猫のいる街2
「あそこだ」熾は言った。
そこは、坂の上にある光る大樹の麓にある教会だった。いや、半ば木の幹が建物を飲み込むように鎮座していた。
木の幹は人が三十人いても囲めないほど大きく、周りには教会以外家が一つもなかった。木の周辺は広場になっており、多くの人間が闊歩し、屋台で何か食べ物を買って食していたり、スケートボードで遊んだりしている。
巨大な幹から枝分かれし空を這う枝は、巨大な幹が不釣り合いになるほど遠くまで伸びており。大樹、というよりは街全体を守る天井のようだった。枝と葉の隙間から見える木漏れ日が、大樹自体が発する光と交わり不思議なグラデーションを作り出していた。
教会はその大樹の根の一つに寄生するように鎮座していた。大樹との比較によって小さく見えるが、そこに入っていく人のサイズをみるに、その建築面積と全長は中々大きい。
「王様という割には随分無防備なところにいるのね」
ケニーが言った。
『現実に比較すると。人口規模的に、あの老人の立ち位置は町長、市長、辺りだ。別に現実の王や総理大臣並みの警備はいらない。そもそもあの男、大抵の輩では手も足もでないだろうしな』
「つまりこの世界には、現実でいうところの市並の人間がいるということか?」
枯炭の言葉を聞いて、俺は訊ねた。
『この町ではそうだ。全員人間で、全員活動しているかといえるかは微妙だが。この世界の全人口を区別なく数えたら、県くらいはいくのではないか?』
鼠は言った。
「んな馬鹿な!」
真城が大仰に言った。俺も信じられない。県の人口なんてどんな過疎地方でも、総数五十万人は下らないだろう。それだけの数の人間が揃って眠り、同一の明晰夢を共有している?馬鹿馬鹿しいにも程がある。
そのまま彼について行き、教会の中に入る。市役所……の割りに人の出入りは少なく、あっさり入ることができた。たくさんの人に開閉されて少しガタついた扉を押す。
入ってすぐに礼拝堂らしき広い空間にでたが、崇拝される対象は飾られておらず、木の根が壁を突き破って入り込んでいた。奥のほうに、いくつかに仕切られたカウンターがあり、まるで役所のように人々が何かを手続き…だろうか、をしていた。
応対しているのは全員シスター服を着た女性だった。彼女らは一卵性かと思えるほど似通った顔立ちと体のラインをしており、頭には猫の耳のような装飾がある。
「王様はどこにいる?連絡はしたはずだけど。手続き名は熾で」
空いているカウンターのシスターに、熾が問いかけた。
「………王なら、扉の間におられます。名前と係数を確認。熾様と断定。開錠を行いましたどうぞお通りください」
シスターは数秒黙考した後、顔色をまったく変えずにすらすらと口上を述べた。
「ありがとう」
熾はそう言うと、左の奥から二つ目の扉に向かった。俺達はそれらに続く。
「……あの、さっきのシスターさん、何か、あの、おかしくありませんでした?」
心配そうに日野が訊ねた。
「あれの心配はいらない。人形だし」
「人、形?」
「非実在人物ってこと」
熾はそう言い、扉に手をかけた。
廊下を歩きいくつか扉をくぐると、と礼拝堂ほどではないが、そこそこ大きな部屋にでた。本棚が並んでおり、天井は壊れ、吹き抜けだった。大樹の枝が天井から入ってきて、不思議な光に包まれていた。
奥の一角には大きな本の山があり、そこがかすかに物音をたてていた。
「おっさーん?」
その怪しげな一角に熾は声をとばした。
「ちょ、もうちょい待って、アレがどっかいったんじゃ」
嗄れた低い男性の声。老人、とまでは言わないがそれなりに歳を喰った人間だと理解できる声だった。
「この前新規きたときは二週間前だろう。使わない『喩』は整理してくださいってあんだけシラベに言われてたのに」
熾は溜息をついた。
「統治者は忙しい。というか新規の案内は儂の仕事じゃあない。あんなに頼んでるのに、ゴーレムに頑なに掃除機能つけてくれないコハルの小娘が悪いのさ」
統治者。ということは、この声の主がこの街の『王』ということだろうか。
「あなたが一日の大半を自分の『夢』にすら使わず惰眠を貪っていることを、僕とこの街の人間と猫たちはよく知ってるよ。新米の王のコハルさんにこれ以上迷惑かけないほしい。とにかく、ここが一番新規が来るのだから準備しっかりしてくれ。あなたがまともに働いた時は猫の街が犬の街にかわると巷では評判なんだぞ」
若干熾の声に、非難の色があった。
「眠れる子羊たちが一番多くたどり着くのは『森』か『城』の方だろう。儂ぁ、フォローにすぎん。よって儂が必死に働く義理はないのさ、特例をのぞいてな……あったあった。というか、さっきの話は本当か?儂を働かせる方便じゃないだろうな?嘘ならばお前にまた仕事を増やすが」
「残念ながら本当だ」
熾は溜息をついた。
「ふむ……度し難いの」
ぬっと、本の山が崩れ、声の主が姿を現した。
……見た目の第一印象は、思ったよりも若いな、だった。
刈り上げられた白髪は老いよりも清潔感を感じさせ、額はほとんど後退していない。精悍な顔つきに、意地悪そうな瞳はむしろ悪戯好きな幼さを想わせる。髭は無造作に生えているが不思議と不潔には感じさせ、品の良さそうな服を身を纏わせている。
老人に片足を突っ込みながらもどこか若い。そう言った出で立ちだった。
「ひぃふうみい…四人か。影は確かになし…。何に喰われた?」
『伝承級ニ体だ。協定に従い黒喩を使用し、これを殲滅せしめた』
枯炭が応える。伝承級…というのはあの黒い影の怪物のことだろうか。
黒喩とはなんのことだ?
老人は、はぁーーっと、腰に手をつけ、大きくため息をついた。
「……で、黒喩使用を儂に処理させろと?お前の力は厄介すぎる。統治者たちへの弁明は現実で生きるのと同じくらい面倒なんだぞ。特に姫にはな」
『それこそ貴殿の仕事だ。それに緊急事態だった。個人のみ、しかも携帯できるノーマルウェポンで奴らを倒すことが出来ないのは、貴殿も承知しているだろう。この初心者達を見殺しにすればよかったとでも?』
再び小さな鼠が応える。「しかしなあ」と、老人は面倒臭そうに俺達を見た。
「おい。こっちはすでにトサカにきてんだ。わけわからん会話はもう沢山だ。さっさと現実に戻せクソジジイ」
割ってはいるように真城が言った。老人を威圧するような怒気のこもる声だったが、老人は動じた様子もなく俺達を値踏みしているようだった。
ケニーがこらっと真城をこづく。だが彼女も腕を組んで、指をトントン動かしていた。焦っている心を落ち着かせているようだった。
「導朗の意見は、御尤も」
熾は頷く。
「はあ…メンドクサい、詰み上がった仕事は、一つずつ片づけていくしかないな。とりあえずは目の前の問題か」
老人はそういうと俺達に向き合った。手の中には一つの紙片……七夕に笹に飾る短冊のような細長い白い紙だ…を持っている。
「さて、かなり遅いが、チュートリアルを始めようか」
男性は口元を悪戯っぽくつり上げた。
今日はここまで