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外道猟兵ミケーラ・リンク  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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26/28

ニコライ

 薄暗い廊下を、ムルソーは歩き続けている。前を進むニコライは、さっきから一言も喋っていない。

 本音を言えば、ミケーラのことが心配だった。話があるなら、さっさと終わらせて欲しい。しかし、ニコライは無言のまま歩いていくだけだ。ムルソーは、だんだん不快な気分になってきた。

 もし、ニコライの提案がウッドタウンの他の場所でなされたのなら、ムルソーは気にも留めなかっただろう。ニコライを敵と判断し、即座に殴りかかっていたはずだ。

 しかし、この建物は不思議であった。中は薄暗く、異様な雰囲気が漂っている。ウッドタウンの他の場所とは、明らかに違っていた。何より不思議なのは、遠い昔に似たような風景を見た記憶があることだ。

 さらに、ニコライとアデリーナにも何かを感じた。他の人間とは、まったく違う何かを。

 ニコライは、もしかしたら知っているのかもしれない……自分の違和感の正体を。

 だから、ニコライと話す気になったのだ。




 廊下をしばらく歩くと、またしても鉄の扉がある。ニコライは扉を開け、中に入って行く。ムルソーも後に続いた。

 この部屋は、先ほどいた場所とは違っている。小さな椅子が数個並べられており、ホワイトボードも設置されている。

 ムルソーは、ホワイトボードが何であるかは知らない。しかし、何か引っかかるものを感じる。

「ムルソー、この部屋に見覚えはないかい?」

 ニコライは、にこやかな表情でムルソーに語りかける。敵意らしきものは、まるきり感じられない。むしろ、それとは真逆の親愛の情すら感じられるのだ。

 そんな態度に、ムルソーは戸惑った。怪訝な表情で思わず首を傾げる。目の前にいる男が、本当にゾフィーを殺したのだろうか。

「お前は、本当におばさんを殺したのか?」

「おばさん? 誰だい、その人は?」

 逆に聞き返すニコライ。やはり、敵意らしきものは感じられない。ムルソーは戸惑うばかりだった。

「おばさん……いや、ゾフィーさんだよ」

 言い直したムルソーに、ニコライは頷いた。その顔には、優しい笑みを浮かべている。

「ああ、ゾフィーさんか。悪いが死んでもらったよ。そんなことより、この部屋に見覚えはないかな?」

 あまりにも軽い口調に、ムルソーは戸惑いながらも答えた。

「わ、分からない」

 そう、ムルソーに分からなかった。似た風景を見た記憶がある。だが、それはここではない。

「そうか、分からないか。では、言い方を変えよう。ここに似た場所を、見たことはあるかい?」

 ニコライの口調は、とても優しいものだった。まるで、幼い子供に接するかのように……ムルソーは頷いた。

「うん、ある」

「やはりね。思った通りだよ」

 そう言うと、ニコライは笑みを浮かべて部屋を見回す。ムルソーは首を傾げた。思った通り、とはどういう意味だろうか。

 やがて、ニコライが口を開く。だが、その口から発せられた言葉は想定外のものだった。

「ムルソー、君と僕とは兄弟みたいなものなんだよ」

「兄弟?」

 思いもかけぬ言葉を聞き、ムルソーはさらに困惑した。兄弟とは、一体どういうことだ?

 そんなムルソーに向かい、ニコライは語り続ける。

「いいかい、君は大陸のメルキアという国で造られたんだ。ちょうど、こんな風な場所だよ。君は昔、こんな場所にいたんだよね?」

「あ、ああ」

 そう、確かに似たような場所にいた記憶がある。何をしていたのかは分からないが、他の子供たちと一緒に椅子に座っていた。

 しかも今のニコライと、同じような服を着ていた。


「君は僕と同じだ。科学者の手で人工的に作られた、人間とは呼べない哀れなる生物さ。人間は、子供を両親の愛の結晶などと表現する。ならば、僕たちは何なんだろうね……さしづめ、科学者の欲望の結晶といったところかな」

