第1回
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聞く価値もないほどに長い長い校長の有難いお話を聞き終えて講堂をあとにしながら、比佐古典成は両腕を上げて大きく伸びをした。
あんなお決まりの言葉や夏休みに向けての教師たちの注意事項など、これまでの小中で嫌となるほど聞かされてきた内容であるというのに、同じことを毎年毎年聞かされることに、まるで意味を見出せなかった。
そんなことよりも、典成がこの夏休みに楽しみにしているのは本腰を入れて研究に取り組もうとしている鬼の伝説について、より詳しく調べ上げて夏休みの研究レポートとしてまとめあげることにあった。
周囲を山々に囲まれた盆地に、静かに佇む町、戸塚。
国道沿いに建つビルはどれも都市部のものに比べて低く、どこから四方を見ても、視界には必ず山が入る。
人口およそ六万の、古くから山陰と山陽の流通拠点として多くの商人が集まり発展していったその町は、けれど今では市街地以外は田畑に囲まれた緑豊かな田舎町に過ぎなかった。
なかでも町の象徴とも言える町北部の比久万山は町を見守るかのように鎮座している。
その山頂には江戸時代後期にこの町を“鬼”から守ったとされる修験道の墓石が町を見下ろすように聳え立ち、今もなお町に点在する鬼を封じているとされる十の石塚を守護しているという話だった。
典成は自分のこれからのその鬼の研究が、唯一無二の重要なものになるという根拠のない確信すらあるのだった。
「――典成」
教室に戻る道中、後ろから肩を叩かれ振り向く。
そこには白銀色の長い髪を揺らしたエメラルド色の瞳をした女子の姿があった。
同じクラスの神崎アリスである。
日本語が堪能なため普段は意識しないけれど、その見た目は明らかに日本人の外見とは異なっていた。
この春にイギリスから日本にやってきた、とても可愛らしい女の子だ。
かくいう典成もアリスには恋心を抱いているのと同時に、そんな彼女とこの高校に入学する前から親しい仲になれたこと、これから始まる夏休みで共に戸塚の十塚伝説について研究することができるその事実に心浮かれているのだった。
「今日、うちに来るでしょ?」
「もちろん。寄子さんにも一昨日からそう伝えているからね」
寄子、というのは神崎アリスの居候先の老婆の名前である。
アリスは寄子の遠い親戚の孫であり、日本文化に興味を抱きわざわざ単身親元を離れて越してきたというのである。
寄子は戸塚に伝わる十塚の伝説についてよく知る唯一の人間といっても差し支えなく、典成が十塚伝説に興味を抱いたのも幼いときに寄子からその物語を耳にしてからのことだった。しかも、この夏休みは寄子の家に古くからある蔵の中を(掃除や整理するのと引き換えに)好きに調べて良いという約束まで取り付けている。
アリスのようなこんな可愛い女の子と一緒に自分の好きな研究に没頭できる、こんな幸福が果たして許されていいのだろうか? いや、これもまた運命というものだろう。そうに決まっている。
典成は満面の笑みでアリスに、
「そうだ、このままアリスの家に行っていい? いちいち家に帰るのもまどろっこしくて」
するとアリスは微笑みながら口元に手をやる。
「ほんと、典成は十塚伝説に夢中だね」
「そりゃそうだよ。あんな不思議な配置になっている塚について、これまで誰もまともに興味を抱かなかったのが不思議なくらいだよ」
そうだね、とアリスは答えて典成から数歩前を、渡り廊下に向かって歩き始めた。
アリスから花のような爽やかな甘い香りが典成の鼻をくすぐり、心の底がほわほわと何とも言えない浮揚感に包まれていった。
アリスとは入学前に知り合った仲だけれども、今までこの好意を言葉にして伝えたことは一度もない。
それはもちろん、自分の容姿に自信がなかったというのもあるし、十塚伝説を追い求めるオタク気質な所を気にしてのことでもあった。
なによりフラれた時のことを考えるとそれが怖くてこの想いをどうしても伝えることができずにいたのだった。
少なくとも、この好意を伝えない限り恐らくアリスはずっと僕と一緒に居てくれる。僕の友達でいてくれる。一緒に十塚伝説の研究に付き合ってくれる。
典成はそこに安心感を覚えてしまい、どうしても告白という行為に至ることができないでいたのだった。
「? どうしたの、典成」
ふとアリスがこちらを振り向き、不思議そうに首を傾げた。
典成は我に返ると慌てたように、
「あ、いや、ごめん。どこから手を付けようか、ちょっと考えてたんだ」
するとアリスは微笑み、
「考えるよりもまず行動、だよ。早く行こ」
「ああ、うん。そうだね」
典成は面映ゆく思いながら頭を掻くと、小走りにアリスの隣まで駆けていき、ふたり並んで教室へと向かうのだった。




