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猛獣

 猛獣って奴は、基本的に人間と生活は出来ないもんだ。ライオンが人間を殺すなんざ、実に簡単なことだよ。奴らは、前足の一撃で人間の首をへし折ることが出来るからな。

 仔猫が本気でじゃれついてきたとしても、飼い主は大したダメージは受けない。むしろ、微笑ましい光景に映るだろう。ところが、仮にライオンが本気でじゃれついてきたとしたら、飼い主はひとたまりも無い。それは、惨劇としかいいようのない光景になるだろうな。

 ゾフィー姐さん、俺はあんたの生き方に口を出すつもりはないよ。ただ、ムルソーって奴は……本気で暴れだしたら、あんたが止められるような相手じゃない。ボディーガードとしちゃあ頼もしいが、あいつと暮らすのは猛獣と暮らすのと同じだよ。

 いつか、あんたの手を噛む……いや、食いちぎることになるかもしれないぜ。


 ・・・


 ミケーラは、仰向けで床に倒れていた。

「おばさん、まだだよ……まだ、続けるから」

 汗だくになり息を切らせながらも、ミケーラは起き上がろうとする。だが、ゾフィーは首を横に振った。

「いや、ここまでだよ。何度も言ってるだろ、過ぎたるは及ばざるがごとしってね。トレーニングも、やり過ぎはかえってマイナスだよ」

 そう言うと、ゾフィーはミケーラの汗を拭く。すると、横で見ていたライノが口を開いた。

「なあ、ゾフィー姐さん。あんた、格闘技か何かやってたのかい?」

「中学、高校とレスリングをやってたのさ。これでも、高校の時は全国大会まで行ったんだよ。だから、人の鍛え方は頭に入ってるのさ」

 言いながら、ゾフィーはライノを睨んだ。

「そんなことより、あたしはミケーラの体を拭いてあげたいんだよ。どっか行ってくんないかな」

「おっと、こりゃ失礼」

 軽い口調で言うと、ライノは向きを変えて歩き出した。

 だが、当のミケーラは首を振る。

「今さら恥ずかしがることもないよ。今まで、あたしは裸で暮らしてたんだから。さっさと拭いちゃって」

 ミケーラに言われて、ゾフィーは仕方なく服を脱がせた。持っていたタオルで、彼女の汗を拭く。

「おばさん、いつもありがと」

 不意に、ミケーラの声がした。見ると、彼女の頬はうっすら赤くなっている。ミケーラにとって、裸を見られるより礼を言うことの方が恥ずかしいのだろうか……。

 ゾフィーは胸が潰れそうな思いに襲われた。と同時に、娘のココの幼い頃を思い出す。


(まま、ありがと)


 舌足らずな口調で、お礼を言っていたココ。ゾフィーは涙が溢れそうになり、慌てて上を向く。

「礼なんかいいんだよ。それより、バネの調子はどうだい?」

「うん、大丈夫」


 ゾフィーの言っているバネとは、ミケーラの腕に装着された小型の杭打ち機に付けられているもののことだ。 ミケーラの服に付いている紐をくわえ、思い切り引っ張ることにより、ボールペンほどの大きさの杭が飛び出る仕掛けになっている。かつて工場にて、バネ仕掛けの玩具を作っていたゾフィーのアイデアによるものだった。

