仇の遺した物
世間では、後悔って奴は何かとネガティブなイメージで捉えられてるが、俺はそうは思わないね。むしろ後悔ってのは、ネガティブな気持ちを自分の中で上手く処理するために必要な過程なんじゃないかな。
少なくともミスを犯した時、反省するけど後悔しない、なんて広言してるような奴は……十中八九、また同じような間違いを犯すタイプなのさ。どこかの国に、こんなことわざがある。「遊んでいて泥で汚れ叱られた子供は、二度と同じ過ちを犯すまいと思う。だが、ほとんどの場合、翌日にまた服を汚してしまう」。俺もまた、何度も服を汚しては叱られるタイプだったな。
だから俺は、後悔はするが反省なんかしやしない。したところで、大した意味はないよ。
人間て奴はしょせん、同じ過ちを繰り返す生き物なのさ。でなきゃ、戦争はとっくになくなってるだろうよ。そういや、こんなことを言ってた奴もいたな。「人間は、逆立ちしたって神さまにはなれやしない」ってね。
・・・
「ミケーラ、どうかしたのかい?」
声をかけられたミケーラは、どこか虚ろな表情のまま顔を上げる。
「何?」
「あんた、ずっとふさぎこんでるけどさ……何を考えてるんだい?」
ゾフィーは、心配そうな様子で尋ねた。
「別に、何にも考えてないよ」
「んなはずないだろ……あんた、ここんとこトレーニングしてないじゃないか」
「なんか、疲れちゃってさ……」
そう言って、ミケーラは力なく笑った。
あの日……ハーゲンが死んだ直後、タイミングを計ったかのように数人の信者たちが現れる。信者たちはハーゲンの死体を見て、全員がその場にひれ伏したのだ。
さらに、信者の一人はミケーラたちに言った。
「あなた方には手を出すな、とハーゲン長老より命令されています。しかし、早くここを立ち去ってください……本音を言うなら、我々はあなた方とは同じ空気すら吸いたくありません。我々とて、いつまで自制心が続くかわからないのです。早く帰ってください……でないと、身の安全は保証できません」
平静を装いながらも、声を震わせながら言った女の信者……彼女の目は、濡れて光っていた。
どんな形であるにせよ、ハーゲンという男は信者たちから深く愛されていたのだ……その事実は、ミケーラの心を容赦なく抉った。
「ねえ、おばさん……死ぬのが怖くない奴っているんだね」
ミケーラは、ぽつりと呟いた。
「死ぬより、生きる方が辛い……その気持ちは、分からなくもないよ。あたしだって、娘が死んだと聞かされた時は死にたいと思ったからね」
寂しげな表情で、ゾフィーは言葉を返す。その時、扉をノックする音が聞こえてきた。
「よう、入っていいかい」
ライノの声だ。すると、横にいたマオがゾフィーの顔を見る。開けていいか、とでも言いたげな表情だ。
ゾフィーは頷いた。
「マオ、すまないけどドアを開けてくれるかい」
「なあ」
マオも嬉しそうに頷き、ドアを開ける。
外には、ライノが一人で立っていた。軍用コート姿は相変わらずだが、珍しく小脇にノートパソコンを抱えている。
「入っていいかい?」
「いいよ」
ゾフィーが返事をすると、ライノはへらへら笑いながら部屋に入って来る。
その時、ムルソーが音もなく現れた。ライノの後に続き、部屋に入って来る。彼の姿を見たとたん、ライノの顔がひきつった。さっきまでは、隣の部屋で寝ていたはずなのだが。
「な、なんだムルソー……いつの間に来たんだ」
「お前は、何をするか分からない。だから来た」
ムルソーの顔には、いつもと同じく表情が無い。だが、その目にはライノに対する不信感がある。ライノはなだめるように、両手を前に出して笑った。
「い、いや、今日は映像を見せに来ただけだから……あんまりいじめないでくれよう」
ひきつった笑顔を浮かべるライノを見て、ゾフィーは苦笑した。ライノには、分からない部分がある。常にへらへら笑っているかと思うと、時おりひどく感情的になるのだ。結果、ゾフィーと言い争いになる……彼女に食ってかかる時のライノは、どこか年相応の青年らしさが感じられた。
ゾフィーがそんなことを考えていると、マオがライノの手を引いて来た。
「なあなあ」
言いながら、マオはライノを中に招き入れる。続いて、ムルソーも室内に入って来た。
「さて、今日はこいつを見せに来たんだ。マーズ教の宣伝映像なんだがね、ハーゲンの生前のセリフが収録されてるんだ――」
「ちょっと待ちなよ。あんた、何を考えてるんだい! この子に、ハーゲンの生前の映像を見せようってのかい!?」
言いながら、ゾフィーはミケーラを指差す。
すると、ライノの顔つきが変わった。
「姐さん、ミケーラはこれを見なきゃならないよ。生前のハーゲンがどんな奴だったか、ミケーラには知らなきゃならない義務があると思う――」
