第五話「愛すべきバカどもの戦いと、終わりを告げようとする何か」
将が執行者の心得を理解したその後、飛鳥は将を連れて様々な駅を転々とし、様々な執行者と戦わせた。彼はたまに勝利できたが、その相手は二つ名を持たないルーキー。二つ名持ちの執行者には圧倒され続けた。
五十を超える数を誇るフェイントの技で相手を手のひらで踊らせる【惑わしの蝶々】。
相撲の仕切りの体勢で待ち、執行者が来たら立合いの要領で飛び出して勝利を掴む【デブ】。
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東大を首席で卒業した執行者【問 37564.】が途中で紙に数式を書き殴り始めたときは将はかなり戸惑っていた。
そして今は、将が、セリフなどでいかにも勝ちそうな状況を作る――いわゆる勝利フラグを自分で大量に立てて勝ちを確固たるものとする【あの日の約束をオレは忘れない】と通行許可争奪戦を始めようとしている。
「失敗確率99.9%だと!? いや……オレは成功する0.1%に賭ける! ウオオオ!」
「え、あの……」
「オレは……もう、勝てないのか……? 『その時、主人公の脳内で仲間との思い出が呼び覚まされた――』エドモンド……ユリシア……たけし……。ああ、そうだよな。わかってる。オレは……ここで負けるわけにはいかねえ!」
「……えっと……」
「……あの、すいません、オレに『雑魚め……ここがおまえの墓場だ』って言ってくれませんか?」
「ざ、雑魚めここがおまえの墓場だ」
「ナメた口聞いてんじゃねェーッ! 死ぬのはおまえだアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」 (うっわ、こいつめんどくせえ……)
飛鳥が脱力する将を見守っていると、肩をとんとんと叩かれた。振り向く。
「久しぶりじゃの、飛鳥夏衣、いや【漆黒の訣別】」
そこにいたのは白髪の多くなってきた初老の男だった。背は低く、少しよぼよぼとしているが、彼もまた改札を通る時には潜在能力を開花させる戦士。
「【三代目戒殺鬼】。どうされましたか? この曜日この時間はゲートボールに行っていると聞いておりましたが」
「はっは、おぬしはわしと話す時はいつも堅苦しいのう」
「執行者の最古参を尊敬しない理由がありません」
「わしもそろそろ黒星が多くなってきての。そこまで尊敬に値するかはわからん。じゃが、それでもまだそう簡単には負けてやれんな」
【三代目戒殺鬼】は不敵に笑う。
「おぬしとは三戦全敗じゃが、隠居するまでには勝つ。待っておれ。ところで……」
「ところで?」
「あの小僧は何だ? 気にかけているようじゃが、弟子でも取ったのか? はっは」
「その通りです」 「何ぃ?」
戒殺鬼がにやつきながらこちらの顔を覗き込んでくるので、「な、何でしょうか」と目を逸らす。
「おぬしが弟子とはいえ人を受け入れるとはの。その調子で、人に頼るくらいなら死んだほうがマシだ、といういつかの発言を訂正する日が来るといいんじゃがな」
「からかいはやめてください」 「はっは」
そこへ将が吹き飛んできた。
「ぐはあっ! くそ、また負けた……。飛鳥先輩、すいません」
飛鳥は将を一瞥し、改札の向こう側を見渡す。遠くの階段から、知った顔がゆっくりと降りてくるのが見えた。
「まだ全然だめね。成長の兆しも見られない。一度わたしが手本を見せてあげるわ」
手本を見せると聞いて目を輝かせる将をほとんど無視して、飛鳥は改札の十数メートル前に立つ。駅の生温かい風が黒い長髪を流れさせ、仕事人オーラが放たれる。
慣例として、通行許可争奪戦は執行者同士が改札との距離を同じくらいにさせてから始まる。それを守る形だ。
階段を降りきったその知った顔は、眼鏡の位置を調節しながら本を片手に読書しながら歩いていた。戦う気はないように見える。飛鳥にはそれがいつも気に食わなかった。彼は執行者にしては冷めすぎている。
あちらはとっくに飛鳥に気づいているはずだ。
なぜなら彼の二つ名は、【必然】。
彼に言わせれば、通行許可争奪戦とは、“始まる前から終わっている”。
「なっ!? 飛鳥先輩が走り出したのに、あの男、普通に歩いているだけ!?」
彼――【必然】は他の執行者と違い、改札で常軌を逸した腕力や脚力を得るというわけではなかった。彼は生まれつき体が弱いという理由もあったが、一番の理由は情熱の欠如。それでも二つ名で呼ばれるようになった理由は、有り得ないほどの手先の器用さだった。
