2.A.That team is [MIYABI].
1.
「砕ッ!」
腰元まで伸びた、艶やかな黒髪をなびかせながら、少女はその手に持った刀で、襲い掛かる敵を凪ぐ。
やや傾斜の強い芝生の上を危なげなく駆けながら、別の相手が振り下ろす肉厚の両刃剣を躱すと、彼女は刀の間合いのやや外から躊躇うことなく剣を振るった。
その切っ先からは、ただの剣圧とは言えぬほど圧縮された衝撃波が繰り出され、剣を振り下ろしたばかりの敵を吹き飛ばす。
「さすがに、数が多い」
意志の強い光を湛えたその瞳で周囲を見渡しながら、小さく呟く。
周囲を見渡せば、今しがた倒した二人と同じ格好をした影がいくつもこちらへと向かってきている。
彼女の歳の頃は十五、六。
白いブラウスに灰色のミニプリーツ、黒いストッキング。そしてプリーツと同色のブレザーという格好は、彼女の年齢と相俟ってどうみてもただの女子高生のそれである。
「だけど――」
背は同世代の平均身長よりはやや高いが、鍛え上げられながらも均整のとれた身体付きは、モデルなどをやっているといっても通じそうなほどだ。
その身に纏う凛々しい雰囲気から、学校では異性よりも、同性からモテそうである。そんな彼女ではあるが、その手には明らかに学園生活では不必要だろうモノが握られている。
「邪魔をするなら、全て――切り散らすだけだッ!」
襲い掛かる相手を切り裂き、吹き飛ばすのに用いているのは複合金属で作られた刀。腰元にはそれを納める黒い鞘をくくったホルスターベルトを身に着けている。
「斬ッ!」
芝生を蹴り、正面の敵をすれ違いざまに一閃。斬りつけた相手の脇を抜けて、次の敵へと肉薄する。
「そこッ!」
続けざまに敵を倒して、こちらへと集まってくる敵を見据えた。
「次!」
彼女の両手には手首の先まで覆うような、丈夫なフィンガーレスの革手袋をつけられている。
穿いている編み上げブーツも、脛と爪先、そして踵に板金を仕込んだコンバットブーツだ。
おおよそ制服と組み合わせるには不釣合いな装備をした彼女だが、そのどれもが違和感なく見えるのは、その姿が板についているからだろう。彼女はこういった武装を日常的に身に着けているようだ。
そしてこの戦闘――これこそが、それらを身に着けている理由だろう。
彼女はここへ、戦いに来ている。
東京の旧東ニュータウン地区の中でも、かなり東側に位置する朱音沢公園。
道路と森の間に流れる小さな川に沿って作られた公園は、チリ共和国を思わせる細長い形をしていた。
かつては川を利用して、睡蓮やヒヤシンス、アヤメなどの水耕をしており、川の上にしっかりとした木製の桟橋を散歩コースとして添えられているような、美しい公園だった。
今もなお、この公園の管理関係者はその姿を守ろうとしているものの、現在は先程から少女を襲っている魔獣の住処となってしまっている。
彼女は仕事として、この公園に住む魔獣退治にやってきたのだが、多勢に無勢のような状態で、追い詰められていた。
「あんまり技を使いすぎると、公園のあちこち傷つけてしまいそうだし……」
衝撃波を撃ち出し、避けられたりしたら、川の上に作られた橋や、今もなお力強く行き続けている花々を散らしてしまいそうだ。
だが、だからと言ってチマチマと敵を切り散らしていてもジリ貧だろう。
「どうしようかな……?」
勢いだけでここへやってきてしまったことを少しだけ後悔しながら、それでも彼女は打開策を考えながら、園内を駆けて行く。
2.
「……ったく、ヒチリキのやつ。勝手に先行すんなって何度言えばわかるんだよ……」
公園で戦う少女――漆竹ヒチリキの様子を、公園傍の背の高い木の上から、双眼鏡で見下ろしつつ、銀の髪の少年が嘆息する。
「まぁまぁリュウちゃん。ヒィちゃんの独断先行なんていつものコトだから目くじら立てないの。元々悪い目つきがもっと悪くなっちゃうよー」
彼――白美リュウテキは、双眼鏡を目から離し、自分の横で、枝に腰を掛けている少女を見遣る。
「お前さ、もうちょっとこう……アイツ甘やかすのやめてくれねぇかな?」
「リュウちゃんがヒィちゃんに厳しいから、あたしはヒィちゃんを甘やかしてるんだよ?」
予想通りの返答に、リュウテキはやれやれと息を吐いた。
栗色の髪をした小柄な少女――鳳ショウという人物は、つまりはこういう人物であった。
常日頃からほぼノリだけで喋っているような奴だ。ああ言えばこう言う――それを体現していると言えばそれっぽいかもしれないし、ちょっと違うかもしれない。
何であれ、リュウテキにとっては良き友人の一人であり、頭痛の種の一つである。
「厳しいか?」
ショウは前髪は額を見せるように広く分け、長めの後ろ髪はうなじ辺りで折り返し、後頭部の辺りでバレッタで止めている。
「厳しいよ。滝に打たれる修行僧が夏なのにも関わらず、『うーわ。厳しッ』って呻くぐらいに」
その後頭部から広がっているかのような後ろ髪は、見ようによっては孔雀などが羽根を広げている連想する。あるいは束ね損なった爆発チョンマゲだ。
「例えが良く分からねぇ」
呻いて彼女を見遣れば、どこからともなく取り出したお菓子を食べている。それは別に珍しいことでなく、リュウテキの記憶が確かであれば、彼女は暇があれば常に何かしら食べていた。
「リュウちゃんも食べる?」
サクサクと軽快な音を立てながら美味しん棒|(チーズめんたい味)から口を離し、こちらに窺ってくる。
「いや。今はいい」
「そっか」
サクサク。もぐもぐ。
彼女との付き合いは長い。故に、これの中身が意外と知的でクールで、それに何度も救われている記憶もあるのだが、木の枝に腰を掛けてお菓子を食べているこの姿からは――
「どうにもなぁ」
「なぁに?」
「なんでもねぇ」
――まったくもって想像できない。
食べ終わったお菓子の袋は、どこからともなく取り出したゴミ袋へと入れ、やはりそのゴミ袋をどこかへと仕舞う。そして新しいお菓子を取り出すのである。
丈が大きく、シャツテールの長い白のドレスシャツ。その上には、袖口の広い黒のショートジャケット。下はホットパンツといった格好で、その服装を見る限り収納などはそう多くはない。完全に四次元ポケットを装備しているとしか思えなかった。
シャツとジャケットのカフスボタンは留めておらず、それどころか、シャツは第二、第三ボタン、ジャケットは第二ボタンだけしか留めていない。
その為、腹部などは丸見えになってしまっているのだが、本人曰く――
「あたしのスレンダーなお腹とおへそを拝めるんだからありがたがれ男ども」
――とのことらしい。
余談だが、後ろ姿からは何も穿いてないように見えるので、見慣れたリュウテキでも、時々ドキリとするのはナイショである。
リュウテキとショウ、そしてヒチリキの三人は、幼馴染であるのと同時に、《チーム「雅」》というパーティでもある。
そのチームワークというのは、まぁ見ての通りではあるのだが。
「ショウ」
双眼鏡でヒチリキの様子を窺いながら、なんともなしに名前を呼ぶ。
「なぁに?」
細く長いチョコスティックをハムスターか何かのように、カリカリカリっと口に入れてから、子リスのようにコクンっと首を傾げる。
そうしてリュウテキは、その返答をしっかりと聞いてから、投げやりに告げた。
「そのデコに落書きして良いか?」
「ショウの自慢フェイスに何するつもりッ!?」
わざと見せているその額をショウは思わず両手で押さえる。
「何って……八つ当たり?」
「ヒィちゃんに直接してよーっ!」
「それじゃあ八つ当たりじゃなくて、直当たりになっちまうだろ」
「当たり付きのお菓子あげるからそれで勘弁ッ」
「何をくれるんだ?」
「賞味期限が去年の駄菓子トンカツ?」
「食中りで許せとでも言いたいのかお前は」
「当たりには間違いないでしょ?」
「同時に外れも味わえて一石二鳥だな」
適当に軽口を叩き合い、気を取り直す。
「なぁ、あの魔獣って何なんだ?」
「知らないの? 【ナイトスピリット】って種類の魔獣だよ?
