第二話「執行者 -Executioner- (後編)」
ひょっとしたらこれはストーカーなのではと思ったが、将と飛鳥夏衣とは帰りの駅が同じというだけだ。何ら犯罪性はない。しかし電車の中の飛鳥の姿をちらちらと窺ってしまうのは抑えきれず、ストーカーじみているということは否めなかった。
今日、飛鳥がジャッジとやらをするという日。
将は陸上部の午後練習を休ませてもらった。部活に入っていないため帰るのが早い飛鳥に追いつくためだ。サボるのは初めてだから一生懸命休む言い訳を考えて友人に伝言を頼んでおいた。将にとって、サボタージュは結構な一大決心だ。
と、電車が冠都火駅に到着する。飛鳥と十数メートル間隔をあけて、ついていく。
時刻は四時。人はまばらだった。自分ではここが田舎だとは思っていなかったが、通っている高校の地域で駅の混み様を見ると、やはり田舎なのかも、と思う。
飛鳥は学校指定の制服に身を包んでいた。腰まである黒髪が歩を進めるたびに跳ねる。その堂々たる姿は将を再びどきどきとさせる。
「フフ……お嬢さん。よく来ましたね」
改札口まで来ると、向こう側から声が聞こえてきた。シルクハットの男。【ラッシュアワーの魔術師】だ。
「わたくしが【通行許可争奪戦】で勝ったら、わたくしたち三人を魔術的に許してくれるのでしょうね? フフ」
魔術師は昨日と比べて笑い方や一人称や、言葉と姿の雰囲気がまるで違っている。本当に同一人物なのだろうかと疑いたくなるが、その顔や背格好はどう見ても昨日の不良だ。
「ええ。社会的にでも魔術的にでも許してあげる」
「フフ……いいでしょう。だが貴女はわかっていない。貴女はわたくしたちを許さざるを得なくなると同時に、わたくしたちに許しを乞うことになるのです」
飛鳥はそのツリ目で魔術師を睨んでいるだけで、動かない。
「わたくしの魔術は本物です。切符を投げるだけの【戒殺鬼】や、切符を素早く入れるだけの【ちょっと音速で通りますよ】などとは違う。そう、格が違う! 彼らより遥かに高等な存在、それが【ラッシュアワーの魔術師】。貴女は全てを失い、ここで朽ちることになるのです。さあ、刮目しなさい。執行者の歴史を塗り替える、わたくしの魔術を。そして絶望しなさい。わたくしに挑んだ自らの愚かさに」
魔術師は飛鳥に向け、魔法をかけるかのように、その場で右手を伸ばした。
飛鳥は魔術師の言葉には応えず、毅然とした面持ちで体勢をやや低くする。
飛鳥の魅力、仕事人オーラ。今それが彼女の周囲を纏い、将には彼女が光り輝いてすら見えた。
将にはわかった。
何かが始まる。
まだ知らない何かが、あの憧れの先輩を本気にさせる何かが、相手の【ラッシュアワーの魔術師】なる二つ名を作り上げた何かが始まる。
飛鳥は口を開く。
「あなたに勝てるのかしら?」
飛鳥が目にも留まらぬ速さで改札へ飛び出したのと、魔術師が指を鳴らしたのは同時だった。
将にはまだ理解できない。
“彼ら”が勝負を決する時、全てはまばたきする間に終わるということを。
「え?」
間抜けな声を発した将が見たのは、呆然とする魔術師と、いつの間にかそこにいて倒れているスキンヘッドの不良と、その不良を合気道かなにかで床に倒した飛鳥の姿だった。
飛鳥と魔術師はどちらも改札を通っていない。その場を離れてすらいない。
今のが「ジャッジ」か?
いや――
「つまらないわ。こんなもの、通行許可争奪戦ですらない」
飛鳥は改札のこちら側で倒れた、スキンヘッドの不良を睨む。
「……これが【ラッシュアワーの魔術師】の正体というわけね」
昨日の、気味の悪い笑い声をするスキンヘッドの不良は、飛鳥の物と思われる定期券入れを掴み、冷や汗を垂らしていた。
将の頭の中でクエスチョンマークが跳ね回る。
なにが起きたのだろう?
恐ろしく速い戦いだったことはわかるが、どうしてここにスキンヘッドの不良がいるのかがわからない。近くにあんな奴がいただろうか?
