エントランス3
「つまり、皆同じ、モルフェウスのメロディを聞いて寝た人間だと」
獣学ランが、正気を取り戻したあと、目悪女、パジャマ女、獣学ランと席に着いた。ちなみに俺の隣が獣学ランであり彼は紐で縛られている。彼の目の前の目悪女の手は、即座に臨戦可能なように灰皿に置かれていた。
「とりあえずは、自己紹介だけでもしとこう。俺は波越彼方。東京在住」
名前は名乗っておかないと駄目だろう。住所を述べたのは夢の存在でないことをアピールしたかったからだ
「なんだ東京もんか」
縛られた獣学ランがこちらをみつつ言う。目悪女が灰皿をガンッとして獣学ランをみる。襲われかけたとは言え、すさまじい嫌悪である。
「悪かった悪かった。まじもんの人間とは思わなかったんだよ」
そういい、獣学ランは肩をすくめた。
「俺は、真城導朗。ミッチーでいいぞ。そして本当に何もしないからこの縄を解いてくれ」
「許すわけないでしょ」
そういい目悪女は真城をにらむ、元から怖い三白眼がさらに細められ。こちらまで睨まれた感じがしてちょっと怖い。
「とげっちい」
だが真城は萎縮することなく、同意を求めるようにこちらをみた。俺は苦笑いするしかなかった。
「はあ……。私は竹原。ご存知の通りそこのケダモノに犯されかけた女よ」
「名前は?」と真城。
「教えないわケダモノ」
ふんッと鼻を鳴らす。
「失敬な。俺は現実の女となれば敬意と親愛を持って望むぞ。そして正直胸の薄いお前なんかよりそっちのお嬢さんのほうが好」
全て言い終わる瞬間、竹原は灰皿を持った手で真城の頭に殴りかかった。真城はこれをひらりとかわしながらハハハと笑っている。
「まあまあ竹原さん落ち着いて……でも確かに名前がないと呼びづらいかもな」
「別に名前で呼び合うほどの仲でもないでしょ。…まあ味気ないならケニーって呼んで」
「……ケニー、さん?」
パジャマ女が訊ねる。俺もなぜケニーになるのかわからなかった。
「竹原の竹で、ケが二つだからケニー。現実でのニックネーム」
「安易だ。まな板竹子にしとけ」
ブンっと灰皿が空を切る。バカにしたような顔で真城はよけていた。
俺は、視線をパジャマ女に向けた。外れたボタンから少し谷間が覗いたのでなるべくそれをみないように目をみた。
「あ、う…」
パジャマ女は、言葉に詰まった。恐らく、というか間違いなくこの子は人との会話に慣れていないようだった手入れの怠っている長い前髪からもそれはわかった。
おそらく引きこもりかなにかだろう。
「日野絃世…です。ニックネームは、ありません」
たっぷり十秒の沈黙のあと、それだけ言った。
「いとせちゃんね。もう少しハキハキしてくれるとありがたいんだけど」
「……ご、ごめんなさい」
「ああ、うん。私こそごめん」
ケニーは申し訳なさそうに言った。その言葉に少しメンドクササが混じっていたのは、気のせいではないだろう。
「ともかく、ここにいる人間がそれぞれ私の空想の産物ではないとしたら」
仕切りなおすように、ケニーは言った。
「……それぞれの夢が、繋がったってことかな」
俺はそう言ったが、半信半疑だった。それは他の三人も同じようなものだったろう。
「それ、何パーセントくらい信じてる?」
真城が訊ねた。何とか縄を抜け出そうともがいていた。
「一割未満ってとこかしら」
ケニーが机の上に置かれたジュースを口に含んだ。
「私も…信じ、られないです…」
「実際のところ今確認する術はないからな。皆が夢の存在だとおもったほうがまだ理解できる」
夢の中で実在の他人に出会っても、それを真の他人だと確認する術はない。実際にそれが現実にいる人間だと確信するには、やはり現実で会うしかないのだ。
「とは言っても、わざわざ現実であってまで確認することでもないけれど。どうせ起きるまでのつきあいなんだろうし」