《時間外の訪問者》とも言われてる――何か幽霊っぽいんだけど、そうでもない魔獣の一つ」
「それは知ってる」
双眼鏡を覗いたまま、肩を竦めた。
その双眼鏡の向こうで、ヒチリキは走りながら、正面から来る砂色のナイトスピリットを切り裂き、振り向きざまに剣圧を飛ばして朱色のナイトスピリットを吹き飛ばす。
黒髪をたなびかせながら、刀を持って舞う姿は、和風戦乙女とか戦国姫将軍などと呼んでも差し支えないだろう。
凛々しく美しく、見る者によっては見惚れてしまってもおかしくはない。だが、現在それを見ているのは残念ながら幼馴染のリュウテキと、魔獣ナイトスピリット達くらいである為、見惚れるというのありえなかった。
「そういう一般知識じゃなくてだな、俺は博識なお前に語って欲しいんだがな」
「語る?」
「そ」
聞き返してくるショウに、リュウテキはうなずくと、ふむ――と彼女はお菓子を食べる手を止め、軽く思案顔をした。
「語っていいの?」
「……ああ」
目を輝かせるショウに、一瞬嫌な予感がし、リュウテキは訝りつつ、うなずく。
ややして、彼女は口を開いた。
「イケメン外人のパパさんから、シルバーブロンドと碧眼を受け継いで、そのクセ日本人顔っていうちょっと反則っぽいイケメン。目つきが悪いのがタマに傷。
手入れをしてるか怪しいツンツンボサボサ髪でちょっと前髪が鬱陶しいけど、わりとそれが似合ってるので許す。
身長はまぁ平均的? 百七十後半くらい。今の格好は柄シャツにフード付きの薄いパーカー。黒いロングパンツ。大き目のベルトとジャラジャラとシルバーアクセを身につけてるわりには、ピアスとか用の穴を身体に開けてないのは個人的にポイント高い。
今時、珍しくもなくなった特殊能力所有者。
ちっちゃい頃から狙わせてもらっているので、付き合うとかすっ飛ばしてそろそろ結婚してください」
ショウが語り終えるまで待ってから、こめかみをヒクつかせたリュウテキは、双眼鏡から顔を離し、嘆息してから呻く。
「お前は、何を語ってるんだ?」
むしろ、今のは力説かも知れないが。
「だって語れって……っていうか、最後の一行スルーッ!?」
「俺はスピリットについて語って欲しいんだがな」
「やっぱりスルーッッ!?」
何やらショックを受けているようだが、この辺りのやり取りはいつも通りなので、やはりスルーするリュウテキである。
ショウは何やらしょんぼりした顔でため息を付いてから、改めて顔を上げた。
「姿は、双眼鏡で見てる通り」
「ああ」
肉厚の剣を常に携えている――例外もいるようだが――人型の魔獣。
目深なターバンと、目元から下を全て隠すほどの顔布。胸当てのような鎧や、装飾なども含めて中東系のテロリストか暗殺者のようにも見える。
ターバンと顔布の間から覗く双眸は、確かにそれなりの知性を感じるが、それ以上に野生の獣のような印象が強い。
「あいつらって、ゴブリンとか獣人とかと同じ亜人系の魔獣なのか?」
「んー……なんか違うらしいよ。分類的には特異系」
特異系――ようするに、獣や魚などといった地球における既存の枠にカテゴライズが出来ない魔獣達がここに分類されている。
最近は、特異系の中でも比較的数が多く、分かりやすい姿をしたタイプには、新たな分類に振り分けられているようではあるが。
「まぁ遭遇から十年以上経ってるけど、生態は未だに不明。どういった環境を好むのかすら分かってないみたいだし。
斬ったり殴ったりすればちゃんと手ごたえはあるんだけど、真っ二つにすると中身が空洞らしいよ?」
「そこだけ聞くと幽霊っぽいけどな」
「だから、一応幽霊って呼ばれてるんだよ。
《時間外の訪問者》ってのも、幽霊のクセに昼間から活動してるからついた二つ名だし。
ちなみに息絶えると、剣や装飾だけ残して布の部分は消えちゃうみたい。
過去に捕獲したこともあったみたいだけど、何を食べるかも分からないから、閉じ込めっぱなしにしたら、気が付くと剣だけになってたって話もあったりして」
「餓死ってコトか」
「そう言われてる。なので、一応生物に分類して良いんじゃないかなぁ……って」
「ふーん。色が違うのには意味があるのか?」
「意味がっていうか、種が違う、かな?
わんこで例えると柴犬と秋田犬とか、そういうの」
「そこまで調べた奴がいることに敬意を払いたくなる」
布の色以外の違いがないのだ。考えようによってはただの個体差と思い込んでしまっても仕方がない。
ちなみに――
全体的に朱色なのがファイタースピリット。
全体的に蒼色なのがソードマンスピリット。
全体的に砂色で、剣の代わりに斧を持っているのが、グラディエイトスピリット。
全体的に白色で、剣の代わりに槍を持っているのが、パラディンスピリット。
――らしい。
「そんじゃあよ……黒いのは何だ?」
「黒? 今のところは四種しか報告がないはずなんだけど……」
首を傾げるショウにリュウテキは双眼鏡を手渡し、その黒いのがいる場所を教える。
「お。本当に黒いのがいるッ!? これは写真とってレポート書いて報告すれば、新種発見としてお小遣いゲット出来たりするかもッ!?」
興奮するショウを他所に、リュウテキは冷静に黒いスピリットに視線を向ける。
肉眼でも一応、黒いのがいる――程度の認識は出来た。
そして、その動きを追っていると他のスピリットと違うような気がして、リュウテキは訝る。
「あ。そろそろヒィちゃん助けに行かないとピンチかも」
双眼鏡を返してくるショウに、リュウテキは受け取りながら告げる。
それを覗き、一度ヒチリキの様子を見てから、彼は苦笑した。
「なんであいつ、散歩桟橋の方に逃げたんだ?
あの桟橋、迷路みたいになってるし、道幅狭いし、逆に立ち回り辛くなるだろうによ」
「だよねぇ……。あれじゃあ挟撃してくださいって言ってるみたいなモンだよー……。
あそこで挟撃されると逃げ辛いと思うんだけど」
「そこまで考えてないんだろ。あいつ、あれで意外と脳筋タイプだぜ?
黙ってりゃ、口うるさい知的な文武両道撫子美人なんだけどなぁ」
「なーんか矛盾した表現だけど、言いえて妙ではあるねぇ」
やれやれと、お互いに呆れたような笑みを交し合う。
「さてと」
手に持っていたお菓子を一気に食べて、ゴミを片付けて口を拭く。
そんなショウに、リュウテキは訊ねる。
「お? 行くのか?」
「うん」
「んじゃあヒチリキは任せた。それとたぶん、小遣いはゲット出来ないと思うぜ?」
「え?」
一瞬、キョトンとした顔をした後で、すぐに合点がいったのかガッカリと肩を落とした。
「そういうコト? でも、どうして平然と……?」
「お前の風に言うなら、ヒチリキが居れば扇風機要らずってヤツだろ」
「ってコトは、あの黒いのが要れば虫除け要らず?」
「それ、ちょっと違わないか?」
小さくツッコミを入れてから、まぁ良いと気を取り直す。
「俺はちょっと気になるコトあっから、そっち行くわ」
そう告げると、ショウは真顔で尋ねてきた。
「え? でもそれ、高確率で無駄足だよ?」
「可能性は零じゃないだろ。念には念をって奴さ。無駄足なら無駄足で良いんだよ。
俺、お前やヒチリキと比べると運動は得意じゃねぇしな。こういう仕事のが気楽だ」
「リュウちゃんのその発言は、全国の運動オンチさんに謝罪しないといけないレベル」
「うるせぇ。お前らと比べるとって言っただろ……。
いーからとっとと行け。こっちから合流すっから、状況が完了したらその場で待機な」
「はいはーい」
ショウは返事をすると枝の上に立ち上がる。
「それじゃあ。鳳ショウ。お仕事を始めまーすっ!」
ほいじゃあねーっ! と枝から飛び降りるショウを見送ってから、リュウテキも気合を入れるように顔を上げ、
「それじゃあ、俺も自分の仕事をするとしますかね」
小さく不適な笑みを浮かべると、
「チーム《雅》の仕事、開始だ」
そう呟きながら、ショウの後を追うように木の枝から飛び降りた。
3.
