エントランス2
主人公が前話と違います。わからなかったらすみません
俺、波越彼方が闇の通路の先の、この夢の世界に来て始めに思ったのは、あっけないところだなと思った。
見覚えがあるようなないような町並み。俺が住む地域ににているがどこか違う。
いや、見覚えがあるような気がするだけで、現実の街と比べるとまったくことなるのだ。
太陽はでてはいるが世界は薄暗い。雲はなく風もないが、光を浴びているという感覚がない。そのくせ自分の影ははっきり地面に写っているのが現実感のなさを際だたせる。
否応無くこの世界が現実のものではないと実感する。そう、ここは『明晰夢の世界』。あらゆる願望を叶えることができる空想の空間。
眼を瞑って、念じてみる。
「おふくろ!いないのか?」
とりあえず、今会ってみたい人を叫んでみる。会いたくない人の名前は叫ばなかった。
だがなにも変わらず、世界は無音のままだった。
「……一筋縄にはいかないってことだな」
鼻の奥がつんとした。我ながら女々しいなと思った。
とりあえず、モルフェウスのメロディの効力は確認できた。就寝前の記憶と連続性を保ったまま夢のなかに入ることができた。願望が叶うかどうかはこれからの訓練で何とかなるだろうか。
地面に薄い霧がたまっていた。足にまとわりつくそれが重さのないはずなのにどうもうっとうしかった。現実から開放された世界の癖に、ここは偽の世界だと主張しているかのようだった。
霧から逃げるように、屋内に入ろうと考えた。自動車の走ることのない道路の、歩道側を歩く。
今のところ、この町で他人とすれ違うことはなかった。俺の夢であるからしょうがないといえばそれまでだが、自分の夢には登場人物の一人でもいないほど寂しいのだろうか。
当てもなくぶらついていると、全国チェーンのファミリーレストランがあった。明かりがついており、大きな看板が上でぐるぐると回っている。ちょうど営業中のようだった。
……夢の中で営業中というのは少々おかしいが、深く考えることでもないだろう。
入店しても、夢の国の支店には店員はいない。入り口付近にあるドリンクサーバにコップを押しつけ、適当にボタンを押す。オレンジ色の液体がコップになみなみと満たされていった。一口含むと、確かにオレンジジュースそのものの味がする。無料ドリンクバーがあるだけでも幸運というべきだろう。
適当な席に座ろうとしたとき……奥の方からがちゃがちゃと食器の音が聞こえることに気づいた。
耳を澄ませると人の息遣いも感じられる。
先客?俺の夢の中で?
おそるおそる、ちょうどその物陰になっている席をのぞく。
「んが?」
……そこには、長いボサボサの長髪した少女が、パジャマ姿でミートソーススパゲティを口いっぱいにほおばっていた。
「……」
「……」
テーブルを挟んで沈黙が降りる。よくみるとテーブルの上には料理がところ狭しと並べられていた。
少女は身長が低く、猫背だった。前髪が長く瞳がちらちらと隠れていた。しかしその瞳はわなわなと震える口と同じように、怒りか困惑かでゆれていた。
恐らく美少女の類にはいる……のだろうが、ボサボサで眼が隠れている上に、表情筋が鍛えられていない頬は、彼女の顔から愛想というものを消し去っているように感じられた。
パジャマは薄桃色で、女の子らしく可愛らしいフードがついていたが、皺くちゃであり長時間着ているようだった。お腹の辺りにはミートソースをこぼしたのだろう、赤黒いシミがいくつかできていた。
「……あの」
とりあえず声をかけた。これは俺の明晰夢である以上、この少女は架空の存在なのだろうが、どうにも妙なリアリティがあった。
「……」
しかし彼女は応えない。ぱくぱくと口を動かし、手に持っていたフォークをかちゃり、と落とした。
「えっと…これは…その!」
突然そういうと、彼女は背を向けてソファの上で丸まった。
「え…あ…どうした?」
困惑しながら訊ねる。背を向け膝を抱えた彼女の腰辺りに下着がちらりとみえたが……無視した。
「あ、あなたは…」
「す、すまん、すぐにここをでたほうがいいな!お邪魔した!」
そもそも女の子は苦手なのもあるが。架空の存在である彼女に狼狽していた。なぜか、そうさせるものがこの少女にはあった。
急いで周り右をして、外にでようとした。
「ま、待って…待ってください!」
彼女のかすれそうなその声に、俺は脚を止めた。
「あなた…は、私の、えっと、昔会った人です、か?私の夢の中に、でてくるなんて…申し訳ないけど、覚えてなくて……」
「え?」
つい素っ頓狂な声を上げてしまった。俺が、この少女の知り合い?そして『私の夢の中』だと?
