半端
半端はダメだ……昔、そんなことを言っていた奴がいたな。だがね、俺は半端も悪くないと思っている。どんな人間にも一日は二十四時間しかない訳だし、いつかは老いぼれた挙げ句に死ぬ。この事実は、人類が誕生してから一つの例外もないだろう。
ならば、いろんなことを少しずつ体験していくのも悪くないだろうぜ。向いてないと思えば、中途半端だろうが何だろうがさっさと見切りを付ける……これ、生きる上では大切だぜ。
一度始めたことは、最後までやり遂げるタイプは、一見すると立派ではある。だがね、下手をすると破滅への道を最後まで突き進んでしまう恐れもある。やばいと思ったら、さっさと逃げる……これ、本当に大事だよ。
もっとも、人間には自分の信じる道を突き進んで、自分を破滅させる権利もあるんじゃないかとは思うけどな。ミケーラ、この先どうするか……それは、あんたが自分で考えて決めることだよ。
・・・
「ねえ、おばさん」
不意に声をかけられ、ゾフィーは振り向いた。
ミケーラが、ぼんやりした顔でテレビを観ていた。画面では、ニュースキャスターらしき人物がコメンテーターと議論をしている。
(こんな凶悪犯は、裁判の必要もない! すぐ死刑にすべきですよ!)
(いや、彼にも人権があります! 裁判はさせなくてはなりません!)
二人の言い合いを見て、ゾフィーは顔をしかめた。リモコンを手に、チャンネルを替える。その傍らでは、マオがお菓子を食べていた。時おり、ミケーラやゾフィーの顔を見ている。何か用事を言われたら、すぐさま動くつもりなのだろう。まるでメイドロボのようだ。
本来なら、無邪気に遊んでいるような年齢なのに……ゾフィーは切ない思いがこみ上げてくるのを感じ、慌てて目を逸らした。
その時、ミケーラが口を開いた。
「おばさん、もし死ぬのが怖くない奴がいたとしたら……そいつに、死刑という刑罰を与える意味があるのかな」
ミケーラは、呟くように言った。その表情は、相変わらずぼんやりしている。ついこの前までは、ずっとしかめっ面だったのに。
これは、いいことなのか悪いことなのか。
「あのね、あたしゃ学が無いから難しいことは分からないよ。でもね、一つ確かなことがある。あんたが仕留めてきたクズどもは、みんな今までに何人もの人間を不幸にしてきた。でも、あんたに殺された……今はもう、悪さが出来ない。たぶん、あんたは誰かのことを救ったのさ」
「そうかな……」
言葉を返すミケーラ。その表情は、未だに暗いままだ。ゾフィーはため息を吐き、彼女の隣に座る。
「いいかい、悩むのは仕方ないさ。でもね、あんたはまだ若いんだ。くたばるまでには、時間がある。その残った時間をどう使うんだい? まずは、そいつを考えてみなよ」
そう言って、ゾフィーはミケーラの頭を撫でる。
「残るは、あと一人なんだろ……そいつを殺して、その先は? あんたの人生、その先の方が長いんだ」
だが、ミケーラは何も答えない。ずっと下を向いている。
ややあって、ゾフィーは再び口を開いた。
「それとも、もう終わりにするかい? 嫌になったなら、ここで終わりにするのもありだと思うよ。なんなら、ムルソーにやらせてもいいしさ」
その時、ミケーラはようやく顔を上げた。
「いや、ここまで来たら最後までやるよ。あたしは、おばさんやムルソーを巻き込んじまった。今さら、辛いだの苦しいだの言ってやめるわけにはいかないんだよ」
そう言うと、ミケーラは自身の切断された腕を見つめる。
「辛いだの苦しいだの言ってられるのは、生きていればこそだよ。ベルタとカーラは、そんな思いすら感じられないんだ。今さら、中途半端は許されないよ」
「でも、あんたの友だちはそれを望んでいるのかねえ……」
ゾフィーがそう言った時、マオが近づいて来た。その両手に、絵本を持っている。どこかから拾ってきたものらしい。
「なあなあなあ」
言いながら、マオはその絵本を差し出す。絵本の表紙には、剣と盾を持った少年がドラゴンと睨み合っている絵が描かれている。少年の後ろには、お姫さまらしき少女の姿もあった。
「これ、読んで欲しいのかい?」
尋ねるゾフィーに、マオはうんうんと頷いた。
ゾフィーは微笑み、絵本を開く。その時、彼女の頭に一つの考えが浮かんだ。
「ねえミケーラ、暇だったらマオに絵本を読んであげてよ」
「えっ、あたしが?」
困惑の表情を浮かべるミケーラ。だが、ゾフィーはお構い無しだ。絵本を持っていき、ミケーラの前で開く。
「マオ、あんたもこっちにおいで。ミケーラ姉さんに、本を読んでもらいな」
「勇者は、お姫さまを助けるため……ドラゴンの洞窟へと向かったのです」
ミケーラは真剣な表情で、絵本を読み聞かせる。もう少し、柔らかな表情で読めばいいのに……ゾフィーは苦笑する。
だが、マオはそんなことは気にしていないらしい。こちらも真面目な顔で、絵をじっと見つめている。
そんな二人を見ていて、ゾフィーは暖かいものを感じた。ミケーラは、マオに身の回りの世話をしてもらっている。その代わりに、ミケーラはマオに絵本を読んであげている。
ウッドタウンで虐げられてきた弱者同士が、お互いに助け合い、寄り添い生きていく……ゾフィーはふと、そんな情景を思い描いた。ミケーラやマオのような子供たちが集まり、皆で楽しく生活するのだ。そんな場所を作りたい。