 もっとも、威力は大したものではない。ナイフで刺されるくらいの怪我は負わせられるが、銃弾に比べれば殺傷力は遥かに劣っている。

 したがって、この杭で殺すには……至近距離から急所に突き刺すしかない。




「なあ、一つ提案がある。もう少し、まともな場所で暮らさないか?」

 ライノの言葉に、ゾフィーは眉間に皺を寄せた。

「どういうことだい?」

「このウッドタウンには、電気や水道の通ってる場所もある。そこなら、暖かいシャワーだって浴びられるぜ。あんたらさえ望むなら、そういう部屋で暮らすことも可能だ」

 ライノの言葉に、ゾフィーとミケーラは顔を見合せた。

「けどね、ミケーラは追われてるんだろ……そんな場所にいて、大丈夫なのかい?」

「大丈夫、とは言い切れないな。でもな、ここに居ても危ないことに代わりはない。だったら、少しでも居心地のいい場所に越した方がいいんじゃねえのかい」

「あたしは構わないよ。どっちだって似たようなもんさ。なんたって、自分ひとりじゃウンコも出来ない体なんだから」

 言ったのはミケーラだった。吐き捨てるような口調だ。横にいるゾフィーが、複雑な表情を浮かべる。

 だが、ライノはお構い無しだ。

「だったら話は早い。引っ越そうじゃねえか。なあに、俺もあんたらが捕まったら困るからな。あんたらを守るため、出来るだけのことはするよ」

 すました顔で語るライノに、ゾフィーは憎々しげな表情を向ける。

「だったら、いっそミケーラを自由の身にしてやって欲しいもんだね」

「いやあ、そいつぁ無理だな。なんたって、ミケーラが追われる身だってのも賭けの対象だからね。逃亡した奴隷であるミケーラが復讐を完遂できるか? ってのも、見所の一つだしね。そういう展開もあった方が、盛り上がること間違いなしだ」


 このライノ・ラインハルトは情報屋であるが、同時にあちこちに顔が利く男でもある。また、金の匂いにも敏感だ。彼はまず、ウッドタウンの地下を仕切る大物、ノートリアス・ダディという男と話をつけた。

 さらに大陸の人間にも声をかけ、ギャンブルのイベントを開催する。その内容はというと、復讐の標的となっている者たちとミケーラ、果たしてどちらが生き延びるのか……それこそが、賭けの対象なのだ。

 それだけではない。ライノは両手両足を切断されたミケーラの闘う姿をカメラで映し、動画として自身の運営するサイトにて流している。


「いやあ、あんたらのお陰で再生回数が凄いことになってるよ。スポンサーも増えた。これで、さらに大儲けだよ」


 いかにも嬉しそうに、ライノは報告した。そんな彼に対し、ゾフィーは苦々しい思いを抱いている。

 確かに、ライノには世話になっている。ライノがいたお陰で、ミケーラの復讐がやりやすくなったのは確かだ。資金も提供してもらっている。

 しかし、ミケーラを見世物のように扱うライノの態度に、未だ納得いかない部分がある。

 ライノは、こんなことを言っていた。


「大陸じゃあ、障害者が頑張る姿を見せるだけで感動し、金を落とす物好きがいる。ターゲットは、そいつらさ」


 確かに金は必要だ。また、ライノの協力は必要である。しかし、どうしても割りきれない部分があるのも確かだ。

 もし若い頃のゾフィーだったら、ライノとは手を組まなかったはずだ。こんな薄汚い精神の持ち主とは。

 しかし今は、そんなことは言っていられないのだ。ミケーラを助けるためには、手段は選べない。


「ゾフィー姐さん、何やってんだい。さっさと引っ越しの準備をしようや」

 ライノの声で、ゾフィーは顔を上げた。

「ああ、それもそうだね」

 言いながら、ゾフィーは大きいリュックを開ける。

「ミケーラ、この中に入りな」

「ええっ? あたしが?」

 顔をしかめるミケーラ。だが、ゾフィーはすまなそうな表情でなだめる。

「仕方ないだろ、あんたを表に出すわけにいかないんだから。ちょっと窮屈な思いをさせるけど、我慢しとくれ」

「なあ姐さん、そういうのは、あいつに任せりゃいいんじゃねえか?」

 そう言うと、ライノはムルソーを指差す。だが、ゾフィーは首を横に振った。

「駄目だよ。こいつは何をしでかすか分からないからね。それに、ミケーラの身の回りのことは、あたしがやらなきゃならないから」

「そうかい。まあ、それが無難だろうな。さて、行くとしようか」




 一行は地上に出て、警戒しながら進んでいく。

 道路は一応、アスファルトで舗装されている。また、周囲にはコンクリート製の集合住宅らしきものが、ぽつんぽつんと建てられている。

 だが、あちこちにコンクリート片が転がっている。また、建物の壁には所々に弾丸ほどの大きさの穴が空いていた。戦争の時に付いたものか、はたまたチンピラの小競り合いによるものか。

