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ジョン・マトロック

 いよいよ、復讐劇の幕開けだ。

 最初のターゲットは、ジョン・マトロック。かつては、そのイケメンぶりを活かして女をたらしこみ、だまくらかしてウッドタウンの奴隷商人に叩き売っていたらしい。

 もっともドラッグのやり過ぎで、今じゃあ見る陰も無いらしいがね。ミケーラの復讐リストに載っている奴らの中じゃ、一番弱い相手だろうな。

 ただし、それはあくまで他の連中と比較して……ってことだ。マトロックは、仮にもこの無法地帯で生き抜いてきた男だからな。殺しにも慣れてるはず。並の男よりは強いはずだ。

 さてミケーラ、あんたが手足の無い体で、このクズとどう闘うのか……まずは、お手並み拝見といこうかね。


 ・・・


 マトロックは今、とても苛ついていた。


 薄暗い地下道を、彼は一人で歩いている。この周辺はかつて、爆撃により地下に避難した人々が造り上げた急ごしらえの避難所であった。

 その後、戦争により家や家族を失い、大陸に行くことも出来なかった者たちが次々と集まるようになった。彼らは、地下をどんどん掘り進んで行き……結果、広大な地下迷宮にも似た街が出来上がってしまったのである。

 その上、大陸から逃げてきた犯罪者たちも住み着くようになり、治安は地上よりも悪い。人間の屠殺場……と評されるウッドタウンの中でも、地下街は特に始末に負えない場所である。

 こんな場所で、マトロックは何をしているのかと言うと……彼には、地上にいられない事情があるのだ。


 マトロックはドラッグ漬けになっている頭をさすりながら、地下道を慎重に進んでいく。この先には、彼の馴染みの売人がいる。地上で多くの人間を怒らせ、地下に追いやられてしまった男だ。

 もっとも、マトロックの方も事情は同じである。彼はクリスタルという合成麻薬の依存症……平たくいえば、ヤク中なのだ。クリスタルの射ちすぎにより、あちこちで不義理を働いた挙げ句に地下に潜ってしまったのである。