(もしかして……芝居がかったセリフを言う魔術師に、気を取られるあまり……?)
「魔術師が派手な格好をし、大言壮語を吐き、指を鳴らす仕草をすることで、自分に意識を集中させる。その間、相手に気づかれないよう近寄っていた腕利きのスリが乗車券を盗む。ここまでが魔術師の戦いの手段。その定期券入れはわたしからICカードを奪おうとしてわたしに防がれ、奪いきれなかった証拠ね」
飛鳥は淡々と述べる。
「そしてそのスリの技術を使えば、もう一度指を鳴らすとき、あらかじめ用意しておいた別の乗車券を相手のポケットに入れるのも可能。噂では相手のICカードを、名前欄に『ネエ ドンナキモチ』『ザンネンデシタ』と書かれたものと入れ替えて楽しんでいるのでしょう?」
熱がこもり始める。
「ただ卑怯な手で勝つにも飽き足らず、自分に酔って相手を嘲笑い、小銭を稼ぐためだけに魔術と称するその詐術を行使する。盗んだICカードはさぞよく売れたでしょうね。そしてそれ以前に、通行許可争奪戦の暗黙のルールは『一対一』のはず。あなたたちは執行者の歴史に背いた」
スキンヘッドのスリが笑う。
「い……いや~参りました」
普段気味悪く笑うだけであまり喋らないからか、滑舌が悪い。
「うひひ、オレたちの欺きが通用しないその強さ、まさかあんた、噂の無敗の執行者か? だったらわかるだろ、オレだって努力してこのスリの能力を磨いてきたんだぜ? 魔術師だってオレのスリを確実に成功させるための技術を習得しようと……」
「もういい」
飛鳥の声は氷で形作られた刃のように冷たかった。
「もういい。通行許可争奪戦続行よ。あなたたちは負ける。条件の通り、あなたたちは執行者をやめる。それで終わりよ」
飛鳥はゆっくりと体勢を下げていく。
「少々、苛立ってしまったから――」
まだ、まだ下がっていく。
「――本気を出すわ」
飛鳥が“その構え”をとった時、
将の目には遠くに富士山が見えた。
麓に広がる黄金色の田園風景。
それと山との境界線のように渡された高架橋の上を走るその姿が飛鳥と重なって――
「……新……幹線の……構え……?」
○
【ラッシュアワーの魔術師】は今、震えていた。
線路に縛り付けられ、電車に轢かれることを待っているかのような、逃げようもない、紛れもない恐怖。
「……嘘だろ」
相手を惑わしスリを成功させるための、いつもの妙な口調は忘れていた。
「嘘だろ! どうして……どうしてあの構えをとれる!? あいつはまさか……」
“震貫穿ノ型”
――それは、新幹線の設計の上で参考にされた古武術の構え、即ち飛鳥流執行術の奥義である。
新興武道「改札道」の原型となった武術、飛鳥流。
千二百年の歴史を持つその流派は、本来は殺人術である。飛鳥の先祖が暗殺や傭兵の仕事をしていたことからもそれは明らかだ。
だが平和な現代日本では暗殺の仕事は少なく、傭兵の依頼に至っては皆無だ。
しかし飛鳥流は未だ衰えることなく続いている。
それはなぜか。
“改札”に戦場を見出したからである。
駅に平和などない。無賃乗車やそれに伴う改札機の破壊、投入した切符を取り忘れることによるトラブル、チャージやタッチ時間の不足で読み取りエラーが起こることによる人の流れの停滞。葛藤や敗北や憤激が入り乱れるその空間は、【執行者】と呼ばれる現代の暗殺者もしくは兵士を生み出してもおかしくはなかった。
それはstationの語源がstress zoneだということからも明らかであり、破壊され続けた改札機の墓標が駅の廃墟に立てられ、年々百人以上の【駅員】が墓参りに訪れていることもその一端を示している。
そこへ飛鳥流の継承者が働きかけ、「改札道」を作り上げた。
殺るか殺られるかの領域。それは多くの兵士が剣を交える戦場であり、暗殺者が忍び込む夜の城郭であり――執行者蔓延る駅の改札なのだ。
飛鳥流のような暗殺術がそんな場所で栄えているのは当然というべきであろう。
(まさかあいつは……)
改札道に変化した「飛鳥流」を継ぐ者は多い。今でも改札道有段者の八割近くが飛鳥流の使い手である。しかし。
(飛鳥流の本当の意味での継承者なのか……!?)