「どいてッ!」
目の前に居るソードマンとファイターを、ヒチリキは突風を起してまとめて吹き飛ばす。
十六年前、世界に魔獣が出現し始めるのと同時期から出現しはじめた、超常能力者。
それは世界の人々から、魔獣による混乱を切り拓いてくれる力だとされ、その能力を誰かが《開拓能力》と呼び始めると、それを使う能力者を誰かが《切り拓く者》と名付けた。気がつけばそれは定着し、今では一般的な名詞になっている。
ヒチリキもまた、そんな開拓能力者の一人だ。
「ああッ、もう!」
だが、その力を持ってしても、この状況を打破する手段が思いつかない。
散歩桟橋の上へと来てしまったが故に、突風や圧縮した風の刃を使いづらくなってしまったのだ。
出来る限り公園の景観を壊さないようしようとすると、この桟橋では風を使った大立ち回りが出来ないのである。
「ヒィちゃん!」
「ショウ!」
呼びかけられ、そちらに視線を向けると、ショウがどこからか持ってきたらしい折れ曲がった道路標識を引きずって、川岸にやってきていた。
ショウの手にしている道路標識が徐々に植物の蔦へと変化していく。
彼女もヒチリチと同じ、《切り開く者》だ。
「ヒィちゃん、パぁース」
完全に植物の蔦となった標識の端を踏みつけて、逆の先端をヒチリキに投げる。
それを握ったことをショウは確認してから、
「靴に風ッ!」
それだけ告げて、ショウは自分の能力――無機物の植物化――を解除した。
伸びた蔦は、ショウが踏んでいる部分を基点にして、元の標識に戻ろうとする。
結果、勢いよくヒチリキを引っ張る形になる。
「うわぁ、わッ、わわ、わっと……ッ!」
ある程度、予測していたとはいえ、その引かれる勢いに必死に体勢を整えながら、ヒチリキは水面を跳ねていく。
風を纏っているから沈まずにすんでいるのだが、気分はちょっとした水上スキーか、水切りだ。
「あ、着地したらすぐ手を離した方がいいよー」
間延びしたショウの言葉に従うように、岸に付いたヒチリキは慌てて手を離す。
すると、ヒチリキが握っていた部分は、鉄棒ではなく一方通行の標識の部分に戻った。あのまま握っていれば、怪我をしたかもしれない。
「危ない部分を握らせないで」
「その前に言うコトは?」
「助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。
ちなみに、そこを握らせたのは拳骨代わりってコトで」
「……もしかして、ショウってば怒ってる?」
「その反応は、なんで拳骨されるのかって分かってないみたいだねぇ」
こちらの言葉にキョトンとするヒチリキに、やれやれとショウは嘆息した。
「イチイチ全部やっつけてたらキリがないから、リーダーやっつけに行こう」
「リーダーがいるんだ」
「ヒィちゃんて、ほんっっっと、何にも考えてないんだねぇ」
「そ、そんなコトはない……つもり、なんだけど……」
尻すぼみになっていく言葉に、仕方ないなぁ――と、ショウは笑い、ポケットから一口チョコを取り出した。
「栄養補給は?」
「する」
ヒチリキは受け取ったチョコをすぐに口の中に放り込みながら、ショウに訊ねる。
「そういえば、リュウは?」
「この魔獣達に関して、気になるコトがあるからって、別働中」
「じゃあ、三人揃っての仕事だね」
ショウがその言葉にうなずくと、ヒチリキはさっきまで囲まれて焦燥に駆られてたとは思えないほど自信に満ちた笑顔を浮かべた。
三人揃っている。ヒチリキにとって、それほど心強いことはない。
「ヒィちゃん。さっきまでのは自業自得だからね」
「わ、わかってる」
ついつい独断専行してしまうのだが、それでもヒチリキはこの三人で一緒に動くのが一番好きなのである。
「ま、それはともかく――行くよ、ヒィちゃんッ!」
「うん! 案内よろしくッ!」
うなずき合うと、二人は同時に地面を蹴った。
こちらの意図に気が付いたのか、何体かのスピリットがこちらの道を阻もうとしてくる。
だが――
こちらが向かっている先は、散歩桟橋の上ではないし、花壇なども周囲に無い草むらである。
ならば、
「ショウ。私の後ろへ!」
刃を構え、意識を集中する。
距離はまだある。後ろ追いかけてくる敵もまた距離がある。
これだけ集中出来る余裕があるのであれば、これで――ッ!
「空刃・桜乱ッ!!」
振りぬいた刃から無数の風の刃が放たれて、正面から来るスピリット達を一気になぎ払った。
「これだけ力を溜める余裕があるなら、これくらいはね」
「ドヤ顔してるとこ悪いけど、ゆっくり集中出来る状況が必要なのと、タメが長いのが、その技の今後の課題だよね?」
「な、なんか今日のショウは格別厳しい」
しょんぼりとするヒチリキの背中を軽く叩き、ショウは改めて走り出す。
それを追って、ヒチリキも駆け出した。
「お、居た居た!」
ショウは自分に迫ってくるファイターを蹴り飛ばしながら、ターゲットを確認する。
そのショウを背後から襲おうとしているパラディンを切り裂き、ヒチリキは、ショウの視線の先にいる相手を見遣った。
「黒いスピリット?」
「そ。あれがリーダーだよ。
あ、でも確かめたいコトあるから、ヒィちゃんは黒いの以外をお願い――ていうか、黒いの傷つけるの禁止ね」
相棒の言葉に、ヒチリキはとても困った顔をして、訊ねた。
「まとめて吹き飛ばしちゃダメ?」
「黒いの以外をまとめてやれるのならどうぞ」
見れば、黒いのを守るように他のスピリットは陣形を作っている。
中心に黒いのが居る以上は、周囲だけ吹き飛ばすのは難しい。
「それはちょっと……」
残念そうに肩を落としながらも、自分の役目を認識したヒチリキは、刀を構えて駆け出した。
黒いのを守るべく、一歩踏み出してきたグラディエイトを切り裂く。
改めて黒いヤツを狙う素振りを見せれば、別のソードマンが前に出てくる。
「《黒衣の霊騎士》を守る、その心意気は買うけど……!」
そして、前に出て来たソードマンを切り裂く。
人型をしている上に得体の知れなさがある魔獣なので、やや怖くはあるのだが、戦闘力としてはさほどではない。
引き付けながら倒すのは、そう難しいことではないのだが――
(それでもやっぱり数が多い……。
何をしたいのか分からないけど、早めに終わらせてくれないとジリ貧だよショウ……ッ!)
4.
ファイターが振り下ろす肉厚の両刃剣を躱しながら懐に潜り込み、
「それっ!」
ショウは下から突き上げるように、肩のやや背中側部分でタックルを決める。
吹き飛ばしたファイターから視線を外し、すぐに《黒衣の霊騎士》へと向き直る。
ヒチリキが踏み込むフリをしたことで、ソードマンが一匹、彼女へと向かって行くのを確認すると、ショウは少し大回りをしながら、《黒衣の霊騎士》へと接近していく。
だが、途中に横からパラディンが槍を突き出して来て、慌ててそれを避ける。
「ああ、もうッ!」
その間に、《黒衣の霊騎士》はショウから離れて行く。
すぐにグラディエイトも近寄って来てしまった為、闇雲に追うのは少々危険が伴うだろう。
「とりあえず、キミ達をぶっ飛ばすから覚悟してよね!」
二匹のスピリットを見据えながら、ショウは構えた。
「破ぁ――ッ!」
裂帛の気合と共に、ヒチリキは振り下ろされた槍を断ち、そこから一歩踏み込むと、風を纏った掌底を繰り出してパラディンを吹き飛ばす。
すぐさま身体を捻り、背後から来るファイターへ蹴りを放ってバランスを崩させてから、もう一体のファイターへ刃を突き出した。
鮮血が出ないのはありがたい――そんなことを思いながら刀を引き抜き、蹴り飛ばしたファイターが体制を立て直したところを両断する。
もちろん、そこで一息など付く間もなく、次のスピリットがやってくる。
背後から剣を振り下ろされる気配を感じて、横へ向かって飛ぶ。即座に反撃をしようとして、見れば《黒衣の霊騎士》だった為、手が止まる。
(傷つけるなって言われても……)
こちらを追いかけて踏み込んでくる《黒衣の霊騎士》に、ヒチリキは思わず舌打ちした。
チラリとショウに視線を向ければ、何体かのスピリットに囲まれて身動きがとれなくなっているようだ。
(埒が開かない……。だけど、ショウが調べたいコトがあるって言っている以上、ヘタに攻撃してしまうのも……)
振り下ろし、振り上げ、突き。
それらを、流し、捌き、躱す。
(ショウをフォローして、相手を交代する――その為には……)
このまま纏わり付かれては動くに動けない。
多少、ショウの指示から外れる形になるが――
袈裟懸けに振り下ろされる《黒衣の霊騎士》の刃をヒチリキは自身の得物で受け止め、刀身を傾けることでベクトルを変え、威力を流す。そのまま相手の刃を自分の刀の上で滑らせ、相手の体勢を崩すと、ヒチリキは全身でぶつかっていく。
文字通りの当て身技ではあるが、本来の意味である急所狙いとは真逆の攻撃。
体当たりをして相手を突き飛ばし、間合いが離れたところで離脱する――そのつもりでの攻撃だったのだが……
(……ん? 感触が違う……?)
相手にぶつかった時、違和感を覚えた。
他のスピリット達とは明らかに違う。今のはまるで――
(そうか。それを確かめたいんだッ!)
