第三話「人生とは」
五月二十七日 火曜日 雨
今日もダメだった。学校で呼び止めても睨まれて冷たい言葉を言われるだけ。でも無視されるよりはマシだ。学校が終わると急いで帰って(陸上部はまたサボってしまった。筋トレは家でやってる)、冠都火駅で待ってたら、すぐに飛鳥先輩が改札の向こう側に来た。まあ最初に書いた通り、ダメだった。やっぱり飛鳥先輩はすごい。
五月二十八日 水曜日 曇り
今日もダメだった。話しかけるのは逆効果だろうか? でもまだ無視されてないってことは、飛鳥先輩は本当はとっても優しい人なんだ。今日も冠都火駅で飛鳥先輩と向かい合った。うん、やっぱり勝てるわけない。でも僕も成長してる。いずれ飛鳥先輩に……
五月二十九日 木曜日 曇りのち晴れ
今日もダメだった。でも飛鳥先輩の態度が変わってきている気がする。ほんの少しだけど。先輩との三度目のジャッジは、やっぱり勝てなかった。でもまぐれでもいいから勝ちたい。それで先輩に認めてもらうんだ。弟子になりたい。飛鳥先輩の子分になって、こき使われたい。近くでいつも飛鳥先輩を見ていたい。
明日こそは勝てればいいな。勝ちたい。勝つ。絶対だ。
○
「飛鳥先輩!」
その声を聞いて、飛鳥夏衣は僅かに眉をひそめる。またか。しつこい。げんなりだ。とは思うが口に出す気力はなかった。
冠都火駅、改札の向こう側に少年が立っている。
「もう一度、ジャッジをさせてください! 今度こそ勝ちます! その時は僕を弟子にしてくださうわああああ!」
昨日や一昨日のように、飛鳥は改札を通るときの衝撃波で少年を吹き飛ばした。自分より背の低い少年は、高橋将。二年生、陸上部。嫌でも覚えてしまった。
ため息をつき、倒れて目を回す将を一瞥すると、さっさとそこを立ち去ろうとする。
しかし誰かがソックスを掴んで飛鳥の歩みを止めた。
振り返ると、将が舗装された地面を這いつくばって飛鳥のソックスを伸ばしている。
「飛鳥……先輩……」
「いい加減諦めなさい。あなたには才能はない。努力したところで二つ名持ちにはなれない」
「僕は……諦めません。絶対に飛鳥先輩に認めてもらうんだ。僕には負けず嫌いなところしか良いところはないから、諦めません」
(この子……)
飛鳥の目が僅かに揺れる。
飛鳥も人一倍、いや百倍負けず嫌いだ。勉強でも、スポーツでも、芸術でも、そして【通行許可争奪戦】でも自分が負けることを許してはいない。
どんなことでも常に上位を取っていたし、それがノルマだった。【執行者】としても未だ無敗。しかしその無敗は、勉強やスポーツや芸術での誰かに対する敗北の上に成り立っている。
この将という少年も、相当な負けず嫌いのようだ。だとすれば、今は悔しくてたまらないだろう。
飛鳥は負けた時の悔しさを思い出した。頭の中で熱い血が流れる感覚。自然と歯軋りが漏れるあの感覚。そして、その後の自分や誰かを見返してやるという感情。
「僕は勝ちます。明日、また会いましょう。その時こそは僕を弟子に……」
「あなたは私に勝てないわ」
「か、勝てる! 勝ってみせます」 「無理よ」 「どうして!」
「理由は三つあるわ。一つ、あなたには執行者の才能がない。二つ、あなたには執行者に対する愛がない――あなたはただわたしの弟子になりたいだけで、執行者になりたいというわけではないように見える」
将が黙る。執行者ではなく飛鳥への執着ばかりが目立つことからの勘ではあったが、図星だったらしい。
間をおいて将が叫ぶ。
「三つ目は!」
飛鳥は思う。この少年はわたしと精神的には同類なのかもしれない。負けず嫌いなところには共感できる。
