マウザー・カンファレンス
設定まみれですが勘弁してつかあさい
「あの四人の中にいるのはおそらく、『汚れたアリス』の産みの親だ」
熾は言った。
ここは、『酒番猫』の本部、マウザーシティの中心に位置する大樹の根本にある三階立てのビル。その一室だ。
外部からみるとこじんまりした建物だが、その中は夢の力によって拡張されており、おおよそ外観の四倍の体積を誇っている。
その中の一室に数人の人間が座っている。一見ただの会議室だが、そこは一部の人間しか立ち入ることはおろか、知ることすらできない秘密の場所だった。
ここには何重ものプロテクトがかけられており、『変分身』による覗き見も、他の『夢喩』による盗聴もできない作りになっている。
街の上層部の人間が、外に漏らすことができない話をするときに使われる場所だ。勿論今、内部で行われている話も、誰かに聞かれてはならないものだった。
その中にいるのは四人の人間と一匹の鼠だった。人間はパイプ椅子に会議机に座っており、鼠は机の上に小さな座布団を敷いて座っている。
1人はこの街の王であるゲンスケ。2人は夢の街の警察の長であるキザキとその副官、後は熾ともう一人女性がいる。
本来は後六人ほどくるはずだったが『現実』との兼ね合いで今日は欠席している。
「……『汚れたアリス』って何すか?」
口を開けたのは、幹部の中でも一番フェーズ歴が浅いアマネが口を開いた。セーラー服に短くボーイッシュな髪が揺れる。彼女は、キザキの副官であり、実質的な酒番猫のNO2のシーカーである。
「アマネ」
「う、うっすキザキさん!」
「昨日渡した報告書、呼んだか?」
「うっす!呼んでないっす!」
ゴッ!
即座に鉄拳がキザキより振り下ろされ、アマネの頭が机にめり込む。キザキは『現痛』もちではないが、罰としてはもう見た目で痛い。
「反省したか?」
「うっす!反省してます!」
机にめり込みながら手をあげアマネは言った。反省しているにしては元気がいいが、この2人はこれがデフォルトである。他の六人もなれたものでため息はでるが驚く者はいない。
「はいはい。直すから顔を机から離してアマネちゃん。……汚れたアリスっていうのは、二年前に起こった獏の大発生。通称『幻想侵攻』の首謀した『幻想級獏』の通称よ」
めり込んだアマネの頭を引っ張り出したのは、隣に座っていた白衣の女性だ。醜く凹んだ机に彼女が手を人なですると――その破壊痕はなくなった。
この女性の名はシラベという。この街の『造願者』をまとめる『クラフターギルド』の長である。
「幻想侵攻って、あの幻想侵攻っすか?あたしは経験してませんけど」
シラベにハンカチで顔をふきふきされながら、アマネは言った。
「そう……二年前、五百万の獏が世界中のポータルを破壊しようとした大事件。いや、戦争といったほうがいいかしら」
幻想侵攻。
この世界にいる人間ならば、この単語を聞いたことのない人間などいない。
通常、獏の量は、この世界にいるウォーカーで十分討伐できる数しか発生しない。獏というのはウォーカーたちの悪夢と考えられており、その総量はウォーカーの総人数とほぼイコールと言われている。
だが、幻想侵攻は、一体の『幻想級獏』によってそのバランスが崩された事件だ。
「うげえ五百万ってやばいっすね!がちやばっすね」
アマネは顔をこわばらせ、嫌いな食べ物を目の前にしたように言った。
この世界にいる人間の総数は約五十万。内、『まともに動ける人間』はその内の5割にみたないし、戦闘を行える人間はさらに少ない。つまりその戦争はウォーカーの総数の数十倍の規模の獏たちを相手にしたということだ。
「ええ。がちやばだったわよ。ウォーカーもたくさん夢から『追放』されたわ。それで、『汚れたアリス』はその統率者。出典は勿論『不思議の国のアリス』。不死であり、人間並の知識を持ち、獏を無条件で従えることができる声と、獏を無条件で産み出すことができる力を持っていたわ……はい」
シラベはハンカチを白衣のポケットにしまうと、そのままポケットからスティックタイプのお菓子をとりだしアマネに渡した。
「あざっす!……てか獏を産み出す力ってやばいっすね。しかし、不思議の国のアリスってそんな話でしたっけ」
アマネはありがたくその菓子をいただいた。
「おお、シラベ、儂にもなんかくれ」
頬杖をついたゲンスケが言う。「えー」とシラベは自分の白衣のポケットを探った。
「うーん。うまい棒とホワイトロリータととラムネと雪の宿がありますが、どれがいいですか?」
「ホワイトロリータくれ」
「はいはい」