 このウッドタウンにおいて、地上と地下とでは支配者が違う。両者は協定を結んでおり、お互いのやり方には干渉しないことになっている。

 そんな地下街を、マトロックは警戒しつつ進んでいく。その頬はこけ、肌にはあちこちに染みが浮いている。病的に痩せた体をボロボロの服で隠し、彼は歩いて行った。

 この先に、何が待ち受けているのか知らぬまま。




 不意に、周囲が明るくなった。

 マトロックは意表を突かれ、慌てて目を覆う。すると今度は、よく響く男の声が聞こえてきた。

「ジョン・マトロック、よく来たな。さあ、ショーの始まりだ!」

 マトロックは、慌てて周囲を見回す。そこは、かつて地下の駐車場だが……今ではロクデナシの溜まり場となっている。彼は、そのロクデナシに用があって来たのだ。

 しかし今、そのロクデナシたちは一人残らず姿を消している。代わりに、奇妙な一団がいた。


 一人は軍用ジャケットを着た、中肉中背の金髪の男だ。大型のテレビカメラを担ぎ、レンズをマトロックに向けている。

 もう一人は、灰色のコートを着た青年だ。何を考えているのか、つかみどころのない顔つきで突っ立っている。

 さらに一人、しゃがみこんでいる中年女がいる。がっちりした体格で顔も丸いが、険しい表情を浮かべながら何かを囁いていた。

 最後の一人は、中年女のすぐ隣にいる。顔の右半分に酷い火傷を負っており、髪の毛はほとんど無い。

 だが、それよりも注目すべき点がある。両手と両足が、すっぱり切断されていることだ……。


 ・・・


「久しぶりだね、ジョン・マトロック……あたしの顔を忘れたのかい?」

 言いながら、ミケーラは不気味な笑みを浮かべる。しかし、目はマトロックから離さない。

「まあ、あたしの顔もすっかり変わっちまったからね。何の因果か、このザマさ。けどね……あたしは、お前の面を忘れたことはないんだよ!」

「ま、待てよ! お、お前ら何なんだ!」

 叫ぶと同時に、後ろに下がっていくマトロック。だが、その動きにムルソーが反応した。一瞬のうちに、彼の背後に回り込む。

「おいおいマトロック、逃げないでくれよ。あんたと、このミケーラ・リンクの闘いは賭けの対象になってるのさ。ミケーラと闘い、勝てば金が入るんだぜ。悪くない話だろ」

 そう言って、ライノはにやりと笑った。

「な、何だよそれ……俺は聞いてねえよ」

 呟くように、言葉を返すマトロック。すると、たまりかねたようにゾフィーが立ち上がった。

「いい加減にしな、この腐れ外道が! このミケーラは、お前を殺すために地獄から這い上がって来たんだ! 嫌だって言うなら、ムルソーがお前の首をへし折るよ!」

 ゾフィーが怒鳴ると同時に、ムルソーの手が伸びた。マトロックの首根っこを掴み、一瞬にして地面にねじ伏せる。

「おばさん、俺が殺していい?」

 感情が一切こもっていないムルソーの言葉は、あまりにも不気味であった。しかも、腕力は人間離れしている。抵抗する気すら起きない。

 マトロックは恐ろしさのあまり、無言のまま震え出した。この男には、どうあがいても勝てない……マトロックは理性ではなく、本能のレベルでそれを理解したのである。

「やめなよムルソー。そいつはミケーラの獲物だ。放してやんな」

 ゾフィーの言葉に、ムルソーは素直に従った。マトロックの首から手を放し、彼から離れる。

「おいマトロック、いい加減に腹を括れよ。お前だって、この街で今まで生き抜いてきたんだろうが。ミケーラに勝てば、俺は何もしねえよ。さっさと始めろ」

 うんざりしたようなライノの声に、マトロックは震えながらも立ち上がる。

「こ、こいつと闘えばいいんだな?」

「ああ、そうさ。早いとこ始めてくれ。カメラ担いでんのもキツいんだよ」

 答えるライノ。それを聞いたマトロックは、歪んだ笑みを浮かべる。

 次の瞬間、バタフライナイフを取り出した。

「本当に、この人犬を殺すだけでいいのか!? だったら余裕だよ! すぐにぶっ殺してやっからよ!」

 喚きながら、ナイフを振るマトロック。すると、ゾフィーの顔が怒りで歪む。

「このクズがぁ! 男らしく素手で勝負できねえのか!」

「いいよ、おばさん」

 冷めた口調で言いながら、ミケーラは四つん這いの体勢で進んでいく。ナイフに怯む様子は無い。

「こいつは、女とヤる時もナイフが手放せない腰抜けなのさ。そうだろ、マトロック?」

 言いながら、挑発するような笑みを浮かべるミケーラ。

 マトロックの顔が、怒りで歪んだ。

「んだとぉ……この犬がぁ! ぶっ殺してやる!」

 怒鳴ると同時に、ナイフを振り上げるマトロック。と同時に、ライノの声が響き渡った。

「さあ、ショーの幕開けだよ! 賭けは閉め切り、そして闘いの始まりだ!」


 マトロックは血走った目で、バタフライナイフを振り回す。だが、ミケーラは四つん這いの姿勢だ。当然、当たるはずがない。

 しかも、ミケーラの動きは異様に速い。まるで猫のように、しなやかで敏捷な動きである。片やクリスタルを射ちすぎ、ボロボロになっているマトロックの動作は鈍い。見切るのは簡単だ。

