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外道猟兵ミケーラ・リンク  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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27/28

ありがとう

 彼は、ずっと殺し続けていた。




 ムルソーは、他の人間とは違っていた。

 他人が、彼に向ける表情は基本的に二種類しかない。嘲笑、もしくは怒りだ。なぜ、そんな表情を向けられるのかムルソーには分からなかった。

 一つだけ分かることは……ムルソーは、どちらの表情を向けられるのも嫌だという事実。その表情は、彼に不快な気分を呼び起こした。自分に、そんな顔を向けて欲しくない。

 だから、ムルソーは相手を殴った。目の前から、その顔を消し去るために。

 不快なものから、逃れるために。

 他人と接触するたびに、向けられる嘲笑もしくは怒りの表情。

 それに対し湧いてきた感情に任せ、ムルソーは目の前にいる者を殴った。さらに蹴とばし、掴んで放り投げた。すると、相手の表情は変化する。自分にとって不快な表情が消え、代わりに苦痛や恐怖といった感情が浮かぶ。

 ムルソーは嬉しかった。拳を振るえば、全てが変わる。彼にとって、望ましい方向に。


 だが、ムルソーが成長するにつれ状況は変化していた。いつからか、彼が殴ると、相手は倒れて動かなくなる。血を流したり、ビクビク痙攣したり、汚ならしいものを吐いたりもした。

 すると、別の誰かが叫ぶ。人殺し、と。

 ムルソーは、他の何者かとコミュニケーションを取る方法を知らない。他者と接触すれば、最終的には闘うことになる。しかし、大人になったムルソーと闘った相手は、例外なく死んでいくのだ。

 いとも容易く。

 相手が死ぬと、ムルソーはとてつもなく嫌な気分になった。胸にぽっかりと穴が開き、たまらない寂しさに襲われる。

 だから、ムルソーは腕をもぎ取った。次に足をもぎ取り、首を引きちぎる。死体をバラバラにして、立ち去って行った。それ以外に、己の内から生じる虚無感と闘う術を知らなかった。

 他人と闘い殺し、その死体をバラバラにする……それがムルソーの日常であった。

 ゾフィーに会うまでは。




 あの日、ムルソーは見たのだ。

 大きな体の若い男が、中年の女を蹴飛ばしている。それ自体は、さほど珍しい光景でもない。

 ただ普通と違うのは、圧倒的に不利な状況でありながらも……中年の女は闘う意思を捨てていなかったことだ。

 今まで会った人間は皆、ムルソーとの圧倒的なまでの力の差を知ると、すぐに闘う意思を捨てていた。

 だが、その女は力の差を知りながら、なおも闘おうとしているのだ……殴られ蹴られ血ヘドを吐きながらも、必死の形相で食らいついている。ムルソーは、その光景から目が放せなかった。


「何やってんだ?」


 思わず出ていた言葉。男が何か言っているのが聞こえる。だが、うっとおしいだけだった。ムルソーは男を無視し、またしても女に尋ねる。

「何やってんだ?」

 ムルソーは不思議だった。勝ち目が無いのに、なぜ闘うのだろう。

 だが、邪魔が入った。

「てんめえ……聞いてんのか!」

 喚きながら、近づいて来た男。手を伸ばし、ムルソーの襟首を掴んでくる。

 ムルソーは苛立った。こんな男には、欠片ほどの興味も持てない。

「お前には聞いてない」

 言うと同時に、ムルソーは額を叩きつけた。

 直後、男の顔面は潰れた。頭蓋骨が砕け、首がめり込む。まるで壊れた人形のようだ……。

 だが、ムルソーはそんなものに興味はない。彼は呆然としている中年女を見つめ、問いを繰り返す。

「何してんの?」

 すると、中年女はムルソーを見上げた。

「あ、ああ、ちょっとね……」

 間の抜けた言葉を吐きながら、中年女は立ち上がろうとした。しかし、顔を歪めて崩れ落ちる。どうやら全身が痛くて仕方ないようだ。

 その時、ムルソーは初めて他人を気の毒だと思った。立てないくらい、体が痛むらしい。ならば、手を貸して立たせてやろう。

「おばさん、痛そうだね。大丈夫?」

 言いながら、ムルソーは手を伸ばした。

 すると、中年女はなぜか笑い出したのだ。ムルソーは一瞬、顔をこわばらせる。他人の笑顔は、嫌いなのだ。潰したくなるくらいに……。

 しかし、中年女の笑顔は他の者とは違っていた。どこか暖かいものを感じさせる。さらに、優しい匂いもする。

 気がつくと、ムルソーも一緒に笑っていた。




 以来、ムルソーは中年女と旅をするようになる。

 ゾフィーと名乗った中年女は、ムルソーの身の回りの世話をするようになった。ムルソーの知らないことを教えてくれたし、美味しいご飯も作ってくれる。ゾフィーと一緒にご飯を食べると、なぜか心が暖かくなった気がした。