その違和感のおかげで、ヒチリキはショウが何をしたかったのかに気がついた。
すぐさまヒチリキは、尻餅を付く《黒衣の霊騎士》の手から落ちた剣を遠くに蹴り飛ばし、その喉元に自身の刃の切っ先を向ける。
「こちらの言いたいコト、分かる?」
肯定する素振りこそなかったものの、スピリット達の動きが明らかに鈍った。
それにヒチリキは軽く安堵し、ショウへと首だけ向ける。
「ショウ。これで良い?」
「ナイス! ヒィちゃん!」
ショウは戸惑うスピリット達の間を抜けて来ながら、ヒチリキに親指を立てる。
「お? 丁度終わったところか?」
「リュウ。うん――一足遅かったね」
「別に肉体労働しなくて良いならそれに越したこたぁないけどな」
一見、ダラけた様子ながら、いつスピリットに襲われても良いように隙無い。リュウテキはそのままが公園の奥からやってくる。
「どうだった、リュウちゃん?」
「んー? 無駄足?」
やれやれと言うような仕草をして見せるものの、その様子は別に気にしていないようだ。
「やっぱりねぇ。なーんか、友達とか少なそうだし。単独だとは思ってたけど」
「だよなぁー」
二人の会話の意味が分からないので、ヒチリキは眉を顰める。
そこへ――
「わ、わるかったなぁ!」
《黒衣の霊騎士》が、いかにも女の子然とした声を上げて、ヒチリキは思わず剣を引いた。
「え?」
「お? 可愛い子な予感!」
それにいち早く反応したショウは、そのターバンに手を伸ばす。
「あ!」
取られる――そう直感したのだろう。
《黒衣の霊騎士》は咄嗟に頭の布を押さえるが……ショウはニヤリと笑った。
「その腋、もらった!」
言って、その腋の下をちょんちょんと突付く。
「ひゃう!」
ぴくん、と反応し手の力が緩んだ隙を付いて、ショウは改めてそのターバンを狙う。
「しまった!」
時既に遅し。
ショウによってターバンは外され、その下からは短く切りそろえられた、透き通るような金の髪が零れ落ちた。
ターバンの下から現われたのは、きめ細やかな白い肌の、こちらよりも明らかに年下の少女の顔。
「すげぇ手際。お前、犯罪とかしてないよな?」
「嫌だよショウ? 幼馴染が痴漢常習犯とか?」
「親友達はショウのコトをどんな風に見てるのッ!?」
「剥いておいて、わたしのコトは無視ッ!?」
思わず声を上げる《黒衣の霊騎士》に、ショウはわざとらしくじゅるりと口から音を立てて向き直る。
「じゃあ、剥いたからには責任もって食べちゃうけど良い?」
「え……?」
いやらしく細められたショウの眼差しに何かを感じたのか、《黒衣の霊騎士》は怯えたように後退った。
その光景を見ながら、リュウテキとヒチリキは遠くを見るような眼差しで告げる。
「お前、やっぱり……」
「ショウ。私たちはいつまでも友人だよ……」
「待って待って待って~! 二人ともッ! 誤解だからッ!! 冗談だからッッ!!」
ヒチリキは、涙目で抱きついてくるショウを面倒くさそうに引き剥がしながら、少女を見る。その赤い瞳を潤ませてこちらを見上げてくる《黒衣の霊騎士》の姿に、何とも言えぬ罪悪感を覚え、思わず呻いた。
「なんかこっちが悪者みたいだ」
「それは気分だけだから気にすんな」
そんなヒチリキを軽く小突いて、リュウテキは《霊騎士》の正面に、ヤンキーのように腰を落とす。
「とりあえず、名前は?」
《黒衣の霊騎士》はリュウテキ、ヒチリキ、ショウの順に視線を巡らせた後で、勘弁したように、自らの名を告げた。
「ベル……大吠ベル」
「金髪赤眼色白ロリッ子霊騎士ベルたん!」
「ショウ少し黙ってて」
テンションを上げるショウの脳天にヒチリキは手刀を振り下ろす。
「まぁむさいオッサンよりもずっと良いじゃねぇか」
背後のやりとりに、リュウテキは苦笑する。
「それにしても、ショウとリュウはこの子のこと気付いていたの?」
「ん? まぁ、正体はともかく、中に人間いるんじゃねぇかなぁ――くらいはな」
告げると、ヒチリキは感心したように納得した。
「ほいでほいでー。ベルっちってば、何でこんなコトしてたのー?」
「ベ、ベルっち……?」
失礼なまでに馴れ馴れしくフレンドリィなショウのノリに、ベルは若干表情を引き攣らせる。
「馴れ馴れしくてごめんね。だけど、私もそれは疑問に思ってる。
もしよければ、答えてくれないかな?」
だが、ベルはショウからもヒチリキからも視線を逸らして口を噤んだ。
「まぁ推測だけどよ」
このままでは何時まで経っても答えてくれないだろうと判断したリュウテキは、前置きをしてから、ベルの代わりに答えた。
「この公園を守ってたんだろ?」
目を見開いてリュウテキの顔を見るベル。
背中越しには、ショウとヒチリキの驚いた気配も伝わってくる。
「ざっと公園を見て回って来たが、スピリット以外の魔獣は居なかった。
スピリットによってはその手の得物で、雑草や無駄に伸びた枝の剪定もしてたしな」
「なら……なんでスピリット達は私を襲ってきたの……?」
困惑するヒチリキを、ベルはキッと睨み付けた。
「ま、魔獣バスターが、この子達を見るなり、問答無用で、襲い掛かってくるからッ!」
きっとその言葉は、ヒチリキには一番の予想外だったのだろう。
「だけど、魔獣は――」
「魔獣の全てが……人を襲う怖いやつだって……誰が決めたの?」
何か言おうとしたヒチリキの言葉を遮って、ベルが問い掛ける。
余り人と喋り馴れてない感じのする、どこかたどたどしい口調ではあるが、真っ直ぐにヒチリキに向けた視線とその小さくも力強い声に含まれる、彼女の強い意志を、ヒチリキのみならず、リュウテキとショウも感じ取っていた。
そして、ベルの問いに、返答が思いつかず言い澱むヒチリキに、リュウテキとショウは苦笑を浮かべる。
十六年前に発生し、世界中を混乱に陥れたユニゾン・ザ・ワールドと呼ばれる怪現象。
その直後に湧き始めた魔獣達は、人間の住む土地を蹂躙して回っていた。
それにより、地球の人口は激減。
それでも人々は懸命に、様々なものに立ち向かい、そして今はようやく――先進国を中心に状況が落ち着いてきたところである。
「まぁ確かにな。十六年経った今でも、まだ魔獣に関しての調べが付いてないし、魔獣被害も多い」
「日本に限らず、魔獣に対するストレスは、一般の人達の中に結構あるからねぇ……。
バスター達が大物倒せば英雄扱いされるし、自国の自慢になるし、それで国民のストレスが和らぎ、暴動が減るなら、国としては万々歳なんだろうけどさ」
初めは各国の政府が対応していた魔獣退治であるが、その数や事件の発生数から、民間に委託され、事業となり、魔獣バスターという職業が認められた。
完全実力主義のこの仕事は、年齢も主義主張も関係ない。強いて言えば、対魔獣戦に有用な者達が多いので、主に《開拓能力者》が中心となり、行われている――くらいか。
魔獣は悪。
別に魔獣バスターでなくとも、その理論でもって魔獣を敵視している人達が、今の世論では多数派であろう。
「で、でも……魔獣に食べられちゃったり……殺された人たちも……」
ヒチリキもそうだ。純粋で真面目で――だからこそ、自分は正義の味方だとでも思っていたのかもしれないが。
「少なくとも、それは、スピリット達、じゃないから」
「確かに【魔獣】ってのは【動物】や【魚】なんかと同じ総称みたいなモンだからな」
「そもそも【獣系】だとか【亜人系】だとか【不定形系】だとか、そうやって分類もされ始めてるんだから、そろそろ【魔獣】全てではなく、凶暴な種族や個体に、ターゲットを絞る頃合なのかもねぇ」
「リュウもショウも、何でそんな冷静に……」
ヒチリキの問い掛けに、二人は特に答えなかった。
ただ単純に、二人とも深く考えたことはないものの、だが決して考えなかったわけではないから――それだけだ。
もう一つ付け加えるのであれば、魔獣バスターが決して正義の味方ではないということを二人は理解していたから、かもしれない。
「この子達は、仲間意識が、強いの。だから、仇討ちとか、しようとする。
確かに、喋ったり、鳴いたり、しないから分かり辛いけど、でも……結構、気の良い子達、だから」
周囲を見渡しながらそう言うベル。
ヒチリキは呆然と自分の両手を見下ろしている。
何を考えているのか、手を取るように分かるな――リュウテキとショウは、やれやれと嘆息した。
「ベル。お前の開拓能力は、こいつらに言うコト聞かせるってコトで良いか?」
「……正確には、違うけど、うん……間違っては、いない」
「じゃあ問題ない、かな?」
「だな」
悩めるヒチリキは脇にやり、二人は互いにうなずき合う。
「ねぇねぇベルちょん。ここにいるスピリット達は、絶対に人を襲わない?」
「少なくとも、わたしと、自分達と、公園に危害が、なければ」
それは絶対だと言う強い意志を瞳に籠めて首肯するベルに、リュウテキはOKとうなずき返す。
「なら、これ以上俺たちは戦闘を望まない。スピリット達にも危害は加えねぇと約束しよう。
俺たちは公園の管理人達から、ここを解放してくれと頼まれたんだ。この公園に対する害意がないなら、俺たちの仕事もここまでだしな」
そう告げてリュウテキは立ち上がると、ベルに手を差し伸べる。
その手をしばらく見つめてから、
「信じる」
ベルはその手を取った。
「悪いがベル。公園の入り口まで一緒に来てくれ。
ここの管理人たちが、そこに停めてある車で待機してる。
お前がスピリット達と一緒にこの公園を守るって言うんであれば、それを説明してくれ。たぶん、管理人達も公園を守ってくれるヤツを悪いようにゃしねぇだろ」
「うん。わかった」
先行して歩き出すリュウテキに、ベルが付いていく。
それを見ながら、
「ヒィちゃん。置いてかれちゃうよ?」
ショウがそう言うと、どこか覇気なくヒチリキはうなずく。
「うん……」
それを確認してからショウがゆっくり歩き始めると、ヒチリキもその横に付いた。
「ねぇショウ」
「ほーい?」
「私、何のために戦ってるのかな?」
「その答えを他人に求めたら、それはもうヒィちゃんがヒィちゃんで無くなるだけだよ」
「……やっぱり、今日のショウは厳しい」
「リュウちゃんだったらもっと冷たく返しただろうけど」
そういう意味では、自分に訊いて正解だと微笑み、ショウは続ける。
「ヒィちゃんは真面目だもんねー……まぁいっぱい悩めば良いんじゃないかな。
でも、この手の問題にすぐ答えを求めちゃダメだよー。
あたしとリュウちゃんだって、何とか割り切ってるだけで、別に悩んでないワケじゃないし、答えを見つけてるワケでもない」
そうは言うものの、ヒチリキがこのままなのはよろしくないと思ったショウは、軽く思案してから、訊ねた。
「ヒィちゃんは、これからスピリットと戦う時があったら、戦える?」
「わからない。気の良い魔獣なんて言われたから……」
「あたしとリュウちゃんは……戦うよ」
「え?」
「もちろん。この公園のスピリット達とは、問題が起きるまでコトを構えたりしないと思うけどね。
ここでない場所で――それこそ、住宅街にやってきたのが、剣を振り回してたりしたら、間違いなく殴る。
……ヒィちゃんは、そういうスピリットも見逃しちゃう気?」
「…………」
「ようはそういうコト。
全部纏めてひっくるめて考えようとするから悩んじゃうの。とりあえずは、目先のコトを最優先して判断するしかないっしょ?」
「そう……だね」
「――っていうか、ヒィちゃんはそもそも悩むなんて難しいコトするより先に身体が動いちゃうタイプじゃん?
