ラストステージ
こだわりって奴は、まったく厄介な代物さ。ミケーラ、あんたもマズい奴らと関わっちまったな。
ニコライとアデリーナの兄妹は、今までは表舞台に出てこなかった。奴らの本音としては、二人きりで街の片隅で膝を抱え、ひっそりと生きていく……実のところ、それが望みだったんじゃねえかな。
ところが、本人たちは静かに生きるつもりでも、周りからすればそうはいかない。ウッドタウンでは、奴らの力を利用すれば、一気にのしあがることが可能だ。初めは身に降る火の粉を払っただけのつもりで、その力を振るったのかもしれない。だが、その力を利用しようとしたギャングどもに担がれ、今じゃあウッドタウンの象徴なのさ。
大陸のお偉方も、今ではこの兄妹を上手くコントロールしようとしている。ニコライは超イケメンな上、物腰も柔らかい。今後、ウッドタウンの存在を一般市民にアピールしていくには、重要なキーパーソンになるだろう……お偉方は、そう思っているのさ。
ミケーラ、この兄妹はムルソーに興味を持っているらしい。だから、あんたは逃げようと思えば逃げられるんだが……あんたは戦っちまうんだろうな。全く、損な性分だよ。
ところで、今回は俺は手を貸すことは出来ない。悪いが、上からのお達しなもんでね……介入は出来ないんだよ。ま、どうするか決めるのはあんただがね。
・・・
ミケーラは、虚ろな表情で座りこんでいた。
いったい何が起きたのか、彼女は未だに理解できていなかった。自分の身に起きたことが何なのか、何故こんなことになったのか。
そもそも自分は、何をすればいいのか。
昨日、ゾフィーは戻って来なかった。
戻って来たのは、青い顔をしたライノだけだった。部屋に入ってくるなり、彼は言った。
「ゾフィーが死んだ」
ミケーラは初め、彼が冗談を言っているのだろうと思った。
「あんた、つまらない冗談はよしなよ。あたしは、おばさんと話をしなきゃならないんだ」
しかし、ライノは堅い表情のまま首を振る。
「冗談じゃないんだよ、ミケーラ。ゾフィーは死んじまったんだ」
その瞬間、ミケーラはどうすればいいのか分からなかった。完全に意表を突かれ、ただただ呆然とするばかりであった。
しかし、ムルソーは違う反応をした。おもむろに手を伸ばし、ライノの襟首を掴んだ。そのまま、片手で彼の体を持ち上げる。
「どういうことだ?」
無表情で尋ねるムルソーに、ライノは顔をしかめながら答えた。
「と、とりあえず降ろしてくれよ。でないと答えられないからさ」
「なあ」
ライノから話を聞かされ、呆然となっていたミケーラ。そこに来たのはマオだった。不安そうな顔で、じっとミケーラを見つめている。
ミケーラは、弱々しく微笑んだ。
「マオ……どうしたんだい?」
「な、なあ」
何を言っているのか分からない、はずだった。
しかし、マオの思いはミケーラに通じていた。ミケーラは虚ろな表情で笑う。
「おばさん、死んじゃったんだって……あんな人でも死ぬんだね。爆弾が爆発しても、死なないと思ってたのにね」
そう言ったとたん、堪えていたものが溢れ出た。ミケーラの目から、涙がこぼれ落ちる。
「先に死んじゃうなんて、ひどいじゃないか……あんなのってあるかい……おばさんが何をしたんだよ……何でおばざんをごろじだんだよう……」
嗚咽の声とともに、ミケーラは崩れ落ちた。額を床に擦り着け、体を震わせる……。
そんなミケーラを、マオは抱きしめ頭を撫でる。
「なあなあ」
優しい声で慰めようとするマオに、ミケーラは訴え続けた。
「ひどすぎるじゃないか……この街は、あたしから何もかも奪うのかよ……ベルタ、カーラ、その上おばさんまで……」
・・・
そんなミケーラとは真逆の態度をとっているのが、隣の部屋にいるムルソーであった。彼はベッドの端に座り、ある一点をじっと見つめている。
