彼は上体を起こし、男を見つめた。

「ライノ・ラインハルト……僕の記憶が確かなら、君はメルキア国から派遣されたエージェントだったはずだよね。エージェントの任務は、そんなに暇なのかい? それに、金だってそこそこの額を渡しているはずだよ。小遣い稼ぎの必要があるのかい?」

「ああ。一応、この街の状況を観察し……何かあったら上に報告し判断を仰ぐ、それが俺の仕事さ。だから、何も起きなきゃ暇で仕方ない。それに、金はいくらあっても困らないからな。動画を撮って小遣い稼ぎするくらいのことは、大目に見てくれよ」

 ニヤリと笑うライノ。だが、ニコライの目は冷たいままだ。

「君に聞きたい。もし僕が、ミケーラを引き渡してくれと言ったら、君はどうするんだ? 協力してくれるのかい?」

「もう少し待ってくれよ。ここで終わったら、ドキュメンタリーとしちゃ面白くないからな。せめて、闘争の果てに敗北……って形にしてもらわないとさ」

「なるほどね。結局、彼らを動かしているのは君……というわけか」

 ニコライの言葉にはトゲがある。だが、ライノはすました表情のままだ。トゲの存在に気づいていないのか、あるいは気づいていて無視しているか。

「もちろんさ。面白いもんでね、ウッドタウンで無残な死体となった子供の映像を流すと、再生数がグンと跳ね上がる。ところが、幸せそうな子供の映像だと……大して上がりゃしない。大陸の連中はしょせん、自分たちより不幸な奴を見たいのさ。なんとも呆れた話だね」

 そう言うと、ライノはとぼけた表情を浮かべながら、肩をすくめて見せる。だが、ニコライは口元を歪めただけだった。

「その子供の話とミケーラと、どんな関係があるんだい?」

「あんたも、意外と鈍い男だな。要は、感動には死人が付き物ってことさ。最後にミケーラが死ねば、悲劇のヒロイン死す……で涙を絞り出すラストシーンで幕に出来る。ドキュメンタリーとしちゃ、最高の形だろうね」

「ほう。すると、君は最終的にミケーラを殺すつもりなのか?」

「いや、俺が手を下すまでもないよ。いずれは、誰かに消されるだろうさ。この街で長生きできるタイプじゃないしね」

 そんなの当たり前だろ、とでも言わんばかりのライノ。

 その態度に、ニコライは苦笑した。ライノは一見すると軽薄なチンピラだが、その実はかなりのキレ者である。さらに度胸もある。そうでなければ、こんな街に派遣されたりなどしないのだ。

 もっとも、普段はキレ者の部分を微塵も感じさせない、完璧なるゲス男を演じている。その変貌ぶりは、素顔を知っているニコライからすれば敬意に近いものすら感じてしまう。


「まあ、それならそれで構わないんだがね……奴らの中に一人、妙な男がいるね。彼は何者なのかな?」

「妙な男? ああ、あいつはムルソーだ。恐ろしいくらいのバカなんだが、甘く見ちゃいけない。とんでもねえ奴でな……あいつを怒らせたら、一撃で殺されるぜ。俺も二度、殺されかけたからな」

 顔をしかめながら、ライノは答える。未だに、ムルソーに押さえつけられた時の感触が体から消えてくれない。数々の修羅場をくぐってきたはずのライノだが、あの男だけは勝手が違っていた。

 しかもムルソーの場合、その腕力だけでも桁違いだが、何を考えているのか分からない怖さもある。大抵の人間なら、ライノは口先で丸め込む自信がある。しかし、ムルソーにはそれが通じない。本当に、やりにくい相手だ。

 そんなライノの反応を見て、ニコライはクスリと笑った。

「そうかい。なあ、この件が終わったら……そのムルソーくんを連れて来てくれないか?」

「ムルソーを?」

 怪訝な表情を浮かべるライノ。だが、ニコライはすました様子で頷く。

「ああ。もっとも、今すぐというわけじゃない。この件が全て終わった後でいいよ。僕は、ムルソーくんと会ってみたいんだ」

「何をする気だ? あいつは、あんたらの言うことを素直に聞くようなタマじゃないぞ」

「それはどうかな。僕の言うことなら、彼は聞くと思うよ」

 自信たっぷりの表情で言うニコライに、ライノは呆れた顔つきで首を振った。

「あんたのその自信、どこから来るのかねえ。人並みに不安になる、ってことがないのかい?」

「人並み? あいにく僕は人間じゃないんでね。不安という感覚が分からないんだよ」




「お兄さま、あのクズの態度には我慢なりませんわ。いつ殺しますの?」

 ライノが引き上げると同時に、堰を切ったように喋り出すアデリーナ。さっきまで、不快そうな表情でじっと黙り込んでいたのだ。

「そう言うな。奴は付き合いにくい人間じゃない。金さえ与えておけば、あとはこちらの好きにさせてくれるからね」

「でも……」

 口を尖らせるアデリーナを、ニコライは優しく抱き寄せた。

「アデリーナ、僕らはしょせん寄生虫のようなものさ。人間がいなくては、生きていけない。ならば、人間を利用していこうじゃないか……特に、ライノのような手合いをね」







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