だったら、悩むよりも思うがままに動いて、動きながら答えを見つけるのが一番なんじゃないの?」
頭の後ろで手を組んで、気楽な口調でそう言うショウに、ヒチリキは肩の力を抜いたような笑顔を浮かべてうなずいた。
「そうだね。うん、そうする」
「よしよし。いつものヒィちゃんスマイル。それそれ。笑顔って大事だよー」
「ショウはいつも笑ってるね」
「笑ってればだいたい何とかなるって思ってるからねー」
「……ベルに、スピリット達を斬ったコト、謝ってくる。
偽善だとか、調子が良いとか思われるかもしれないけど……そうしないと気がすまないから」
「うん。行け行け~。思ったように動く方がヒィちゃんらしいしね」
駆け足でリュウテキ達のところへ向かうヒチリキの背中を見送りながら、ショウはどこからともなく、チューブ入りゼリーを取り出した。
その先っちょを口に咥えながら足を止める。
そして、後ろに振り返り、戦闘の後片付けを始めているスピリット達を見ながら独りごちた。
「なーんて……ヒィちゃんには偉そうなコト言ったけど、ベルるんの言葉は、ショウにだって相当な悩みの種になっちゃたみたいなんだけどね」
ユニゾン・ザ・ワールドから十六年。
ただ魔獣を退治してるだけではダメな時代が来ているのかもしれない。
そんな中で、《切り拓く者》である自分に何が出来るのだろうか。
開拓能力を持たない人は、何が出来るのだろうか。
しばらく足を止めて考えていたが、今この場で答えが出てくるものではないだろう。
「なーんて、カッコ付けた所で、ショウ達程度が何か出来るワケじゃないんだろうけどさ」
肩の力を抜き、軽く嘆息して、再び歩き始める。
顔を上げて見ると、正面でヒチリキが手を振っていた。
「まぁショウだって、悩むより動いてた方が気楽、かな」
そう独りごちてから、ショウは気を改める。
ヒチリキに手を振り返し、いつも通りの笑顔を浮かべ、ショウは彼女の元へと走り出すのだった。
5.
「ベル!」
名前を呼びながら駆けてくるヒチリキに、リュウテキとベルは足を止めずに首だけをそちらへ向けた。
「……なに?」
「えっと……あの……ごめん」
「……何が?」
ベルの横に付いて、謝るヒチリキに、困ったように眉を顰めてみせる。
「君のスピリット達を斬ってしまった」
その言葉に、ベルは少しだけ思案するように沈黙した。
ややして顔を上げると、
「気にしないで」
ベルはヒチリキにそう告げた。
「いいの?」
「あの子達は……核みたいのがあって、そこが傷つかない限りは、しばらく姿を消して、動かなくなる、だけだから。
それに――わたしも、黙ってこういうコトしてたから……誤解されちゃったんだと、思うし」
「そう」
ヒチリキは空を見上げ、軽く深呼吸をした。曇った気分を変えるように。
「リュウ。今回の件、報告書には……」
「不幸なすれ違いって書いておくさ。
ついでに、公園のスピリット達に関しては人を襲わないとも書いておく。
もし、それでもスピリット達をどうにかしたいのであれば、俺たちか管理人達を通せって、おまけも書いておいても良いくらいだな」
そう答えるリュウテキに、ヒチリキは安堵したような笑みを浮かべる。
ベルもまた、そんなリュウテキを不思議そうに見上げていた。
そんなベルの頭を軽くぽんっと叩いてから、リュウテキはどこかシニカルな笑みを浮かべて唄うように、言葉を紡ぐ。
「俺たちは生まれた時から魔獣が居たし、生まれた時から空ってのは紫と青の斑模様だ」
ベルに言い聞かせる――というよりも、ベルとヒチリキに自分の胸の裡を明かすような、そんな様子だ。
「でもよ。昔に撮られた映画とか写真とか見るとさ、紫なんてない――いや、ちょっと違うな――あー……マーブル模様なんかじゃなく、ただ青や赤が一色。あるいは滑らかなグラデーションだ。そこに雲の白があって、綺麗なんだよな」
リュウテキはベルの頭に乗せていた手を上着のポケットに戻して、天を仰ぐ。
彼に釣られるように、ヒチリキとベルは空を見上げた。
雲ひとつ無い晴天だ。マーブル模様に様相を変える空は、ヒチリキとてもう十六年間見続けてきた見慣れたものである。
「この公園もそうだ。
俺たちには何の思い入れもねぇけど、だいたい二十歳以上の人達には色々あるんだろ。
ユニゾン・ザ・ワールドの直後、人がたくさん死んで、人の住むところを魔獣に追われて、それでもここ数年で情勢は落ち着いてきたらしいし、その過程で魔獣を倒す希望が生まれた。
そうやって落ち着いてきたからこそ、帰りたくなってきたんだろうな」
あの歴史の転換地点ともいえる出来事以前の生まれか、以後の生まれか。
それによる、かつての世界へ馳せる思いの差は、きっと今を生きる人達の中でも大きい溝なのかもしれない。
「ここの管理人さん達もそうなんだよ。公園を取り戻したい。だけど自分達じゃ魔獣に敵わない。だから、バスターに依頼する。
とはいえ、バスターは自分達より若いのばっかりだ。それが悔しいんだとさ」
だけどそれでも、リュウテキはそんな人達の力になりたいと、思っている。
映像記録などで見る、あの突き抜けるような青い空を自分の目で見てみたいと思っているから。
「それでも、頼らざるを得ないから、思い切り俺たちのコトを心配しながら、頭を下げてきた。
そんなオッサン達を見て、ヒチリキはジッとしてらんなくなったんだろ?」
こくん、とヒチリキはうなずいた。
「わたしも……そう」
「ベル?」
「パパとママ……この公園で会ったんだって。
ここの川に、綺麗なお花が一杯咲く季節に、絵を描きに来てたママが、足を滑らせて川に落ちたパパを助けたのが、切っ掛けだったって……」
そうか――とリュウテキとヒチリキはうなずく。それ以上は、何も言わなかった。
ベルの雰囲気から、その両親は今どうしているのか――それに漠然と気が付いた。
そして――そういうことは今のご時世、余り珍しいものではない。残念なことではあるのだが。
「だから、守っていたの?」
「うん。川がお花で、一杯になるところ、見たくて」
「ならなおさらだ。そのコトを管理人さん達に言ってやれ。
花が満開になった公園を見たいだなんて、オッサン達、喜ぶと思うぜ」
「……うん」
小さく、だけど歳相応の可愛らしい笑みを浮かべてうなずくベルの頭に、ヒチリキは手を乗せてやる。
くすぐったそうにするが、嫌ではないようだ。
何となく年下の妹が出来た気分で、ヒチリキも小さく微笑んでいた。
「そういや、ショウは?」
「ん? ええっと……まだ後ろかな?」
ベルから手を離し、ヒチリキは振り返ると、ショウはのんびりと歩いていた。
そんなショウにヒチリキは大きく手を振ると、それに気が付いたショウが手を振り返してから、少し歩く速度を早め出した。
「ベル。俺たちの連絡先を教えておくからよ。何かあったら連絡くれ。可能な限りは協力してやるからさ」
「いいの?」
「アフターケアもしっかりとやるのが、顧客を増やすコツってな」
そう笑ってから、リュウテキは再びベルの頭に手を置いた。
「まあ、ビジネス抜きにしても。ベルとは仲良くしたいと思ったんだけどな?」
「……ともだち……ってコト?」
「ああ――そうかもな」
うなずいてから、リュウテキは自分を示した。
「俺はリュウテキ。今こっちに向かってる背の低いバカっぽいけど実は頭が良いのがショウ。 んで、ここでショウに向かって手を振ってる背の高い頭良さそうだけど実はバカなのがヒチリキ」
「ちょっとリュウ。その紹介、トゲがある。
……もしかして、リュウも怒ってる?」
「さぁな」
「やっぱり!?」
素っ気無くそっぽを向くリュウテキに、ショックを受けたように叫ぶ。
そのやり取りに、クスクスとベルは笑う。
そして、ショウと合流したところで、ベルは改めて告げた。
「あの……改めて。
わたし、ベルです。大吠ベル……。よろしく」
そう名乗るベルに、三人は同時に手を差し伸べて、声を合わせた。
『こちらこそ』
6.
