グラディウス騎士団長
エキューズが国を護る家系なら、グラディウス家は王家を護る家系だ。兵士団に所属している父と違い、グラディウス家は立国以来ドゥクス王家の近衛として務めている。
そんな彼が私の許へやって来たのは昼も過ぎた三時前だ。
「どうぞおかけください」
未だに原因が解らず調査中の資料を片付け、ソファへと促す。
「率直に用件を話すが」
座らずに語り出す。
四十路を超えても華やかな雰囲気を漂わせる彼にしては珍しく、ガチガチに硬い表情をしている。
「娘と結婚しないか?」
「お断りします」
あ、しまった。
視線を泳がせながら、再度ソファへと促す。
「ええと、あの、その、アリエル嬢に魅力がないとかそんなではなく、その、えっと……そう! 姉のようにお慕いしているのです!」
「恋愛対象外、と」
「あー、まあ、はい。ほら、兄の婚約者だった彼女は義理の姉になるわけでですね」
あああっ! 気まずい!
彼はソファに座ると、フウゥと長く息を吐く。
「まあ、分かってはおりましたが、残念です」
分かっていたなら訊かないで欲しかった。
「貴方は一番有望な若者ですからね。レギオのお嬢さんと婚約関係にあってもそういう打診は今までもあったでしょう?」
「確かにありましたけど」
納得いかない。
「娘に、恋愛という言葉があるかが不安なのですよ」
確かに、婚約者といても好敵手もしくは兄弟弟子のような関係だったからなぁ。
「ええ、まあ。お気持ちは解りますけど、まだ十八でしょう? 少し待てば何とか」
「なりますか?」
「なると……いや……うーん」
二人して俯き、沈黙した。
チラリ、と侯爵を見る。
艶やかな黒髪、叔母にあたる王妃様に似た優しげな面差しをした侯爵。奥方の高い鼻梁に小さな唇。奥方も王妃様も豊満なバストをお持ちだ。
「アリエル姉様に想いを寄せる男性なら、いるかもしれませんよ」
「そんな馬鹿な!」
侯爵は驚愕に目を剥き、あり得ないと呟く。
うわぁ……
「否定しないであげましょうよ。彼女は容姿端麗でしょう?」
「そう、か? ああ、そういえばそうだな」
ご自身の娘を見てあげましょうよ!
「殿方に想いを寄せられて、そういう情緒も学習するかと」
「しますかね?」
どうしようもなく懐疑的だ。
「父親譲りの武術一辺倒だった兄と、エリオンド殿下第一の騎士道令嬢のバランスが武張った方面に一直線だったから恋愛に疎いのではないかと」
「うーん、そうか?」
もう一押し!
「母のように恋愛に情熱的な殿方なら、姉様も射止められるかもしれません」
「騙し討ちだぞあれは!」
え……
騙し討ち? 母が? え、何それ、聞いてない。
「アルフレッド騎士団長、騙し討ちとは一体?」
「気にしないように」
彼はこちらを見ない。
「目と目を合わせてお話しましょう?」
気になるに決まってる!
「ゆっくりと恋が芽吹き、愛を育んだ貴方達とは違うとだけ言っておきましょう」
「あの」
「今は娘の話です!」
「ええ、まあ。そうですけど」
「士官学校に娘に想いを寄せる男がいたら教えて下さい。失礼!」
「え、あの、騎士団長!」
彼は足早に部屋を出て行った。
母は、何をしたんだろう。
敬礼する騎士達の一団に頷きで返し、護衛騎士の後に着いて騎士団長の執務室に向かう。
道中、ピリピリとした怒りの視線に不快を感じながら騎士団の詰所を歩めば、吹きさらしの場所を見つけてついつい立ち止まった。
「これは?」
天井から一階まで続く鉄の棒に注視する。
「非常時はこの棒に掴まって下まで滑り降りるのです。階段を降りるよりも早いのですよ。冬に凍りつく夏の都では縄になってますね」
「ああ。そういえば見覚えが」
「士官学校で上り下りの練習があります」
「体重が重い者は苦労しますが、レイボールド様なら大丈夫でしょう」
返答に詰まる。それは小さいからなのか、筋肉が未発達なのか。
「太っているものは居残りしてましたからね」
「ああ、そういう。教えてくれてありがとう。行こうか」
はい。と応えた二人に挟まれてまた歩き始め、執務室へとたどり着いた。
騎士団長の執務室は広く殺風景に見えるが、良質の木材を使った家具がほんのりとした温かさを感じる。
勧められたソファは背凭れが低く、机との距離が何故か広く取られていた。
机に書類を置き、浅く座る。
「私ができる部分の決済はしておきました。ただ、こういう物はちゃんと伝えて下さいね。何も言わずに置いていかないで下さいよ」
「ああ。そういえば」
彼の退出後、椅子の上に決済待ちの書類が取り残されていたのだ。
因みに、私にできないものは王太子や陛下の許に渡してきた。
書類を四つに分ける。
「こちらへ来るまでに陛下と王太子殿下の許に行って参りましたので、ついでに持ってきました。この五枚は急用なのでお願いします」
「畏まりました」
「ところで騎士団長」
彼の顔を見詰めながら、宮中で気になったことがあるので率直に問いかける。
「騎士達から怒りの隠った視線を感じるのですが、何かしら不穏な噂でも流れておりませんか?」
書類を手元に引き寄せ、流し読んでいた騎士団長は、こちらをじっと見つめる。その口は固く結ばれ、顔には緊張が走っていた。