それになにより、もう今と同じようなことが続いてこれで四日目だ。いい加減にうざったかったし、いくら負けず嫌いでも執行者の厳しい世界を知れば自然と離れていくだろう。
「三つ。あなたには指導者がいない」
伏した将に手を差し伸べる飛鳥。
「立ちなさい。明日、北渡火駅で待ち合わせしましょう」
「え、それって」
「今日はもう帰ることね」
「弟子にしてくれるんですか!? よっしゃー!」
飛鳥は顔をこれ以上ないほど綻ばせて何度も礼を言う将を見て、面倒なことになるな、と少し後悔していた。これで良かったのだろうか。頭を下げたり謎の舞をしたりしている将にイラつき、「やっぱり今から駅の周りを五十周しなさい」と言ってから立ち去る。暮れなずむ夕空は綺麗だった。
○
土曜日。
飛鳥夏衣との待ち合わせ場所、北渡火駅。
将はどきどきしながら待ち合わせ時間の一時間前から待っていた。
(スーツじゃなくてよかったよな? でもこの服あんまり格好よくないんだよなあ……僕にこんなデートの日が来るとは思わなかったから、うちにかっこいい服ないんだよなあ)
デートではない。が、将はわくわくしていた。
(しわ加工のシャツとか、イケメン感あふれるデザインのコートとか買っておけばよかったな……あっ!)
北口のほうから長身の女性が歩いてくるのが見えた。腰まである黒い長髪、センスのいいファッション。飛鳥だ。
将は壁によりかかり、ややうつむく。この体勢がクールだと思っているのだ。
飛鳥が近づいてくると、壁から離れてにこりとする。
「こんにちは、飛鳥先輩」
「ええ。早速始めるわよ。よろしくね、高橋くん」
抑揚の乏しい声、無表情。将の格好つけた様子を気にもしないで先を歩き始める飛鳥。慌ててついていく。
(あれ、デートなのに雰囲気作りとか全然してないなあ)
デートではない。が、将はドキドキしていた。
(でもいいや、美しい飛鳥先輩にこうして会えるだけで嬉しいや)
前を進む飛鳥はもちろん私服だ。黒と灰色を基調としたコーディネート。丈の長いコートからは風格が漂う。将の持つ情報によれば、友人は少ないとはいえ男女問わず多くの生徒たちに格好良いと思われている飛鳥だったが、私服姿はもっとお洒落だ。この姿を見たらそれなりに多くのファンがついてしまうのではないだろうか。
見とれていると、改札口に到着した。
「さて……」
「あの、飛鳥先輩。魔術師たちはどうしたんですか?」
「通報はしてないけれど、弱みを握ったことは確かだから、これからはわたしの奴隷ね」
「えぇ……じゃあ何で弱みを握るだけにしなかったんですか」
「通行許可争奪戦をふっかけたのは、一度噂の魔術師と戦いたかったから。それだけよ。さて、確認するわ。メールで教えておいたこと、わかってるわよね?」
「えっと、はい。通行許可争奪戦が終わったら、動ける場合は歩みを止めずに速やかに別の改札を通って去らないといけないんですよね」
飛鳥は髪をかき上げる。
「そうよ。向こう側から改札を使われて、その改札の前で戸惑っている姿は美しくない。執行者が生まれた五十年前には既にあったルールだと聞いているわ」
「あと、暴力はだめとか、一対一じゃなきゃだめとか、改札の向こう側に執行者を見かけたら必ず通行許可争奪戦をしないといけないとか」
「だいたいわかってるようね。あなたは陸上部で基礎体力はあるようだし、すぐに実戦に移るわ」
「え、もうですか?」
「そろそろ来るわ。毎週土曜日のこの時間になるとこの駅を利用する執行者」
飛鳥は油断なく改札に目を光らせる。
「本業はボクサー。二つ名は……ん、来たわ」