バスター業務斡旋所・旧東ニュータウン地区出張所。
出張所――などと名乗ってはいるが、元は大学だった場所である為に敷地面積はそれなりに大きく、事務所や斡旋受付のほかに、小規模な診療所。食料や武器などを取り扱うマーケットも敷地内に存在していた。
この辺りの土地は自然公園が多く、そこを寝床にしている魔獣が多く生息しているため、住民の多くは引越しを余儀なくされているのだが、中には引越しを頑なに拒む者も少なからずいる。
ここのマーケットはそういう人達の為に解放されてもいるので、斡旋所の敷地は普段から結構な賑いをみせていた。
「でも良かったね。管理人さん達、嬉しそうだった」
「ベルべるも、おっちゃん達が良くしてくれてるみたいだし」
「ああ。あいつも結構無茶な生活してたみたいだしな。
オッサン達のおかげで、その辺りも改善されるかもな」
マーケットや、マーケットに買い物に来ている人達をターゲットにした食べ物屋台の誘惑を乗り越えて、リュウテキ達は斡旋受付の建物へと向かう。
「うーん、いつ来て門からここまでの道のりには誘惑が多いねぇ」
いつの間に買ったのか、フランクフルトを食べながらそう呟くショウ。
「思い切り誘惑に負けてるじゃないか、もう」
「おおいつの間に!」
ヒチリキのツッコミに、ショウはわざとらしく驚く。ちなみにリュウテキは完全にスルーしている。
彼が反応してくれないのが面白くないのか、ショウは少しだけ思案してから――
「リュウちゃんリュウちゃん」
「あぁん?」
どうせロクでもないネタだろうとは思うが、さすがに声を掛けられると反応せざるを得ない。
少しだけ面倒くさそうに、リュウテキはショウへと向き直る。
するとショウは少し深めに咥えていたフランクフルトをゆっくりと口の中から引き抜く。今度はそれを立てると、食べかけのフランクフルトの半ばほどに舌先を触れ、下から上へと舐め上げる。それを終えた後、彼女はこちらへウィンクを一つ投げてきた。
「……………っはぁー……………………」
それに対してリュウテキはわざとらしく、そして大げさに、深々と嘆息を漏らし、斡旋受付所のドアへと手を掛けた。
「うわスルーよりもショックな対応ッ!?」
「ある程度の予想出来てたでしょ。
……ところでショウ。今の何か意味があったの?」
「うんさすがはヒィちゃん。出来ればそのままのキミでいて」
「?」
自分の背後でアホなやり取りをやってる女性陣を無視して、リュウテキはドアを開けて、さっさと報告受付カウンターへと、足早に向かっていく。
「あ、リュウちょっと待って」
「二人ともショウを置いてかないんで~」
慌てて二人が追いかけてくるが、リュウテキは特に足を止めないまま、どんどんと奥へ進んでいくのだった。
斡旋受付の建物は意外と広い。
最初はただ魔獣を退治するだけ仕事だったのだが、次第に事業が拡大していき、今では半分何でも屋のようになっている為、受付が細分化してしまった結果だ。
一般の人からの依頼や、魔獣退治以外の仕事を非バスター用の依頼として取り扱ってたり……とにかく手が足りないものを依頼として受付し、仕事として斡旋する。
そうしているうちに、受付が一つでは回らなくなってしまったのだろう。
ちょっとした病院か市役所か――と言うようなロビーを抜けて、三人は二階へと向かう。
「どもー」
「はい、こんにちわ」
二階の報告受付カウンターに座ってる顔なじみのお姉さんに、リュウテキは挨拶しつつ報告書とライセンスカードを提出する。
「仕事終わりっす。
無事に解決はしたんすけど、ちょっとややこしいコトになってるんで、報告書で質問あるなら、早めにお願いします」
「はい。かしこまりました」
「それと手配書のこいつ。その報告書に出てくるヤツのコトだと思うんで、急いで手配の解除を頼みます」
持っていた手配獣リストの《ダークナイトスピリット》に赤丸をつけ、それも一緒に手渡す。
「承りました。では報告書の確認をしますので、館内で少々お待ちを」
「うっす。よろしくおねがします」
リュウテキは軽く頭を下げて一度カウンターから離れると、周囲を見渡す。
そして、待合用ソファに座っているヒチリキとショウを見つけると、そちらへと向かった。
「確認待ち?」
「ああ」
「ぱぱっと済めば良いけどねー」
「ベルのコトもあるからな。今回はちょいとどうだか……」
一応、リーダーはヒチリキということになっているチーム《雅》ではあるのだが、報告書の作成と提出はリュウテキが任されている。
ヒチリキは細かいところまで真面目に書きすぎる為に報告書をあっというまに浪費してしまう上に、誤魔化さなければならないところなど、誤魔化すことが出来ないのだ。
ショウは逆に適当すぎる。どうでも良いところはちゃんと省略するのだが、必要な部分まで省略してしまうのだ――もっとも、そこに関しては若干故意が含まれているとリュウテキは睨んでいる。
そういう理由で、結局リュウテキがやるのが一番マシな報告書となるのである。
とはいえ、一人で書いているわけではなく、まずリュウテキが書き、それを二人に見せて、二人に必要箇所を訂正してもらい調整する。
面倒くさいのだが、これも仕事なのだからと、リュウテキは割り切っていた。
「そういや、報告書の用紙がなくなりそうだからちょいと下で買ってくる。二人はどうする?」
「私達も待ってるだけはヒマではあるね」
「じゃ、リュウちゃん付き合おう。ラブい意味でも良いよ?」
「りょーかい。んじゃ行くか」
二人にうなずきさっさと歩き始めるリュウテキの背中を見ながら、
「やっぱスルー……」
ショウが残念そうに呟く。
「言い過ぎてもうただの口癖扱いされてるんじゃいの?」
そんなショウにヒチリキは苦笑しながら立ち上がるのだった。
そういう言葉を冗談でもストレートに口に出来るのを羨ましいと思いながら。
7.
斡旋受付棟の一階にある売店を一言で言い表せば、病院の売店っぽい――だろう。
品揃えもだいたい似たようなものだ。リュウテキ達のように待ち時間を潰す為だけに存在しているだけなので、品揃えなどもそう良いわけではない。
そもそも、買出しや補充、買い食いなども含めて、外のマーケットでやれば充実させられるのだから、ここを無理して使う必要はないのだ。
それでも、菓子パンやメモ帳のようなちょっとしたものには事欠かないので、わざわざマーケットに行かずとも、受付ついでに買っておこうという客も少なくはないようなので、赤字ではないのだろう。
また、バスター達が仕事で使う専用の報告書などはここで売っている。大半のバスターが売店に来る目的はそれだ。
「おばちゃん、タイプBの報告書、五十枚刷り二セット」
「あいよー」
リュウテキはここの売店のおばちゃんとの顔見知りなので、このやりとりだけで購入できるのだが、そうでない人たちはおばちゃんにバスターライセンスを見せる必要がある。
捏造や偽の報告書は、確認の時にだいたい弾かれるが、万が一にでも通ってしまった場合、ただ斡旋所がお金を騙し取られるだけでなく、その虚偽の報告によって魔獣被害が拡散する可能性があるのだ。
ゆえに、報告書は店頭に並んでおらず、カウンターで直接頼む必要がある。
「はい。二セット。千二百円ね」
「どうも」
お金を支払い、それを受け取る。
「しっかし、リュウ君は相変わらず両手に花なのねぇ」
「あー……確かに花かもしれねぇっスけど、あれっスよ?
