レミー・バレンタイン(続)
「ミケーラ……お前……」
レミーは、不快そうな表情で言った。と同時に、倉庫内が一気に明るくなる。
さらに、放置された重機の陰からライノが姿を現した。その手には、ハンディカメラがある。
「やあレミー。すまないな、こんなところに来てもらって。実際にクリスの情報はあるんだよ。ただね、このミケーラに勝てたら教えるってことでさ」
そう言って、ライノは笑みを浮かべる。いかにも楽しそうな顔つきだ。レミーは顔を歪め、ジョニーを睨んだ。
「あんた、どういうつもりだい? あたしを売ったのか?」
だが、ジョニーはすました表情だ。
「先に俺を裏切ったのは、あんたらだ。あんたらは、話を聞くだけだと言ったろ。だから、ウィローを会わせたんだよ。まさか、あんなことになるとはな……だがな、俺は嘘は言わねえ。あんたがミケーラに勝ったら、ライノが話してくれるってよ」
そう言うと、ジョニーはライノを指し示す。
ハンディカムを持ったライノは、ヘラヘラ笑いながら頷いた。
それを見たレミーは、口元を歪めて笑う。無論、親しみからではない。憎しみのこもった笑みだ。
「上等だよ……だったら、三分以内に殺してやる」
言うと同時に、レミーは拳銃を抜く。しかし、ミケーラの反応の方が早い。一瞬にして、物陰へと身を隠した。と同時に、ライノとジョニーの姿も消える。
「おいおい、隠れんぼしに来たのかい……面倒くさい奴だねえ」
呆れたような口調で言いながら、レミーはゆっくりと歩く。その顔には、残忍な表情が浮かんでいた。
その時、背後で物音がした。レミーは振り向くと同時に、拳銃を撃つ――
倉庫内に、銃声が響き渡った。
・・・
「おい、何か妙だぞ。中で何をやってんだ?」
すぐに異変を感じたマイクは、険しい表情で倉庫内を覗く。しかし、トニーは肩をすくめるだけだ。
「さあな。いくらレミーがバカでも、情報屋を殺しゃあしねえだろ――」
トニーの言葉は、そこで止まった。倉庫内から、銃声が聞こえたのだ。
二人は顔を見合わせる。
「ヤベえぞ!」
喚くと同時に、トニーがドアをこじ開けようとする。しかし、マイクが彼の腕を掴んだ。
「お前、誰だ?」
低い声でマイクは尋ねた。言うまでもなく、トニーに向けられた問いではない。建物の陰から、妙な男が姿を現したのだ。
年齢は二十代の半ばだろうか。中肉中背で肌は白く、黒い髪は肩まで伸びている。灰色のコートを着ており、その顔には余分な脂肪が付いていない。マイクを見つめる目には、感情らしきものが一切浮かんでいなかった。
マイクはぞくりとするものを感じた。目の前にいる男は、自分よりも小さい。その上、武器らしきものは何も持っていなかった。
しかし、醸し出している雰囲気は尋常ではないのだ。得体の知れない何か、暗闇に潜む妖怪と向き合っているような、そんな奇怪なものを感じる。
マイクは、もともと傭兵である。物資の横流しがバレてウッドタウンに逃げて来たのだが、それまでは戦場で多くの敵と戦ってきたのだ。
そんな生活の中で培われた勘が、彼に告げている。
目の前にいる若者は、普通ではない。
しかし、トニーの方はお構い無しであった。
「何なんだ、てめえはよお!」
怒鳴りつけ、威嚇するような表情で近づいて行くトニー。その手には、ナイフが握られている。それも、大型のハンティングナイフだ。鉈に近いような大きさである。
だが、若者は全く怯んでいない。のほほんとした表情で、近づいてきたトニーを見下ろしている。小柄とはいえ、ハンティングナイフを持った男が迫ってきているのに、何も感じていないらしい。
だがトニーは、その態度に感じるものがあったようだ。顔を赤くし、体をプルプル震わせる。言うまでもなく怒りゆえだ。
「てめえ! ナメてんのか!」
吠えると同時に、トニーはナイフを振り上げる。だが、そこまでだった。若者の放った拳が、トニーの顔面に炸裂する――
トニーの人生において、これほど強烈な打撃を受けたのは初めてだった。猛スピードのバイクが、ピンポイントで顔面にぶつかってきた……敢えて例えるなら、それくらいの衝撃である。もちろん、そんな目に遭った人間は生きていられない。