「どうしたんだい、このウスノロが! お前はしょせん、女を引っかけるしか能の無いクズだね!」

 マトロックの攻撃を躱しながら、なおも挑発するミケーラ。

 ついに、マトロックの苛立ちは頂点に達した。

「てんめえ! さっさと死ねやぁ!」

 逆上したマトロックは、ナイフを逆手に構えて振り下ろす――


 ミケーラは、その瞬間を待っていたのだ。地面にナイフを振り下ろす動作をすれば、必然的にマトロックの顔面も地面に近づくこととなる。

 その瞬間、ミケーラは振り下ろされたナイフを躱した。

 直後、全身の力を解放させ跳躍する。

 自らの額を、マトロックの顎に叩き込んだ――

 想定外の重い一撃を顎に受け、マトロックはよろめいた。地面に両手を突き、四つん這いの体勢になる。

 その隙を、ミケーラは見逃さなかった。マトロックの左の耳たぶに噛みつく。

 次の瞬間、一気に引きちぎった――

「ぎゃあああ!」

 悲鳴をあげるマトロック。思わずナイフを離し、両手で血の吹き出る左耳を押さえ転げ回る。

 クリスタルの中毒者は、日頃から薬により神経の働きを意図的に狂わせている。そのため、クリスタルが切れると……痛みへの耐性が、常人より低くなる。

 ましてや、マトロックは耳たぶを引きちぎられたのだ……その痛みは、発狂しそうなものである。

 マトロックは痛みのあまり、泣き叫びながら両手で耳のついていた部分を押さえる。

 そんなマトロックを、ミケーラは凄まじい形相で睨みつける。

「痛いかい……でもね、手足を切られるのは、もっと痛いんだよ!」

 吠えると同時に、ミケーラは近づいていく。

 そして右腕を上げた。彼女の、肘のあたりまでしかない腕。その先端が、マトロックの目の前に突き出される。

 震えながら、その腕を凝視するマトロック。よく見ると、腕にはバンドのような物が巻かれている。

 さらに、そのバンドにはボールペンのような物が付いているのだ。

 いや、あれはボールペンではない。

 あれは、金属製の杭だ――

「あの世で、ベルタとカーラに詫びるんだ!」

 ミケーラが叫んだ直後、妙な機械音とともに、杭が伸びる――

 杭はマトロックの眼球を貫き、脳にまで達した。


 ジョン・マトロックは何が起きたのかも分からぬまま、その人生を閉じた。彼は死んだ今となっても、自身に何が起きたのかは把握できていないだろう。

 マトロックという男は流されるように生き……地下で殺された。自身を殺した者が誰であるのか、それすら思い出さぬまま。

 ただ一つの救いは、マトロックの死を大勢の人が知ったことだ。彼の死に対し、落胆の声を上げる者がいる。また、罵詈雑言を浴びせる者もいる。

 マトロックは最低のチンピラだったが、その最期は多くの人間に影響を及ぼしたのだ。このウッドタウンに生きる多数の弱者よりは、遥かにマシな死に方であろう。

 もしかしたら、生きている時よりも今の方が幸せかもしれなかった。




 荒い息を吐きながら、マトロックの死体を睨むミケーラ。すかさず、ゾフィーが駆け寄っていく。一方、嬉しそうに騒ぎ出す者もいた。

「やったぞミケーラ! これで大儲けだ! いやあ、さすがだねえ!」

 ライノは愉快そうな表情で叫ぶと、隣にいるムルソーにテレビカメラを渡す。

「おい、悪いけどこれ持っててくれ」

 その言葉に、ムルソーは無表情で頷いた。テレビカメラを軽々と担ぐ。

 ライノは携帯電話を取り出すと、嬉しそうに話し始めた。

「今の、観てくれたかい!? 賭けはミケーラの勝ちだ!」


 そんなライノを尻目に、ゾフィーはタオルを手にした。

「大丈夫かい?」

 ミケーラに寄り添い、汗を拭くゾフィー。ミケーラは荒い息を吐きながら、死体となったマトロックから杭を引き抜く。

 ついさっきまで、動いていたはずのマトロック。だが、今では死体となっている。死んだ今でも、消えない恐怖に怯えた表情のまま……。

 ミケーラは顔をしかめ、目を逸らした。その様子を見たゾフィーが、優しく抱き締める。

「人を殺したのは、これが初めてかい?」

 ゾフィーの言葉に、震えながらこくんと頷くミケーラ。すると、ゾフィーは口元を歪めた。

「嫌なもんだろ……あたしも、初めて人を殺した後は吐いちまった。でも、あたしは止めなかった。殺し続けたんだよ。結果、こんな肥溜めみたいな街に流れ着いちまった」

 言いながら、ゾフィーは視線をライノに移す。彼は上機嫌で、携帯電話に向かい話していた。

「ったく、あいつは本物のクズだね。人の生き死にで稼ぐなんざ最低だよ」

 吐き捨てるような口調で言ったゾフィー。だが、ライノには聞こえていないらしい。上機嫌で、携帯電話に向かい話し続けている。

「へっ? いやいや、それくらいは大目に見てくださいよ! 何せ、こっちは手足が無い女なんですから! 向こうだってナイフ抜いてましたしねえ!」


「あの野郎、そのうち前歯をへし折ってやる……」

 ゾフィーは毒づいた後、案ずるような表情でミケーラを見つめる。

「ミケーラ、嫌になったんなら止めてもいいんだよ。ムルソーなら、確実に仕留めてくれるから――」

「いや、あたしがやる。あいつら、必ず皆殺しにしてやる」

 低い声で言いながら、ミケーラは死体となったマトロックを睨みつけた。







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