だが、ゾフィーは思い出してしまった。
マオは、あと数年しか生きられないことを。
(そういう体なんだよ、あいつは。早く寿命が尽きるよう、体を改造されたのさ……)
ライノの言葉が、脳裏に甦る。ゾフィーは胸が潰れそうな思いで、二人の姿を見つめた。
「勇者は、友だちの馬と一緒にドラゴンの洞窟へと向かいました。ドラゴンは、凄く強い怪物です。体は象より大きく、口から火を吐きます……」
ミケーラの声が、室内に響く。マオは楽しそうに、絵本を見つめている。本当に無邪気ないい子だ。どこの誰かも分からないクズに猫耳と尻尾を付けられ、声帯を改造されているというのに、健気に生きようとしている……。
だが、その寿命も数年で終わりなのだ。
ゾフィーの目に、涙が溢れた。彼女は壁の方を向き、涙を拭う。ミケーラやマオに、泣いている姿を見せたくはない。
そして、ゾフィーは心に誓った。マオが、あと何年生きられるかは分からない。しかし、その残された歳月は……自分が全力を持って幸せにする。もちろん、ミケーラのことも。
その幸せを踏みにじろうとする者がいたら、全身全霊をもって立ち向かおう。
その時、扉をノックする音がした。
「姐さん、入っていいかな。大事な話だ」
ライノの声だ。するとマオが立ち上がり、ゾフィーの顔を見る。開けてもいいか? という意思の確認なのだろう。
だが、彼女は微笑みながら立ち上がる。
「大事だよ、あたしが開けるから」
杖を突きながら、ゾフィーは歩く。足の方も、最近だいぶ良くなってきた。そろそろ、杖なしでも歩けるだろう。ゾフィーは慎重に歩き、ドアを開けた。
「いいよ、入んな」
入ってきたライノの表情は、いつになく堅いものだった。
「ミケーラ、賭けが決まったんだがな……で、どうするんだ? やるのかやんねえのか、はっきりしてくれよ」
「もちろんやるよ。今さら、やーめた……なんてことは出来ないんだろ」
吐き捨てるような口調で、ミケーラは言った。
だが、ライノの答えは想像とは違っていた。
「いいや。もしも、あんたが嫌になったんなら……それはそれで構わない。あんたは負けたことになる、それだけだ」
「それで済むのかい?」
静かな口調で尋ねるゾフィーに、ライノは口元を歪めてみせた。
「まあ、なんとかなるとは思うよ。俺が多少、損するくらいかな」
言葉とは裏腹に、ライノの表情は、それでは済まないと言っている。ゾフィーは眉間に皺を寄せ何か言いかけたが、ミケーラが先に口を開いた。
「あんたに損はさせない。こうなったら、あたしがバルガスを仕留める」
ミケーラの顔からは、強い決意が感じられる。久しぶりに見る表情だ。ゾフィーは頷いた。
「だったらミケーラ、トレーニング再開だよ。あんた、最近サボってたからね……まずは、そのツケを取り戻すんだ! 覚悟しときなよ!」
ゾフィーの言葉に、ミケーラは苦笑した。ついこの前までは、ミケーラのトレーニングの行き過ぎを止める立場だったのに……いつの間にか、煽る側になっている。
その時、マオが彼女の肩を叩いた。
「なあなあ」
マオは、楽しそうに話しかけてきた。だが、ミケーラには何を言っているのか分からない。
「えっ、何? もっと読んで欲しいの?」
ミケーラが聞くと、マオは首をブンブン振った……かと思うと、その場で腕立て伏せをやり出したのだ。数回やってみせた後、動きを止めてミケーラを見つめる。
「なあなあ!」
得意げな顔で、何やら言っているマオ。すると、ゾフィーが微笑む。
「マオ、あんたもトレーニングを手伝ってくれるのかい?」
「なあなあ」
ウンウンと頷くマオ。そんな二人のやり取りを見て、ミケーラはクスリと笑った。こんな風に笑えたのは何年ぶりだろうか。
「マオ、ありがと」
そんな三人の姿を、ライノは暗い目で眺めていた。
今度の相手であるニール・バルガスを殺せば、ミケーラの復讐は終わる。だが、その後は?
「何を考えていた?」
不意に背後から声をかけられ、ライノは飛び上がりそうになった。振り返ると、そこには予想通りムルソーが立っている。
「な、なんだよムルソー……びっくりさせないでくれ。俺は心臓が弱いんだ。ノミの心臓だからよ」
そう言って、ライノはへらへら笑った。だが、ムルソーはにこりともしない。いつものごとく無表情である。
「今、何を考えていたんだ?」
じっとライノを見つめたまま、同じ質問を繰り返すムルソー。ライノは困惑した。
「別に、何も考えてないよ。お前こそ、何を考えてんだ?」
ライノは逆に聞き返す。そう、彼は何も考えていなかった。ただ、三人のやり取りを見て……胸に暖かみと痛みとを感じていただけだ。こんな風な気分になるのも、久しぶりだった。
自身の感情を押し殺し、ヘラヘラ笑いながら淡々と任務をこなす日々。それが、彼の日常だったはずなのに。
「俺は……」
そう言ったきり、ムルソーは黙りこんでしまった。
ややあって、複雑な表情で口を開く。
「俺は今、何を考えていたんだろうな」
真顔でそんなことを言ったムルソーに、ライノは苦笑いした。この男だけは、本当に理解不能だ。
「お前は、何も考えなくていいのかい。実に羨ましい話だな」