改札の向こう側からのっしのっしと歩いてくるのは、筋骨隆々の日焼けした大男。タンクトップを着ていて、露出した両腕は丸太のように太い筋肉でできている。あの腕による攻撃ではジャブですら致命傷になり得てしまいそうだ。
「二つ名は【ちょっと音速で通りますよ】。ボクシングで培ったパンチの速さと正確さによって、音速を超える速度で切符を投入口に入れることを可能にした末恐ろしい男よ。足は速くはないけれど、改札機に腕が届く範囲まで先に到着されたらまず勝ち目はないわ」
「無理です無理! 音速超えるってなんですかそれ! 人間なんですか!? っていうか、たかが改札口を通るだけなのに本気出しすぎなんじゃ……」
将は口をつぐんだ。飛鳥の鋭い目で睨まれたからだ。彼女の目は語っていた。「あなたは何もわかっていない」と。
「行きなさい、高橋くん。洗礼を受けるのよ。こればっかりは実際に戦わないと理解できない。さあ、やられてきなさい」
「そ、そんな」
飛鳥に背中を押され、ボクサーの前に来た将。仕方ない、と決意を固める。飛鳥先輩の弟子としての初陣だ。格好悪いところは見せられない。
その思いが瞳に宿ったからか、ボクサーが将に気づいた。にやりと笑う。
双方が走り出す。
【通行許可争奪戦】開始。
将は体感時間が引き伸ばされていくのを感じていた。実際には一瞬のことでも、ゆっくりとボクサーが走ってくるように見える。それ以上に将の動きは遅かった。だめだ、相手の足が速くはないといったって、それは飛鳥先輩基準だ。充分速いじゃないか。あっという間にボクサーの「射程圏内」に改札機が入る。
その時、見えた。
ボクサーの右腕が音速を超えると同時に、ビキビキと悲鳴を上げるのを。
衝撃波で吹き飛ばされ、将は壁際で倒れていた。そこに飛鳥が近寄る。
「高橋くん。なにかわかったかしら?」
将は自分のICカードを見つめる。そのカードが光を反射した時、その光が涙によるものに見えた。錯覚だろうか。否だ。ICカードは、悔しさに涙を流していた。それは【執行者】と呼ばれる者たちだけにとっての『現実』。
「あのボクサー、超音速の切符投入をするのに、相当な無理をしてた。選手生命どころか、本当の命まで失いかねないほどに腕を酷使して……。僕、わかりました。『たかが改札口を通るだけ』じゃない。【執行者】の戦う姿は、誇り高き彼らの努力する姿は、生命の足掻く姿そのものだ。改札口を通る、それは即ち――」
思い出す。毎日のように出会い、見送られているはずなのに意識していなかった、改札機の愛らしい姿。
雨の日も風の日も、元気な日も頭が痛い日も、高校受験の日も陸上部の大会でボロ負けして泣いた日も……いつも将を快く通らせてくれた改札。
時にはピーという優しい声色で美しい母親さながらにチャージ金額の不足を教えてくれたし、時には「もう、せっかちなんだから。……タッチする場所は、んっ……こ・こ・よ……」と扇情的な恋人さながらに注意してくれた。 「こ、ここかな?」 「そう、そこよ……ぴぃぃッ! あらあら、定期券の有効期限が切れているわ。仕方のない子ね、ほら、ここに今日の分のオートチャージ、入れておくから……」 「あ、ありがとう。いつもごめんね」 「いいのよ、あなたの幸せがわたしの幸せ。ずっとわたしが養ってア・ゲ・ル」 「うっ……改札機!」 「いやん! だーめ、シャワー浴びてからにしよ、ね?」 そして男と改札機は一つのベッドを軋ませる。次々と放出部から切符を溢れさせる改札機に、男の理性は脱線事故を起こしていく。ああ、今夜だけは速度超過を許してくれ。数多の駅を快速特急で駆け抜けさせてくれ――
