郷に入っては……
地獄の沙汰も金次第、って言葉がある。それは、この街でも通用する。ウッドタウンじゃあ、金さえあれば何でも買えるのさ。ブラジャーから移植用の心臓まで、何でも揃うぜ。
そう、金があり……良心さえ捨てれば、このウッドタウンは実に居心地のいい街だよ。ただし、ごく稀に良心を捨てきれない奴がいる。そういう人間にとっちゃあ、ウッドタウンは地獄かもしれないな。
だがな、良心なんかあったところで、何の役にも立ちゃしねえよ。この街に住み着くつもりなら、さっさと捨てちまうのが得策だろうな。
郷に入っては郷に従え……この言葉を守っていれば、どこに行っても大きなトラブルには遭わないだろうさ。
・・・
宿の室内で、ゾフィーは杖を突きながら、少しずつ歩いていた。彼女の傍らにはマオがいる。彼女の歩く姿を、落ち着かない様子で見つめていた。
ゆっくりと歩くゾフィー。左足はまだ痛むが、これなら外出は出来そうだ。
「な、なあ」
マオは、心配そうにゾフィーを見上げた。だが、ゾフィーは微笑みながら、彼女の頭を撫でる。
「大丈夫だよ、マオ。あたしだって、歩かないと体がなまっちまうからね。あたしより、ミケーラのそばにいてあげな。あの子には、あんたの助けが必要だからさ」
その言葉に、マオは嬉しそうに頷いた。
「なあ!」
元気よく答えると、マオはいそいそと隣の部屋に行った。そこでは、ミケーラがいつものようにトレーニングをしているはずだ。マオは、人の役に立てるのが嬉しいようである。ミケーラの身の回りの世話も、率先してやっている。
ゾフィーは微笑みながら、彼女の後から付いて行こうとした。その時、ライノが音も無く現れドアの前に立つ。
「ちょっと、あんたに話がある。奴らには聞かせたくないことだ。入れてもらっていいか?」
「はあ? なんだい、あらたまって」
怪訝な表情を向けるゾフィー。だが、ライノの顔つきは険しい。明らかに、普段とは違う様子だ。ゾフィーは首を捻りながらも、彼を部屋に入れる。
二人が部屋に入ると同時に、ライノがドアを閉めた。次に、重々しい口調で語り出す。
「姐さん、マオをどうするつもりだ?」
「ど、どうするって……」
普段とは違うライノの顔つきに、ゾフィーは困惑していた。だが、ライノは構わず語り続ける。
「まあ、あんたのことだから……マオとも、このまま一緒に暮らすつもりなんだろ。だがな、一つ知っておいてもらわなきゃならんことがある」
そう言うと、ライノはちらりとドアの方を見た。閉まっていることを確認すると、おもむろに口を開く。
「マオの寿命は……あと三年から五年くらいしか、もたないらしい」
聞いた瞬間、ゾフィーの表情が硬直した。
徐々に、その表情が歪んでいく。
「どういうことだい……あの子は、まだ十代だろ。何で――」
「そういう体なんだよ、あいつは。早く寿命が尽きるよう、体を改造されたのさ……」
ライノの口調は静かなものだった。
だが、その口調がゾフィーを苛立たせた。彼女は凄まじい形相で立ち上がり、ライノを睨む。
「どういうことだよ……何で、そんなひどいことをするんだ?」
「簡単さ。奴らは商品だ。いずれ買い換えてもらう必要がある。あんただって、噂を聞いたことあるだろ? 大陸の大手メーカーは、買い換えてもらうため自動的に壊れる装置を家電にセットしてある、てな。本当かどうかは知らんがね」
一切の感情を交えず、ライノは語り続ける。すると、ゾフィーは糸の切れたマリオネットのように、その場に座り込んだ。しかし、彼女の体はプルプル震えている。
「買い換えって何だよ……何を考えてんだ」
呟くように、ゾフィーは言った。拳を握り、何とか感情をコントロールしようとしている。
そんな彼女を見るライノの目は、氷のように冷えきっていた。
「それにだ、奴はいわば愛玩用だからな……長生きされても困るんだろうよ。一応、あんたにだけは知らせておかなきゃならないだろうと思ってね。この話を聞かせるかどうかは、あんたの自由だよ」
ライノがそう言った瞬間、ゾフィーは立ち上がった。恐ろしい形相で、杖を振り上げる。
直後、杖でベッドをひっぱたいた。
何度も、何度も――
「クソがあ! クソ! クソ!」
吠えながら、ゾフィーは杖を振り回す。だが次の瞬間、バランスを崩し派手に倒れた。顔をしかめ、足を押さえる。