 淡々とした口調で、ニコライは語る。その表情には、どこか悲しげな雰囲気がある。

 だが、ムルソーの方はさらに混乱していた。

「どういうことだ? じゃあ、俺は人間じゃないのか?」

「そうだよ。君には両親がいない。人工的に細胞を培養され誕生したんだ。しかも、人間とは違うDNAの持ち主だ。そんな者を、どうあがいても人間とは呼べないだろう」

 ニコライの発する言葉の中には、ムルソーには理解できない単語がいくつも出てきた。しかし、理解できたこともある。

 自分が人間ではない、ということだ。

 幼い頃の記憶はないが……昔から他の人間よりも力が強く、走るのも速かった。傷の治りも異常に早く、病気になったこともない。

 確かに、自分は人間ではないのかもしれない。


 そんなムルソーに向かい、ニコライは微笑みながら言った。

「僕は、君と共に生きていきたい。この街なら、望むものは何でも手に入る。君が求めるものはなんだ? 言ってくれれば、僕が手に入れてあげよう」

 その言葉に、ムルソーは下を向いた。自分の欲しいものとは何だろうか。じっと考えてみる。

 ややあって、彼は顔を上げた。

「じゃあ、おばさんを返してくれ。そうすれば、あんたの言うことを聞く」

「おばさん? 誰だいそれは?」

 その返事に、ムルソーの表情が変わる。

「さっき言ったろう。ゾフィーさんのことだ」

「ゾフィー? ああ、すまないね。何せ、取るに足らない人間のことなど、いちいち覚えていられないんだよ」

「取るに足らない? どういう意味だ?」

 真顔で尋ねるムルソーに、ニコライはくすりと笑った。

「面倒くさい男だね、君は。まあ、いいじゃないか……彼女は、我々より劣る存在だった。だから死んだ。もう帰っては来ない。それだけだよ」

「劣る、だと……」

 ムルソーの胸に、奇妙な感情が湧き上がってきた。今まで感じたこともない、怒りと憎しみ、さらには悲しみが。

「そう、彼女は劣るよ。僕たちより劣っている――」

 その瞬間、ムルソーは動いた。硬い拳が高速で放たれ、ニコライの顔面に炸裂する――


 ニコライは吹っ飛び、壁に叩きつけられた。美しい顔が無残に変形している。常人なら頭蓋骨が陥没し、即死しているはずだ。

 だが、彼は即座に起き上がった。何事もなかったかのような表情を浮かべている。しかも顔の傷は、みるみるうちに癒えていくのだ……。

 驚き、戸惑うムルソー。直後、彼の体にも変化が生じた。右手がだらんと垂れ下がり、動かなくなったのだ。

 ムルソーは必死で力をこめ右手を動かそうとするが、全くいうことを聞かない――

「アデリーナの言ったことは正しかったな。やはり君は、我々とは違うらしい。ならば、死んでもらうしかないな」

 そう言うと、ニコライは楽しそうな表情で近づいてきた。しかし、ムルソーは後ずさるばかりだ。なぜか知らないが、右手が動かなくなっている。こんな事態は初めてである。ムルソーは、どうすればいいのか分からなかった。

 訳も分からず、ただただ後退するムルソー。そんな彼を見たニコライは、不思議そうに首を傾げ歩みを止めた。

「おかしいな。大抵の人間は、もうじき心臓が止まるはずなんだが。では、もう一度試してみようか」

 言った直後、ニコライは一瞬にして間合いを詰める――

 ムルソーは、半ば本能的に左足を伸ばした。ニコライをそばに寄せたくない……その思いから、彼に前蹴りを食らわしたのだ。

 左足は真っ直ぐ伸び、ニコライの腹に炸裂した。彼はまたしても吹っ飛ばされ、床に倒れる。

 その時、ムルソーは左足にちくりとした痛みを感じた。直後、左足の感覚が消える――

「なるほど、一応は君も同類というわけか。だから、毒では死なないのだね。なるほど……だったら、首をへし折り心臓を潰すとしようか」

 立ち上がったニコライの口調は、冷静そのものである。だが、その冷静さがムルソーに恐怖を呼び起こした。

 声にならない叫び声を上げ、ムルソーは逃げ出した。施設の奥に続く道を、這うようにして進んでいく。彼は恐怖で判断力を失い、ただただニコライから離れることしか頭に浮かばなかったのだ。

 そんなムルソーを見ながら、ニコライはくすりと笑った。

「君は、本当に無様だな。もう少し楽しませてくれるかと思ったんだがな……じゃあ、君にチャンスをやろう。十数えるから、好きなように逃げるんだ」




 左手と右足とを懸命に動かし、ムルソーは逃げていた。自分のいる場所がどこなのか、どこに行けば逃げられるのか、そんなことはまるで分からない。奴から遠ざかりたい、その思いだけで動いていたのだ。