ケニーは言った。確かに起きてしまえば、現実でも次の夢でもこの面子に会うことはないだろう。
「で、そこで疑問なんだが、この夢はどうやったら、いつ覚めるんだ?」
縛られた後の手を動かしながら、真城は訊ねた。
ぐにっ
ケニーは何も言わず真城の頬を抓った。
「……目、醒めそう?」
「んなわけねえだろ、何なら俺様も乳首つねってやろうか貧乳」
ぎりぎりぎり。
二人はガンを飛ばしあい、日野はそれをみておろおろしていた。
「……刺激で自発的に目覚めるのは無理そうだな。時間経過で自然に起きるのを待つしかないのか」
俺は溜息をついた。今更一人で出て行く気はないが……この奇妙なグループで起床までどのくらい待たなくてはいけないのか。居心地が悪いったらありゃしない。
夢というものは時間の概念が曖昧なものだ。果たして体感でどれくらいここにいなければならないのだろうか。
そこである疑問が起こった。店内に目を向け、目的のものを確認する。少し薄ら寒いものを背中にかんじた。
「……皆に一つ聞きたいんだけど、今日何時くらいに寝て、今まで体感で何時間たったか覚えているか?」
「?」
日野はなにをいきなり、という風な顔をする。
「いきなり何言ってんだ?カナッペ」
カナッペって…まあ真城も同様だ。
――ケニーだけは意図に感づいたようで俺と同じところに目をやった。
「……私が就寝したのは、夜十一時くらいだったと思う。それから通路を歩いたり町をさまよったりして、あとそこのケダモノに追われたり……おおよそ現在は午前一時というところかしら。『私の基準』では」
俺はコクリとうなずいた。
「俺はだいたい十二時に寝て、君と同じような道筋でここに来て一時間ぐらいだ。おおよそ一致するな」
「おいおい。何の話をしてるんだてめえら」
「あらあんたのメモリはメガバイトなの?もしかして互換性ない?」
「何言ってんのかはわかんねえがバカにしてんのかまな板」
「あらよくわかったわね、これ以上なくバカにしてるわよ」
「わ、私は!」
喧嘩になりかけた二人を止めるためだろう、日野は声を彼女なりに大きく上げた。俺たちが全員視線を向けると顔を俯かせておどおどとしていた。
「……私は十時くらいに寝て、色々歩いた後、ここでずっとご飯食べてました…たぶん、だけど二、三時間だと…思います」
自信なさげに言った。
「ちっ」
真城は舌打ちをした。さすがに全員が言ったのに自分だけ話さないのはバツが悪かったのだろう。顎に手を当て、思い出すようなしぐさをした。
「俺様はさっききたばっかだ。寝たときも覚えてねえ。が、まあたぶんてめえらと同じだろうぜ。少なくとも日は越えてたんじゃねえか?一体それがどうしたんだよ」
「そこの時計みてわからない?」
ケニーは店内の時計を指さした。時刻は午前一時十二分を指していた。
「一時であってるじゃねえかそれがどうかしたんだよ」
「体感とはいえ、私たちのそれぞれ就寝時間と経過時間の合計、そしてそれとこの世界の時計が一致している。ということは『この夢の世界はリアルタイムと連動している可能性がある』ということ」
あくまであなたたちが私の夢の産物ではないという条件だけど。
とケニーが付け加えた。
夢、というものは、何も現実の時間を、起きているときとおなじように体感しているわけではない。浅い眠りと深い眠りを交互に繰り返し、浅い眠りのときのみに夢をみることになる。
その浅い眠り……すなわちレム睡眠と、深い眠りのノンレム睡眠の変化スパンは個人差こそあるが、おおよそ「三十分」といったところだ。
そしてレム睡眠の時間は断続的であり数分だ。例え数分でも体感で何時間も感じることになる。それが夢と言うものだ。
