根回し
ウッドタウンにて生き延びていく上で、重要な資質がある。それは臆病であることだ。
どっかの凄腕スナイパーは、プロとして成功する条件を聞かれた際、一割の才能と二割の努力と三割の臆病さと答えたらしい。もっとも、残る四割が運だというのが実にシビアな話なんだがね。要するに、成功するかどうかは……かなりの部分が運に左右されるのさ。もっとも、だからこそ最善の準備をしなきゃならんわけだよ。
言うまでもなく、俺は臆病者だ。だからこそ、事を起こす前には……あちこちに根回しをしなきゃいけないってことさ。
俺の仕事は罠を仕掛け、網を張り、そこに獲物を追い込む。基本的には、それで終わりなんだが……たまに、予想もしなかった結末を迎えることもある。
・・・
「おばさん、具合はどう? 傷は痛む?」
心配そうに声をかけるミケーラに、ゾフィーは微笑んで見せた。
「大丈夫だよ。あんたは、本当に心配症だね」
そう言って、ゾフィーは顔をしかめながらベッドから立ち上がる。
「ほら、独りで立てるようになったよ。歩くのには杖がいるけどさ」
ポールに撃たれ、負傷したゾフィー。しかしライノの応急処置、さらに医者の手当てにより怪我は軽く済んだ。
それでも、太ももを銃で撃ち抜かれたダメージは小さくない。今のゾフィーは、杖なしでは歩けない状態となっている。
「おばさん、もう――」
「ちょっと待ちな。あたしは最後まで、あんたに付き合うよ。誰が何と言おうが、ね」
ゾフィーの顔からは、硬い意思が感じられた。ミケーラは複雑な表情を浮かべ、目を逸らす。
「どうして……何で、あたしのために?」
「あたしは、娘を死なせちまったからね」
顔を歪めながら、ゾフィーは言った。その言葉の裏には、様々な感情がある。ミケーラはハッとなり、顔を上げた。
「おばさん……」
「あたしは、娘を救うことが出来なかった。もし、あの時に……もっと違う言葉をかけていれば、ココは死ななかったかもしれないんだよ」
「違うよ! それは、おばさんのせいじゃない!」
叫ぶミケーラ。その目には涙が溢れている……すると、黙ったまま状況を見ていたマオが、タオルを手に恐る恐るミケーラのそばに近寄って来る。
「な、なあ」
そう言いながら、マオはおずおずと手を伸ばし、ミケーラの顔を拭いた。
ミケーラは、にっこりと微笑みかける。
「ありがと、マオ」
そんな二人のやり取りを見て、ゾフィーの顔にも優しい表情が浮かんだ。
「マオ、あんたは優しいね……それに賢い。あたしが教えたことを、もう覚えたんだね」
「なあ!」
ゾフィーの言葉に、マオは嬉しそうに頷いた。
ゾフィーが怪我をして動けない間、ミケーラの身の周りの世話をしていたのはマオだった。マオは言葉を喋ることが出来ないが、こちらの言うことは理解できる。しかも、手先は器用なのだ。
そのため、今ではマオがミケーラの身の周りのことをしてくれている。
「あたしはね、あんたをむざむざ死なせたくないんだよ。出来ることなら、復讐なんか今すぐやめて欲しい。でもね、あんたは続ける気なんだろ?」
ゾフィーの言葉に、ミケーラは頷く。
「でないと、死んでいった二人に会わす顔がないからね」
「そうかい……だったら、あたしも最後まで付き合うよ。でないと、あたしも娘に会わす顔がないからね」
言いながら、ゾフィーはミケーラの頭に触れた。
「この件が片付いたら、大陸の医者に診てもらおうね。あんたの顔の火傷くらいなら、元通りに出来るはずだよ……金はかかるけどね」
「でも、そんな金ないよ」
「ライノの奴をどやしつけて、金を出させりゃいいのさ。出さないなんて言いやがったら、あたしがブン殴ってやるよ」
そう言って、拳を突き出して見せるゾフィー。ミケーラは、ようやく笑顔を見せた。
「だったら、それまではあいつを生かしておかないとね」
クスリと笑い、ミケーラは辺りを見回す。そういえば、ライノの姿が見えない。買い出しにでも行ったのだろうか。
「おばさん、ライノは?」
「さっき出て行ったよ。何か用事があるとか言ってたねえ。どうせ、また悪だくみでもしてんだろうけど」
・・・
その頃、ライノは地下道を歩いていた。
注意深く、辺りを見回しつつ進んで行く。地下には様々な人種が住んでいる。中には、獣と区別が付かない状態にまで退行してしまった者もいるくらいだ。
たまに、この地下の街を取材しに来るフリーのジャーナリストがいる。しかし、ほとんどの者が無事に帰ることは出来なかった。彼らは皆、行方不明者として処理されている。
やがて、ライノは目指す場所にたどり着いた。目の前には、巨大な集合住宅がある。頑丈そうな造りで、お洒落なものではない。
ここはもともと、地下で働く作業員のための宿舎だったのだが……現在では、地下の王であるノートリアス・ダディのための城と化している。ここに住んでいるのは、ダディとその側近だけだ。
そして奥の部屋では、ライノとノートリアス・ダディが向かい合って座っていた。部屋の中にはテーブルと椅子……らしき物があるだけで、それ以外には何もない。まるで牢獄のごとき暗鬱な空気に包まれている。気の弱い人間をこの部屋に閉じ込めたら、一日で首をくくってしまうだろう。