シラベは白衣のポケットからまたお菓子をとりだし、ゲンスケに渡した。明らかにポケットの容量とだしたお菓子の体積が一致しない。
「むぐ。まあ、その『幻想侵攻』は儂をはじめとする九人の王や、熾らのチーム『カシオペア』の力で大多数を殲滅したんだがの」
菓子を咀嚼しながらゲンスケは言った。
「もぐもぐ。そのアリスは、倒したんっすか? 幻想級なら基本不死身じゃないっすか。王様」
「僕が倒した」
ぽつり、と熾が言った。
『私たちが深手を負わせたが、逃げられた。倒せはしなかったが、獏を産み出す能力は奪った。しかし食べながら話すな貴様等、行儀悪い』
老人と少女に一言文句を言ったのは、一匹の小さな鼠だった。名は枯炭。熾の相棒である。
「まじで!? 幻想級倒したんすか!? さっすが灰の英雄っすね。熾さん!」
アマネは驚いた。幻想級獏は基本的に不死身である。さらに特異な能力を持っており、出会ったりしたら即逃げろと言われるほどだ。
「……引き換えに仲間を失ったけどね」
熾の声に地雷の気配を感じたのか、アマネはおっと、と言葉を退いた。
「それで、あの4人の内の1人がその親というのは、どういうことだ。熾」
キザキが聞いた。実は彼も幻想侵攻を体験していない。
「……『アリス』はさっきアマネが言ったように、『不思議の国のアリス』のキャラクターとしては、あり得ない性能をもっていました。怪物を作りだし、従える力なんて、本来のキャロルのアリスは持っていないでしょう」
不思議の国のアリス。誰もが知っている児童文学だ。だが、不思議の国に迷いこみ冒険するアリスには、先述のような能力はない。
「じゃあ、そのアリスちゃんはいったい何なんなんっすか」
「『汚れたアリス』は、自然発生ではなくて1人のウォーカーが作り出した獏なんだよ。固有喩によって。その固有喩の名は『眠り童』。所有者の意志さえあれば、いくらでも獏を作り出してしまう力だ」
熾は言った。
「『眠り童』……初めて聞く固有喩だな」
キザキは顎に手を当て言った。この街を取り締まる組織の長として、危険な固有喩の名前は一通り頭に入っている。だが、キザキはその所有者など会ったことないどころか、固有喩の名前すら初耳だった。
「当然じゃて。本来はこの世界に初めてきた人間へ王によって必ず行われる儀式、洗礼の剣による一差しによって封印される固有喩の一つじゃぞ」
王は言った。
「洗礼の剣ってあの初めてこの世界にきた人に、夢の身体の設定するやつっすよね?メニュー開けるようにしたり、本名なしに外見変えられるやつ」
アマネは確認するように訊ねる。『選定の剣』は、この世界に初めてきた人間が例外なく刺されるものだが、その一回くらいしか見ずに忘却してしまう人が多い。それくらい、みる機会が少ない武喩だ。
「うむ。あの剣は、ただ外見を変えたり、メニューなどを作るだけのものじゃない。危険な力を持つ人間を世界に入ってきた時点で封じる役割を持つ。……割と危ない『喩』をもっている人間は多いからな」
「なるほど。初耳だボス」
キザキは言った。
「当たり前だ。王の秘儀のひとつだぞ」
今回の件は特殊な為仕方なく話した。とゲンスケは言った。
「まあ仕方ないですよ。……この世界は以外ともろいですからねえ」
とシラベはしみじみいった。
『その王の秘儀のひとつを他人に丸投げする老人がこの国にいるがな』
「ウォホン!」
ゲンスケはわざとらしい咳払いだ。
「話を戻しましょう。あの四人の内の1人にその戦争を起こした原因の『汚れたアリス』を産み出した人間がいるということですが。いくつも疑問が残ります。まず彼らはビギナーで、この世界にきたのは二週間前。この世界に『初めて来た』のではないのですか?」
シラベが脱線しかけた話の路線をもとに戻す。
「そのことは儂から説明しよう。二週間以前、神経樹の設定を消去した者がいるのは知っているな」
「ああ、ゲンスケ氏と賢者の王が調査したやつですね。……まさかコハルにセクハラとかしてないでしょうね」
とシラベは訝しげにゲンスケをみた。
「し、し、してへんわい……前にも行ったように、消去された世界設定は『新規参入者の召還門の誘導』。あの設定はな。過去にこの世界を追放された人間を入れないように誘導する役割も持っている」
「追放された人間っていうと、過去、この世界で影と命を失った人ってことっすよね?」
アマネは確認する。この世界では影を失った上で死ぬことを『追放』されると言う。普通フェーズでは命をいくら失っても現実の肉体は死ぬことはない。
「まあの。それと『王喩』の権限で追放した人間もいる。そいつらは、この世界の記憶をすっかり忘れ、モルフェウスのメロディを聞いてもこの世界に入れなくなる。実際は入り口まではいけるが、その扉を開けることはできなくなる」
