ニール・バルガス
いよいよ終わりが近づいてきたなあ、ミケーラ。このニール・バルガスさえ殺せば、あんたの復讐も完結ってわけだな。よくまあ、ここまで来たもんだよ。
俺は本当に、あんたを尊敬するね。こいつは皮肉でも何でもない。実際の話、あんたは有名だよ。アンダーグラウンドの世界じゃ、大勢の人間に知られている。あんたに取材するために、本物の大手テレビ局が近々クルーを派遣する、なんて噂も流れてるくらいだ。
ただし、一つ言っておく。このニールって男は厄介だぜ。あんたに狙われてることを既に知っている。しかも、こいつは権力者な上に臆病者だ。手下も多い。
もともとニールは、大陸の悪名高きバルガス家の三男だった。ところが、出来のいい兄二人に比べると……まあ、ここから先は言わなくても分かるだろう。
もっともギャングという後ろ楯がある分、こいつは面倒だぜ。今までみたいに、死体から這い出てきた蛆虫を一匹一匹ひねりつぶすような訳にはいかないんだよな。
言ってみりゃあ、数多くの魔物がうろつくダンジョンの中に侵入し、最下層にいるラスボスの魔王を殺さなきゃならんわけだよ。もっとも近頃じゃあ、ラスボスよりも強いのがいるってのがお約束らしいがね。
・・・
「なあ、頼むよ。あんたらが行けば、ミケーラなんか簡単に殺せるだろ?」
そんなことを言いながら、揉み手をせんばかりの様子でヘラヘラ笑っている男……ニコライは、面倒くさそうにため息を吐いた。
「君は、このウッドタウンでもトップクラスのギャングだったはずだ。あんな人犬など、恐れる必要はないと思うが?」
「い、いや、そうなんだがな……ただ、あいつには化け物みたいなボディーガードがいるらしいんだよ。素手で人の頭を引きちぎるような――」
「その男なら知ってるよ。確かに、彼は厄介な存在だろうね。だからといって、僕が出ていくほどでもないんじゃないかな。外を歩くのは疲れるしね」
やる気の感じられないニコライの言葉に、ニールは顔を歪めた。
「あのなあ、それどころじゃねえだろうが! こっちは命が懸かってんだよ!」
ニールは怒鳴りつける。だが、その態度は間違いであった。ニコライの傍らにて座っていたアデリーナの表情が、不快そうなものへと変わる。
直後、アデリーナは動いた。一瞬にしてニールの首根っこを掴み、床にねじ伏せる。
「どちらの腕をへし折ります、お兄さま? 右ですか左ですか?」
あくまで冷静な口調のアデリーナ。だが、ニールは完全に怯えている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……な、悪かったよ」
媚びを売るようなニールを、ニコライは物憂げな表情でじっと見つめた。脂肪のたっぷり付いた体には、多種多様なアクセサリーが付いていた。手首には金のブレスレット、首からは金のネックレス、指には宝石の付いたリングをはめている。
これだけ余分な物を身に付ける理由は、いったい何なのだろうか? ニコライは思わず首を傾げた。
「アデリーナ、やめるんだ。そんなことをしても、誰も得しない」
ニコライの言葉に、アデリーナは不快そうな表情になった。
「この豚が……お兄さまの情けがなかったら、お前など今すぐ殺している。お兄さまに感謝するのね」
そう言うと、アデリーナはニールの首根っこを掴み立ち上がった。不快そうな様子で、彼の体を無造作に放り投げる。
一見すると、華奢な体のアデリーナ。だが彼女に片手で放り投げられ、ニールはどさりと倒れ苦痛のうめき声を洩らした。アデリーナは、そんな彼の方を見ようともせずニコライの隣に座る。
「アデリーナ、暴力は感心しないな」
そうは言ったものの、ニコライの顔には憐れむ様子がない。ニールに対し、侮蔑の視線を向けている。
「まあ、君も大変かもしれないが……やれるだけやってみるんだね。生き残れたら、また会おうじゃないか。その時は、なにがしかのプレゼントを用意しておくよ」
ニールは、もともと大陸に住んでいた。
大陸でも指折りのギャング組織を仕切るバルガス家の三男として生を受け、物心つく頃にはギャングという生き方を受け入れていたのである。
しかし、ニールは出来が悪かった……。
武闘派の長男と、弁護士の資格を持つ次男。その二人に対し、三男であるニールには何も無かった。長男のように、荒事に際し怯まないだけの度胸はない。かといって、次男のように教養や資格があるわけでもない。武闘派になるには臆病すぎ、知性派になるには愚か過ぎた。
ならば、裏の世界からは身を引けば良かったのだが……甘い汁を吸い、ワガママに成長してきたニールは、一般社会では使い物にならない。結果、ニールはバルガス家のお荷物として、閑職を与えられることとなった。それが、このウッドタウンの管理である。
だがニールは、ウッドタウンで秘められていた才能を開花させた――
優秀な二人の兄とは違い、ニールは何の能力もない。だが、彼は異常性格の持ち主であった。その性癖を活かし、ウッドタウンを変質者の溜まり場へと変えて行く。
かつてはアンダーグラウンドの世界でのみ許されていたような変態的な趣味の店を、真っ昼間から堂々とオープンさせ……ニールは大量の利益を組織にもたらした。
もっとも、組織内でのニールの地位は上がったわけではない。彼は「変態野郎たちを相手に商売している男」という評価を受け、軽蔑はされても尊敬はされなかった。
ニール自身も、そのことは知っている。知っているが故に、彼は憤りを感じていた。
結果、ニールの不満の矛先は手下へと向かうことになる。