 さらに道ばたには、有り合わせの材料でこしらえた小屋のようなものもいくつか建てられている。

「ライノ、この街にはタクシーはないのかい?」

 ゾフィーの言葉に、ライノは苦笑した。

「ないこともないが、あんまり信用しない方がいいぜ。乗ったが最後、どこに連れて行かれるか分からねえからな」

「そうかい……まったく、素敵な街だね。素敵すぎて泣けてくるよ」

 汗を拭きながら、ゾフィーは愚痴った。

 しかし、彼女は分かっていなかった。このウッドタウンの、本当に素敵な部分を……。


 十字路を通りかかった時、ゾフィーは妙な気配を感じた。明らかに異様な空気が漂っている。

 直後、右側の道から数人の若者が歩いて来るのが見えた。彼らは棒や刃物で武装し、危険な表情で真っ直ぐにこちらを見ている。

「チッ、何なんだい奴らは……」

 警戒心を露に、ゾフィーは辺りを見回した。すると、左手の道からも少年たちが歩いて来ている。こちらもまた、棒やナイフなどで武装していた。

 顔をしかめるゾフィー。その時、ライノが彼女の肩を叩いた。同時に顔を近づけ、耳元で囁く。

「大丈夫だ。奴らは、ここらで小競り合いをしてるガキのグループさ。関係ない人間に手出しするような余裕はねえ。ただ問題なのは、今から敵対するグループ同士が戦争を始めそうな雰囲気だってことさ。巻き込まれる前に、さっさとここを離れよう」