ラフレシアとか食虫植物とか、そういう類。綺麗な薔薇のトゲなんて生温い」
「思い切り睨まれてるよ?」
「おっと……口が滑った」
苦笑するおばちゃんに、リュウテキはそう言って肩を竦める。
「まったくわざとらしい」
その返答に、あっはっはとおばちゃんは大笑いをしてから、彼と、そして彼の後ろにいる二人へと笑いかける。
「三人とも、大怪我したり死んだりしたりだけはしないでおくれよ?
おばちゃん、チーム《雅》のファンなんだからさ」
「そのココロは?」
ショウが茶化すとおばちゃんは豪快に笑って告げた。
「イケメンと美少女の三人組。しかも、生意気盛りでもいい歳の子供達が、意外とおばちゃんおじちゃんに愛想が良いッ!
私以外にも年配ファンが多いんだよアンタ達は! そんな有名チームと仲良しなんだから、言いたいコトくらい言わせておくれよ! ファンの代表としてさッ!」
「ほ、褒められるのは悪い気はしないんですが……」
何やら恐縮しているヒチリキに、ショウはおばちゃんに釣られるように笑う。
「あっはっは。いやー、美少女だなんてッ!
褒めてくれるのは嬉しいんだけどさ、ミーハー趣味もほどほどにねーっ!」
「やだようショウちゃん。ミーハー趣味ってのは歳を取るほど止められないのさ!」
手をパタパタとふっておばちゃんは豪快に笑う。
二人のやりとり戸惑っているヒチリキの肩をリュウテキが叩く。
「軽口の叩きあいなんざ、いつも俺達だってやってるだろ?」
「だけど、年上相手に……」
「そういうところ堅いよなぁ、お前。おばちゃんもノリノリなんだ。気にするなよ。
……とはいえ、おばちゃんもショウみたいな軽いノリで喋ってるけど――」
「うん。心配してくれてるのは本心だよね。それは分かってる。分かってるから――がんばれる。でしょ?」
それが理解出来てるなら問題ない。そうリュウテキが笑う。
その笑顔に、ヒチリキも笑みを返して、ショウと笑っているおばちゃんを見遣る。
ベルとの一件から、魔獣を斬ることにためらいが生まれている。だけど、あのおばちゃんの笑顔は、魔獣を倒してきたからこそのものなのかもしれない。
だとしたら、自分がしてきたことは決して無駄なものではないハズだ。
「バスター業務中以外はもうちょっと肩の力抜いて良いんじゃないか?」
「肩を張ってるつもりは……ないんだけど……」
「悩んでるのが手に取るように分かるんだよお前は。分かりやすすぎる。
何に悩んでるか知らないけど、気ぃ張りすぎて仕事中に疲れましたってのだけは勘弁な」
「うん。それは気をつける」
ふぅ……と、息を吐いて気持ちを緩める。
リュウテキの言う通り、あれから少しベルのことを考え過ぎているのかもしれない。
「談笑中に申し訳ないんだが」
「おっと、おばちゃんの仕事の邪魔をしちまってたか?」
新たに現われた声の方にリュウテキは向き直る。
そこにいたのは二十代中盤ほどの女性だ。
細いフレームのメガネに、火の付いていない細巻きタバコを咥えた、ショートヘアの美人である。
「いや、婦人には申し訳ないが、買い物ではなくてね」
「?」
黒いブラウスにタイトスカート、その上に白の羽織という和洋折衷の格好をした彼女は、首を横に振ってから、リュウテキ達を見る。
切れ長の瞳に、どこか研究者を思わせる空気のせいか、その羽織が白衣のようにも見えてくる。不思議というか不気味というか、そんな女性だ。
「私が用があるのは《雅》だ」
「ふぅ……ん?」
「ちょっと、リュウ。女性に対してそんなジロジロと見るのは……」
明らかに警戒しながら、女性の上から下までを見るリュウテキをヒチリキは咎める。
「いや、気にせんよ。怪しいのは重々承知だ」
それに対して、その程度では怒らないと口の端を微か動かす程度の笑みを浮かべた。
「それで、オバサン。何か用?」
「怪しまれるのは覚悟してたが、オバサン呼ばわりは頂けないな。
確かに年齢より上に見られるコトが昔から多いが、これでもまだ二十四だ」
口に咥えたタバコをぴょこぴょこと上下させながら、憮然と告げる女性。
その様子は言われ馴れているので怒る気はないが、でも出来れば言わないで欲しいという複雑なものが混ざっているように見える。
一見、マッドサイエンティスト系かと思っていたが、意外と女性らしい女性なのかもしれない。
彼女は咥えタバコのまま器用に嘆息を漏らす。
その女性の姿に、ヒチリキは話題を変えようとでも思ったのだろう。慌てたように訊ねる。
「それで、用と言うのは? ええっと……」
「ああ――失礼。名乗っていなかったな」
ヒチリキが名前を言い澱んだ意味に気が付いた彼女は、名刺を取り出して三人に手渡した。
「魔獣バスターチーム《琺瑯質の瞳》のコッペリウスと言う。以後見知りおいてくれ」
彼女――コッペリウスから受け取った名刺に、三人は目を落す。
「コッペリウスって男性名だよね?」
ショウの問いに、コッペリウスは「ああ」とうなずいた。
「ペンネームのようなものだ。
バスター業は副業というか、私が求めるものの為にやっているコトだからな」
「ってコトは、バスターとしての名刺とは別に本業の名刺も持ってたりすんのか?」
「聡いな少年」
うむうむと何やら偉そうにうなずいてる彼女に、リュウテキは口の端を吊り上げるように笑った。
「本業は、人形造形作家。本名は古浄ルリってーのか」
「な、なぜそれを……ッ!?」
コッペリウスだけでなく、ショウとヒチリキも驚いたような顔をする。
彼女達に、リュウテキは肩を竦めて言った。
「わりとうっかり屋とか言われないかコッペリウスさんよ。
そっちの二人はバスター用の名刺かもしれねぇけど、俺には本業用の名刺を渡してたぞ」
「うっかり屋は言われたコトはないが、詰めが甘いとか、ドジっ娘属性持ちなどと言われることは時々、な」
がっくりと肩を落すコッペリウス。
「ところで人形造型作家? って何? 人形作家なの? 造型家なの?」
興味深々に、ショウがコッペリウスに訊ねる。
密着するように身を乗り出すショウを押し返しながら、コッペリウスは答えた。
「どっちもやる。基本的に、造型から人形を作るのも、その人形用の衣装や小物を作るのも、全部一人でやっている。
人形作家とだけ名乗ると、小物つくりをメインに捕らえられるし、人形造型家と名乗ると、造型しか出来ないものだと思い込まれることが、何度かあってな。
昔は比較的通じやすかったらしいのだが、今は作業範囲が細分化されそれごとに名前が異なりはじめているのだ。それをイチイチ説明するのも面倒なので一緒くたにして名乗っている」
「でも、結局訊かれてません?」
実際に今もショウに問いかけられた。
もっともなヒチリキの言葉に、だがコッペリウスは首を横に振った。
「人形造形作家という仕事を説明する分には構わないのさ」
「基準がわからねーが、プライドとかそういうやつの問題か?」
「ま、そんなトコロだ」
リュウテキにうなずいてから、彼女は売店のおばちゃんに気が付いた。
「ああ、失礼した婦人。貴女にもこちらを」
「あらあら。もらっちゃっていいのかい?」
「名刺というものは渡すためにありますからね」
「ありがとうね。じゃあお返しに……と言っても店のモノをタダで差し上げるわけには行かないし……あ! バスターライセンスカードを見せてもらえるかい?
はい、確かに。コッペリウスさんの顔は覚えたからね。次からはカード忘れても、報告書とか購入時のライセンス必須品を売ってあげるよ」
「それはありがたい。では、次回からはこちらの売店を利用させていただきましょう」
「ご贔屓にねぇ」
などという、コッペリウスとおばちゃんのやりとりを見ながら、ショウがチョコレートを口に中に放り込みつつ訊ねる。
「――で、コッペさん。用って何?」
「む? ……おお、すまない」
ショウに言われて、コッペリウスは改めてこちらの三人を見ると神妙な顔をする。
「実は私には夢があってだな」
「……胡散臭い話とかはカンベンな?」
「そういうコト言わないのリュウ」
「へいへい」
思わず茶々を入れたリュウテキにヒチリキが釘を刺す。
それを横目に、リュウテキに続いて何かを言おうとしてたショウが口を閉じた。
「私は限りなく人形に近い人間に会いたく、同時に限りなく人間に近い人形を作りたいと思っている」
淡々とそう告げるコッペリウスではあるが、だがその根底にある情熱――というか執念というか――のようなものは確かに感じて、三人は息を呑む。
「その為の研究と実験には余念がないつもりだ」
火が付いているわけではないのだが、コッペリウスは咥えていたタバコを口から離し、天を仰いで息を吐いた。
それから、ゆっくりと顔を正面へ戻し、真摯な瞳で告げる。
「その為の人体実験の素材になって欲しいのだが」
『断る』
三人の即答が唱和した。
「だろうな。半分くらいは冗談だ」
「半分は本気ってコト……なの?」
呆れたように呻くヒチリキに、コッペリウスは片目を瞑った。
「それはともかくとして、だ。本題は別だ。
ナイトスピリットという魔獣がいるだろ。後学の為に、彼らの生態を調べたかったのだ」
過去形でそう告げるコッペリウスに、リュウテキはなるほど――とうなずいた。
「朱音沢公園の解放ミッションが絶好のチャンスだったのに、俺らに先を越されたから、一応声を掛けておこうってところか?」
「その通りだ。
報告書の一部分は後々閲覧可能になるとは思うのでそれでも良いのだが、やはり現物と立ち会った君たちの話を聞いてみたいと思ってな」
コッペリウスの言葉に、三人は顔を見合わせる。
そして、三人を代表するようにヒチリキが尋ねた。
「あの――例え遭遇しても解剖とかしないって約束できます?」
「ふむ? スピリットのことか?