その視線の先にいるのはライノだった。彼は昨日から、ずっとこの部屋に泊まっている。たまに外に出ることもあるが、すぐに帰って来たのだ。
「おいおい、あんまり見つめないでくれよ。お前もしかして、俺の体を狙ってんのか? 俺にそっちの趣味はないぜ」
冗談めいた口調でライノは言ったが、ムルソーは何の反応もしない。
重苦しい空気の中、ライノはへらへら笑ってみせる。だが、ムルソーは無言のままだ。
ライノの知る限り、この部屋以上に居心地の悪い場所はない。しかも、ムルソーの行動は予測がつかない上、気まぐれに彼の首をへし折ることが可能なのだ。ムルソーがライノを殺す気になれば、ひとたまりもない。抵抗する間もなく一瞬で殺されるだろう。猛獣の檻で生活するようなものである。
それでもライノは、ここを離れる気にはなれなかった。それが何故なのかは、考えたくなかった。
「おやおや、こんな時間だよ。じゃあ飯でも買ってくるかな。ミケーラとマオも腹を空かしてる頃だろうしな」
そんなことを言いながら立ち上がったライノ。その時、ムルソーが初めて口を開いた。
「何を考えている?」
ムルソーの、いつも通りの問い。ライノは苦笑した。それを聞きたいのは、こっちなのに。
「さあな。自分でも分からねえよ……俺は、何でここにいるんだろうな」
その言葉は、ライノの偽らざる本音であった。自分は、ここで何をしているのか。
明日の自分が、何をすべきなのか。
「おばさんが死んだ。あんたは、それをどう思う?」
またしても、ムルソーの訳の分からない質問が飛んで来た。ライノは一瞬、面食らったような表情を浮かべる。
だが、クスリと笑った。
「もし、ゾフィーがあと十歳若くて、あと十キロ細かったら、俺はあの人を口説いていただろうな」
「クドイテイタ?」
ムルソーは、不思議そうに繰り返した。ライノの言っていることが、分かっていないらしい。
「そうさ。俺はゾフィーが好きだったよ。あの人とは、口喧嘩ばっかりしてたけどな」
「好きなのに、何で喧嘩するんだ?」
ムルソーは、なおも尋ねる。
ライノは内心、困惑していた。ムルソーの中で何が起きているのだろう。さっきから、おかしな質問ばかりだ。そもそも、ムルソーは自分を嫌っていたはずなのだが。
「ゾフィーがいなくちゃ、口喧嘩できないからな。口喧嘩ってのは、相手が気になるからこそ出来るんだよ。それより、お前はどうなんだ。ゾフィーが死んで、お前はどう思った?」
「お、俺?」
その途端、ムルソーの表情が変わった。眉間に皺が寄り、床を見つめる。
ややあって、ぼそりと答えた。
「分からない」
「分からない?」
今度は、ライノが聞き返す番だった。
「うん、分からない。俺はどうしたらいいんだ?」
尋ねるムルソーは、途方にくれているように見えた。かつて武装した少年の集団を、たった一人で敗走させたムルソー。あの時の彼は自信に満ち溢れていた。何者も恐れず、むしろ嬉々として戦いを挑んでいたのだ。
しかし今のムルソーは、迷子になった子供のようだった。どこに進めばいいのか分からぬまま、立ち止まり周囲の大人たちをチラチラ見ている……そんな雰囲気すら感じられる。
ライノは、ふうとため息を吐いた。
「あのな、難しく考える必要なんかない。ゾフィーが死んだ時、お前は何をどう感じたか……俺は、それを聞いてるんだ」
「えっ?」
ムルソーは困惑するばかりだ。ライノは苦笑し、ムルソーの肩を叩く。
「ちょっと来い。ミケーラの様子を見に行こう。ミケーラなら、お前がどうするべきか知っているんじゃないのか」
ライノはドアをノックした。だが、反応がない。これまでは、ゾフィーが応対してくれていた。
今は、そのゾフィーがいない。
「ミケーラ、俺だ。入っていいか?」
複雑な気持ちを押し殺し、ライノは軽い口調でドア越しに尋ねる。
少しの間を置き、ドアが開いた。
「な、なあ」
顔を出したのはマオだ。暗い表情でライノを見上げる。
「入ってもいいか?」