事務所に戻ると同時に、ニールは怒鳴り散らした。
「アンディ! いるか!」
ニールの罵声を聞き、一人の男が姿を現す。彫りの深い顔立ち、やや長めの黒髪、落ち着いた雰囲気……この男は、ニールの片腕アンディである。頭がキレる上に度胸もあり、組織内での人望はニールよりも上だ。
しかも、年齢は二十五歳である。ニールより、十歳以上も若いのだ。
「ニールさん、どうかしましたか?」
若い年齢に似合わぬアンディの落ち着きはらった声が、ニールをさらにイラつかせた。
「どうしました、じゃねえんだよ!」
ニールは“どうしました”の部分を、わざとおどけた口調で言った。すると、アンディの目がスッと細くなる。
「何が言いたいんです? 分かるように言ってもらえませんかね」
「ミケーラのことだ! さっさと見つけて殺せと言っておいたろうが!」
喚くニールを、アンディは冷ややかな目で見つめた。もう、いい年齢のはずなのだが……顔つきだけ見れば、非常に若い。恐らく、実年齢より十以上は若く見えるだろう。
もっとも、その若さの秘訣は……本人の落ち着きの無さと甘ったれた精神ゆえなのだが。
「ミケーラは、ライノ・ラインハルトが匿っているんですよ。ライノを敵に回しても、いいことはありません。それに、あんな人犬を恐れる必要などないでしょう」
「はあ? バカ言うな! 俺はミケーラが怖くて言ってんじゃねえ! あんな奴、来たらいつだって始末してやるよ!」
頬をぶるぶる震わせ、ニールは吠えた。事務所の壁を蹴飛ばし、アンディを睨み付ける。
「俺はな、ミケーラにビビってるわけじゃねえ! 逃げ出した人犬ごときを発見できねえ、無能な部下どもに腹を立ててんだよ! てめえはンなこともわかんねえのか!」
ニールの言葉は、もちろん嘘である。彼はミケーラを恐れていたのだ。
しかしニールの言っていることも、客観的に見ればおかしくはない。確かに、逃げ出したミケーラを未だに見つけられていない以上、アンディを初めとする部下たちも責められて当然なのだ。
ニールは、このような問題のすり替えが得意であった。だが、その特技は彼の人望を下げはすれど上げはしない。
「分かりました。では、ライノと接触してみましょう……ただし、忘れないでください。奴はメルキア国のエージェントです。下手なことをすれば、本家が危ういことになりますよ」
「そ、そんなこと分かってる! てめえ、俺をバカにしてんのか!」
駄々をこねる子供のように、ひたすら喚くニール。アンディは感情を押し殺し、ニールの罵詈雑言を聞いていた。
ニールは愚か者ではない。むしろ、頭はいい方だろう。アンディも、その点は認めている。
だが、逆境に対しては異常なほど脆い。全てが順調にいっている時には、その能力を存分に発揮できる。だが何か問題が起きると、その脆さを露呈する。何もかもを誰かのせいにして口汚く喚き散らし、やる気を失い不貞腐れてしまうのだ。そんなことをしても、何の解決にもならないのに。
結果、その後始末をすることになるのはアンディである。彼の方が、ギャングとしてもビジネスマンとしてもボスのニールより上であった。
アンディ本人も、そのことは分かっている。だが彼は、組織の中ではまだ若手である。ニールの下に付けと言われれば、従うしかなかったのだ。
その翌日。
朝、ニールの寝室の扉をノックする者がいた。彼は目をこすり、面倒くさそうに上体を起こした。
ニールが住んでいるのは、様々な店が立ち並ぶ通りに建てられているビルの最上階だ。ニールの現在の住居兼事務所である。
ビルの出入り口には、見るからにいかつい男たちが立っていた。全員が小山のような体格で、ラフな服装ではあるが拳銃をぶら下げている。
さらに下の階には、ニールの部下たちが住んでいる。何か事が起きたら、部下たちが一斉に動くのだ。ニールにとって、ここは要塞であった。
ニールが不機嫌そうな表情で扉をあけると、アンディが立っていた。
「ニールさん、ラインハルトと連絡が付きました。奴は、ミケーラの居場所を教えても構わないと言っています」
「ほ、本当か!?」
ニールは、思わず立ち上がっていた。
「ええ。ただし条件があります。あなたと私、二人だけで来いとのことですが――」
「はあ!? ざけんじゃねえ!」
喚きながら、ニールは机を蹴飛ばした。
「何か不満でも?」
クールな表情で尋ねるアンディに、ニールは地団駄を踏みながら詰め寄る。
「バカヤロー! 問題だらけじゃねえか! あんな奴と、たった二人で会えと言うのかよ!」
「あんな奴、と言われても……たかが人犬ですよ。もしトチ狂った真似をしてきたら、私が仕留めますから大丈夫です」
すました表情で、アンディは言った。だが、その態度はニールの怒りを増大させただけだった。
「おい、てめえ分かってんのか? ポールの野郎はな、筋肉の化け物みたいな双子を連れてたのに殺されたんだ! レミーだって、プロの傭兵がそばに付いてたのに殺られたんだぞ! お前みたいなのが付いてて何になるんだよ!」
「だったら、放っておきましょう。ミケーラなんざ、放っておいても何も出来ませんよ」
あくまでも、やる気のない態度のアンディ。ニールはまたしても机を蹴飛ばし、凄まじい形相で彼を睨みつける。
「ざけんなぁ! ミケーラは普通じゃねえんだ! あいつは必ず来るんだよ!」
ニールが喚いた直後、扉をノックする音がした。ドンドンと、何やら慌ただしい様子だ。
「どうした?」
アンディが扉の方を向き尋ねると、切羽つまったような声がした。
「大変です! 化け物みたいな若造が、外で暴れてるんですよ!」




