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第九話「Station」

「はあ……今日も金がない……」


 将は朝食のもやしを口に含みながら、自宅のちゃぶ台にあごを乗せてげっそりとしていた。


「あー……やっぱ飛鳥先輩とデート、って、デートじゃないけど、外出する時くらいはお金持ちのフリしときたいんだけどなあ……」


 と、古いラジオの音声がノイズ付きで耳に飛び込んでくる。


『逮捕された半田薬品工業社長・半田健一容疑者は――』


(ああ、そうだ。先輩はあいつに勝ったんだ)

 ちゃぶ台からあごを離し、もやしを飲み込む。


 道道終に毒された警察や駅員をまともにしたのは、とある【駅(GrandGate)長】(Guardian)の権力だった。もともとその役職に就く者は様々な業界・政界に多大な発言力を持つが、その中でも今回活躍した【駅長】は将来の改札庁長官だとも噂されるほどだったらしい。


 彼の力により駅に集合した警察は、銀館道道終、本名・半田健一を、ICカードを変造したり警察を買収したりしたことに関する罪状で逮捕した。

 半田健一は半田薬品工業の社長だ。その製薬会社の失墜は新聞の一面を飾るなど大ニュースになり、世間を騒がせた。将にとっては、その会社の製品であり貧乏生活の友である某バランス栄養食を若干買いにくくなって残念でもある。


「よし、あとは水で腹を騙して……おっ、メール」

 将は愛用のガラケーを開くと、嬉しさに微笑んだ。

「『今から行きますね』返信っと……よし」






 ○






 【漆黒の訣別】バイバイ…ブラックバードであり【蒼穹の共鳴】(ハロー…ブルーバード)であり、かの老執行者から【四代目戒殺鬼】の二つ名も貰い受けた、最強の執行者・飛鳥夏衣には、かつて弟子がいたという。


 その弟子は彼女にとって、最初は取るに足らない存在だった。


 しかし彼女が挫折したとき、励ましてくれたのは他でもない、その弟子だったのだ。


 そして、今では――






 ○






「あっ、飛鳥先輩!」


 将が歩いてくる長身の女性に手を振ると、彼女――飛鳥は微笑んだ。

 涼しげな水色のワンピース。かつての暗い色で固めたコーディネートもおしゃれだったが、今日のファッションには可愛らしさがある。丈は飛鳥にしてはちょっと短めに挑戦してみたというような初々しさが感じられた。


「こんにちは、高橋くん。待ったかしら?」

「いえ、その……フッ、今来たところだよ」

「なんだかそれを言いたいだけのようにも見えるのだけれど」

「そ、そんなことないですよー。ああほら、持ち物は持ってきましたか?」


 飛鳥はにっこりと笑って、封筒を取り出した。その笑顔に見とれる将。本当に彼女はよく笑うようになった。まだ将以外の人の前では無表情だが、いずれは誰とでも笑顔で会話できるようになったら嬉しい。

 と思っていると、額を指で弾かれる。


「聞いているの? さっきからぼーっとわたしの体を見つめて……身の危険を感じるわ」

「そ、そそそんなことなないです! えと、なんでしたっけ!」


 飛鳥は将の態度に口を尖らせる。

「もう……。妹の沙津に書いた手紙よ。わたしの文じゃ堅苦しくなってるかもしれないから、高橋くんに見てもらおうと思ったの」


「え、でも僕なんかが見ていいんですか?」

「ええ、そうよ。あなたじゃなきゃだめなの」

「ひえっ!?」

「……ほら、そこのスタバで話し合いましょう。行くわよ」


 将の手を掴んで強引に引っ張る飛鳥。その頬は心なしか赤らんで見えた。






 その駅前のコーヒー店で、将は飛鳥の妹のことを聞いた。

 詳しく聞くと、妹の沙津に拒絶されたというのはどうも飛鳥の勘違いのように思えてきた。沙津は弱音を吐かない飛鳥に対して「わたしに頼らず気を使うのが迷惑」と言ったつもりが「弱いところが迷惑」と伝わってしまったのではないか。その場にいたわけではないからわからないが、そう思ったほうがいいような気がしてくる。

 それを指摘してみると、飛鳥は目から鱗が落ちた様子だった。

 当時はあまりのショックに思考がうまくいかず、勘違いのまま記憶が定着してしまったのかもしれないという。あれが何かの間違いではないかと思っていたとはいえ、思い込みというものの恐怖を思い知った。


 飛鳥と将が手紙について相談し、勘違いのところを修正してからコーヒー店を出ると、駅の方から衝撃波による風が吹いてくる。今日も通行許可争奪戦(judge)が行われているようだ。


「そういえば、先輩がコピーした【必然】(Destiny)。改札庁の技術研究本部? に所属したって言ってましたよ」

「本当? あの男は改札機という機械自体に並々ならぬ愛情を注いでいたし、きっと天職なんでしょうね」

「天職かあ。僕も高校を卒業したらいい職に就きたいなあ」

「ん、あなたはわたしと一緒の大学へ行くのよ?」 「ええっ!? 無理ですよ、僕頭悪いし、金も親に頼りたくな……」 「わたしに人を頼ることを教えてくれた本人が何を言っているの? 勉強はわたしが見てあげる」