 その言葉に、ゾフィーはそっと頷いた。足早にその場を離れる。何せ、背中のリュックにはミケーラがいるのだ。余計な争いはしたくない。

 だが、ゾフィーは重大なことを忘れていた。


「おい、お前は何なんだよ! 見せ物じゃねえんだぞゴラァ!」

 後ろから、チンピラの吠える声が聞こえた。どうやら、グループ間の戦争が始まったらしい……巻き込まれないよう、ゾフィーは足を早める。

 だが、背負ったリュックから声が聞こえた。

「おばさん、ヤバイよ。ムルソーが絡まれてる」

 ゾフィーは思わず舌打ちし、そっと振り返る。

 ミケーラのいう通りだった。二つの少年グループの間に、ムルソーが突っ立っている。敵意を剥き出しにした少年たちに囲まれているのに、のほほんとした表情で立っていた。

「あのバカ……何やってんだい」

 低い声で、ゾフィーは毒づく。

「どうするんだい、姐さん?」

 ライノが囁いた。ゾフィーは顔を歪め、背負っていたリュックを降ろす。そして、ライノの方に顔を向ける。

「悪いんだけど、いざとなったらミケーラ連れて逃げてくんないかな。こりゃ、早いとこ止めないとヤバいね」


 だが、遅かった。

「聞いてんのかよ、この野郎!」

 少年の一人が、棒を振り上げムルソーに迫る。

 すると、ムルソーはにっこり笑った。嬉しくて楽しくて仕方ない、とでも言いたげに。さらに、これから起こる出来事への期待も込められている……。

「もう駄目だ。奴は止まらない……」

 やり取りを見ていたゾフィーが、絶望的な表情で呟く。

 直後、ムルソーが動いた。棒を構えた少年の顔面に、恐ろしい速さで拳が叩きこまれる――

 グシャリという音と共に、少年は倒れる。その顔には、拳大の綺麗なへこみが出来ていた。

 唖然となる少年たち。だが、ムルソーは止まらない。手近な少年の頭を無造作に掴み、いとも簡単に放り投げた――

 投げられた少年は、コンクリートの壁に叩きつけられる。グチャ、という音の後、壁に大きな染みを作った。彼の体から溢れた血と体液とが、壁にへばり付いている……。


 あっという間に、目の前で二人の人間が死体に変わった。その間、五秒程度しか経過していないだろう。その五秒という時間は、少年たちが何が起きたのか把握するには、あまりにも短すぎた。

 しかしムルソーの方は、次に何をするべきか、きちんと把握している。彼は嬉しそうな笑みを浮かべながら、凄まじい勢いで襲いかかっていった――


「お、おい! あれ、どうするんだよ!?」

 うろたえるライノの腕とリュックを掴み、建物の陰へと引っ張っていくゾフィー。その額には、汗が滲んでいた……。

「とにかく、あいつが落ち着くまで待つんだよ」

 そう言うと、ゾフィーは険しい表情で成り行きを見つめる。

 一方、ムルソーの殺戮は止まる気配がない。ようやく事態を理解し、反撃を開始した少年たちだが……その攻撃を、ムルソーは野良猫のように敏捷な動きで躱していく。

 そして殴り、蹴り、さらには掴んで放り投げ……彼が手足を振るうたびに、少年たちが倒れていった。その様は、幼い子供が虫の群れを潰しているかのようだ――

 

 やがて、少年たちの動きが止まった。その顔は、恐怖で歪んでいる。

 次の瞬間に向きを変え、我先にと逃げ出す。悲鳴とも咆哮ともつかない声を上げ、涙や鼻水を垂れ流しながら走り去っていく――

 その様を見たムルソーは、動きを止め首を傾げた。次に彼は、困惑したような表情で逃げていく少年たちを見つめる。お前ら、なんで逃げるんだ? とでも言わんばかりの様子だ。

 やがてムルソーは、地面に視線を移す。そこには、死体が転がっている。それも、十体以上だ。頭を砕かれ、内臓を潰され、首をへし折られ……無残な姿を晒している。

 次の瞬間、ムルソーの手が伸びる。死体の腕を掴み、無理やりねじ曲げる。さらに捻り、力任せに引っ張る。あたかも、死体の腕を引きちぎろうとしているように――

 その時、ゾフィーが険しい表情で近づいて行った。ムルソーの襟首を掴むと同時に、顔めがけ平手打ちを食らわす。

「いい加減にしな! もう終わりだ! さあ、行くよ!」

 怒鳴ると同時に、ゾフィーはムルソーの腕を引いて行く。ムルソーは物足りなさそうな表情をしながらも、おとなしくされるがままになっている。先ほどの暴れっぷりが嘘のようだ。

 顔をしかめなから、ムルソーの腕を引いて歩くゾフィー。その時、ライノが物陰から出て来た。

「姐さん、凄いな。あんた、よくコイツをしつけたもんだ――」

「しつけ? 出来るわけないだろ。あたしだって、行くタイミングを間違えたら、ムルソーに殺されるかもしれないんだよ」

 震える声で、ゾフィーは答える。彼女にとっても、先ほどの行動は命懸けだったのだ。ムルソーがその気になれば、ゾフィーなど一瞬で殺されてしまうのだから。

 そんなゾフィーに、ライノはそっと声をかける。

「姐さん、ミケーラはどうする? このまま俺が担いで行こうか?」

「えっ……あ、いや、あたしが背負うよ」







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― 新着の感想 ―
[良い点] こっちにも手を出してしまいました。 人犬と聞いて思い出すのは、バイオレンスジャック。 早くも壮絶な匂いが立ち込めてますね。 楽しみに読みたいと思います!
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