だがもし、この世界の体感時間と、現実の基底時間が一致するのなら……これらの基本的な夢のメカニズムとは根本的に違っているということになる。
「……つまりどういうことだってばよ」
一連の不審点を説明はしてみたが、真城分かっていない様子だった。
「絃世はわかったの?」
「な、なんとなくですが……つまり、これは通常の明晰夢じゃないってことですね」
その通りではあるが問題点はわかっていないようだ。
「まあだからといってどうということではないんだけどな。この仮説が正しいとすると問題は――」
「私たちがいつも通り起床できるとして……それまでの体感で現実と”同じ数時間”、この世界で過ごさなくてはならない、ということね」
俺の言葉をケニーが引き継いだ。
いつも通り起床できるなら、という言葉に不安な響きがあった。
「おいおいおい。まさかこのまま俺様達は夢から目覚めないって言いたげだな」
馬鹿にしたように真城は言った。ケニーはむっとする。
「低い可能性はあるってだけよ。ここまで常識外れな現象だもの、昏睡したまま夢にとらわれる…なーんて出来の悪いSFが起こってもおかしくないわ」
意地を張るようにケニーは言った。
「………いやおかしいな。馬鹿はてめえだ。もしあの音声ソフトでそんなことが起こるとしたら。あっと言う間に噂が広まってるだろうよ『あのメロディを聞くと昏睡して死ぬ』とかな」
真城の言葉に、ケニーは驚いたようだ。口を噤み、黙考する。
「俺様が使う前に調べた限り、失敗したって話は聞いても意識不明になったとかいう事例はみたことねえぜ。お前結構馬鹿だろ?」
それは自分もだった。一応安全確認のためにモルフェウスのメロディの使用感の批評を一通り調べてはみたが、よくある成功談、失敗談くらいしかなかった。
「あの音楽は寝るときにループして使用するように説明されていたし。ダウンロード数は百万を越えていた。もしあれで意識不明レベルの健康障害がでるようだったら、即使用者の家族が気づいて大問題、少なくとも噂にはなる、か」
ケニーの言葉に、真城は「そういうこった」と胸を貼った。自身の仮説を目の前の男に否定されたケニーは悔しそうだった。
「俺らみたいなのが極少数って可能性もあるけれど、同じ日に始めた人間四人が同時にっていう時点で少ないとは言えないしな。もしかしたらこの夢も起きたら忘れてるかもしれないし」
俺は自分で言いつつ、この四人がなぜ集ったか、妙な意図があるのではないかという馬鹿らしい邪推をした。
「でも…それっぽいのは…ありました。なんか、神の国へ行った、天使に出会い啓示をもらった…みたいなコメント」
日野は言った。
「ああいう神秘学に被れたのはどこにでもいるだろう。夢とかいうのはそう言った面倒くさい人たちの格好の的だ。しかも思考は百年も前よりもバカらしいときてる」
俺は日野の出した意見を否定した。俺もそう言ったコメントをみるにはみたが、かなりの少数だったし、内容も二十一世紀とは思えないほどキテレツだった。悪戯、或いは妄言の可能性が高いだろう。
「そういえば、私はこの世界にくる前に、誰かが助けを呼ぶ声が聞こえたわ。それから警告も」
「あ、それ俺様も聞こえた」
「わ、私もです」
この世界にくる前の通路のことだ。それぞれ、小さな差はあったが、体験したことは同じだった。少女の助けを呼ぶ声と、年老いた声がこの世界に行くのを静止する声。だ。
しかし誰も、その声の主に会ったことはなく。この世界に着てからも聞こえなくなったらしい。
夢の世界なのだ。意味のないことが起こってもおかしくはない。
「明晰夢初心者である私たちが、いくら考察しても仕方ないわね」
ケニーは溜息をついた。俺もこの状況を根本から打開しようとは俺も思わなかった。