――とある飛鳥道場に、一つの古文書があった。
平安時代、ちょうど飛鳥流が創始された時期に記されたと推定される古ぼけた巻物。それを解読した先に、飛鳥流最古の奥義が現れた。
東西南北に四神を見立てて建てられた平安京の時代らしい、白虎・青龍・朱雀・玄武にちなんだ奥義だ。
即ち、
白虎のように大地を蹴ってそれを震わせ、
青龍のように疾く翔んで空間を貫き、
朱雀のように翼をはためかせ敵対者を穿つ、
それを実現するための、玄武のようなどっしりとした構えである。
その特徴はまず、速さへの一点特化。
本来は、その場から離脱したり、一瞬にして間合いを詰めて敵の喉を刃物で掻っ切る直前の動作として用いられる構えだ。両手両足の全てを使って勢い良く飛び出すことでそれを可能にしている。加速を生む部分が多い方が素早くなれるという発想である。
かつての国鉄はそこに着目した。
新幹線の構造は『動力分散方式』を採用している。走行のための動力のある車両を増やすことで加速度の向上を実現したのだ。それはこの構えと、発想は全く同じといっても過言ではないであろう。
新幹線を時速三二〇キロのモンスターに仕立て上げた強烈な奥義。
それが、震貫穿ノ型なのである。
(あの構えを習得できる奴って言やあ……飛鳥の血を正統に継いでる奴に他ならねえ……! つまりあいつは……!)
その奥義を使用するには圧倒的な技量と精神力を必要とするゆえ、会得できる者は五百年に一度とまで云われている。
だが飛鳥はその構えを完全に習得していた。
まず、前を見ている頭を残して体だけ右を向く。次に、地を踏みしめた左脚を滑らせて前に突き出す。一方で、残された右脚は膝を後ろにやるように曲げる。すると二本の脚と地面の間が倒れた三角形を描くという体勢になる。
そう、三角形。左脚側の鋭角部分はあたかもナイフで相手を脅すように、まっすぐに突きつけられているのだ。
まだ終わらない。三角形を描いたまま、前方へ出した左脚の先端へ、左手の指先を伸ばす。
この前方が尖るような形となる部分を参考にして、新幹線の正面は造られたのだ。
そして新幹線の動力にヒントを与えたのが、右腕の形。エネルギーを溜めるかのように握った拳と曲げた肘が、解き放たれる時を今か今かと待っている。
最後に飛鳥は、ICカードを口元に持っていく。
それを歯で噛むように挟んで、震貫穿ノ型は完成した。
改札を通る。
その熱い意志、崇高な精神、揺るぎない心意気が溢れ出る構えだった。
「やめろ……ひゃめてくれ、轢かないでくれ……」
魔術師は口から情けない声を漏らすだけで、後ずさりすらできずにいた。それが無駄であるとわかっているからだ。有無を言わせぬ恐怖は、被食者の可能性を奪う。喋ることすらできなくなりかけていた。
地下鉄の生温かい風が飛鳥の背後から吹きつけ、彼女の長髪をなびかせる。それは彼女の美しさを引き立たせるだけでなく、この場での必勝の未来を決定付けていた。
この風により、飛鳥の体に与えられる空気の摩擦力は、後方に対して動きを加える時のみ増す。それはつまりどういうことか。
背後の空間をバネにしやすくなるということである。
怖れる魔術師に対し、飛鳥は遂に動く。
『動力分散方式』の原型となったその発進法は、動き出した後はショルダータックルの体勢に近いが、肩はあまり突き出さず、あくまでも身体の先端は口に咥えたICカードだ。
それはなによりもカードのタッチを優先するために、物理法則の限界を超える技。
発動の瞬間、追い風との摩擦が空間を固体に変え、バネとする。
ほとんど、高速で真っ直ぐ飛び出すだけ。
しかしそれは――
“玄武”
腰を落とした構えから生み出されるエネルギーにより、
“白虎”
野を駆ける猛虎のように床を蹴った飛鳥の右脚と左脚が爆風を起こし、
“青龍”
その異常な疾さにより、足元の空気はほんの一瞬だけ凝縮されスタートを助ける壁となり、
“朱雀”
同時に両手も認識できない速さで空中を掴み、体に引きつけ羽ばたくように動かして加速――