 目の前に、鉄の扉が見えた。ムルソーは扉を開け、部屋の中に入る。扉を閉め、あたりを見回した。

 だが、そこは行き止まりであった。入って来た扉の他には何もない、空っぽの部屋である。彼には、もはや逃げるための道はなかった。

 絶望のあまり、ムルソーはその場にしゃがみこむ。


 ムルソーは、生まれて初めて絶望と恐怖を感じていた。自分では、制御できない感情だ……体がガタガタ震え、立ち上がることが出来ない。そもそも、右足だけでは立つことすら困難だが。

 ニコライは強すぎた。かつて仕留めた、二メートルを超す灰色熊よりも遥かに強い。あんな化け物と会ったのは、生まれて初めてだ……。

 まして、今は右手と左足が動かない。こんな体で戦ったら、確実に負けるだろう。

 いや、負けるだけではない……殺されるのだ。こんな体で戦ったら、確実に殺される。


 俺は死ぬのか?


 そう思った瞬間、声が聞こえてきた。


「君には失望したよ。この程度とはね……やはり、君は出来損ないだ。ジュドーたちと同じだね」


 ニコライの声が響く。だがムルソーには、言葉の意味は全く分からない。分かるのは、ニコライに捕まったら殺されるということだけだ。

 そのニコライが今、近づいて来ている。足音も聞こえてきた。奴はついに、この部屋に入って来たのだ。

 もう、逃げられない。手足が動かない体では、抵抗も出来ず殺されるだけだ。ムルソーは本能的に顔を覆い、現実から逃避しようとした。

 その時だった。


(何をやってんだい! さっさと奴の心臓を潰してやりな!)


 その聞き覚えのある声に、ムルソーは大いに戸惑った。今、何が起きたのか?


(ミケーラのことを思い出すんだよ! あんたがやらなきゃ、ミケーラはどうなるんだ! 奴は、心臓を潰せば死ぬ!)


 またしても聞こえてきた声。いや、それは声ではない。脳……いや、心に直接響いてくるものだ。

 直後、ムルソーの脳裏に甦った映像があった。両手と両足が切断された体でありながら、必死の形相で闘っていた者の姿。凄まじい意思の力でハンデを克服し、外道どもを次々と自らの力で仕留めていった、あの女を。


