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中和分解

作者: 矢野華


兄がまた仕事で偉くなったみたい。「お兄ちゃんは出来るのにあなたと言ったらね」と皮肉めいた言い方で兄と私を比較する母親。

 二人とも大事な家族なのだけれど、優秀な兄を持った私はいつしか家族のカーストの中で最底辺に落ちていた。

「で、そう言われたのが嫌で傷つきましたっていう理由でここにサボりにきたわけ」

「加沢だってサボりに来てるじゃん」

 白を基調とされた壁にはインフルエンザ予防の張り紙や、デートDVの注意を促す張り紙には無造作に画鋲が留めてある。

 女性の先生に書いてと言われた保健室来室記録には嘘の病人と本当の病人が書いた文字が埋め尽くされていた。私も嘘に便乗しようとしたが横から割り込んできた加沢のペンがサボりと書いた。

「ちょっと何するの、この馬鹿」

「お返し。俺がサボりにきてるとか適当に言ってくるそっちが悪いんだろ」

 加沢は私の隣で校則違反の茶髪を揺らしながら私のことを嘲笑う。

「いい、私はちゃんとした病人なの。心の病気にかかっているの。わかる? 少しでも悩みを聞いてもらわないとすぐ死ぬような!」

「心の病気とか意味分からねぇし。もう一回現文勉強してこいよ」

 屁理屈だらけの反論に嫌気がさしてきた。勢い任せに消しゴムでサボりの文字を消そうとするも、なかなか消えない。それどころか色が薄くもならない。

「もしかしてそれシャーペンじゃないの」

「今持っているのはシャーペンだけどな」

「今?」

「それはボールペンだよ。って、ちょっ」

 私は加沢からペンを取り上げ、自分の名前の欄を黒く塗りつぶして加沢と書いてやった。

「あーぁ、優等生加沢君に汚名がついちゃった」

 憎たらしく言いながら加沢にペンを返すが何も言ってこない。横を向いてみると私のことを見もせずにイヤホンをしながらノートにペンを走らせていた。机の上に置いてあるスマートフォンの音量を上げてみる。

 すると予想通り加沢は音漏れしているイヤホンを外し、私のことを睨み付けた。

「構ってほしいのは心の病気とは言わない」

「構ってほしいわけじゃなくて悩みを聞いてほしいって言いましたー」

 すると、諦めた様子で加沢は音楽を聴くのを止めた。

「てか頭がいいんだから加沢、勉強しなくてよくない?」

 が、私の声が全く聞こえていないようなシカトっぷり。

「まぁ、きっと親に期待されている加沢くんはもっと高みを目指さなくちゃいけないもんねー」

 これまた無視。加沢がシャーペンを止める気配は一切ない。

「それに優等生に悩みなんてないでしょ」

 その時だった。シャーペンが動きを止めた。

「勝手に決められたくはない」

 加沢の初めて聞いた怒った声。予想だにしてなかった重く、低い声に話の流れは完璧に加沢が作り出した。

「どうして優等生は悩みはないって言いきれる? そんなのただの偏見だろ。人のこともよく知らないくせに」

 知らぬ間に開いていた口を急いで閉じ、責めたててくる加沢を宥める。

「い、いや冗談で言っただけだよ。そんな本気にすることないじゃん。あ、もしかして加沢、勉強疲れでぴりぴりしてるだけじゃない? ほら、あまり無理するのは体に良くないって言うでしょ。休んだ方がいいって」

「心配される筋合いないし」

 こんな空気にするはずなかったのだが。

 何とか場を和ませようとも口を開いたら加沢が何を言ってくるか分からなく、私は空笑いすることしか出来ずにいた。

 重苦しい沈黙。数分前まで喜々としていた空気が嘘だったみたい。私も加沢も口を開かない。怒らせてしまった後悔で加沢の顔を見れなかった。

 耐え切れず私は静かに席を外そうとする。

「今のはごめん。でも、いくら頭がいいとか、人が好かれようが、誰にだって平等に悩みはあるよ」

 加沢の言い方は戻っていた。

 思わず浮かした腰を下ろしてしまった。加沢のその言葉は彼自身に向けられたものではなく、不思議と私に向けられたものだと感じた。

 加沢の方に顔を向けると彼も私の方を見ていた。それは私の話を聞いてくれるサインなのかもしれない。

 仕切り直しを表す咳払いする。

「お兄ちゃんが出来るのに、どうして私は出来ない子なのってお母さんに言われたの」

「まぁ、比較されるのは当たり前だよね」

「……それは認める。けど、何ていうか家族にそういう風に比較されるのも嫌。分かってるけど、自分がお兄ちゃんなんかよりも出来損ないだって」

「お兄ちゃんは?」

「へ?」

「お兄ちゃんはお前のこと出来損ないの妹って思ってる? 実際聞いたの、その耳で」

「それは」

 聞いていない。いや、聞けるわけがない。ただでさえ自分に自信がないのに追い打ちをかけられるような兄の言葉を聞き入れられる器量など今の私にはない。

「聞いてないでしょ。なら決めるのははやくない?」

 そうは言ったものの自信が出ない。同じ時をずっと過ごしてきた兄弟なのに、いつから兄が怖い存在になってしまったのか今ではもう思い出せない。

「兄弟だし、家族なんだから」

「うん」

 言い淀んだ「でも」を無理やり自分の中に押し込んで頷いた。


 加沢と珍しく真剣な話をしたのが二日前の金曜日。なかなか時間は経ったというのに、私の中は加沢の言葉が渦巻いている。

 毎週休日になると、一人暮らししている兄が実家に様子を見に来る。兄に合わせる顔がない私はいつだって家に居場所がなく家族とかくれんぼをしているように思えた。家族に見つからないでずっと縮こもって体育座り。

 思い返せば金曜日までは幸せだった。土曜日に誕生日を迎える私に友達たちが盛大に祝ってくれた。

 だが、家に得ればまるで夢の出来事に思えて来た。

 カーテンの隙間から来る寒さのせいと自分に嘘をつきながら布団にいつまでも包まっていたいた私の耳に兄が家のドアを閉める音が聞こえた。

 どこかに出かけたようだ。

 私はいそいそとリビングへと出た。

「あれ?」

 机の上には見慣れないものが置いてある。青の水玉の包装紙包まれたそれには白いメモがテープで付けられていた。

 手にとって見ると母の字ではない「お誕生日おめでとう」の黒い文字がミミズ字で書いてあった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

来週もまたよろしくお願いします。

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