 かと思うと、大声で怒鳴りつけることもあった。時には、ムルソーに平手打ちを食らわせることさえあったのだ。

 その気になれば、こんな中年女など一撃で殺せるはず……以前のムルソーならば、叩かれた時点で即座に殺していただろう。

 だが、ムルソーを怒鳴り付けるゾフィーの体は震えていた。また、その目には哀しみがある。単純な怒りではなく、体を張って自分に何かを教えようとしている……その気持ちが伝わってきていた。他の人間とは、まるで違う。

 いつしかムルソーにとって、ゾフィーは無二の存在となっていたのだ。


 ・・・


 ムルソーは歩いていた。

 左足は、未だに動きが悪い。感覚は少しずつ戻ってきてはいる。だが、上手く力が入らないのだ。

 それでも、ムルソーは歩き続けた。ニコライの生首を咥え、左足を引きずりながら進んで行く。左手を壁に付け体を支えながら、右足だけで歩いていた。

 だが途中、バランスを崩して転倒する――

 ムルソーは、とっさに右手を突きだそうとした。だが右手には麻痺が残り、上手く動かない。彼は床に倒れこみ、顔面をしたたかに打ち付ける。

 顔をしかめながら、ムルソーはどうにか上体を起こした。壁に背中をもたれかけ、辺りを見回す。すると暗がりの中、人影を発見した。

 人影は彼を見つめ、ゆっくりと歩いて来る。その近づいて来た者が誰であるか理解した瞬間、ムルソーは驚きのあまり咥えていた首を落とした……。


「ムルソー、お別れを言いに来たよ」


 寂しげな笑みを浮かべているのは、見覚えのある人物だった。作業着のような服を着た、がっしりした体格の中年女だ。顔は丸く目付きは鋭いが、どこか暖かみのある雰囲気を漂わせている。唯一、ムルソーが逆らえなかった人間。

 そう……死んだはずのゾフィーが、目の前に立っていたのだ。


「お、おばさん……」

 そう言ったきり、ムルソーは絶句する。もともと口の回る方ではないが……今は、溢れる思いのため言葉が出てこない。

 そんなムルソーを見て、クスリと笑うゾフィー。

「まったく、あんたは相変わらずだね」

 言いながら、ゾフィーはしゃがみこんだ。その顔には、奇妙な表情が浮かんでいた。

「ムルソー、ごめんよ」

 呟くようなゾフィーの言葉に、ムルソーは困惑し首を傾げる。何を言っているのか分からない。なぜ、謝るのだろうか?

「な、何?」

「あたしは、もうここにはいられないんだよ。本当に、ごめんね」

 ゾフィーの顔には、見たこともないような表情が浮かんでいる。様々な感情が入り混じり、今にも溢れだしそうな様子だ。

 ムルソーは、さらに混乱した。

「お、おばさん……何を言ってるの?」

「本当は、もう逝ってなきゃならなかったんだよ。でも、わがまま言って残ってたのさ。あんたのことが、心配だったからね」

 そう言うと、ゾフィーは微笑んだ。だが、いつもの快活な笑顔とは真逆だ。どこか寂しげな……。

「もう時間がないんだ。あたしは、旅に出なきゃならないんだよ――」

「じゃあ、俺も行く!」

 ゾフィーの言葉を遮り、ムルソーが叫んだ。すると、彼女は首を振る。

「それは駄目だよ」

「何でだ?」

 ムルソーの声は、次第に熱を帯びてきている。だが、ゾフィーの表情は険しいものだった。

「あんたは、生きなきゃならないんだよ。あたしがいなくても――」

「嫌だあぁ!」

 ゾフィーの言葉を遮り、ムルソーは叫んだ。いつの間にか、その目から涙が溢れている……。

「嫌だ! おばさんがいないなんて嫌だ! 嫌なんだよ!」

 無人の廊下で、ムルソーの声が響き渡る。だが、その声には感情がこもっていた。彼は今、体を震わせ顔をくしゃくしゃに歪ませながら、ゾフィーを睨んでいる……先ほどのニコライとの死闘ですら、こんな表情はしていなかったのに。

 ゾフィーは、じっとムルソーを見つめた。優しく微笑みながら、口を開く。

「あんたの目からも、涙が出るんだね……」

「うるさい!」

 嗚咽を洩らしながら、なおも怒鳴りつけるムルソー。するとゾフィーは、真剣な表情になった。

「今、どんな気分だい?」

「えっ……」

「良い気分かい? それとも嫌な気分かい――」

「嫌な気分に気分に決まってるだろうが!」

 ゾフィーの言葉を遮り、ムルソーは叫んだ。泣きながら、なおも叫び続ける。

「俺は嫌なんだよ! おばさんがいないなんて……嫌だ! そんなの、絶対に嫌なんだよ!」

「今のその気持ちを、忘れるんじゃないよ。あたしは今から、あんたに大事なことを教える。これは、とっても大切なことだからね。あたしが最後に、あんたにしてやれることさ」

 静かな口調で語るゾフィー。ムルソーの顔が、さらに歪んだ。

「で、でも――」

「黙って、あたしの話を聞くんだ。人が死ねば、涙を流す奴がいる……今のあんたみたいにね。大切な人が死ねば、悲しむ者がいる。苦しむ者がいる。困る者がいる。あたしが殺されたと聞いた時、ミケーラはどうなった?」

