穢(ケガレ)の連鎖
戦は、常世の大河とも、大海とも呼ばれる場所で行われる。
穢は時にいろいろ姿を変える。
ザコと呼ばれる、鯉が人面にも似た頭をつけるもの。
トグロと呼ばれる、姿形が鰻のようにニョロニョロし、口元が引き裂き歯が見えるもの。
今度は、波間に浮く巨体が尻尾で水を叩き襲ってくる、穢が新たに見受けられることとなった。
まるで丸太が浮いているようだが、目が合うと襲ってくる雷魚のようだった。どうやら目が合った瞬間、こちらを覚えるのだ。
新しい穢は牙をむき出しにして、遠くからでも大きな口を開けて飛びかかってくる様を見てイタチと名付けられた。
「戦の準備をせい! 新たに対の決定で、乗り込む船を間違えるな!」
頭領代理の声が響く。御子姫は戦さ装束の準備をしていた。
戦の相手である『穢』とは、いったいナニモノなのか。それは常世の大河に出始めた。初めは大量であっても一つ一つは小さなものであった。
気がつけば、その小さなものが集まり実体化し、大層な被害が出そうな代物となるようになった。
ザコと呼ばれるものが、一斉に集まり襲ってくるのが今までだった。それが様相を異にし始め、ある程度の大きさのものが現れ襲ってくるようになった。
では、ケガレの正体はいったいなんなのか。
それはわからない。
古くからの口伝では、穢は、戦や疫で積み重なった死と、人の澱から生まれる。
そうなのだ。穢の出現など、最早止めようがないのだ。
何もしなければ、いずれは飲み込まれるだけだろう。
飲み込まれたあとの世界など、人の生きることができる場所であろうはずがない。
その穢相手に戦う者として響家奏家という異形の力を持つ者達がいる。
由縁は、響家にのみ語り継がれている。
奏家は戦を続けるうちに、響家から分派した異形の力であった。
本流である響家の力の集約された姿が、御子姫だと言ってよかった。
元は、穢を祓うための贄としての役目を負った集落があった。大海に葦舟に赤児を乗せて流していた。
ある時、その舟が赤児を乗せて戻ってきた。赤児は真っ白な肌、真っ白な髪、真っ赤な眼をした異形であった。
御子姫は一の船に乗り込んだ。船首には奨弥が待っていた。初めの頃に比べれば、随分と阿吽の呼吸で戦ができるようになってきた。初戦から一年は経つだろうか。
常世と現世では、時の経ちかたが違った。
常世で半日戦をして戻ると、現世では四、五日経っている。おおよそ十倍の時間が過ぎているのだ。
戦は毎日出かけるわけではなく、河の様相によって変わってくる。穢の現れようと言ってもいい。
御子姫と奨弥のすぐ後ろに、将吾が対となった優帆と立っていた。御子姫は優帆の衿を直してやりながら祓い言葉を唱えた。
「何かあればすぐに助けてやる」
「心配ご無用です。俺がしっかり守るんで」
そう言って将吾は優帆の肩を抱いた。優帆は思いがけないことに顔を真っ赤にした。その様子を見て、御子姫は不愉快そうな表情になった。将吾は悪びれもせず、にっこりと笑いかけた。
「気を引きしめて」
「はいはい」
奨弥が小声で注意すると、うるさそうに将吾が返事をした。
──これが総代への態度か、いけ好かん
御子姫は、戦に出る前にイラッとした自分を律した。奨弥の方を見ると頷き、二人で船首に立つと振り返り、船団皆に向かって檄を飛ばした。
「いいか! 初顔合わせの対が多い! 心してかかれ、よいな!」
船はいつも通り、閘門を抜け常世の大河へと出立した。
ザコが湧いて出る。その中に一際大きな丸太のようなものが先方に見えた。
その前に、トグロがいくつも船を巻こうと寄ってくる。
「奨弥! イタチじゃ! 大きいのが前におる!」
「わかった!!」