将は気づいていないだろう。
改札機の上から、【必然】のICカードが降ってきていることに。
執行者なら誰もが考えるICカードや切符の使い方の一つに、それを改札機に投げつけるというものがある。
切符の場合、投げて投入口に入ればいいのだが、空気抵抗に簡単に惑わされる小さな紙切れを遠距離から正確に投入することは並大抵の努力では不可能だ。
また、ICカードの場合でも難しい。カードは一秒間タッチするのが望ましいとされている。実際には〇.二秒で処理は済むのだが、自分の体が改札機に到達するより早くタッチさせるために投げた場合は、勢いが強すぎて〇.二秒経つ前にカードが飛んでいってしまい、カードの情報を読み取ることができないのだ。
【必然】は、その問題をICカードにおいては解決させた。誰も真似できない方法でだ。
彼は前もって山なりにICカードを投げておくことで、改札機の真上にカードを落としてタッチさせることに成功したのだ。これなら、カードは滑らず、しっかりと読み取らせることができる。
山なりに投げることによる速度の遅さの課題は通行許可争奪戦が始まる前に遠くから投げておくことで解決し、精度の問題は――彼にとっては問題ではなかった。
今日も【必然】は通行許可争奪戦の始まる前から、本の栞代わりに使っていたICカードをその異常なまでの手の器用さでコントロールして投げ、勝利を確信してゆっくりと歩き――
しかし、ICカードは読み取り部に落ちなかった。
「※……何?」
【必然】が顔を僅かにしかめた直後、飛鳥が改札を通り、衝撃波が駅を駆け巡った。
何が起こったのか判断しかねるまま吹き飛ばされて尻餅をついた【必然】が、去ろうとする飛鳥に声をかける。
「※おい、おまえ、何をした」
「あなたのような冷めた人でも気になるのね。勝った理由も負けた理由もどうでもいいのかと思ったわ。一方通行の改札を通るくらいだし?」
「※吹っ飛ばされたら恨みの感情くらい湧くさ。それに一方通行のところを通って何が悪い」
飛鳥は髪をかきあげる。
「一方通行の改札を通るということは、最初から戦う気のない一般人と同等ということよ。誇りを持っていないわ。一度でも執行者の世界に触れた者がそこを通る時、その者は負け犬の烙印を押される」
その言葉は、誇りを重んじる師の言葉でもあった。
「※エグゼキューショナーの誇りが読書の役に立つのか? まあいいさ、で、何をしたんだ」
「【三代目戒殺鬼】からもらった切符の一枚を投げて、空中のICカードの動きを狂わせた。それだけよ」
「※おい、まだ行くな。謝罪の言葉はないのか」
飛鳥は立ち止まり、振り向く。
「謝罪? そうね。あなたには改札への情熱がない、つまり執行者ではない。一般人なのに巻き込んでごめんなさい。さ、行きましょう、高橋くん」
今度こそ飛鳥は【必然】から離れた。将も【必然】を気にしつつも飛鳥について階段を上がっていく。
「飛鳥先輩、あの人が執行者じゃないってどういうことですか? 下手すればすごい侮辱なんじゃ……」
「あの男、二つ名【必然】は、自分の意思とは無関係に執行者呼ばわりされているだけなのよ。
わたしたちは勝っても負けても速やかに立ち去り人ごみに紛れることを暗黙のルールとしている。謝罪なんて普通は要求しないわ。でも彼はああ言った。彼は誇りによって固められたルールを守る気がない、つまり情熱がない。
執行者の定義は、改札への情熱がある生物であるということ。本当なら二つ名で呼ぶ価値もない……。わかるわよね?」
「へえ、なるほど……。僕はちゃんとした執行者ですよね?」
「どうかしら」 「えぇー」
電車が通過する際のけたたましい音。
それにより、二人の耳には、駅の床に尻餅をついたままだった【必然】の「※改札への情熱がない? 違うね。俺にないのは……」という呟きが届くことはなかった。
その後は何戦かしてから、自宅の最寄り駅・冠都火で別れた。
将の、夕飯をどこかの店で食べましょうという提案は当然のように却下した。彼は何か勘違いをしているのかもしれない。確かにここまで間合いを詰めて接する他人は久しぶりだったが、恋人になど発展するはずもないのだ。
しかし弟子としては見所がある。意外にも将は執行者として喰らいついている。しばらく面倒を見てやる必要がありそうだった。
