響家と奏家
鬼の赤児、豪鬼は見事な輪紋を持った男の子だった。
本当に鬼の子なら、しばらくすれば、コブの先から皮膚を突き抜け角が生えてくるだろう。
角は妖力の源、できれば鬼の力はない方がいい。どのように育つのか、見守ってからでも遅くはない。
──角は落とす
そう、里長も言っていた。
可哀想だが、角が生えてくる前に赤児のうちに削り取ってしまおう。
角は骨と同じようなものだ。削るのは痛かろうが仕方がない。
半月ほど経ち、御子姫は隠れ里を訪れると、豪鬼は驚くほど成長していた。
「なんじゃ、生まれた時も大きかったが、もうこんなに大きゅうなったのか」
驚く御子姫に、養い親は大笑いした。
「異形の子は、すぐ大きゅうなります」
「そうなのか、角は取ったか」
「はい、嫌がりましたが、泣かずに我慢しとりました」
「そうか、偉いのう」
御子姫は削られコテで焼かれた頭を見た。
痛々しい痕に持参した薬を塗ってやった。
豪鬼は笑わず、泣きもしなかった。
痕に薬が触れるたび、豪鬼の体はぴくりと小さく震えた。
それでも声を上げぬのは、泣いてもどうにもならぬと、もう知っているようでもあった。
「痛かろうに……」
御子姫がそう呟くと、養い親は困ったように笑った。
「よう堪えとりました。普通の赤子なら、もっと泣き叫びます」
豪鬼はただ、じっと御子姫の顔を見ていた。責めるでもなく、怯えるでもなく、黒い目だけが不思議なほど静かだった。
御子姫は、その目に見覚えがあるような気がした。
泣き方も、怒り方も知らぬまま、ただ息をしていた頃の自分のようだった。
「まるで子供の頃の私のようじゃ」
山羊の乳はよく飲むようで、足りないといけないともう一頭用意した。半月毎には来るが、もしもの時のために伝書鳩も数羽預けていった。
子供に罪はない。御子姫にとっても愛しいばかりだった。
近々、経紋衆と輪紋衆との対の組み合わせが見直されることとなった。
通常、経紋衆は十八歳、輪紋衆は二十歳。対を組むには、それ以上が相応とされている。
組み合わせは、持つ力の釣り合いを考慮して決める。頭領と総代、他数名若手の補佐役等も含めて話し合われ、仮の組み合わせが決定される。
組み合わせの基準については、経紋衆の力をまず何をおいても考慮の基本としていた。それは古から延々と続いていた。
また、組み合わせが決まったからといって、すぐに血の契りは行ってはならない。
幾度か戦に出て組み合わせの相性をみる。当人同士の最終の意思確認をそれぞれの頭領と総代の前で行う。それでやっと許されるのである。
今回、会合で最も問題となったのは、総代の従兄弟である将吾の所存についてだった。
洋巳との一件は、あくまで偶発的に起きたことだと主張しながらも、辻褄の合わないこともいくつかあった。
将吾は奏家本家筋で力もそこそこのものだが、未だに対が決まらなかった。力だけでなく、戦ぶりが大きく評価されるからだ。
「総代には申し訳ないが、将吾の戦ぶりは認められませぬ。
経紋衆は術の要にございます。輪紋衆の役目は、経紋衆を守り、術を成立させること。しかしあやつは、詠唱の間に守りを欠き、術者を危険に晒しておる。
術が発せられねば戦にならぬ。経紋衆がおらねば、戦はできませぬぞ」
御子姫は容赦なく、輪紋衆の戦ぶりに意見した。中でも将吾には手厳しかった。
「御子姫様の仰る通りにございます。実際、仮の対で戦に出た者たちからも同様の報告が上がっております。詠唱中に守りが入らず、命の危険を感じた、と。皆、将吾との対を拒んでおります」
頭領代理もまた、厳しい表情で実情を述べた。
「そうか……困ったな。あいつは実が伴わないのに自尊心だけは強くて。叔父上からも頼まれているしな」
──生き死にがかかっておるというに、何を言っておるのじゃ
御子姫は呆れて何も言う気が失せた。この男も、将吾と大して変わらない。
「もし、対を組ませるなら、一の船に必ず乗せよ。対を組んだ経紋衆は私が守る。それが条件じゃ」
そう言ったきり、御子姫は一切口を出さなかった。
彼女は怒ったりすることは滅多にない。
会合を経て、見ぬふりをしてきたものが、はっきりと見えた。
奨弥の人となりが、嫌でも見えてしまった。
哀しいというか、仕方がないと、受け入れる他なかった。
会合の成り行きを、冷ややかに見つめるだけの御子姫に、奨弥は初めての会合に疲れたのだろうと思っていた。
会合は響家の大広間で行われていた。
終わり次第部屋に共に下がると、奨弥は御子姫に近寄り髪を優しく撫でた。
「おやめ下され」
御子姫は奨弥の手を取ると、奨弥の方へ押しやった。
「いったいどういうことなのか。お聞きしたい。戦は人の生死がかかっております。だからこそ、より良い組み合わせを合議するのではないのですか」
「そうですね、ほとんどは昔の通りです。力の均衡と相性と。ですが、戦は人の生死だけではないのです」
「どういうことじゃ」
「我々の戦は、古くから政、いわゆる政治というものとも深く関わっているのです。
将吾の父親は、それを一手に担っています。将吾自身は使い物になりませんが、それをどうにかしなければならないのは、私の役目でもあるのですよ」
「祖母様から聞いてはいましたが、私の理解が足りませんでした。今度、里へ行って聞いてきます」
奨弥は御子姫を抱え、御簾内へ入った。御簾を下げると、やさしく降ろした。
「そんなことに、姫は関わらなくてもいいですよ」
「どうしてじゃ……」
「政治は綺麗事では済まないから」
奨弥はため息をついた。
「昔からそっちの仕事は奏家が引き受けるのが習わしなんだ」
奨弥は説明する。
「叔父貴は、今、奏家を仕切っている」
「奨弥さんは……」
「俺は、お飾りだ」
御子姫は奨弥を見つめると、目と目があった。二人は、しばし見つめ合った。
「奨弥……」
御子姫は奨弥を抱きしめた。
抱きしめながら御子姫は、まったく別のことを考えていた。
──豪鬼のことは、知られてはならぬ
だが、洋巳が鬼の子を産んだという噂は、もうすっかり収まったものの、どこからどう蒸し返されるかわからない。
もしも利用価値があると値踏みされたなら、その父親は自分だと、あの男なら言い出しかねない。
──守るためにはどうするか
表の世界、すなわち政治は奏家が担う。裏の世界、つまり穢との戦は、響家が中心。
いや、響家もいいように利用されているのだ。
思い出せ、先の大戦で亡くなったのは、誰だ。誰と対だった。
御子姫の父親については奏家の分家筋で、本家からはかなり遠い縁者だと聞いている。
経紋は持たないが響家本家の一人娘ということで、奏家の血筋で見繕って名ばかりの婚姻関係を結んだ。いわゆる契約結婚である。
子ができたらすぐに離縁し、決して父親であることは明かさない。それもどうなるかわからない。
もしも、奏家と対峙するような事態になってからでは遅い。
とにかく、穢との戦についてだけは、口出し無用としなければ。
──私が年端もいかぬ子供だと思って、舐めた真似してくれる
御子姫は、思い出していた。
本当の敵は穢なんぞではないという、祖母の言葉を。
それが何を意味するのか、頭領としてわかったつもりでいた。
その甘さを知った。