ライノが尋ねると、マオはためらうような素振りをした後、ちらりと室内を見る。
ややあって、マオはライノの手を握った。
「なあ」
そう言うと、マオはライノの手を引いて室内へと導く。ムルソーが、その後に続いた。
ミケーラは、見るも痛々しい状態であった。頬はこけ、目は腫れている。暗い表情を浮かべ、じっと床を見つめていた。
「おいミケーラ、何か食べたいものはあるか?」
ライノの言葉に、ミケーラはようやく顔を上げる。
「おばさんを殺した奴は、どこにいるの?」
ミケーラの声は静かなものだった。しかし、その奥にはドス黒い感情がある。だが、ライノは首を横に振った。
「やめておけ。奴らは、あんたのことは見逃すつもりらしい。だから、もう関わるな」
「関わるな、か」
繰り返すように言い、ミケーラはくすりと笑った。
だが次の瞬間、表情が変わる。
「あたしは、そいつらと関わりたくて仕方ないんだよ……いいから、早く言うんだ」
これまた、静かな口調ではある。だが、その瞳には明確な殺意があった。ライノは思わず顔をしかめた。さらに、何かを察したのだろうか……マオが怯えながらも、ミケーラの肩に触れる。
「な、なあ」
だが、ミケーラはマオのことを見ようともしない。ただライノだけを、じっと見上げていた。
「駄目だ。俺は手を貸せない……なあ、奴らはニールやレミーみたいなチンピラじゃねえんだよ。仮にムルソーが乗り込んでいったところで、返り討ちにあうかもしれないんだ」
ライノの態度は、先ほどとは違っている。まるで懇願するような口調だ。しかし彼の言葉は、ミケーラの心には届かなかった。
「そんな事情、あたしの知ったことじゃないんだよ。おばさんを殺ったニコライとアデリーナってのは、どこにいるんだよ?」
なおも同じ質問を繰り返すミケーラに、ライノは悲しげな顔で首を振る。
「駄目だと言ってんのが分からんのか? あんたが死ぬことを、ゾフィーは望んでない。あんたは生きなきゃならないんだ」
「ライノ、あたしを見なよ……生き延びたかったら、最初から脱走なんかしてない。いいから言うんだ。おばさんを殺った奴らの居場所をね」
ミケーラの声音が変わってきている。低く、鋭いものに。
だが、ライノは彼女を見ようともしなかった。
「俺は絶対に言わねえ。あんたが何をしようと、な」
吐き捨てるような口調で言うと、ライノは向きを変え出ていこうとする。だが、ドアの前にはムルソーが立っていた。
「ムルソー、どいてくれ」
冷たく言い放つライノ。ムルソーのことが怖いとは思わなかった。むしろ、いつも通り彼に腕力を使って欲しかったのだ。
ライノは今、二つの思いに揺れ動いている。ミケーラの好きにさせてやりたいという思いと、ミケーラの命を守りたいという思い。そのどちらかを、自分の意思で決めることは出来ない。どちらを選んでも、ミケーラは確実に不幸になるだろう。
ならば、ムルソーに決めて欲しかった。ムルソーに力ずくで無理やり言わせられた、という言い訳が欲しかったのだ。そうすれば、自分の行動に諦めもつく。ムルソーのせいにして、気持ちをごまかすことも出来る。
しかし、ムルソーの行動は予想外のものだった。
「ミケーラに教えてあげてくれ、頼む」
「えっ……」
そう言ったきり、ライノは黙りこんだ。ムルソーのこんな態度は初めてだ。以前なら、腕力で床にねじ伏せられていたはずなのに。
「ミケーラに教えてあげてくれ、頼む」
もう一度、ムルソーは同じセリフを言った。その瞳の奥には、感情らしきものがある。初めて見る、ムルソーの感情の動き……それはライノにとって、無視できないものだった。
ライノは舌打ちし、顔を歪める。
「じゃあ教えてやる。その代わり、俺は一切手を貸さないからな。二人で勝手に死ね」
「あんたの助けなんか、最初から期待しちゃいないから」
ミケーラの顔に、ようやく生気が戻った。