「とりあえず、目覚めるまで待つのが最善だと思う。さすがに永遠に目覚めないってことはないと思うし」
俺は結論を述べた。他の三人も異論はないようだった。
「問題はどう時間を潰すかだな」
真城は言った。縛られた紐の結び目を掌で転がしていたので、閉めなおした。
「ちっ。カナッペ野郎が」と悪態を付いた。
「もっと町のほうに行ってみる?別にこのまま解散してもいいけれど」
ケニーが提案した。
「俺はバラバラに別れるのはあまり良くないとは思う。何が起こるかわからんし。それこそ俺の隣にいるケダモノがもう一人や二人いないとも限らない」
「だーかーらー。俺もこの貧乳がマジの実在人間なら襲おうとも思わなかったつーの。そもそも好みじゃないし仕方なくだな」
「さいってい!」
ケニーは心からの侮蔑を述べた。しかし真城をかばう気はないが、性欲に支配された青少年が夢でやりたいことと言ったらまあ決まっている。下手したら俺も、目の前のパジャマ少女を架空の存在と思い、劣情を向けようとしたかもしれない。
「?」
こちらの視線を感じたらしい日野が、おどおどと視線を送り返してきた。急に申し訳なくなり、目をそらせる。
「というかよく聞く明晰夢みたいに、空を飛べたり、好きな物をだせたりできないからなここ。外に出たところで遊べるとはおもえないだよな」
あまり先ほどの話題を広げても、火中の栗を拾わされるだけだと思い話題を変えた。
この世界では、よく聞く明晰夢のように念じたりしても、景色が変わったり、なにか物質を出せたりすることはできない。夢というには、感覚や可能な行動が、現実にひどく即している。
「せっかくの夢だし、酒と飯くらいはたらふく食らいたいわな。あと女」
灰皿が飛ぶ。
「あ、あの」
日野が口を開いた。視線が集中する。
「ご、ご飯なら、この店で、でるみたい、です」
消え入りそうな声で、彼女は言った。
そういえば先ほど初めて会ったとき彼女はこの店の料理らしきものを口に目一杯頬張っていた。
「そういや、日野。あれどうやったんだ?」
質問したが、日野はどう答えていいかわからない様子だった。
何とか言葉にしようとしていたが、結局何も言わずにテーブルに備え付けられたよくある店員呼び出しボタンを押した。
ピンポーン
間の抜けた効果音を店内に響く。残響が消えかけても何も起こらない。日野に無駄みたいだぞと言おうとしたとき、
『八番喫煙席のお客様、ご注文をお伺いします』
機械音のように平坦な、女性の声が聞こえた。
「誰!」
ケニーが姿無き声に怒声をぶつける。
『八番喫煙席のお客様、ご注文をお伺いします』
が、返ってきたのは同じ音声だった。
「私も色々、訪ねてはみたんですが……注文以外、何も、答えてはくれないんです…たぶん、自動機能みたいな感じじゃないかなって」
日野はそう言ってメニューを開いた。
ハンバーグセットや、ハヤシライスに、ドリア。基本的なファミレスのメニューと金額が乗っていた。
「俺様は今、金持ってないのだが、夢の国支店は金取るのかー?」
真城は大声で訊ねた。
『ご心配には及びません。ご注文をお伺いします』
アナウンスは同じような放送をループした。
「……どうする?一応俺は金は持ってるが」
俺は三人に訊ねた。一応俺のポケットには財布があり、ファミレスで三食する程度の金額は入っている。
「いいんじゃない?どうせ夢の中だし。もしお金が必要でもここにいる全員の一食分くらいは私もだせるわ」
そう言ってケニーもポケットの膨らみをぽんっと叩いた。
「ゴチになります」と真城。
「あんたの分は払わないわ」
ケニーは声を荒げた。
「とげっちい」真城はこちらをみた。
俺は苦笑しながらポケットの財布を叩き真城に
「お手柔らかに頼む」
そう言った。