第二話
山の様に積まれた書類はいまだデスクの上に健在だ。あれから長い事目を通しては判を押しているが、減っている様子は微塵もない。
「しかし…多すぎる。」
元来細かい事や面倒な事が嫌いなのだ。
思う様に捗らない仕事に苛立ちを感じ始めてきた。
「ここはひとつ…おいで、ルーズ。」
相も変わらずソファーの横で眠っていたが、
名前を呼ばれて顔を上げた。
部屋から出て行こうとする橘の後を追いかけて共に部屋を出た。
部屋から出るとそこには長い廊下がある。
橘が目指したのは廊下を行き切った場所にあるベランダだった。
おもむろにポケットから煙草を取り出す。
最近は本当に喫煙者の肩身が狭い。
自分しか使わない仕事部屋であっても、許されないのだからたまらない。
佐伯には何度も禁煙を勧められたが、どうにもやめる気になれなかった。
まぁ、まさに中毒という事だ。
煙草に火を付けて深く吸い込む。
煙草の先がチリチリと音を立てながら黒く焼けていく。
「ふぅー…ルーズ、外の風は気持ちいいか?」
橘にとっては一服が休息で、ルーズにとっては外の空気に触れるのが休息だ。嬉しそうに口を開けて新鮮な空気を吸い込みながら尻尾をゆらゆらと揺らした。ベランダのフェンス越しに一体何を見ているのかわからないが、一点をただ見つめているルーズには、何か惹かれるものがあるのかも知れない。
煙草が半分を切った頃、同じ目的で男が一人やってきた。
「お疲れ様です、班長。」
「お疲れ。何、遊佐も一服?」
遊佐と呼ばれた男もポケットから煙草を取り出した。すぐに火をつけて肺に煙を溜める。
そしてそれを一息に吐き出してから言った。
「まぁ…疲れたんで休憩がてら。」
「あれ、お前って煙草吸ってた?」
「吸ってますよ、たまにですけど。班長みたいにヘビースモーカーじゃないっすから。」
「俺だってそんなに吸わないっての。」
とは言いながらも、煙草を吸う手は止まらない。
「ルーズが可哀想じゃないですか、こんな所に。煙草臭いんじゃないっすか。」
「あぁ、いいんだよ。これはこれで楽しんでるから。」
まだ外を見ながらパタパタと尻尾を振っている。
「本当だ。可愛いなぁ。」
「やらんぞ。」
「無理矢理連れてったって班長んとこ帰りますよ。こんなに忠実な犬、見たことないっすもん。」
「まぁな。俺のしつけが良かったからな。お前らのしつけは間違ったけど。」
「なんすか間違ったって!あ、さっきのあれですか、書類の山。」
「当たり前だ。嫌がらせの様に…」
「しょうがないじゃないですか!そんな時間ないんですから。出来る時間に一気に片付けないとこっちも手が回らないんですよ。」
「だからって。というかあれは…」
と言いかけた所で内ポケットが震えた。
取り出した携帯のディスプレイには川間の文字が写っている。
この名前を見ると心底嫌気が差す。
ディスプレイにある着信を押す。
「はい」
『川間です。指令書が発行されました。』
「…たまには違う事で電話してこないの?」
『特に用事はありませんので。それでは。』
一方的にブツっと切られた。
…一応こっちが上司なんだが、まぁいいか。
「という事で、指令です。遊佐君よ。書類整理はまた今度って事で。」
「班長、俺の制服、前回の件で破れたから新調したんですよ。それも今日。…行かなきゃダメですか。」
短くなった煙草を消して最後の煙を吐いた。
ベランダから出て行く橘は去り際に遊佐の肩を一度、ポンと叩いた。