すると、ライノがため息を吐いた。
「やれやれ、姐さん大丈夫かい」
呆れたような口調で言うと、ライノは立ち上がり彼女に近づく。首を振りながら、手を差し出した。
「物に当たっても仕方ないだろ。それよりも、今後あいつとどう接するか――」
だが、ライノは言い終えることは出来なかった。
疾風のごとき速さで、部屋に入って来た者がいる……ムルソーだ。彼は一瞬でライノの首根っこを掴み、床にねじ伏せる。ライノは抵抗すら出来ず、床に押し付けられた――
続いて、ミケーラとマオも部屋に入って来た。室内の様子に、驚愕の表情を浮かべている。
そんな中、ムルソーが口を開いた。
「おばさん、こいつ殺そうか?」
機械のごときムルソーの声に、ゾフィーは慌てた様子で叫んだ。
「やめるんだ! 誤解するんじゃないよ! ライノを離しな!」
その言葉に、ムルソーは無言で頷いた。ライノを押さえている手を離し、彼を力ずくで立たせる
一方、ミケーラとマオはゾフィーのそばに駆け寄った。
「おばさん、大丈夫?」
「な、なあ」
声をかける二人の顔を、ゾフィーは無言のまま見つめている。
一方、心配そうにゾフィーを見るミケーラとマオ。だが次の瞬間、二人は唖然となった。ゾフィーが突然、顔を歪めながら二人に抱きついてきたのだ。二人は倒れ、床に転がる。
だが、ゾフィーは構わず涙に濡れた顔を二人に押し付けていく。
「いいかい、あんたら……あたしより先に死ぬんじゃないよ! もし、あたしより先に死んだら……ぶっ殺してやるがら……」
泣きながら、言葉を絞り出すゾフィー。ミケーラは面食らっていたが、マオは優しくゾフィーの背中を叩く。
「な、なあ」
そんな三人を、ライノは突っ立ったまま見つめていた。だが、いきなり体をつつかれる。
つついたのは、ムルソーだった。
「相手が死んだら、ぶっ殺せない。おばさんは、何を言ってるんだ?」
ムルソーの問いに、ライノは思わず苦笑した。先ほどは、本気でライノを殺すつもりだったのに……一瞬で殺意が消えたらしい。
いや、ムルソーに殺意はないのかもしれない。彼にとっては、人殺しは食事と同じくらい自然な行為なのだろう。
「さあな、俺にはわからないよ。お前には、いつか理解できる日が来るかもしれないがね」
・・・
ウッドタウンの片隅にある、木造の一軒家。そこに入って行く者がいる。家の主人であるニコライだ。
奴隷女の挨拶を無視し、気だるそうな表情で階段を上がって行く。
二階に到着したニコライは、扉を開け部屋に入って行った。
だが、アデリーナはそっぽを向いたままベッドに寝ている。ニコライは首を傾げた。いつもなら、満面の笑みを浮かべて出迎えてくれるのに。
「アデリーナ、どうかしたのかい?」
ニコライの問いに、アデリーナは拗ねたような表情を見せる。
「もう、お兄さまの意地悪。わたくしを放っておいて、どこに行ってらしたんですの?」
「仕方ないだろ。僕にも、やらなくてはならないことがある」
そう言うと、ニコライは面倒くさそうにベッドに倒れこんだ。仰向けになり、暗い目を天井に向ける。すると、その胸にアデリーナが頬を寄せた。
「お兄さま、わたくしは怖いのです」
「怖い? お前に怖いものなどないだろう。何を怖がるんだ?」
「もし、お兄さまがいなくなったら……わたくし、独りぼっちになってしまいます」
アデリーナの声は寂しげであった。ニコライは笑みを浮かべ、彼女の頭を撫でる。
「何を言っているんだい。ここにはブライドがいるし、奴隷女たちもいる。暇な時には、彼らと話せばいいじゃないか」
穏やかな口調で、ニコライは答えた。もっとも、アデリーナの気持ちも分からなくもない。
ブライドたちは、しょせん人間である。自分たち兄妹とは、根本的に違う存在なのだから。
「わたくし、あいつらが大嫌いです」
アデリーナの声には、様々な感情が込もっている。ニコライが何か言おうとした時、ドアをノックする音が聞こえた。
「すみません。お帰りのところ申し訳ないですが、お知らせしておきたいことがあります」
ブライドの声だ。アデリーナは不満そうな顔で、ぷいと横を向く。ニコライの方は、面倒くさそうに答えた。
「わかった、入ってきたまえ」
扉が開き、ブライドが入って来る。家の中にいるにもかかわらず、革のコートを着たままだ。もっとも彼にとって、この家は室内ではないのかもしれないが。