まず、会話の口火を切ったのはライノだった。
「上の連中の意向としては、あんたが裏を仕切り、ニコライが表を仕切ることが望ましい……とのことだ」「私が裏ですか。それはそれは……」
ダディは不気味な笑みを浮かべた。傷だらけの顔と、小柄な体躯が特徴的だ。もっとも、身に付けているものは地味である。皮のシャツを着て、染みの付いた頑丈そうなズボンを履いている。
そんな彼が、暗く汚い部屋で椅子に座っている姿は、地下に棲む妖怪を連想させる。その顔には、冷たい表情が浮かんでいた。値踏みしているような目で、ライノを見つめている。
だが、ライノには怯む様子がない。
「ああ。イケメンのニコライが表に立っていれば、良識派のおばちゃんたちの圧力も少しは和らぐだろうからな。表に出てくるには、あんたは人相が悪すぎる」
「言ってくれますね」
口元に皮肉な笑みを浮かべながら、ダディは言葉を返す。もっとも、ライノの発言など毛ほども気にしてないようだが。
「仕方ないだろ、それが上の意向なんだからさ」
ライノは、とぼけた口調を崩そうとしない。彼の目の前にいるのは、仮にもウッドタウンにおいて三本の指に入るほどの大物なのだが……ライノには、恐れる様子がなかった。
「しかしね、ニコライはすんなり言うことを聞くタイプではありません。彼を操縦するのは、まず無理ですよ。いずれ、ニコライとアデリーナはとんでもないことをしでかすでしょう」
「そん時は……仕方ねえから、あんたが始末してくれよ」
「私が、ですか? ごめんですね。奴は、スナイパーに頭を狙撃されたのに死ななかったって話ですよ。ニコライを殺すには、爆弾で跡形もなく吹っ飛ばさない限り無理でしょうね」
真顔で、そんなことを言い出すダディ。冗談にしか思えない言葉だが、ライノには分かっている。この男は冗談は言わない。
ノートリアス・ダディ……それが本名であるかどうかも知る者はいない。ウッドタウンの住人たちが知っているのは、この小柄な男が二年ほど前にふらりとウッドタウンに現れ、地下に潜ったことだけだ。
そして今では、地下の帝王となっている。ダディに逆らえる者など、地下街にはいない。
そんなダディだが、実のところ大陸に存在する国々から支援を受けている。大陸の後ろ楯があったからこそ、彼は短期間のうちに地下の人間をまとめられたのだ。
今や、ダディは大陸側の者たちにとって欠かせない存在である。
「ところで、君に聞きたいことがあります。最近、ミケーラたちと親しげにしているようですが……あなたは、彼女をどうするつもりですか?」
複数の傷痕のある凶悪な面構えにもかかわらず、ダディの口調は丁寧だ。物腰も穏やかである。体格は小さいが、油断してはいけない。素手でも人を殺せる腕力の持ち主なのだから。
「ミケーラ? ああ、あいつらは面白いからな。しばらくは付き合うつもりさ」
その言葉に、ダディは眉間に皺を寄せた。
「あなたは、時として理解不能な行動をしますね。ひょっとして、ミケーラたちへの協力も上からの指示ですか?」
「いいや。ミケーラたちは当初、全くの部外者だったよ。俺はただ、面白そうだから奴に手を貸しただけさ。ついでに、ミケーラの姿を映像として残しておきたい、とも思った」
「何のためです?」
「フッ、何でかなあ……今となっては、自分でも分からねえ」
そう言うと、ライノは歪んだ笑みを浮かべる。
「最初は、奴らの映像を撮れば再生数が増えるだろう……それだけだったよ。手足のない復讐鬼ミケーラの闘う映像やインタビューは、大陸の悪趣味なクズ共にウケるだろうと思ったわけさ」
「あなたも、そうとう悪趣味に思えますがね」
皮肉たっぷりの口調で、ダディが口を挟む。
ライノは口元を歪め、頷いた。
「確かにな。だがな、そこからが問題だよ。ミケーラは、すぐに殺されるだろうと思ってたんだ。だが、あいつは生き延びちまった。あの体でミケーラは闘い、外道共を始末してきた。俺は、あんな凄い女を見たことがねえ」
しみじみと語るライノ。その言葉の奥には、畏敬の念がこもっている。普段と違い、表情は真剣そのものだ。ダディは無言のまま、彼の言葉を聞いていた。
ライノは、なおも語る。
「しかも、ミケーラの動画は大陸に潜む不満分子にも人気が出ている。俺も今では、ミケーラの闘いを最後まで見届けたい……そんな気になってるんだよ」
「でも、最後に彼女は死ぬ……あなたのシナリオでは、そうなっているのですよね。それとも、まさかシナリオを書き換えるつもりですか?」
ダディの皮肉の利いた言葉に、ライノは神妙な面持ちで下を向いた。
「いや、シナリオは書き換えられない。ニコライとアデリーナは、ミケーラを殺すつもりのようだ。さらに上の連中は、ニコライをウッドタウンの長に据えようとしている。しかも、ミケーラのことも良くは思っていないらしい」
ライノは、そこでため息を吐いた。その顔には、奇妙な表情が浮かんでいる。
「俺はしょせん、組織の犬だ。組織の命令には、尻尾を振って従わなくちゃならねえのさ。仮に俺が放っておいても、メルキアの連中は黙っちゃいねえよ」
「では、ミケーラは死ぬ……そのラストに、変更は無いのですね?」
「ああ、変わらない」