 飛鳥先輩とマンツーマンでお勉強。それはそれで楽しいというか、ぜひ体験してみたいことだった。ちょっと頬が綻んでしまう。


 と、その時、駅の方から人の体が吹き飛んできて、将を驚かす。

「なんだ!? って、あなたは……」


「いてててて」

 吹き飛ばされ倒れて腰をさするのは、【ラッシュアワーの魔術師】。

「おっ? こりゃ、【蒼穹の共鳴】(ハロー…ブルーバード)さんと……誰だっけ? 彼氏?」


 飛鳥がなぜか無言で魔術師を蹴った。それから何事もなかったかのように微笑む。死神の微笑みとでも形容できそうだった。

「あなたこそ、こんなところでどうして地面を舐める趣味に勤しんでいるの?」


「ひでぇこと言うよな嬢ちゃん……オレたちがかつては社会的に無賃乗車するクズだったとはいえよぉ……」

 駆け寄ってきた仲間を立ち上がって制止する魔術師。

「けどオレは、オレたちは、もう二つ名は捨てた。オレは魔術師じゃないし、こいつも【奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの乗車券です】じゃあない」


「ひひひ」

「誇りを取り戻したのさ、嬢ちゃんのおかげでな」

「わたしのおかげ?」

「ああ。あの一戦、感動したぜ。スリとか無賃乗車とかしてる場合じゃねーなと思ったよ。というわけで、オレはまた社会的に新しい二つ名を得ることを目指して特訓中なのさ。今はちょっと相手が悪くて社会に壁を感じたが、次は勝つ」 「ひひ」


 そしてその男は――まだ魔術師時代の癖が抜けきっていない様子で、シルクハットは被っていないが、にやついた。


「ではお嬢さん。また会う日には魔術的に倒して御覧に入れましょう」

「そう。わたしはいつだって負けてあげられないけど」


 元不良たちは意気揚々と去っていく。手にはICカードがきらめいている。それを眺める飛鳥の目は、いくらか優しげだった。


 その不良が行く先に、改札を抜けた筋骨隆々のボクサーの姿。どうやら不良を倒したのは【ちょっと音速で通りますよ】だったらしい。彼は改札を離れると先ほどまでの地響きが聞こえてきそうな堂々たる歩きを嘘のように軽やかに変えて、西口のほうへ歩いていった。


「【ちょっと音速で通りますよ】さんも元気そうでなによりですね。そういえば、【三代目戒殺鬼】は引退したんでしたよね? 前はあれだけ元気だったのに」

「ええ。今も活力に満ち溢れておられるけれど、わたしに執行者の未来を託していただけたわ。わたしを四代目と呼んでくださった時は、ちょっとすねておられたけれど」

「あはは……。そうだ! 僕もだんだんと有名になってきたし、飛鳥先輩に二つ名をつけて欲しいなあ、とか」

「だめよ。二つ名は他の執行者たちの間で自然と付けられるもの。戒殺鬼のような二つ名は珍しいんだから」

「で、でも今のままじゃ【陸上部】になっちゃいそうなんですけど」 「いいんじゃないかしら。今までにない感じだわ」 「えー、格好悪いですよー」


 飛鳥は嘆く将を見て、くすっ、と笑った。静かだが、鈴の弾むような、これ以上ないくらいに楽しそうな笑みだった。


 熱い日差しの中、会話しながら歩いていき、駅前のポスト。

 飛鳥は封筒を抱えて、息を吸い込み、吐く。そして意を決して、手を震わせながらも妹への思いがこもったその手紙を投函した。


「よし! ちゃんとお返事来るといいですね!」

「ええ。あの父親のことだし、返事を書かせないかもしれないけれど、その時は直接会いに行くまでよ。絶対に沙津に会うわ。夏休みの予定が一つ決まったわね」


 やり遂げたが兜の緒を締めるように振舞う飛鳥の横顔。そこにはかつてのような、全てを跳ねつけるような色はなかった。

 それを将はじっと見つめる。

 一目惚れして、強い飛鳥と弱い飛鳥を知り、再び立ち上がる支柱となれたこの数ヶ月間、飛鳥への感情は日に日に熱さを増すばかりだった。飛鳥が将のことをどう思っているのかはわからないし、そもそもこんな自分を特別に好いてくれるなどありえるのだろうかと悩んでいた。

 それでも伝えたい。

 将は、初めて飛鳥の通行許可争奪戦を見て弟子入りを頼んだ日に言えなかったことを思い出す。

 鼓動が跳ねた。


「飛鳥先輩!」

「どうしたの?」

「ぼ、僕と」


 執行者の強い魂を手に入れた今なら。


「僕と付き合ってください!!」


 やっと言えた。






 ○






 駅は戦場だった。


 改札口で感じる“葛藤”

 改札口で生じる“敗北”

 改札口で湧き上がる“憤激”


 それらの全てを断ち切り、改札口を気持ち良く通らんとする者たち【(Exe)(cutio)(ner)】。

 誇りを持って改札口を通る彼らは、現代の神話を紡ぐ彼らは、いつまでも気高く戦い続ける。


 今日も二人の執行者は改札を通り、出口としてそこを去り――何の示し合わせもなく、何とはなしに一緒に振り向いた。


 通りたいから駆け抜け続けた、幾つもの日々。

 それを見守っていてくれた駅は、真夏の到来を予感させる強い日差しで光り輝いていた。


 二人は微笑んで、もう一度背を向ける。


 また明日。

 僕の、

 わたしの、

 執行者たちの――






 ――物語(Station)











〈 了 〉

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