「既にご存知かもしれませんが、先日レミーたちが殺られました」
ブライドの声には、ひとかけらの感情もこもっていない。淡々と、起きた出来事を報告している……そんな雰囲気だ。
「ほう、それは初耳だな。まったく、ミケーラにも困ったものだよ」
ニコライは、ふうとため息を吐いた。一応、レミーたちの猟犬としての腕は、それなりに評価していたのだが……殺されてしまったのでは仕方ない。
「ええ。そのせいか、先ほどバルガスから連絡がありました。ミケーラの情報を教えてくれ、とのことですが……」
「知らないよ、と言っておいてくれたまえ」
「いいのですか? バルガスは、それなりに使える男です。このままだと、奴はミケーラに殺されるかもしれませんよ」
ブライドの言葉に、ニコライは首を傾げて見せた。
「それはないだろう。バルガスだって、一応は街の顔役だからね。しかし、もしも彼がバルガスを殺したら――」
「彼、ですか?」
「ああ、すまなかった。ミケーラがバルガスを殺せた暁には……彼女だけは、見逃してあげてもいいかもしれないね」
その言葉に、ブライドは眉をひそめた。
「ミケーラを見逃すつもりですか?」
「ああ。僕は正直、あんな女などどうでもいいんだよ。一緒にいるムルソーくんには興味があるがね。まあ、バルガスを仕留められたら見逃してあげようじゃないか」
そう言うと、ニコライはクスリと笑った。
「しかし、仮にミケーラがバルガスを殺した場合、奴のしていた仕事を引き継ぐ者が必要になります。誰に任せます?」
「それは、君が決めてくれ。もし最適の人材がいなければ、君が彼の後釜になって欲しい」
そこで、ニコライは言葉を止めた。視線を天井に向け、考え込むような仕草をする。
「そういえば、あの女は何者なんだい?」
「あの女、といいますと……」
「ほら、あの顔の丸い中年女さ。こないだ、ポールに足を撃たれたそうだが」
「ああ、ゾフィーですか」
答えるブライド。すると、ニコライはうんうんと頷いた。
「そうそう、ゾフィーだった。で、そのゾフィーなんだが……何者なんだい?」
「元々は、サルサ国に住んでいたそうです。夫と二人で工場を経営していましたが、七人を殺した容疑で警察に追われてウッドタウンに来たようです」
その言葉を聞いたとたん、ニコライは首を捻った。
「ほう、七人も殺したのかい。なかなかやるじゃないか」
感心したような口ぶりのニコライに、ブライドは口元を歪めた。
「あの女は、娘を殺されたのです。娘のココは、ガキの集団に拉致され、慰みものにされた挙げ句に死んでしまったとか。ゾフィーは、その事件の犯人たちが少年院から出てくると同時に、一人ずつ殺していったそうです」
「なるほど、ゾフィーも復讐者だったのか。で、彼女とムルソーの関係は何なんだろうね。ひょっとしたら、ムルソーは熟女好きなのかい? あの二人、実はふしだらな関係だったりしてね」
茶化すようなニコライの言葉。だが、ブライドは平静な表情を崩さない。
「それは分かりません。ただ調べた限りでは、ムルソーは大陸のあちこちで目撃されていました。都市伝説に登場する妖怪のような存在と思われていたようですね」
「都市伝説の妖怪、か。面白いね」
クスリと笑うニコライ。一方、ブライドは冷めた表情で話を続ける。
「実際、ムルソーは何人もの人間を殺しています。しかも、殺した後は必ず死体をバラバラにしているようですね。ゴモラの館にいたヨアキムも、ムルソーが腕を引きちぎったと見るのが正解でしょう」
「そうか、よく調べてくれたね。しかし、わからないな……なぜ、ムルソーはゾフィーと行動を共にしているんだろうね」
独り言のように言うと、ニコライは床に視線を落とす。
ふと、昔の記憶が甦る。大勢の少年たちがいた研究所……髪を剃られた少年や天然パーマの少年、さらに銀髪の少女などがトラックに乗せられ、どこかに運ばれていく。
ニコライとアデリーナは、このウッドタウンに運ばれた。だが、そこで凄惨な事件が起きてしまい――
「お兄さま、どうなさったの?」
アデリーナの声を聞き、ニコライは物憂げな表情を向ける。
「別に、何でもないよ」
妹に微笑んだ後、ニコライは再びブライドの方を向いた。
「教えてくれて、ありがとう。何か分かったら、また知らせてくれ」