将は幻覚を見ながら駅の天井を仰いだ。その目からは、手元のICカードのように、一筋の涙。
そうだ。
その姿はまるで、生涯の伴侶。
そうなのだ。
駅に行かねば会えなくとも、その心はいつまでも傍に寄り添い、陰で支えてくれる。
その通りだ。
改札口を通る、それは即ち――
「――『人生』なんだ――」
○
飛鳥は白目を剥いてガクガクと痙攣しながら「かいさつをとおる、それすなわち、りゃいふなんだあ」とよだれを垂らしている将を見ながら、感傷に浸っていた。
かつて飛鳥にも似たような経験があったのだ。
改札には、そこに伝えられる武道があった。
執行者の歴史について研究する改札学者であり、自身も執行者として【天網改改疎にして漏らさず】の二つ名を持つ原田札太郎によれば、執行者の源流は改札機ができる遥か昔、平安時代まで遡ることができるという。
現代の一対一で正面からぶつかり合う通行許可争奪戦は、一騎討ちですれ違いざまに斬り合う武士の戦い方が起源であるという説だ。これは日本改札学会でも一つの有力な説として認められている。
そのような歴史を持つ執行者の間で、改札機の普及とともに武道が確立されることは自然であり、むしろ新興武道ではなく柔道や合気道よりも古い歴史を持つとさえいえるということには間違いがない。
改札道。
強く速く美しく改札を通る技術を磨くことを特徴とする武道である。
国内に数ある改札道場では、幼い子供からお年寄りまで幅広い年代の者が日々、切符投入の素振りに励んでいる。正しく乗車券を購入し、正しく改札を通ることこそが人を成長させるとの教えが全国で広まっているのだ。
しかし忘れてはならない。改札道の起源は武士同士の殺し合いであるということを。そう、改札道場でもっと深く改札道を知り求道者となりたいと望んだ者は執行者となり、殺し合いに等しい衝撃波の飛び交う、まさに『戦場』に足を踏み入れるのである。
飛鳥夏衣は、古武術・飛鳥流を継ぐ者であり、「日本改札道解察会 飛鳥道場」の跡取り娘であった。
彼女は母親の腹の中にいる頃から改札機のICカード読み取り音を聞かされて育った。この程度なら普通の母親が胎児に音楽を聞かせる場合と同じであるし特段珍しいことでもないが、生まれた直後、彼女を幼児用ミニ改札機に通らせた父親の改札道への思いは医師たちを驚かせた。
はいはいにより自力でミニ改札機を通ったのは生後七ヶ月。それからも英才教育は続き、三歳で初めて実際の駅の改札機を通った時は父親は泣いて喜んだ。父の指導で体力づくりや食事にも気を使ったし、飛鳥はそれを何の抵抗もなく受け入れた。
だがそれは幼く素直だからというだけだった。
九歳の頃、改札との思い出アルバムを両親と一緒に見た時、父親との温度差を感じた。
“なんでわたしはこんなことしてるんだろう”
飛鳥は改札が大嫌いになった。
家出して練習をやらなくなるようになり、父親は激怒した。母親になだめられて父が落ち着く頃には、父は娘に興味がなくなっていた。
代わりに沙津という名の飛鳥の妹に対しては、懲りずに英才教育を続けた。沙津は姉と比べて元気いっぱいで、練習にも不平不満を漏らすような表情豊かな子であったが、それでもちゃんと改札道を理解し父についていった。沙津は姉より才能には乏しかったが、それなりの成績を残していたし、父親は仕方なくそれで満足することにしたらしい。
飛鳥と父親の喧嘩は静かにはなり、ある意味では飛鳥家は平和になったのだった。
飛鳥が父親とろくに話さなくなって五年が過ぎた十五歳の頃、彼女はある“最強の執行者”に出会うことになる。
次回、第四話「地獄への片道斬符」