「モルフェウスのメロディ、ね」
キザキはひとりごちた。
「『汚れたアリス』の産みの親は、元々幻想侵攻時に僕のチームメイトによって倒されて間違いなく追放されている。その瞬間を僕はみているから間違いない」
「つまりアリスを産み出した人間は過去にこの世界では殺されているが、それが獏たちの助けによってまたこの世界に入ってきたということですか」
シラベのまとめに、ゲンスケはうなずいた。
「そのアリスの産みの親は自らを『繭』と名乗っていた」
熾は言った。彼にとって、仲間を追放した仇の名前だ。
「……なぜその倒して追放したはずの『繭』が、彼らの中にいると断言できる」
キザキは疑念を隠さず言った。
『ただの状況証拠だ確証はない。まさか奴等の封印をといて確認するわけにもいくまい』
鼠は机の上で言った。
「ただ、ここまでの敵の行動からみると、彼らの中に『繭』がいる可能性はきわめて高いです。伝承級獏の『笛吹男』が言った言葉。なにより『萵苣猫』による遊撃と離脱は、アリスが得意とした戦法だ。獏をうみだすことができなくなった彼女がそこまでするのは、自分の産みの親を取り返すくらいしか想像できません」
熾は述べた。
「ずいぶんとアリスに理解があるんだな、熾」キザキは言った。
「ええ。……アリスは、ずっと探してきた、仲間の仇です」
熾は断言した。ちりちりと、空気が焼けるような音が辺りに漂った。
「その過去の『繭』は記憶を失ってるんすよね?」
シラベは訊ねた。
「ああ。『繭』は一度この世界を追放されている。なら幻想侵攻当時の記憶はないはずだ。それに彼らにはしっかり『選定の剣』を刺されている。彼らの中からまた『繭』が生まれる可能性はないよ」
熾は答えた。
「……フェーズでの記憶を失った『繭』が偶然モルフェウスのメロディを聴いた日を見計らって、すぐバレる神経樹の書換をした、ということになりますよねそれ。少々敵側の運の要素が強すぎると想うのですが 」
シラベは言った。たしかに、追放された人間がまた偶然モルフェウスのメロディを聞いた日を狙い澄ませて、神経樹の設定を書き換えた。というのは、できすぎている。
設定の書き換えは、別の新しくビギナーが来てしまえば、すぐバレて修正されるだろうし。そうなれば神経樹の監視も強化されるだろう。
夢の世界の暗躍と、現実世界での記憶がないはずの『繭』の行動、これらがリンクしている。
「彼らの現実の身内か友人に、透明な烏がいる可能性がある、ということか」
キザキが言った。
「それが順当な論理ですね。現実と夢の両方で結託している」
シラベは言った。
『あるいは、全く別のイレギュラーの可能性もあるがな』
「奴等に一度、どうやって『モルフェウスのメロディ』のことを知ったのか、聞いてみる必要があるな」
キザキは提案した。
『王よ。貴様は神経樹の修正をしにいったとき、透明な烏と交戦したそうだが、そやつらからは何か聞き出せたのか。奴等に直接聞けば早いだろう』
枯炭が言った。がその鼠の問いに、ゲンスケは眼をそらした。
「逃げられた」
『無能め』
「うるさいぞ。やつらが萵苣猫を持ってるなんてしらんかったんだわ。いくら儂の『界眼』とはいえ、闇雲にワープされては追いようがないわい」
「……まあ萵苣猫はやっかいですね。幻想侵攻時も手を焼かされました。しかしあのワープにはいくつか制限があったはずですよね?」
「転移できる範囲は半径5キロメートルまで、だが、何かと一緒に跳ぶとなるとその距離はぐっと落ちる。連続使用も負担が大きい。儂の『界眼』に比べると精度も出力も劣るな」
「つまり、街の外からいきなり街の中心部に現れる、ということはないはずだな、ボス」
「うむ。街の中に根城があるのは確かなはずだ。『透明な烏』の内部情報調査はキザキ、これからもお前に任せる」
「了解」
「問題はその四人をどう守るか、ですね。さすがに『神経樹』の設定を書き換えられるなら、『選定の剣』の封印の解除方法くらいは用意しているはずでしょう、その『眠り童』の持ち主が、敵側に渡ったら幻想侵攻が再度起こってもおかしくありませんよ」
シラベは言った。
「四人の内誰が、その1人なのかは目星がついているのか? 熾」
キザキは熾に訊ねた。
「倒したのは僕じゃなくて僕のチームメイトだし、『繭』は相当外見変えていたようで、190はある大男だった。長いフードを被って顔や輪郭もみえないようにしていたよ」
「ふむ。男か女かすらわからないと」
アマネは考え込んだ。