「そんな義務、ミケーラにはない! あんたの訳のわからない価値観に、ミケーラを引きずり込むな!」
怒鳴るゾフィー。だが当のミケーラは、冷静な表情で口を開いた。
「いいよ、見てやろうじゃないか」
ミケーラの言葉に、ゾフィーは顔を歪める。
「ミケーラ、あんた……」
「おばさん、あたしはハーゲンを殺した。今までは、殺した相手がどんな奴だろうと知ったことじゃなかったよ。でも、あいつは別だ――」
「別じゃない! ハーゲンは、あんたの友だちを殺した外道なんだろ? それに、殺される時の奴の顔を見ただろ……本当に楽しそうだったよ。ハーゲンは、人の命をもてあそぶクズだ」
吐き捨てるような口調で、ゾフィーは言った。だが、ミケーラは複雑な表情を浮かべる。
「確かに、ハーゲンはクズかもしれない。でもね、あたしは奴を殺した。奴がどんな人間だったか……あたしは知りたい」
画面には、ハーゲンが映っている。スキンヘッドに彫られたタトゥー、鋭い眼光、五十を過ぎているとは思えない逞しい肉体……まさに、大幹部と呼ばれるにふさわしいインパクトがある。
ハーゲンは画面を見つめ、重々しい口調で語り出した。
「マーズ教の兄弟、姉妹たちよ……儂は今から、大事なことを伝える。儂は、もうじき死ぬ。母なる大地に帰るのだ」
そこで、言葉が止まった。ハーゲンは、じっとカメラを見つめる。まるで睨み付けるかのように。
ややあって、ハーゲンは再び語り出した。
「お前たちに、知っておいてもらいたいことがある。知っての通り、儂はウッドタウンにて布教活動をおこなっている。ここは大陸の国々とは違い、法律などない。住んでいるのは人の道を外れた、外道としか表現のしようのない者ばかりだ。にもかかわらず、儂はこの街で勇者を見つけた」
そう言うと、ハーゲンは画面の外にいるらしい信者に指示を出す。
すると、彼の背後にあるスクリーンに映像が映し出される。
ミケーラの姿だ。
「兄弟、そして姉妹の諸君らに見て欲しい。この女ミケーラは、見て分かる通り手足が無い。にもかかわらず、ミケーラは闘ったのだ。一対一で外道共と闘い、相手を仕留めてきた……我々マーズ教の教理の根底にあるものは……闘争なくして変化なく、変化なくして進歩なし。人は、闘争を経て生まれ変わることが出来る」
ハーゲンは言葉を止め、しばしカメラを見つめる。この沈黙は、演説の際に用いるテクニックなのだろうか。
それとも、己の思いを胸の内で整理しようとしているのか。
少しの間を置き、ハーゲンは再び語りだした。
「このミケーラは、儂の命をも狙っているらしい。ならば、儂は命をくれてやろうと思うのだ……己をここまで鍛え上げてきた、勇者への褒美としてな。と同時に、儂の人生における最後の闘いでもある。儂は今まで、大義もしくは信仰のために命をなげうつことの貴さを説いてきた。なればこそ、儂は堂々と死なねばならんのだ」
ここで、ハーゲンは感極まったのだろうか……目の前にある机をバンと叩き、カメラを睨み付ける。
「儂は、ミケーラの手で大地へと帰る。だが、ミケーラを恨まないで欲しい。これは、儂の最後の闘争なのだ。死という最強の敵に、己の全存在をかけて立ち向かう……それこそが、儂の目的だ。死はどんな人間にも、等しく訪れる避けようのない出来事である。だからこそ、諸君らには死を恐れないでもらいたい!」
またしても、ハーゲンは机をバンと叩いた。凄まじい形相で、カメラを睨み付ける。
「我々が真に恐れなくてはならないのは、死を恐れるあまり己の使命を放棄することだ! それを忘れるな!」
ハーゲンは言葉を止め、机をじっと見つめる。無論、そこには台本はない。恐らく、カンペのようなものもないだろう。全ては、彼のアドリブなのだ……少なくとも、ミケーラにはそう思えた。
「最後に、もう一度言う。ミケーラ及びその協力者たちには、危害を加えてはならない。むしろ、彼女らに協力してあげてくれ。ミケーラの闘う映像を見て、自己満足だの同情だの感動ポルノだのと言う者もいる。だが、儂はそうは思わん。彼女の闘う姿を見て、自然と湧き上がる感情……それは、紛れもなく純粋かつ清らかなものだ。ミケーラの闘う姿に感動する、それは罪なのか? そうではないはずだ!」
ハーゲンは言葉を止め、カメラを睨み付ける。まるで、憎い敵がそこにいるかのように……。
「これは、儂の最後の説法となるであろう。だが儂の肉体は滅びようとも、儂の意思と信仰は永遠に不滅だ。儂の後に続く者たちが、必ずやウッドタウンにて信仰を広めてくれる……そう信じている」
映像は、そこで終わっていた。
ミケーラは顔を歪め、下を向く。やがて、彼女のすすり泣く声が聞こえてきた……。