まるでこの少女が、今、俺と同じように、明晰夢をみているかの様じゃないか。
考えを巡らせる。つまり俺は、この自分と同じ境遇……すなわち明晰夢をみている少女を、脳内でつくりあげたということか?
「……まったく、夢の癖に手の込んだことするな俺…」
「はい?」
彼女は聞き返す。
「こんな女の子を自分の夢の作りあげるとか、無意識が煩悩まみれなのかね」
「ち、違います!」
少女は慌てて否定する。
「え、俺が煩悩塗れってことが違うの?」
「い、いやそうではなくて…ですね」
少女は慌てて、手を振り否定する。そして、伏せ目がちにこちらをみつつ言った。
「私は……夢の存在じゃ…ないです。えっと、あなたこそ、私の、想像の産物なんですか?」
「え?」
「え?」
混乱していた。目の前の少女が、自分と同じような質問をぶつけてきている。
まるで……。
『まるで、自分の夢の中なのに、本当の他人に出会ったかのようだ』
彼女も同じことを思ったのだろう。少し顔を俯かせ、思案した後、顔を真っ赤にして再びこちらから背を向けた。
「どうした?」
「……いつもは、こんなに行儀悪く、食べてるわけじゃ、ないんです」
口元を袖でゴシゴシしながら彼女は言った。
つまりは、先ほどまで作法も守らず暴食にふけっていたことを恥じているらしい。
反応に困ったとき、店の扉がバンッ!と開いた。
びくっと俺と、少女が体を反応させる。入り口に目を向けると、セーラー服をきた息を荒くした目つきの悪い女がこちらをにらんでいた。
「ごめん、隠れさせて!」
そういうと、目つきの悪い女、以下目悪女は、入り口から死角になっている場所に体を潜り込ませた。
「あの、その」
背を丸めた少女が目悪女に話しかけようとする。目悪女は口に指を当て、黙るようにこちらに指示した。そして、目悪女は通路にあった消火器を抱え、安全ピンを抜いた。
「あんたは…」
俺も釣られて、声を潜め、目悪女に話し掛けようとする。
だが目悪女は出来の悪いB級映画のように、決死の形相でファミレスの入り口を凝視しながら何かに備えていた。
「……来るわ」
緊張がはちきれんばかりの声音で、目悪女はそう言った。話についていけない俺とパジャマ少女は隠れることもせず、そのまま入り口をみる。
バン!
再び、ファミレスのドアが鈍い音を立てて破られんばかりにけり開かれた。
入ってきたのは獣だった。
否、獣のような男だった。
身長は低く、学ランを着ている。背が足りない分は髪は金髪に染め上げられた上に、重力に逆らい天に他っている。そして目つき、まるで飢えたハイエナだった。息を荒げ、店内を見渡し、こちらを目視した。
そして一言。
「乳もませろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そう言ってこちら、厳密にはパジャマ女と、目悪女に向かって突撃してきた。
驚いたパジャマ女は逃げようとするが座席に足を取られよろける。やばい、俺はどうすればいいのかまったくわからない。
目悪女は、落ち着いた様子で獣学ランの前に立ちはだかる。そして消火器のノズルを、獣学ランに向けた。
「だから、私は、夢じゃ、ねええええ!」
そう叫びながら、消火器の中身、ピンク色の粉末の濁流を獣学ランに噴出したのである。