よく分からない質問ではあるが、その訊ね方からすると遭遇できる場所に心当たりがあるというところか」
細く長い綺麗な指で下顎を軽く撫でて、コッペリウスは思案する。
「まぁ――あれだ。正しくは、その心当たりのある場所に出没するスピリットを解剖すんなって話だ。
何でかって事情は、解剖したり手を出したりしねぇと約束できるのならしてやってもいい。
確約が出来ないってんなら、この話はここまでだ」
下顎を撫でていた指を下唇に乗せ、その指を左右に動かしながら、しばらく考えていたコッペリウスは、やがて手を止めヒチリキを真っ直ぐに見てうなずいた。
「いいだろう。まだ遭遇したことのない魔獣だ。間近で見れるだけでも良しとしよう」
うなずく彼女に、三人には小さく笑ってうなずき返した。
「朱音沢公園にショウ達の友達がいるんだ。その子に見せて欲しいといえば、見せてもらえると思うよ。
管理人さんと、その子達には言っておくから、行ってみたら?」
「不可解な物言いではあるが、君たちは信用に値する。そうさせてもらおう」
「貴女がこちらを信用してくれているように、こちらも貴女を信用します。
ですが、その信用を裏切るというのでしたら――」
「自分がマッド側の人間だと自覚はしているがね……その殺気、抑えてくれないか」
まるで降参するように両手を挙げて、コッペリウスは頭を左右に振る。
「例え狂人でも死にたいとは思わないのでね。ここは大人しくするつもりだ。信じてくれ」
「失礼しました」
ヒチリキの瞳を真っ直ぐに受けて、コッペリウスは心からの言葉を口にする。
それに、少なくともヒチリキは信用できると判断したようだ。
「君達が連絡をつける時間もあるだろうから、来週あたりに尋ねさせてもらうよ。その友達さんにもそう伝えておいてくれ」
首を縦に振るヒチリキに、コッペリウスは笑みを零す。
「ああ――そうだ。礼というものでもないのだがな」
人の悪い笑みというべきだろうか。
クスクスと、害意のない悪意を纏ったような笑みを浮かべてコッペリウスが笑う。
「一応、心得があるのでね――医者の真似事も出来るんだ。
必要に迫られたら声を掛けてくれ。応急処置くらいはしてやろう」
「その時に変なコトしないよね?」
「しても良いならするがな。ダメと言われたらしないさ」
やや後退りしながら顔を引き攣らせるショウに、コッペリウスは笑みを浮かべたままそう言った。
「ああ――でも」
その顔にさらに悪魔じみたものを滲ませて、コッペリウスが笑う。
「人体実験の件。気が変わった言ってくれ。
君達の身体であれば、全身全霊を尽くし、可能な限り丁重に取り扱わせてもらうよ」
背筋にゾクリとしたモノが走り、三人が顔を引き攣らせると、
「冗談だ」
先程までの真面目な研究者のような表情に戻る。
「軽く本気に見えた気がするけど」
ヒチリキが呻くと、コッペリウスは意味深な笑みを浮かべた。
この女――あまり、気を許してはいけないかもしれない。
「そうそう。人形造型作家としての技術と私の開拓能力を組み合わせた、義手や義足なんかの義体の製作と取り付けも承っている。むしろ最近はそっちが本業かもしれないな。
違和感のないヤツから、隠し武器や隠し機能を秘めた特殊なヤツまでよりどりみどりだ。
治療でどうにか出来なくなったら遠慮なく言ってくれ。君たちになら融通するよ」
「費用はお金じゃなくて身体だったり?」
「よく分かってるじゃないか」
クックックと喉の奥で笑いながらショウの言葉に彼女が肯定すると、ショウは慌てたようにヒチリキの後ろへと隠れた。
「無論、冗談だ」
そんなショウにそう笑いかけてから、こちらに丁寧な会釈をし、踵を返す。
性格や性質は危険な気配が漂う女性だが、礼儀正しい人ではあるようだ。
「ではな」
後ろ手に軽く振って颯爽と売店から去っていく姿は、出来る女のようで、中々にカッコイイ。
「中身を知らずに後姿だけ見たら出来るオンナと評判の研究者ってカンジなんだけどねぇ」
思わずそう漏らすショウに、リュウテキも同意せざるを得ない。
「どうして俺の周りに集まってくる女は見てくれは良いのに、中身が残念なのばっかりなんだろうな」
「ちょっとリュウ。それどういう意味?」
「ひどいなーリュウちゃん。ショウ達はこんなに真っ当なのに」
いちいち相手にしてられないと、手をひらひらとさせてリュウテキは二人をあしらう。
「でも――同性の人をカッコいいって思うの始めてかも」
ヒチリキはコッペリウスが消えていった、人のごった返すロビーを見ながら、そう呟く。
その時、ハッとしたようにショウへと向き直った。
「もしかして、私が女の子からちょくちょくラブレターとかもらうのって……ッ!」
「あー……そうだねー……たぶん、今ヒィちゃんがコッペさんに感じたのを、ヒィちゃんに対してもっと強く感じちゃった女の子からの熱いパッションなんじゃないかなぁ」
今更かよ――と口にしないのはせめてもの友情である。
そうして、コッペリウスとのことがひと段落した時、館内アナウンスが流れてきた。
《お待たせ致しました。番号札D334をお持ちの方。二階、報告窓口までお願いいたします》
「おー……呼ばれた呼ばれた」
「じゃあおばちゃん行くねー」
「お騒がせしました」
「はいよー。またきてね」
8.
「――お待たせ致しましたこちらが報酬になります」
「どうも……って、ちょいと多いみたいっすけど?」
受け取ったお金を数えてから、リュウテキは眉を顰めた。
お金が多いのはありがたい。だが、少々色が付きすぎな気がするのだ。
「はい。依頼人の方から連絡がありまして、『ただ退治するだけでなく、防衛手段まで用意してくれるとはありがたい』とのコトで、先方から追加報酬がありました」
「情けは人の為ならず、だね」
「ヒィちゃんがドヤ顔してもねぇ」
うんうんと満足そうにうなずくヒチリキに、ショウが猫のような笑みを浮かべながら水を差す。
「ベルっちょに気付いたのリュウちゃんだし」
「うっ……」
「どーでも良いよ、そんなん」
やれやれ――と嘆息しながら、リュウテキは受付嬢にお礼を告げて、報酬を財布へと仕舞う。
「特に報告書に関する質問なんかは大丈夫だったんすね?」
「はい。いつも、分かりやすく丁寧なものをありがとうございます」
「それを書くのが仕事の中で一番疲れるんスけどね」
後ろの二人に対し、これ見よがしに首をコキコキと鳴らしてみせると、それぞれがリュウテキから視線を逸らす。
それを見て、受付のお姉さんが思わず吹き出した。
「それじゃ、俺たちはこれで失礼します」
「はい。またよろしくお願いします」
三人は受付にそれぞれ軽く頭を下げてその場を離れていく。
「んで、何を食う?」
「せっかく色付き報酬もらったんだし、豪勢に行きたいね! 何ならあたしでもいいよ」
「ヒチリキ。何か食いたいもんあるか?」
「リュウちゃんのスルースキルが最近レベルアップしてきてる気がする」
「えっと……その、ご飯じゃないんだけど、マリーメイ屋のイチゴタルトが……」
「お? マリーメイ屋ならOKだよー」
「んじゃ、決まりだな」
そうして三人は、魔獣バスターという顔から、学生の顔へと戻っていく。
――と言っても意識して切り替えているわけではないので、三人とも先ほどまでの様子とさほど変わらないのだが。
それでも……向かう先が、魔獣退治か日常かで気分というのは変わるのだ。
もちろん、日常の中で魔獣が出てくれば、即座にバスターとしてのスイッチが入るだろうが、それはそれだ。
日常もそれ以外も、三人は疎かにしたくないと思っているのだから。