「今の彼らはどうしてるんです?」
「ユウコが影で見張ってるよ。昨日の交戦もあるし、今日は外出を控えてもらってる」
「私としては、彼らの身柄を拘束し監禁することを提案するが」
キザキは冷たく言った。
「さすがにそれはやりすぎじゃないっすか?」
隣のアマネが言った。
「やりすぎではないだろう。二百万の獏を発生させる危険ならば、拘束して監禁しておくほうがいい。大事を防ぐためには元から締めておくのが一番だ。上位ランカーで見張っておけば、敵が奪いにきても対応が可能だ」
「それは無実の罪で牢獄にいれるようなものだろう、キザキさん」
熾が反論した。
「罪?この世界は夢だぞ。現実の尺度で罪や罰を考えるのはナンセンスじゃないか?」
「そういう問題じゃないでしょう。現実に帰るために努力している彼らをこちら側の都合で振り回すのか」
「ことの発端は彼らの中に、この世界を壊そうとした存在を産み出した人間がいることだろう。……なにより仲間を、チームを三人も失ったお前にとっては、奴等もまた仇なのではないのか。情でも移ったか」
「……黙ってください」
怒気が膨らむ。空気が焦げる音がして、室温が上がっていく。
「『やめろ。熾』」
普段と違う、『界眼』によるゲンスケの声だった。
「……はい」
彼方は力を押さえた。
「まあ儂も監禁するには反対だよ」
熾を押さえるように、ゲンスケは言った。
「なぜ」
「まず、敵の全容がいまいちつかみ切れておらん。ここで奴等を一所に監禁してしまうと、逆にこちらの攻め手を失う。」
「餌にする……と?」シラベは訝しげに言った。
「そう、まだ奴等の本拠地も、その規模もわかっておらん。無論捜索は続けているが、先日のやりとりをみるに、敵もまだそれほどの兵力は揃っていないし護衛をつければ十分対応できる。なら無理にあの四人を閉じこめるより、泳がせて敵をおびき出したほうがいい」
「事故が怖いですがね。萵苣猫がいるなら、簡単に誘拐されそうですが」
キザキは言った。
「この街のトップランカーはそこまでやわではないさ。お前を含めてな……それに、あの四人の心象を損ねたくない」
「心象、ですか」
シラベが真意を測りかねるように、言った。
「そうだ。もし奴等が本当に獏の手に落ちてしまったとき、儂等が監禁していたとしたら、この世界に仇なすだろう。真っ先に避けるべきなのは……彼らにこの世界を壊すべきものだと想わせてしまうことだ」
「……奪われなければ問題ないでしょう」
キザキは憮然とした。
「もしもは得てして起こるものだ。何せここは夢の世界だ。常識こそ一番の非常識じゃよ」
歳を感じさせる声音でゲンスケは言った。
「……わかりました。この街の長はあなただ。従いましょう。ならこれから彼らに上位ランカーから護衛をつける、ということでいいんですか。ボス」
キザキはため息をはいた。
「ああ、それでいい。人選は熾に一任する。ただ慎重にな、ランカーの中にも奴等に感化されているものがいないとは限らない。……危険性を説明すれば、彼らも護衛をつけることに納得するだろう。説明は熾、頼むぞ」
「どこまで話していいんですか? 」
「お前に任せる。ああ、リーダーの奴なんと言ったかな、カタナとかいうやつには一応全部教えといてもいい」
「彼方ですよ」
「それに奴等自身も鍛えてやれ」
「稽古をつけろってことですか?」
「ああ、もしも儂等の手が届かなくなったら、結局重要なのは、彼ら自身だ。彼らにゆだねられてしまったとき、少しでも選択肢を増やせるように、この世界での戦い方を教えてやれ」
「……了解」
「アマネ。キザキ。シーカーギルドと『監視猫』をフルに使っていい、話は通しておく。やつらの居場所をなんとしてもみつけだせ」
「あ、アイサー!」「了解」
「枯炭。お前の力も借りるぞ。次はからぶるな」
『承知した』
「……あとシラベ、何とかコハルやほかの王に協力を仰げるように交渉につきあってくれ」
「わかりました。お供します」
「以上。他のメンツが世界に入ってきてから、詳細は追って指示していく。それぞれのシフトをみて予定は詰めていくが、なるべく急いでいくぞ」
「「「了解」」」
…………
「熾」
会議が一通りまとまり、皆が退席し始めたとき、キザキは熾に話しかけた。
「なんですか」
「奴等の護衛、私にも一枚かませろ。奴等がどういう人間なのか。知っておきたい」
「……監禁はなしですよ」
「わかってるさ」
「まあ、『息子さん』は歳近いでしょうし。仲良くできるんじゃないですか」
「はは。お前は若作りしてるからな」
「うるさいですよ。『先生』」
熾はぶっきらぼうにキザキに言った。