うじゃうじゃと寄ってくる穢を一撃で一掃しながら、御子姫は一段と高く舞い様子を伺った。同時に船団へ、天から降るような声で采配を振るう。
「イタチがかたまって浮いておる! 目を合わせるでないぞ、飛んでくる前に叩け!」
そんな中、御子姫は将吾と優帆の対から目を離さなかった。どうにも寄ってくる穢が多いように感じられた。
何かがおかしい。穢の動きがまとまり過ぎている。まるで誰かに導かれるように、対の弱いところへ寄ってくる。 偶然にしてはでき過ぎていた。
「優帆、前に出過ぎじゃ、下がれ!」
優帆が下がって、将吾の後ろへ回ろうとした時だった。
事もあろうに、盾になる役目の将吾が退いた。優帆は矢面に立たされた。
「姫、来るぞ!」
大イタチが一の船目がけて飛んできた。船より大きいかもしれない穢が大口を開けて来る、御子姫は物ともせず真正面から消し去った。
その目に睨まれた者は、恐ろしさに気を呑まれ、にわかに動きが止まった。
「眼を見るな、呑まれるぞ!」
「止まるな、動け!」
御子姫の声に、一斉に正気に戻り動き出す。
御子姫の凛とした高い声は、遠くまで響き渡った。まるで邪気祓いの鈴のようだった。
御子姫は奨弥に、イタチが群れのように浮かぶのを自分が祓うと言い出した。
奨弥は御子姫の術を受け止めきれるか、一瞬迷いが生じた。
「大丈夫じゃ、できる!」
御子姫の声は不思議な力があった。
奨弥の迷いは打ち消され、特大の輪紋を繰り出す。御子姫は祓い言葉を唱えながら、経紋を幾重にも打ち込んだ。
「う……ぐ……!」
奨弥は輪紋に打ち込まれる経紋の重量に耐えた。
御子姫は、輪紋で増幅された経紋を引き出し、自身の周りで渦状にすると先方に浮かぶ群へ目がけて放った。
辺りが見えなくなるほどの閃光とともに穢が一掃された。
「気を抜くな、来るぞ!」
優帆が祓い言葉の詠唱を始めた。
本来なら、ここで輪紋の将吾が盾になって、詠唱で無防備になった優帆を守らなければならない。そして、その間に輪紋を繰り出す準備をするのだ。
将吾はイタチと目が合ってしまった。ほんの一瞬、目を逸らすのが遅れた。
丸太のように浮かぶそれは、水の中から爛々と獲物を狙っていた。頭をもたげると飛び上がり、尾びれで水面を叩いて勢いよく飛びかかってきた。
御子姫は食われそうになった優帆を間一髪で助けると、抱きかかえて落ち、甲板に体を打ち付けた。
「ひ、ひめーっ!」
隣にいたはずの御子姫が甲板に倒れていた。
「う、うわああああああーっ!」
その側で、将吾がのたうちまわっている。
「そいつを抑えてくれ……」
御子姫は朦朧としながら奨弥に向かってそう言った。
痛みに顔が歪む。なんとか体を起こすと将吾の脚の傷を祓い清めた。
食いちぎられたところからは、ぶすぶすと音を立て黒い膿とも肉片ともいえないものが落ちていた。
御子姫を抱き起こすと、奨弥は戦を中断して引き上げるよう指示した。
穢に片足を食いちぎられた将吾は、ぐったりと甲板に横たわっていた。
御子姫は必死に穢祓いを行った。意識を失いつつも、祓い言葉だけは途切れず唱えられていた。
──高山の未、低山の末より、
さくなだりに落ち多岐つ速川の
瀬に坐す瀬織津比売といふ神、
大海原に持ち出でなむ……
かく持ち出でいなば、
大海原に坐す速開都比売といふ神、
持ち加加吞みてむ……
かく加加呑みてば、
気吹戸に坐す気吹戸主といふ神、
根国 底国に
気吹放ちてむ……
かく気吹放ちてば、
根国 底国に坐す速佐須良比売といふ神、
持ち佐須良比てむ……
御子姫の詠唱は船が帰るまで続いた。
怪我人が出たことはすぐに伝わり、船団は穢を祓いながら一の船を守り早々に帰港した。