「凄く……泣いてた」

「そうかい。でもね、あんただって多くの人間を殺してきた。その裏では、涙を流した者が大勢いたんだよ。ミケーラや、今のあんたのようにね」

「えっ……」

 ムルソーは絶句し、そのまま下を向く。彼は、ようやく理解したのだ……自分のしてきた行動の、本当の意味を。

「いいかい、あんたは今まで罪を犯してきた。その罪を背負って生き続けなきゃならないんだ。そして、これからは……あんたが、ミケーラとマオのことを守るんだよ」

「俺が……」

「そうだよ。あんたが守るんだ」

 そこで、ゾフィーは首を横に振った。

「いや、違う。あんただけが守るんじゃない。あんた、ミケーラ、マオ……この三人で寄り添い、助け合って生きていくんだ。いいね? これは、あたしの最期のお願いだ。約束だよ?」

「わ、分かった。約束する……俺が、みんなを守るから……」

 涙を流しながら、ムルソーは何度も頷く。

 そんなムルソーに、ゾフィーは微笑みかけた。

「あんたと一緒の生活は、凄く大変だった。あんたは本当に、手がかかる子だったね。まるで、怪獣の子供を育ててるような気分だったよ」

 そう言うと、ゾフィーは昔を懐かしむようにクスリと笑った。

 だが、ムルソーは笑えなかった。胸が潰れそうな気分に襲われ、何も言えずにいる。叱られている子供のように下を向き、唇を噛みしめる。

 これまでゾフィーに、どれだけのものをもらっただろうか……なのに自分は結局、何もしてあげられなかった。

 もはや今となっては、自分には何も出来ないのだ。

 床を見つめ、肩を震わせるムルソー。すると、ゾフィーは彼の頭を撫でた。

「けど、楽しかったよ……あんたとの旅は。あんたのお陰で、あたしは生きる張り合いが出来た」

 その声は震えていた。ムルソーは、はっと顔を上げる。

 彼を見つめるゾフィーの目に、涙が浮かんでいた。

「立つんだよ、ムルソー。あんたには、休んでる暇なんかないんだよ。立って、前に進むんだ。もう、あたしはあんたを助けてやれないんだから……これからは、自分の足で歩いて行くんだ。いいね……」

 声をつまらせながら、ゾフィーは言った。

 そして立ち上がり、背中を向ける。


「ありがとう、ムルソー……」


 言葉の直後、ゾフィーは消えた――




「なあ」

 耳元で、妙な声が聞こえる。ムルソーは、ゆっくりと目を開けた。

「なあ」

 またしても聞こえてきた声。横を見ると、マオが心配そうな様子でこちらを見ている。いつから居たのだろうか。

 いや、それ以前に……どうやって、ここまで来たのだろうか?

「お前、どうしてここに……」

 ムルソーは呟いた。しかし、マオは首を傾げるだけだ。

 その時ムルソーは、ニコライの言葉を思い出した。


(君は僕と同じだ。科学者の手で人工的に作られた、人間とは呼べない哀れなる生物さ。人間は子供を、両親の愛の結晶などと表現する。ならば、僕たちは何なんだろうね……さしづめ、科学者の欲望の結晶といったところかな)


 欲望の結晶。

 確かにムルソーもニコライもアデリーナも、科学者の欲望の産物なのだろう。細胞を人工的に培養し、配列を変え、さまざまな手を加え……普通の人間とは、違う能力を持った者を造り上げる。

 目の前にいるマオもまた、自分やニコライと同じなのだ。愛玩用に改造された、人間とは違う生物。


 違う。


 ムルソーは、心の中でそう呟いた。ゾフィーがいなかったら、自分は何をしていたか分からない。

でも、一つ確かなことがある。

 自分もマオも、今は欲望の結晶ではない。


(あんた、ミケーラ、マオ……この三人で寄り添い、助け合って生きていくんだ。いいね?)


「そうするよ、おばさん」

 ムルソーは独り呟き、左手で壁にもたれながら立ち上がる。左足はどうにか、動くようになったらしい。

 その時、大事なことを思い出した。ミケーラはどうなった?

「ミケーラはどこだ?」

 ムルソーが尋ねると、マオはうんうんと頷き、通路の先を指差す。

「なあ」

 彼女の指差す方向を見ると、こちらに歩いて来る者がいた。一人……いや、二人だ。


「ようムルソー、生きてたのかい」


 その声には、聞き覚えがある。ライノ・ラインハルトだ。普段とは違い、妙に爽やかな表情でこちらに歩いて来る。いかにも満足したような……。

 その両腕には、何かが乗っていた。

 ミケーラだ。まるで映画のヒロインのように、お姫さま抱っこの体勢である。彼女も疲れきっているらしい。

「ムルソー、殺ったんだね……」

 弱々しく笑うミケーラ。ムルソーも笑い返す。

「殺ったよ、ミケーラ」








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