適当な理由をつけて破門するという手もあったが、やはり師匠を引き受けたからにはしっかり指導するべきだろう。
【改神の一撃】が飛鳥にそうしてくれたように。
飛鳥は音のない自宅のベッドで寝転ぶ。
「……誇りを持って、改札を通る……」
師匠、その教えは守っています。心の中で呟いた。
○
将と飛鳥が戦いにならない戦いののちに師弟関係となった冠都火駅――そこから東京方面へ七つ行った、南田良駅。
【三代目戒殺鬼】本名・亀田孝三はある思いとともに改札口へ向かっていた。
南田良駅はそれなりに利用客が多い。更に六時という時間帯ともなれば、帰宅する客たちでごった返す。そんな中でも通行許可争奪戦は行われる。もちろん、一般人への迷惑にならないようにだ。
(オレも……じゃなかった、わしもそろそろ隠居かと思っておったが)
亀田孝三は昔から「わし」だとか「じゃのう」などという一人称や口調だったわけではない。数ヶ月前、六〇歳になり、憧れていたお爺さん口調に変えたのだ。妻や娘には気味悪がられたが、孫には好感触だったため、この口調を続けている。
(まだまだ現役じゃな。通行許可争奪戦でこれほどまでにわくわくしているのじゃからな)
歩きながら思わず鼻歌が漏れる。亀田孝三が意気揚々としている理由は、ここら一体でかなり強い執行者が現れたらしいという噂を聞いたからだ。
詳しいことは聞いていないが、あの【ちょっと音速で通りますよ】が成す術もなく敗れたらしい。
昔の亀田孝三はあのボクサーにも簡単に勝ててはいたが、最近の戦績は五分五分。片方の劣化と片方の成長、そのバランスのクロスポイントが今だ。もうじき、ボクサーも亀田孝三の格上となってしまうことだろう。
それほどまでの強さと可能性を秘めたボクサーが惨敗したと聞き、亀田孝三は興奮を抑えられずにいた。体力は老いても、改札への情熱と未知なる強敵への好奇心はまだ若かりし頃のままだ。
今日はその、謎の執行者と会えたらいい、と期待していた。その執行者に勝ったら、孫に自慢してやろう。きっと喜ぶぞ。
「む?」
そして亀田孝三は改札の向こうに、高級そうな白い服に銀色の装飾をいくつか付けた、身長一九〇センチメートル程度の大男が仁王立ちしているのを見る。
精悍な男だった。高い鼻、太い眉、鋭い眼光。口元は布で覆われている。自信に溢れ、どこも満たされていない部分はないように見えるのに、それでも何かを貪り喰らい続けてきたような強欲さが滲み出ている。
一目でわかった。【執行者】だ。一目で違和感。本当に【執行者】か?
「貴様が【三代目戒殺鬼】だな!」
大男が叫んだ。腹の底から出る声だ。人を従わせるための声だ。
「そうじゃが、なんじゃ? 通行許可争奪戦なら、わざわざ叫ばなくても受けてやるぞい」
亀田孝三――【三代目戒殺鬼】は、懐から何枚もの切符を取り出した。そして、指で弾いて飛ばす。
くるくると回転した切符は戒殺鬼のところへ戻ってくる。それをキャッチ。切符によるブーメランだ。それをたくさんの切符で行い、戒殺鬼の周囲で紙吹雪のように切符が舞い踊る。
【戒殺鬼】。
執行者の世界における、最初の二つ名だ。
最初の執行者にして【初代戒殺鬼】張間芳次。彼は、「実用的な穴開け光学読み取り式による自動改札機」が北千里駅で導入された一九六七年から修行を始め、その三年後、関西で磁気乗車券用改札機の本格的導入が図られた頃にはとある戦術を確立していた。
執行者の誰もが思いつく、切符を投げつけることによる改札の通過。それを極めたのが初代戒殺鬼だ。元々指先の器用さに長けていた彼は、切符を飛ばすことも難なくこなすようになった。そして、大量の切符を相手に飛ばして妨害し、その隙に本命の切符を弾いて改札機に入れるという、執行者の最初の必殺技を編み出したのだ。
その技は【戒殺鬼】の二つ名とともに受け継がれていき、今では三代目。それが今、不敵な笑みで切符を踊らすこの初老の男なのだった。
戒殺鬼は孫の顔を思い出す。
改札道に興味を持ち始めたあの子に、おじいちゃんのいいところを見せてやりたい。
それを可能にするためには、いくら相手が強敵でも、負けるわけにはいかないのだ。老いてもまだ止まるわけにはいかないのだ。
ぽっと出のルーキーに負けて、なにが打倒【漆黒の訣別】か。
「行くぜ。おっと、おぬしの名を聞いておこうか」
「いいだろう。私の名は」
大男が腕を前に伸ばす。
「銀館道道終」
人間の静かな邪悪さを極めたような睥睨。