――それは、改札を通るためにスピード以外の全てを犠牲にし、音速を遥かに超える力を得るということだ。
意識が飛ぶ寸前、魔術師は見た。
最速の新幹線『はやぶさ』が正面から迫ってくる幻を。
○
将はこの瞬間を生涯忘れることはできない。
コンマ一秒もない速さで駆ける飛鳥は一直線で改札機へ。駅に溜まった埃が舞い上がるような衝撃波。
将を【執行者】たちの世界に引きずり込んだ飛鳥の一挙手一投足。それは将に、新幹線の他に、切符を連想させた。しなやかな体で改札機の中を滑り、流れるように取り出し口に到達する、無駄のない洗練された動き。決して改札機の中で詰まったりしない身のこなし。
命を懸けた者にしかできない、プロフェッショナルの所業。
全てが終わった駅では、倒れた魔術師とそれを気遣うスキンヘッドのスリが哀愁を醸し出していた。
シルクハットの脱げた魔術師は、ただのしょうゆ顔の不良でしかない。うわごとのように「ひゃめろ……ひゃめひゃめ……ひゃめひゃめろ……」と呟いている。
駅の中は激しい衝撃に晒されたのにもかかわらず無傷だった。将はまだ知らないが、駅という建物は執行者の戦いに備えて、核シェルターの役割を果たせる程度に強固に造られている。
飛鳥は駅員の人に魔術師のことを伝えたのだろう、窓口で会話してから去っていく。
戦いは終わった。
将は改札を通り、空を見上げた。
まだ明るいが、少し赤みがかってきている。まだ春は終わらない。しかし温かい風に、夏の予感を感じずにはいられない。
【通行許可争奪戦】とは何か?
【執行者】とは何か?
なんとなくわかってきた気がする。
将はぼうっとしていた頭の中がクリアになっていくのを感じていた。
飛鳥夏衣のいつかの姿が思い浮かぶ。職員室の廊下で出会った、教師に厚く信頼される彼女。三年生の教室の隅で背筋を伸ばして文庫本をめくる、清楚で物静かな雰囲気。そして、駅で改札を通ることに気力を振り絞り、一見ばかばかしいことにも全力で当たる、誇り高い勇姿。
ついていきたい。
あの人の傍で、格好良い姿を見ていたい。
強さの秘密を知りたい――
気づけば走り出し、飛鳥を呼び止めていた。
息をわずかに上がらせて、将は振り返った飛鳥の目を見る。黒く深い、全てを跳ねつけるような瞳。怪訝さも見せない無表情。しかし将は臆さずに言った。
「ぼ、僕と付き合っ……弟子にしてください!!」
訂正、少し臆した。
○
「道道終様。あの女が【漆黒の訣別】でございます」
魔術師が敗走した冠都火駅。その隅で、黒服を着てサングラスをかけたボディーガードの男が、斜め前に立つ主人に声をかける。
「ほう。あれが無敗の執行者・飛鳥夏衣か。同じ二つ名持ちでも【ラッシュアワーの魔術師】や【必然】とは違うな」
道道終と呼ばれた、白い服に銀色の装飾をいくつか付けた身長一九〇センチの大男が腕組みをする。
「執行者特有の、改札でのみ発揮される潜在能力。普段はひ弱な少女でも、改札口では超人と化すというわけか。面白い世界だ」
「そんな【執行者】など、道道終様の財力を持ってすれば容易く跪くかと」
「クク、あのような気丈な女に靴を舐めさせる瞬間が楽しみだ」
下品ともいえるそんな言葉は、しかし道道終が使うと純粋に人々に絶望を与える。口元が布で覆われていてもわかる精悍な顔つき、そこから滲み出る、生まれつき人を見下すためにできていたかのような邪悪さ。
ボディガードは、道道終の下につけることに――道道終の「標的」にならないことに喜びを感じずにはいられない。
「しかし、なぜ彼らはジャッジなどという行為をするのでしょう。改札をどちらが早く通れるか勝負するなど、あまりに……」
「馬鹿げている、そう言いたいのだろう? クク、まったくだ。そんなものに誇りを持っている、奴ら【執行者】に現実を見せてやる、それが今回の遊びだ。それと、私のことは今から」
道道終は目を血走らせて言う。
「執行者の世界に君臨してそれを終わらせる者――【皇帝】と呼べ」
次回、第三話「人生とは」