 そうだ。

 ミケーラは、手足が無かったんだよ。

 あいつは、手足の無い体でずっと戦い続けていたんじゃないか。


 不意に、ムルソーの顔が歪む。この状況に、嬉しい点は何も無い。なのに、なぜか笑っていた。


 そうだよ。

 ミケーラは、もっと酷い状況で勝ち抜いてきたんじゃないか。

 俺は、奴に痛め付けられ右手と左足が動かない。

 だから、勝てないと思った。

 でも、ミケーラに比べれば……。


 ムルソーは壁に手を突き体を支え、右足だけで立ち上がった。その顔には、先ほどまでとは違う何かがある。

 そんな彼を見て、ニコライの顔に奇妙な表情が浮かんだ。

「おやおや、君に何が起きたんだろうね。でも、その体では勝てないよ」


 何を言ってるんだ。

 今の俺は、右手と左足が動かないだけだ。

 でもミケーラは、両手両足が無かったんだよ。

 なのに、あいつは戦ったんだ……自分よりも、遥かに大きく強い相手に。

 もっと楽に生きることも出来たのに、自分の意思で地獄のような苦しみを克服し、さらには強い相手にたった独りで立ち向かっていった。

 そして、勝ってきた。

 そんなミケーラの姿を、俺はすぐそばで見てきたんじゃないか。

 ミケーラに比べれば、あんな奴は大したことない。


「あんたは、劣るよ」

 不意に、ムルソーの口から洩れた言葉……それを聞いたニコライは、不思議そうに首を傾げる。

「君は、何を言っているんだ?」

「あんたは、俺より遥かに強いかもしれない。でも、あんたは劣っている」

 言いながら、ムルソーはその場にしゃがみこんだ。

 上目遣いでニコライを見つめ、ニヤリと笑う。


 ミケーラは、こうやって戦ってたな。

 ならば、俺もこうやって戦う。

 ミケーラみたいに戦う。


 ムルソーは、さらに姿勢を低くする。ワニのように腹這いになり、ニコライをじっと睨み付ける。

 そんなムルソーを、ニコライは余裕の表情で見下ろした。

「君は何がしたいんだ? そんな体勢で何が出来るというんだ?」

 ニコライの顔には、楽しくて仕方ないというような表情が浮かんでいる。自分が負けることなど、露ほども考えていないらしい。

 だが、ムルソーは彼の言葉など聞いていなかった。その頭にあるものは、目の前にいる男を倒すことだけだ。

 次の瞬間、ムルソーは地を蹴った――

 ムルソーが放った、見よう見まねの低空タックル。それは弾丸のような速さで、ニコライの足に炸裂する。ニコライは完全に虚を突かれ、何も出来ぬままムルソーのタックルをまともに食らった。

 直後、ムルソーはニコライの両足に左腕を回す。さらに、太ももにも噛みついた。

 全身の力を込め、一気に引き倒す――

 抵抗する暇もなく、ニコライは仰向けに倒れた。

 直後、ムルソーはまたしても動く。左手だけで体を支え、側転のような動きでニコライに馬乗りになる。

 その左の拳を振り上げ、ニコライの胸に叩き込んだ――

 ムルソーの超人的な腕力から繰り出されるパンチは、コンクリートの塊すら叩き割るくらいの威力を秘めている。そのパンチを、馬乗りの体勢からまともに食らったのだ。ただで済むはずがない。

 ニコライの肋骨がへし折れ、心臓へと突き刺さった。彼は美しい顔を歪め、必死でムルソーを突き飛ばす。ムルソーは吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 苦痛に、思わずうめき声を上げるムルソー。だが彼は、必死の形相で這っていく。ニコライに、とどめを刺すために――

 すると、ニコライは叫んだ。意味不明の言葉が、その口から洩れる。同時に手で胸を押さえ、必死でムルソーから離れようと試みる……。

 だが、ムルソーは逃がさない。左手と右足を懸命に動かし、ニコライに食らいついた――

「や、やめてくれえ!」

 恐怖のあまり、ニコライは喚きながら手足をバタバタ振り上げた。駄々をこねる子供のような動きで抵抗する。

 しかし、ムルソーはお構い無しだ。ニコライの体に馬乗りになり、なおも心臓を殴り続ける――

 異変が起きた。ニコライは口から大量の血を吐き出し、ガクリと首を落とす。それでも手足はピクピク痙攣していたが、やがて完全に動かなくなった。


 一方ムルソーは、壁に手を突きながら立ち上がる。荒い息を吐きながら、倒れているニコライを見下ろした。

 ニコライの美しい顔は、醜く歪んでいた。初めて味わう恐怖と苦痛、その二つに、彼は対抗する術を知らなかった。もしニコライがそれを知っていれば、死んでいたのは自分の方だったはずだ。

 ニコライはウッドタウンに来てから多くの敵と戦い、その全てに勝ってきた。その圧倒的な力で、一方的に叩き潰してきた。

 その点に関する限り、ムルソーも同じである。だが、両者を明確に分けるものがあった。


「あんたは、俺よりずっと強かった。でも、あんたはミケーラより劣ってる。ミケーラに劣るあんたに、負けるわけにはいかないんだ……」

 そう言うと、ムルソーはニコライの頭に手を伸ばした。

「あんたに負けたら、ミケーラにも、おばさんにも申し訳ないんだよ」




 ムルソーは歩き続けた。この建物のどこかに、ミケーラはいるはずだ。彼女に教えなくてはならない。

 ニコライを仕留めたことを。

 左足を引きずり、壁に左手を突きながらムルソーは歩いた。その口には、ニコライの首をくわえている。先ほど、死体から無理やり引きちぎったものだ。


 ミケーラのお陰だ。

 あいつがいなかったら、俺は負けていた。


 心の中で呟きながら、ムルソーは歩き続けた。だが途中で、バランスを崩し転倒する――

 ムルソーは、とっさに右手を突きだそうとした。だが右手には麻痺が残り、上手く動かない。彼は床に倒れこみ、顔面をしたたかに打ち付ける。

 顔をしかめながら、ムルソーはどうにか上体を起こした。壁に背中をもたれかけ、辺りを見回す。すると暗がりの中、人影を発見した。

 人影は彼を見つめ、ゆっくりと歩いて来る。その近づいて来た者が誰であるか理解した瞬間、ムルソーは驚きのあまり、咥えていた首を落としていた。







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