トニーの顔面は砕け、彼の脳は頭蓋骨の中でグシャグシャに潰れる。トニー本人は、そのまま仰向けに倒れたてい。痛みを感じる暇なく死んだのが、せめてもの幸いであろう。
「てめえ……何なんだ」
低い声で言いながら、マイクは拳銃を抜く。常に冷静なはずの彼が、今は自分でも認めたくないほどに怯えていた。泥水をすすりながら、暗闇のジャングルの中でゲリラと交戦したこともあるマイク。しかし今、彼の目の前にいるのは……そのゲリラより恐ろしい相手だ。こんな奴と遭ったのは初めてだ。
マイクは、震える手で銃口を向ける。いくら強いとはいえ、向こうは素手だ。こちらの方が、圧倒的に有利なはずである。
だが、若者は平気な顔をしている。その表情からは、一片の感情すら窺うことは出来ない。
不意に、マイクの震えが大きくなった。向き合った時、若い頃の記憶が呼び覚まされたのだ。
とある島の中にあった、奇妙な施設。そこに、数人の子供たちを運ぶ……それが、マイクら傭兵の仕事であった。
バスに乗せられ運ばれていた時、子供たちは皆、どこか壊れたような表情を浮かべて外の景色を見ている。マイクは初め、少年たちは奴隷として売られて来たのかと思っていた。
ところが、その考えは変わる。施設に着くやいなや、二人の少年が喧嘩を始めたのだ。
初めは、よくある子供の喧嘩かと思っていたが……やがて一方の少年が、相手の首をへし折ったのだ――
唖然となるマイク。だが、少年はのほほんとした表情を浮かべて死体を見下ろしている。なぜ動かなくなったのか、理解できていないらしい……。
その時、白衣を着た男がスッと近づいて来る。背後から、少年の首に注射器を突き刺した。
パタリと倒れる少年。白衣の男は少年を担ぎ上げ、施設の中に入っていった。
あの時の少年と、目の前にいる若者……どこか似ている。顔の形や髪の色を見れば、別人だとはすぐに分かる。しかし、どこか共通するものを感じるのだ。
「お前、誰だ? 何しに来た?」
マイクは平静を装い、静かな声で尋ねた。こっちには銃がある。この距離なら外さない。圧倒的に有利なはずだった。
しかし、マイクの体は震えている。得体の知れない相手を前に、恐怖を押さえることが出来なかったのだ……。
「名前はムルソー。お前らを殺してミケーラを助けろと、おばさんに言われた」
無機質な声で、若者は答えた。その顔には、感情らしきものが全く浮かんでいない。拳銃を向けられているのに、何も感じていないのだろうか。
その時、マイクは思い出した。
あいつらに……似てる。
このウッドタウンにおいて、誰もが恐れる兄妹。あの怪物と、目の前にいる若者は似た雰囲気がある。
「お、お前は……まさか……」
それが、マイクの最後の言葉となった。直後、ムルソーが真正面から突っ込んで来たのだ。
ムルソーは一瞬にして間合いを詰め、拳を放つ――
さすがのマイクも、拳銃を向けられている者が正面から突っ込んで来るとは思っていなかったのだ。そのため反応が遅れ、トリガーを引けなかった。
それは、とても高価な代償を支払うことになるミスであった。マイクの頭蓋骨は砕け、首がへし折れる。
あちこちの戦場で戦い抜き、この無法の街でも生き延びてきたマイク。だが、そんな彼もムルソーの敵ではなかった。
・・・
「ミケーラちゃん、出ておいで……今すぐ出てくれば、優しく可愛がってあげるよ」
わざとらしい猫なで声を出しながら、レミーは倉庫内を進んでいる。拳銃を片手に、慎重に動きミケーラを探していた。
そのミケーラは、重機の陰に隠れていた。レミーの声を聞くたび、思い出したくもない記憶が甦る。
レミーたちに捕まった直後、ミケーラは素手のレミーに叩きのめされた。
さらにミケーラは、バルガスに引き渡されるまで……二人の男と一人の女の慰みものにされたのだ。あの時の恐怖が、再び体を蝕んでいく。
一度、徹底的に叩きのめされ……敗北感を心と体に刻み込まれたミケーラ。その相手と、もう一度闘わなくてはならない。