「二つ名は――【皇帝】」
「そうか――おぬしがッ!」
戒殺鬼が指に挟んだ八枚の切符を一気に投げる。目にも留まらぬ速さで飛んでいく切符。それを見据えて、銀館道道終、いや【皇帝】は、ICカードを――
○
「今度、先輩のお家に行ってもいいですか?」 「お断りよ」
南渡火高校、教室棟、屋上。
昼休みだ。一人で昼食をとっていた飛鳥は将に声をかけられていた。彼は屋上に来てしばらくは声をかけるか迷っていたようだ。最初はうじうじとするが、踏み出してみればどこまでも行ける、そんなタイプらしく、積極的な態度になっていた。
制服姿の飛鳥は購買で買ったパンを食べていた。カツサンドと、人気のクリームパン。
対して将は貧相な弁当だ。貧乏な一人暮らしだという。飲み物は家の水道水を水筒に入れて持ってきているようで、友人にでもそのことを言ったら泣かれそうだ。
「えーっと……今度、先輩のお家に」 「断ると言ったでしょう。しつこいわよ」
「あの、僕、けっこう料理は上手いんですよ。一人で暮らしてる我が家にはもやしぐらいしかないけど、実家では料理を引き受けたりしてて……」
「さっさとこの屋上から立ち去りなさい。放課後、また駅でかまってあげるから」
「で、でも……寂しくないんですか? 僕をもっと頼ってください! 仕事人な飛鳥先輩のお役に立ちたいんです。お弁当を作ってあげられますし、勉強……はダメですけど、できる範囲で頑張りま――」
将をキッと睨む。
「失せなさい。わたしは一人がいいの」
「う……。は、はい……」
将は口をぱくぱくさせ、腕をふらふらさせたあと、諦めて屋上を去っていった。扉が軋み、再び屋上は春の余力の全開とも言うべき強めの風が鳴らす音が支配する。
静かなようで、本当は激しい、一人だけの空間。それはまるで飛鳥の心を体現したかのようだった。
飛鳥はカツサンドの最後の一口を飲み込んだ。
(そうよ。わたしは一人がいい。一人で充分。一人でなんでもできる)
飛鳥は独りだった。
母親とは一緒に暮らしてはいたが、なかなか家に帰ってこない。会わないうちに母親との接し方を忘れてしまい、孤独感は増した。また、父親と妹はここから遠く離れた他県に行ってしまった。
可愛い妹、飛鳥沙津。昔から危なっかしい沙津のことを支えるために、飛鳥はしっかりした姉になるよう努力したし、そんな姉を見て沙津はますます姉のことを慕うようになっていった。反抗期でも姉にだけは心を開き、喧嘩らしい喧嘩は一度もない、そんな沙津の口癖は「お姉ちゃん大好き」。飛鳥夏衣と沙津は、仲良し姉妹として近所でもそれなりに有名だった。
『だから、迷惑なの! お姉ちゃんのそういうところ、ほんっと迷惑!』
それが、沙津との別れ際の、そして飛鳥が聞いた沙津の最後の言葉だった。
本当に、かつては、仲良し姉妹だった。
沙津が父親に連れて行かれてしまってからはずっと独りで生きてきたし、これからも独りで生きていくつもりだった。
父親による千尋の谷に突き落とされるような教育を受けて思ったことがある。そしてそれは【改神の一撃】に師事している頃、いや、それ以前から思っていて、沙津が去ってから更に強く確信したことでもあった。
人に頼らず生きていくことこそが強さだ。
弱さを叩き直し続ければ、いつか、通行許可争奪戦だけでなく全てにおいて無敗になれる。そうすれば負けず嫌いの自分を満足させることができる。
目指すものは改札機だった。自動改札機は異常が発生しても自分で復旧できるようになっている。切符を中で運ぶ搬送部が壊れたときにはICカードだけで動けるようにするなど、人の通行を阻害しないように様々な機能がついているのだ。自力でなんとかやっていける、そんな改札機の強さに憧れていた。
と、飛鳥のスマートフォンが鳴る。電話だ。スマフォが鳴るとしたらほとんど迷惑メールの着信時だけだというのに。
怪訝に思い、出るか迷いながらも、結局は受話器ボタンを押した。
聞こえてきた男の声は、全く馴染みのないものだった。
《【漆黒の訣別】飛鳥夏衣だな》
「…………」
《答えないか。まあいい。無敗で最強の執行者【漆黒の訣別】に告げる。【ちょっと音速で通りますよ】と【三代目戒殺鬼】と【必然】は倒した》
飛鳥は眉をぴくりとさせて、続きを待った。
電話の男は相手の脳内にどっかりと居座るかのような堂々とした態度で言った。
《次は貴様だ》
次回、第六話「Emperor」