恐怖に支配された人間は、体の自由すらままならなくなる。常人なら、動くことは出来なかっただろう。
ミケーラの体も、震えだしそうになっていた……だが、彼女は深く息を吸い込む。心の中でレミーを思い切り罵り、声にならない雄叫びを上げる。
そして、ゾフィーの言葉を思い出した。
(いいかい、精神を集中させるんだ。人間のもっとも強い武器は、筋肉でも格闘の技術でもない……精神力さ。戦う意思を捨てなければ、僅かなチャンスが生まれる。そこをものにするんだ。あたしは、今回は一緒に行けないけど……さっさとブッ殺して、早く帰って来るんだよ。美味しいご飯作って待ってるからね)
ゾフィーを思い、ミケーラは自らを奮い立たせる。ぎりりと歯を食いしばり、レミーを睨み付けた。
あたしは、おばさんを巻き込んじまったんだ。
今さら、ビビってなんかいられない。
闘うよ、おばさん。
あのバカ女をブッ殺して、さっさと帰るから……。
待っててよ。
心に湧き上がっていた恐怖を、怒りと憎しみとで塗りつぶしていく……ミケーラは息を殺し、じっとチャンスを待っていた。
「ちょっと、いい加減にしてくんないかな。隠れんぼする歳でもないだろ」
うんざりした口調で言いながら、レミーは拳銃を構え歩いていた。あんな手足の無い女に、負けるわけがない……誰もが、そう思うだろう。
だが、レミーはバカではない。暴力的ではあるが……こと戦いに関する限り、無謀なことはしない。獲物はじっくり追いつめ、確実に仕留める。彼女は拳銃を構え、地面を凝視しながら進んだ。
だが、レミーは決定的なミスを犯していた。彼女は下方向だけを注意して見ていたが、標的は上に潜んでいたのだ。
木の上から、獲物を狙う野獣のように……。
突然、上から降って来た者……レミーは反応できず、完全に不意を突かれる。
ミケーラは肘までしかない腕と膝までしかない足を駆使し、重機をよじ登りチャンスを窺っていたのだ。そして今、レミーの体にしがみつき、首に噛みつく――
「お前!」
痛みで顔をしかめながらも、レミーはミケーラの首根っこを掴んだ。直後、力任せにぶん投げる。
ミケーラは吹っ飛び、床に叩きつけられた。
だが次の瞬間、レミーの首から血がほとばしる――
ミケーラは落下する勢いを利用し、レミーの首に杭を突き刺そうとしていたのだ。
ところが狙いが外れ、首を僅かに傷つけただけに終わる。だがミケーラの判断も早い。頸動脈を覆う部分を傷つけたと見るや、必死でしがみつき、マウスピースをはめた口で渾身の力をこめて噛みついたのだ。
それを力任せに引き離したことで傷が大きくなり、レミーの頸動脈は切れてしまった。彼女の体は、あっという間に鮮血に染まっていく。
傷口を押さえ、どうにか止血しようとするレミー。だが、吹き出る血を止めることが出来ない。大量出血は彼女から体力を奪い、さらには意識も削ってゆく。
レミーは敵に背中を向け、出口に向かいよろよろと歩き出す。こうなったら、戦うどころではない。一刻も早く、手当てをしなければ……。
だが、彼女の前に現れた者がいる。ムルソーだ。彼はマイクとトニーの死体をずるずると引きずりながら、レミーの方に歩いて来る。その顔には、つまらなそうな表情が浮かんでいる。まるで、楽しい遊びが終わってしまった後の子供のように。
レミーは、その場にへたりこんだ。深傷を負わされ上に味方も失い、さらに新手の怪物が姿を見せたのだ。彼女の心は完全に砕かれてしまった。完全なる絶望に支配され気力も尽き果て、戦うことも逃げることも出来ない。
後は、死を待つのみだった。
「大丈夫か」
レミーにとどめを刺した後、その場で仰向けに倒れたミケーラ。そんな彼女に、ムルソーが声をかける。
すると、ミケーラは歪んだ笑みを浮かべた。
「あんたに心配されるとはね」
言いながら、体を起こすミケーラ。すると、ムルソーも笑った。
子供のような、無邪気な笑みだった。
そんな二人を、遠くから見つめているライノ。彼の顔には、複雑な感情が浮かんでいる。その目は暗く、口元は歪んでいた。




